第47章
キャリガン家に到着したのは十一時近くだったが、アイリーンはまだ寝ていなかった。ベルが鳴ったときは、二階の寝室でマミーとキャリガン夫人に自分の社交での経験を打ち明けていた。キャリガン夫人が下におりてドアを開けクーパーウッドと応対した。
「バトラーさんがこちらにいらしてますね」クーパーウッドは言った。「父親からの使いが来たと伝えてもらえますか?」自分がここにいることは家族の者にさえ漏らさぬようアイリーンが指示しておいたのに、クーパーウッドの強烈な存在感とバトラーの名前が出たことでキャリガン夫人は冷静さを失った。「ちょっとお待ちを」夫人は言った。「見てまいります」
夫人が奥に引っ込むと、クーパーウッドはすかさず中に入り、アイリーンがそこにいることに満足した様子で帽子を脱いだ。「少し話をしたいだけだと伝えてください」キャリガン夫人が階段をあがって行くときに、アイリーンに聞こえるのを期待して声を張り上げた。これを聞きつけるとアイリーンはすぐ降りて来た。こんなに早く来たことにとてもびっくりし、うぬぼれから、家中は大騒ぎに違いないと想像をふくらませた。もしそうなっていなかったら、ひどく悲しんだだろう。
キャリガン家の人たちがうれしそうに聞いていただろうから、クーパーウッドは慎重だった。アイリーンが降りてくると、指を唇にあてて黙るよう合図して言った。「バトラーさんですね」
「そうよ」アイリーンはこっそり微笑んで答えた。唯一の望みは彼にキスすることだった。「どうしたの?」静かに尋ねた。
「きみは帰らなければならないと思う」クーパーウッドは小声で言った。「そうしないと大騒ぎになりそうだ。お母さんはまだ知らないらしい。お父さんが今私のうちにいてきみを待っている。きみが帰ってくれば、私はかなり助かるかもしれない。実はね――」クーパーウッドはバトラーとの会話を包み隠さず話し、この問題について自分の見解を述べ始めた。問題のさまざまな局面が提示されるたびに、アイリーンの表情は時々変化したが、クーパーウッドの明確な説明と、これが片付けば二人はこれまでどおり関係を継続できるという確約に説得されて帰ることに決めた。ある意味で父親の降伏は大勝利だった。アイリーンは、自分が家にいないと家族がやっていけない、荷物は後で取りに来る、と笑顔でキャリガン家に別れを告げてクーパーウッドと一緒に彼の自宅の玄関まで戻った。そこで彼は、父親に降りてきてもらうから馬車で待つようにアイリーンに頼んだ。
「どうだった?」クーパーウッドがドアを開けると、バトラーは振り向き、アイリーンがいないのを見て言った。
「外の馬車にいます」クーパーウッドは言った。「よかったらそれを使ってください。うちの者をとりに行かせます」
「けっこうだ。歩いて行く」バトラーは言った。
クーパーウッドは使用人を呼んで馬車を任せた。バトラーは威厳を保って堂々と立ち去った。
娘に対するクーパーウッドの影響力は致命的で、おそらくは永続的であると認めざるを得なかった。バトラーにできることはせいぜい娘を家の敷地内にとどめておくくらいだった。自宅にいた方がまだ正気に戻る可能性があった。帰り道、バトラーは娘がまた機嫌を損ねるのを恐れたので、とても慎重に娘と対話した。議論など論外だった。
「家出する前にもう一度話をしてもよかったんじゃないか、アイリーン」バトラーは言った。「お前が家出したと知ったらお母さんはオロオロするぞ。まだ知らずにいるからな。夕食の時間はどこかにいたと言わなくちゃいけないよ」
「キャリガンさんのところにいたのよ」アイリーンは答えた。「それで平気よ。お母さんはそんなこと心配しないわ」
「胸が痛むよ、アイリーン。自分のやり方をよく考えて態度を改めてほしい。もうこれ以上何も言わないから」
このときアイリーンは明らかに勝った気分で部屋に戻った。バトラー家では表面上、物事はこれまでと同じように進んだ。しかしこの敗北がクーパーウッドに対するバトラーの態度を永久に変えたと思ったら大間違いである。
仮釈放の日から二か月先の控訴審までの間、クーパーウッドは粉砕された自分の戦力を立て直そうと最善を尽くしていた。中断したところから仕事を再開した。しかし事業再建の見込みは有罪判決以降、明らかに変わってしまった。破産したときに一番大口の債権者たちを守ろうとしたのだから、もし再び自由の身になり、他の条件が同じであれば、自分を最も助けてくれそうな人たち――たとえばクック商会、クラーク商会、ドレクセル商会、ジラード・ナショナル銀行など――の信用は良好だろうと思っていた――ただし判決で彼の個人的評判が過度に傷つけられていなかったらだが。彼の楽観的な考え方に幸いだったのは、正当か否か別として、この種の司法判断が、最も熱心な彼の支持者たちの心にさえ、どれほど抑制的影響を与えるかをクーパーウッドが完全に読み違えたことだった。
