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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
36/59

第36章

 

 その翌日、バトラーの事務所に、のっぽの異様に物々しい男が現れた。背が目立つほど高く、やせてぎすぎすしていて、髪と目は黒、肌は土色、顔は長くて革のようにカサカサで、鷹のようだった。男はバトラーと一時間以上話し込んでから帰った。男はその晩夕食の時間にバトラーの自宅にやってきて、バトラーの部屋に通され、策を弄してアイリーンをひと目見た。バトラーはアイリーンを呼び寄せると、彼女がよく見えるように入口から離れて片側に立った。探偵は、冬に備えてすでに掛けられた厚手のカーテンの陰に立ち、通りを眺めているふりをしていた。

 

「今朝、誰かシシーに乗ったか?」バトラーは家族のお気に入りの馬のことをアイリーンに尋ねた。バトラーの計画では探偵が姿を見られた場合、馬の売買にやって来た馬主という印象を与えることになっていた。探偵の名前はジョナス・アルダーソンといい、いかにも馬の商人という風貌だった。

 

「さあ、乗ってないと思うわ、お父さん」アイリーンは答えた。「あたしは乗ってません。確かめてみるわ」

 

「いや、いいよ。明日お前が乗るか、知りたかったんだ」

 

「いいえ、お父さんか使うなら乗らないわ。あたしはジェリーでもいいから」

 

「よし、それじゃ、厩舎に入れといてくれ」バトラーは静かにドアを閉めた。アイリーンはすぐに馬の商談だと判断した。あたしのお気に入りの馬をあたしに相談もせずに父が処分することはないとわかっていたから、アイリーンはこれについてそれ以上考えなかった。

 

 アイリーンが行ってしまうとアルダーソンは陰から出て来て、これで大丈夫ですと明言した。「知りたいことはみんなわかりました。何かわかれば数日中にお知らせします」

 

 アルダーソンは帰った。三十六時間のうちにクーパーウッドの自宅と事務所、バトラーの家、クーパーウッドの弁護士ハーパー・シュテーガーの事務所、クーパーウッドとアイリーン、がそれぞれ個別に完全な監視下に置かれた。最初は六人でやっていたが、南六番街にある二番目の密会場所が発見されると最終的に七人になった。探偵は全員、ニューヨークから来ていた。一週間ですべてがアルダーソンの知るところとなった。アイリーンとクーパーウッドが何かそれらしい待ち合わせをしているのを発見した場合、バトラーが望めばアイリーンが現場にいるうちにバトラーが駆けつけてアイリーンと直接対面できるように知らせを受けることが、アルダーソンとバトラーの間で合意されていた。バトラーにはクーパーウッドを殺すつもりはなかった――アルダーソンは少なくとも自分の前ではバトラーがそうしないように目を光らせただろう。だが、厳しく叱責して、おそらくは相手を床に倒し、アイリーンを連れ出すことくらいはするつもりだ。アイリーンは、クーパーウッドと付き合っているか、いないか、でもう嘘をつけないし、今後、どうする、どうしない、を言えなくなるだろう。バトラーは頭ごなしに命じるつもりだった。アイリーンが更生するか、さもなければバトラーが彼女を更生施設へ送るかだ。妹、あるいは他の善良な子女への影響を考えるがいい――アイリーンが知ったことを知り、やっていることをやりでもしたら! アイリーンはこの後ヨーロッパか、あるいはバトラーが送ると決めたところへ行くことになるのだ。

 

 自分の行動計画を立てるにあたって、バトラーはアルダーソンを信じて打ち明ける必要があった。すると探偵は、クーパーウッドの身柄は守る、と自分の決意を明確にした。

 