金融界の親しい友人たちはすでに、彼が沈みかけている船だと確信していた。金融を学んだ者がかつて、お金ほど敏感なものはない、金融を扱う人の心は取り扱う対象の性質を色濃く反映する、と言った。何年も刑務所にいるかもしれない男のために、多くのことをしようとするのは無駄だった。最高裁で敗けて実刑判決が下されても、知事に関係した何らかの対応がとられるかもしれないが、それは二か月以上先のことであり、結果がどうなるかはわからないのだ。だから、援助や信用枠の拡大、あるいは全面的な再建のために立てた計画を受け入れてほしいというクーパーウッドの度重なる訴えは、疑念を持つ人たちにやんわりかわされた。考えてみるよ。検討してみるよ。いくつか障害があるんだ。ああでもない、こうでもない、と行動したくない人たちの果てしない言い訳を聞かされるだけだった。この頃、クーパーウッドはいつものように元気よく金融界を歩き回り、長年来の知り合い全員に挨拶し、問われれば、かなり有望で、順調にいっているふりをしたが、彼を信じる者はいなかった。実は彼も相手が信じようが信じまいが気にしなかった。彼の仕事は、誰でもいいから本当に自分を助けてくれそうな人物を説得、もしくは強引にでも説き伏せることだった。そして他のことには目もくれず、一心不乱にこの仕事に取り組んだ。
「やあ、フランク」彼を見かければ友人は声をかけてくれる。「調子はどうだい?」
「いいよ! 順調だ!」クーパーウッドは明るく答えた。「これまでになく順調だよ」そしてクーパーウッドは自分の業務がどのように処理されているかをざっと説明した。自分を知り、自分の繁栄に関心を持つ人全員に、自分の楽観的展望をたっぷり伝えたが、当然関心のない人も多かった。
また、この頃、破産申請に関する再調査がずっと続けられていたので、クーパーウッドとシュテーガーは絶えず裁判所で顔を合わせるようになった。胸が張り裂けそうな日々だったが、くじけなかった。フィラデルフィアにとどまり、最後まで戦いたかった――火事の前の地位に就き、世間の目に自分が復活した姿を見せたかった。実際に長期刑にさえならなければ、彼はこれができると感じた。さらには、たとえそのときでさえ、再び世に出たときでさえ、彼の展望は当然、楽観的だった。しかしフィラデルフィアに関する限り、彼は明らかにむなしい夢を見ていた。
彼に不利に働いている要因の一つは、バトラーと政治家たちがつづけている敵対だった。どういうわけか――誰もその理由をはっきり言えなかったが――世間一般の政治的観測は、この資本家と元市財務官は控訴に敗れて、最後は一緒に刑を宣告される、というものだった。ステナーは当初、罪を認めて黙って刑に服するつもりだったが、率直に罪を認めてまったく正当性がなかったように見せるよりは、自分の罪は慣例によるものだったと主張した方が将来のためにいい、と政治家仲間に説得され、これを実行したが有罪にされた。体裁を繕うために、でっち上げの控訴が行われ、それが今、州最高裁判所で審理中だった。
さらに、あちこちで噂がささやかれていた。バトラーとクーパーウッド夫人に手紙を書いた少女が発端のこうした噂のせいで、この頃、クーパーウッドとバトラーの娘アイリーンとの怪しい関係にまつわるゴシップが広がりを見せていた。十番街には家があり、アイリーンのためにクーパーウッドが維持していた。バトラーがこれほど執念深かったのも不思議ではなかった。これで多くのことに説明がついた。現実的な金融界でさえ、今や批判の矛先は彼の敵にではなく、むしろクーパーウッドに向いていた。というのも、キャリアが始まった頃、彼はバトラーに目をかけられたというのが事実ではなかったか? その恩に対して何という報い方だろう! 彼の古参の岩盤支持者たちさえ首を振った。これがクーパーウッドの行動を司る、あの持ち前の「自分を満足させる」という態度のもうひとつの実例だ、と彼らははっきり感じ取った。クーパーウッドは確かに強い男だ――そして華麗な男でもある。これほど華々しく、それでいて魅力的で、金融にかけては攻撃的で、同時に保守的な人物は三番街では見られなかった。しかし、人は過剰な大胆さと利己主義とで、復讐の女神を呼び寄せるのではないだろうか? あれは死神と同じで輝いている標的が大好きなのだ。彼はおそらく、バトラーの娘を誘惑すべきではなかったし、間違いなく、特にステナーと喧嘩別れした直後に、あの小切手をあんなに大胆に手に入れるべきではなかった。少し攻撃的過ぎたのだ。こういう経歴の持ち主が、ここで元の地位に戻れるか、疑わしくないだろうか? 彼に一番近い銀行家や実業家たちも明らかに懐疑的だった。