「殴るとか暴力を振るうとかは一切許しませんよ」この件について最初に話したときに、アルダーソンはバトラーに言った。「それは規則に反しますから。どうしてもというなら、捜索令状があれば立ち入れます。私なら、あなたがこの件に関与していることを誰にも知られずにそれを入手できますよ。ニューヨークから女の子を探すためだと言えばいいんですから。でも、あなたは私の部下と一緒に入らなければなりません。どんなトラブルも部下たちが許しませんがね。あなたは無事にお嬢さんを取り戻せますよ――我々が連れ出しますから。何でしたら相手の男もです。でももし我々がやるとなると、あなたが何かで相手を訴えなくてはなりません。そのときに近所の人に見られる危険があります。このやり方だと、あなたが野次馬を集めないという保証は必ずしもできません」バトラーはこの問題にかなり不安をかかえていた。これは人目を引くという大きな危険をはらんでいた。それでもバトラーは知りたかった。できることならアイリーンを怖がらせたかった――劇的に改心させたかった。

 

 

 一週間もしないうちにアルダーソンは、アイリーンとクーパーウッドが、一見個人の住居のようだが、決してそうではないところを訪れていることをつかんだ。南六番街にあるこの家はあくまでも密会用のものだった。しかし、ここはそれなりにその種の平均的な施設よりも上等だった。赤いレンガ造りで、白い石に縁取られた四階建てのこの家は、十八ほどあるすべての部屋に、派手だがきれいに家具が備え付けられていた。ここの常連客は極めて排他的で、女主人の知り合いか、人づてに紹介された者しか入れなかった。これが、この世界の不義の情事が求めてやまないプライバシーを保証した。連れのどちらかが知られていれば「予約してある」と告げるだけで個室に案内された。クーパーウッドは以前の経験からこの場所を知っていて、北十番街の家を手放す必要が生じたときに、ここで会おうとアイリーンには指示してあった。

 

 この特性を聞いたアルダーソンがバトラーに伝えたように、こういう場所に入って誰かを見つけようとするのは極めて困難だった。これには捜査権が絡み、しかも取得は困難だった。行われている業務が地域社会の倫理観に反している多くの場合は、力ずくで入るのが手っ取り早いが、時には居住者側からの猛反発に遭うことがある。この件はそれかもしれない。そういう反発を避ける唯一の確実な手段は、その場所を経営する女主人に打ち明けて味方につけ、十分な報酬を払っておとなしくさせることだった。「しかし今回はそれをお勧めしません」アルダーソンはバトラーに言った。「この女はあなたがお探しの男に特に好意的だと思うからです。危険でも奇襲をかける方がいいかもしれない」アルダーソンは説明した。それを行うためには、リーダーの他に少なくとも三名――おそらく四名――の人員が必要になる。呼び鈴に反応してドアが開いて一名が玄関内に突入できたら、他の者がすぐに現れて一緒に入り、リーダーを支援する。次に必要なのは迅速な探索――すみやかにすべてのドアを開ける。もし使用人がいたら、何らかの方法で制圧して黙らせなければならない。お金で解決するときもあれば、力ずくでやり遂げるときもある。次は、使用人に扮した探偵の一人が、ドアを一つ一つ静かに叩く――バトラーと他の者は待機している――顔が現れたら状況に応じて確認するかしないかを判断する。ドアが開かず、空室でない場合は、最終的に強行突入もありえた。この家は連棟式住宅の一棟で、正面と裏口以外に逃げ道はなく、ドアは厳重に守られているはずだった。これは大胆に練られた計画で、これだけのことをするにも関わらず、アイリーンを連れ出す件は秘密が守られねばならない。

 

 バトラーはこれを聞いたとき、この恐ろしい手続き全体に不安を覚えた。この家には行かないで、お父さんは知っているんだ、お前は否定できないぞと言い切って、ただ娘と話すだけにしようと一度は考えた。その上で、ヨーロッパへ行くか更生施設へ行くかを選択させるのだ。しかしアイリーンの気質の生々しい獣の性質と、自分自身の本質的に粗野な一面を感じたことが、最終的に彼にこの別のやり方を選ばせた。バトラーはアルダーソンに、計画を完成させて、アイリーンかクーパーウッドがその家に入るのを見かけたら、すぐに知らせるよう命じた。そのときが来れば自ら現地に乗りつけて、探偵たちの助けを借りてアイリーンと対峙するつもりだった。

 

 愛情の観点から見ても、バトラーが持っていたかもしれない矯正理論から見ても、これは愚かな企てであり、残酷な行為だった。暴力からいいことは生まれない。しかしバトラーにはそれがわからなかった。バトラーはアイリーンを脅し、ショック療法で彼女が犯している罪の重大さをわからせたかったのだ。決定が下されてから丸一週間待った。すると、ある日の午後、やきもきして神経がすり減った頃に山場が訪れた。クーパーウッドはすでに起訴され、今は裁判を待っているところだった。アイリーンは、父親がクーパーウッドをどう思っているかについての自分の考えを、時々クーパーウッドに伝えていた。もちろん、アイリーンはこの証言をバトラーから直接得たわけではなかった――バトラーはアイリーンに対して過剰に秘密主義だったので、自分がどれほど容赦なくクーパーウッドの最終的な破滅を企てていたかをアイリーンに知らせることはなかった――オーエンに打ち明けられた話の断片からつかんだのだ。オーエンがそれをカラムに打ち明け、それをカラムが順送りで何の気なしにアイリーンに打ち明けた。まず、アイリーンはこうして新たに選ばれた地方検事――その検事がとりそうな態度――の情報をつかんだ。その人物はバトラーの自宅や事務所によく来る人だった。シャノンはクーパーウッドを〝ぶち込む〟ために全力を尽くすつもりでいる――つまり、おやじは奴がそれだけの刑を受けるに値すると考えているんだと僕は思うね、とオーエンはカラムに言った。

 

 次にアイリーンは、父親がクーパーウッドの事業再開を望んでいないこと――許されていいとは感じていないこと――をつかんだ。ある朝バトラーは、クーパーウッドの法廷闘争に関する新聞記事を見て「この街からあいつがいなくなれば、それこそ神の恵みってやつだな」とオーエンに言った。するとオーエンはカラムに、どうしておやじはこんなに辛辣なんだろうと尋ねた。二人の息子にはそれが理解できなかった。クーパーウッドはこういうことのすべてをアイリーンから聞いた。それ以上のことも――自分を裁くことになるペイダーソン判事についての断片的情報、彼がバトラーの友人であること――それからステナーは彼の刑期をまっとうするために刑務所に送られるかもしれないが、後ですぐに赦免されるであろうことも聞いた。

 

 どうもクーパーウッドはあまり怖がってはいないようだった。有罪になっても自分には知事に赦免を働きかける有力な金融界の友人がいるし、いずれにせよ、自分を有罪にするだけの証拠はないと思う、とアイリーンに告げた。彼は世論の叫びとアイリーンの父親の影響力のせいで、政治的なスケープゴートにされたに過ぎなかったし、バトラーが二人に関する手紙を受け取ってからは、バトラーの敵意の犠牲者になっただけで、それ以外の何物でもなかった。「きみのお父さんさえいなかったら」クーパーウッドは言った。「こんな起訴はすぐに取り消せたんだ。モレンハウワーもシンプソンも、私に個人な恨みはないからね、絶対に。彼らは私にフィラデルフィアの路面鉄道事業から手を引かせたがっている。もちろん最初はステナーの状況をもっと良く見せたかったんだろう。でも、それにしても、きみのお父さんが敵対さえしなかったら彼らだってここまで私を犠牲者に仕立てはしなかっただろう。きみのお父さんは、このシャノンって奴や小物の政治家を自分が必要としている場所に配置してもいるんだ。そこに問題があるんだよ。彼らだって仕事は続けていかなきゃならないわけだしね」

 

「ええ、わかってるわ」アイリーンは答えた。「あたしのせいよ、みんな、あたしのせいだわ。もしあたしのことと、父の疑念がなかったら、父はすぐにあなたを助けたでしょうね。あのね、時々、あたし思うんだけど、あたしってずっとあなたに迷惑かけっぱなしよね。どうしたらいいかわかんないわ。もしあなたのためになるんなら、あたししばらくあなたに会わないようにするけど、でも今さらそれが何の役に立つのかわからないわ。ああ、愛してるわ。あたし、あなたのことを愛してるのよ、フランク! あたし、あなたのためなら何だってする。世間が何を考え、何を言おうが気にしないわ。あたし、あなたを愛してるもの」