しかし、この頃のクーパーウッドと彼の人生への向き合い方――彼が抱いていた感情――「自分を満足させる」――は、彼の美を愛する心、愛情を愛する心、女性を愛する心と結びつくと、依然として彼を無情にも軽率にもした。もし人の善意を得なくて済むのであれば、このときでさえアイリーン・バトラーのような少女の美しさと喜びは、クーパーウッドにとって五千万人の善意よりもはるかに重要だった。シカゴ大火と恐慌が起きる前、彼の運勢は急上昇していたので、重要で有利な出来事続きの慌ただしさにかまけて、彼は自分がしていることの社会的意味をろくに考えたことがなかった。若さと生きる喜びが血潮に流れていた。みなぎる若さと元気をひしひしと感じ、見るからに感じるからに新緑の芝生だった。春の夕暮れのさわやかさが自分の中にあったので、クーパーウッドは気にしなかった。破綻後も、とにかく、しばらくはアイリーンと別れていた方が賢明だとわかりそうなときでさえ、そうする気にならなかった。アイリーンは過ぎ去ったすばらしい日々の最高の部分の象徴であり、彼と、過去と、まだ成功していない未来とを結ぶものだった。
彼の最大の不安は、もし刑務所に送られるとか、破産宣告を受けるとか、あるいはその両方をくらったら、おそらくは取引所の会員権を失うことになり、このフィラデルフィアでの繁栄につづいている一番立派な道を、永遠ではないにしても、しばらくの間閉ざしてしまうことだった。クーパーウッドは今、複雑な事情のために、会員権を資産として差し押さえられていて活動できなかった。彼が雇えるほとんど唯一の従業員エドワードとジョセフは、クーパーウッドに代わってまだ細々と行動していたが、取引所の他の会員たちは、当然、この弟たちをクーパーウッドの代理人と疑っていたので、彼らが独立して事業を始めると言ってもそれは、債権者にとって必ずしも有利とはいえない、何か違法な隠れた活動をクーパーウッドが企んでいる、と他のブローカーや銀行家たちに思わせただけだった。しかし、何があろうと、活動的ではないにしても潜在的に取引所にとどまらねばならない。そしてすばやく思索し、自分が刑務所に送られるか破産するか、あるいはその両方に備えて、取引所で好かれているか好かれそうな人物と密かに従属的業務提携を結び、相手を手先かダミーとして利用すべきだという考えにいたった。
ようやく適任者を思いついた。大した人物ではなかった――小さな商売をしていたが、正直者でクーパーウッドに好意的だった。名前はウィンゲート――スティーブン・ウィンゲート。ブローカーとして南三番街であまり安定しているとはいえない生活を細々と続けていた。四十五歳、背は中くらい、かなりがっしりしていて、見た目は決して悪くなく、むしろ知的で活動的だが、精神的にはあまり強引でもなく押しが強くもなかった。仮になれたとしても、彼がひとかどの人物になるには、クーパーウッドのような男が実際に必要だった。取引所の会員で、評判がよく、尊敬されてはいたが、それほど繁盛していなかった。過去にクーパーウッドに小さな――妥当な金利での小口融資とか情報の提供など――頼みごとをしてクーパーウッドがかなえたことがあったので、ウィンゲートはクーパーウッドに好意的で、少し気の毒に思っていた。今ウィンゲートはあまり成功したとは言えない老後にゆっくり流れて行くところで、そういう男が自然にそうなるように、扱いやすかった。しばらくは誰もウインゲートがクーパーウッドに雇われているとは疑わないだろうし、クーパーウッドはウインゲートが自分の命令を忠実に実行するのを当てにできた。クーパーウッドはウインゲートを呼び寄せて長い話し合いをした。現在の状況、パートナーとしてウインゲートが自分のために何ができると思っているか、自分には彼の事業がどれだけ必要か、などを話したところ、ウインゲートが乗り気だとわかった。
「あなたの言うことなら何でも喜んでやりますよ、クーパーウッドさん」ウインゲートは保証した。「何があってもあなたなら私を守ってくれるとわかってますし、私が一緒に働きたいか、あなた以上に尊敬できる人は世界に誰もいませんからね。この嵐は完全に吹きやみますよ。それに、あなたなら大丈夫です。とにかく私たちならできますよ。うまくいかなくても、あなたが何をやりたいかは、後であなたが考えればいいことです」
こうして、この関係は暫定的に始まり、クーパーウッドはウィンゲートを通じて小さな活動を始めた。