 

「まあ、そう思ってるだけだよ」クーパーウッドは冗談めかして答えた。「じきに乗り越えるさ。人は他にもいるからね」

 

「他の人なんて!」アイリーンは憤慨と軽蔑をあらわにして繰り返した。「あなたのあとには誰もいないわよ。あたしがほしいのはただ一人、あたしのフランクよ。あなたがあたしを捨てたら、あたしは地獄に行ってやる。見てらっしゃい」

 

「そんなことを言うもんじゃない、アイリーン」クーパーウッドはイライラして答えた。「きみの口からそんな言葉は聞きたくないな。きみはそんなことしやしないよ。私だって愛してるさ。私がきみを捨てたりしないってことはわかってるだろう。今となっては、きみの方こそ私を捨てた方が報われるよ」

 

「まあ、何てこと言うの!」アイリーンは叫んだ。「あなたを捨てるだなんて! そんなことってある? でも、あなたがあたしを捨てたら、あたしはさっき言ったとおりにするわ。誓います」

 

「そんなこと言うもんじゃない。馬鹿なこと言うなよ」

 

「誓うわ。愛にかけて誓います。あなたの成功にかけて誓います――それがあたし自身の幸せだから。あたしはただ言ったとおりのことを実行するだけよ。地獄にだって行くわ」

 

 クーパーウッドは起き上がった。自分が呼び起こしてしまったこの根深い情熱が今になって少し怖くなった。これは危険だな。どこへ向かうかわからないぞ。

 

 十一月の陰気な午後、張り込み中の探偵からアイリーンとクーパーウッドが南六番街の家にいると手筈どおりに報告を受けたアルダーソンは、バトラーの事務所に急行しバトラーに同行を促した。しかしこの期に及んでもバトラーは、そんなところで自分の娘を見つけることになることが信じられなかった。そのことが恥ずかしくて、恐ろしかった。娘に何て言えばいいんだ? どう叱ればいいんだ? クーパーウッドのことはどうしよう? 考える間、バトラーの大きな手は震えた。二人は急いで目的地まで二、三軒のところに乗りつけた。そこへ通りの向こう側で見張っていた二人目の探偵が近づいた。バトラーとアルダーソンは乗り物から降りて一緒にドアに近づいた。時刻は間もなく午後四時半。家の一室では、上着とベストを脱いだクーパーウッドがアイリーンの悩みを聞いていた。

 

 そのとき二人が座っていた部屋は、当時広く普及した、割と平凡な贅沢という概念の特徴をよく表していた。家具会社によって一般市場に売り出された家具の〝セット売り〟のほとんどは、少しでも豪華さの正しい概念に近づけると、ルイ時代の模倣になった。カーテンは常に重厚で、錦織りであることが多く、赤いことも珍しくない。絨毯には鮮やかな色彩で花が豊かに描かれ、厚みがあり、ビロードのような毛羽立ちだった。どんな木材で作られようが家具はほぼ例外なく重く、花柄で、使い勝手が悪かった。この部屋には、ウォールナット材で重厚に作られたベッドと、それに合わせた洗面台と書き物机と衣装箪笥があった。洗面台の上には金縁の大きな四角い鏡が掛けられ、壁には風景や数名の裸体を扱った出来の悪い版画が、金縁の額に収まってかかっている。金箔で縁取られた椅子は、ピンクと白の花柄のブロケードが張られ、磨かれた真鍮の鋲で留められていた。絨毯は厚手のブリュッセル産で、色は淡いクリームとピンク、装飾として花と大きな青い植木鉢が織り込まれていた。全体的な印象は、明るく豪華で少し古風だった。

 

「あたし、時々、怖くてたまらなくなるのよ」アイリーンは言った。「父があたしたちを見張ってるかもしれないでしょ。もし父があたしたちを見つけたらどうしようって悩んでばかりいるわ。これを嘘で誤魔化すことはできないでしょ?」

 

「確かにできないね」アイリーンの魅力の誘いに決して反応し損うことがないクーパーウッドは言った。こんなにも美しく滑らかな腕、豊かな優雅に先細りしている喉と首、頭のまわりで後光のように揺れる赤みを帯びたブロンド、キラキラ光る大きな目をしているのだ。あふれんばかりの女性らしさのすばらしい活力がアイリーンにはあった――気まぐれで、片寄りがあり、夢見がちだが、とても繊細だった。「でもそのときが来るまで、橋は渡らない方がいいんだ」クーパーウッドは続けた。「私自身も、しばらくこういうことをやらない方がいいと考えてはいたんだ。あんな手紙が来るくらいだから私たちは当分行動をひかえるべきだったね」

 

 クーパーウッドは、アイリーンが立って髪を整えている化粧台に近づいた。

 

「きみはとてもかわいいお転婆娘だね」と言って、アイリーンを抱き寄せてかわいい口にキスをし、「楽園のこちら側には、きみ以上にすてきな人はいないよ」と耳元でささやいた。

 

 これが繰り広げられている一方で、バトラーともう一人の探偵は家の玄関の片側の見えないところに移動、その間に先頭に立つアルダーソンが呼び鈴を鳴らした。黒人の使用人が現れた。

 

「デイビス夫人はいるかな?」アルダーソンは管理人の女性の名前を出して穏やかに尋ねた。「会いたいんだ」

 

「どうぞ」メイドは疑いもせずに言って、右側の応接室にうながした。アルダーソンは柔らかい鍔広(つばひろ)の帽子を脱いで中に入った。メイドが二階に上がると、直ちに玄関に戻ってバトラーと二人の探偵を招き入れた。四人は誰にも見られずに応接室に入った。しばらくして、最近の言葉でこの種の女性のことを表す〝マダム〟が現れた。背が高くて、色白で、無骨でも、見た目は全然不快な感じがせず、明るい青い目をして、愛想よく微笑んでいた。幼少期に警察と接触した期間が長かったことと性的虐待が、彼女を用心深い女にしてしまい、世間は自分をどう利用するつもりなのかと少し恐れていた。この独特な生計の立て方は違法であったし、他に自分のために使える実用的な知識がなかった彼女は、どんな職業にもいる苦労している商売人と同じくらいに、警察や世間一般と平和にやっていくことを願っていた。身につけているのは、ゆったりとした青い花柄のネグリジェだか化粧着、前がはだけて、青いリボンで結ばれ、その下の高価な下着が少し見える。大きなオパールの指輪が左手の中指を飾り、鮮やかな青いトルコ石が耳からぶらさがり、青銅のバックルのついた黄色いシルクのスリッパを履いている。全体的に見ると、この女の外観は、金の花柄の壁紙や、青とクリーム色のブリュッセルの絨毯や、横たわる裸婦の重厚な金縁の彫刻画や、床から天井まである金枠の窓間鏡で構成されたこの応接室そのものの特徴にそぐわないものではなかった。言うまでもないが、バトラーは、自分の娘もその破壊的な影響が及ぶ範囲に巻き込むと思われる、この扇情的な雰囲気に心底ショックを受けた。

 

 アルダーソンが探偵の一人に、その女性の背後に回れ――つまり女性とドアの間に割り込め――と合図すると、男が動いた。

 

「お騒がせしてすいませんね、デイビスさん」アルダーソンは言った。「我々はこの家にいる二人連れを探してるんだ。家出娘を追ってましてね。別に騒ぎを起こしたいんじゃない――ただその娘を捕まえて連れて行きたいだけだ」デイビス夫人は青ざめて口を開けた。「だから、騒いだり叫んだりしないことだ、さもないと我々がやめさせなきゃならなくなるからね。この家はうちの者が完全に取り囲んでいる。誰も抜け出せんよ。あなた、クーパーウッドって名前の人を知ってますか?」

 

 ある意味では幸いなことに、デイビス夫人はとりわけ神経質でも争いを好むタイプでもなく、割と達観していた。このフィラデルフィアでは警察と連絡をとっていないので、摘発されるかもしれない。叫んだところで何の役に立つだろう? と考えた。ここは包囲されている。今この家にはクーパーウッドとアイリーンを救える者は誰もいない。デイビス夫人はクーパーウッドの名前もアイリーンの名前も知らなかった。夫人にとって二人はモンタギュー夫妻なのだ。

 

「そんな名前の人は知らないね」デイビス夫人は緊張して答えた。

 

「ここに赤毛の娘は来てませんか?」アルダーソンの部下の一人が尋ねた。「それと、グレイのスーツを着た明るい茶色の口髭の男は? 二人は三十分前にここに入ったんですよ。覚えてるでしょ?」

 

「この家に二人連れは一組しかいないよ。でも、それがあんたたちのお目当ての人かどうかは知らないね。何なら降りて来るように頼んできますよ。騒ぎは御免だからね。ああ、おっかない」

 

「こっちは騒ぎを起こす気はない」アルダーソンは答えた。「そっちが起こさなきゃね。ただ静かにしててくれればいい。こっちは娘に会って連れ出したいだけだ。でも、あなたはここにいてくれ。二人はどの部屋にいるだい?」

 

「二階の奥の二つ目の部屋さ。私を行かせないつもりかい? 行かせた方がずっといいって。ただノックして、出てきてと頼むだけだからさ」

 

「いや、それはこっちでやる。あなたはここにいてくれ。あなたは面倒に巻き込まれなくったっていいだろう。ここにいてくれるだけでいい」アルダーソンは突っぱねた。

 

 アルダーソンはバトラーに合図した。しかしバトラーはこの恐ろしい仕事に乗り出した今になって、自分は間違えたと考えていた。クーパーウッドを殺す気がないのなら、無理やり押し入って娘を連れ出したところで、それが何の役に立つんだ? 娘をここに来させれば、それで十分だ。その時点で娘は、父がすべてを知っていることを知るのだから。とにかく人前でクーパーウッドと喧嘩したくはない、と今ようやく決心がついた。バトラーは怖かった。自分で自分のことが怖かったのだ。

 

「その女を行かせよう」バトラーは頑なにデイビス夫人にこだわって断固たる態度で言った。「しかし見張るがな。降りて私のところに来るように女の子に言うんだ」

 

 デイビス夫人は瞬時に、これは家族の悲劇なんだと理解し、悩みながらも、娘が無事そこから抜け出せることを願い、直ちにアルダーソンと彼のすぐ後ろにぴったりついている部下たちと一緒に二階に上がった。クーパーウッドとアイリーンがいる部屋のドアにたどり着くと、デイビス夫人は軽くノックした。この時アイリーンとクーパーウッドは大きな肘掛椅子に座っていた。最初のノックでアイリーンは顔色を失い、跳び上がるように立ち上った。いつもなら緊張しないのに、この日はなぜか胸騒ぎがした。クーパーウッドの目がたちまち険しくなった。

 

「神経質になることはない」クーパーウッドは言った。「きっと使用人だ。私が行く」

 

 クーパーウッドは行きかけたがアイリーンがとめて「待って」と言った。多少安心したのか、アイリーンはクローゼットへ行って、部屋着を取り出し、それを羽織った。その間に、またノックがあった。それからアイリーンはドアのところへ行ってほんの少しだけ開けた。

 

「モンタギューさん」デイビス夫人は明らかに緊張している無理に作った声を上げた。 「あなたに会いたいという男性が下にいらしてます」

 

「あたしに会いたい男性ですって!」アイリーンは驚いて真っ青になって叫んだ。「本当なの?」

 

「はい、あなたに会いたいとのことです。他にもお連れの方が数名います。多分、お身内の方だと思います」

 

 クーパーウッドと同じようにアイリーンは、ほぼ疑いの余地なく起こっていたことを瞬時に理解した。バトラーかクーパーウッド夫人が、あたしたちを尾行していたのだ――おそらく、うちの父だ。このときクーパーウッドは、自分ではなくアイリーンを守るために何をすべきかを考えた。こんなときでさえ彼は自分自身のことを決して深く心配しなかった。彼は騎士道精神が旺盛だから、どんな女性のことにも怖気づくことをよしとしなかった。バトラーが自分を殺したいと思っている可能性がないわけではなかったが、そんなことでクーパーウッドは動じなかった。現に彼はこの考えにまったく注意を払わなかったし、武器を持っていなかった。

 

「私が服を着て降りるよ」アイリーンの青ざめた顔を見てクーパーウッドは言った。「きみはここにいなさい。とにかく心配するな――私がここからきみを救い出すから――さあ、心配するのはおよし。これは私の問題なんだ。私がこれにきみを巻き込んだんだから、私がそこから救い出すよ」クーパーウッドは帽子とコートを取りに行き、その間に付け足した。「きみは先に着替えてて、でも、私を先に行かせるんだ」

 

 ドアが閉まるとすぐにアイリーンはてきぱきと緊張した様子で服を着始めた。アイリーンの頭脳は高速で動く機械のように活動していた。相手は本当にあたしの父親かしら、と考えていた。もしかしたら違うかもしれない。別のモンタギュー夫人が――本物が、いるなんてことがありえるかしら? 仮にこれが父親だとしたら――父は家族には告げず、今まであたしの秘密を守ってくれて、とても親身になってくれていたのに。父はあたしのことを愛している――アイリーンはこれを知っていた。こういうとき、その子が愛され、大事にされ、甘やかされてきたか、そうではなかったかで、子供の態度に大きな差が生じる。アイリーンは愛され、大事にされ、甘やかされてきた。父親が自分や他の誰かに暴力的なことをするなんてことは考えられなかった。でも、父親と向き合うのは――父親の目を見つめるのは、かなり大変なことだ。父親を正確に思い出すと、動揺しながらも機転が効いて、どうすればいいかを教えてくれた。

 

「駄目よ、フランク」アイリーンは興奮気味にささやいた。「もし父ならあたしを行かせた方がいいわ。父との話し方なら、あたし、知ってるから。父はあたしには何も言わないわ。あなたはここにいて。あたし、怖くなんかないわ――本当よ、怖いもんですか。あなたに用があれば、こっちから呼ぶわ」

 

 クーパーウッドは近づいてアイリーンのかわいい顎に両手を添えて、真剣に目をのぞき込んだ。

 

「怖がってはいけないよ」クーパーウッドは言った。「私が行く。もし相手がお父さんなら、きみは一緒に帰ればいい。あの人がきみや私に何かをするとは思わない。もしお父さんだったら、事務所の方に手紙をくれ。私はそっちにいる。私がきみの助けになるなら、何なりとするよ。私たちなら何とかできるさ。こればかりは説明しようとしても無駄だ。何も言わなくていい」

 

 クーパーウッドは上着とコートを着て、手に帽子を持って立っていた。アイリーンはほぼ支度が済み、背中で服を留める赤スグリ色のボタンの列で手こずっていた。クーパーウッドは手伝った。アイリーンの支度が、帽子から手袋まですべて整うとクーパーウッドは言った。

 

「やはり私を先に行かせてくれ。様子を見たい」

 

「駄目よ、お願いだから、フランク」アイリーンは果敢に食い下がった。「あたしにまかせて、どうせ父だから。他に誰がいるのよ?」アイリーンは一瞬、父が二人の兄を連れてきたのかと訝ったが、今はそう思わなかった。自分の父親ならそんなことはしないのを知っていたからだ。「あなたはあたしが呼んだら、来ればいいのよ」アイリーンは続けた。「どうせ何も起こらないわよ。父のことはわかってるんだから。父はあたしには何もしないわ。あなたが行けば、父を怒らすだけよ。あたしに行かせて。あなたはこのドアのところにいて。あたしが呼ばなければ、大丈夫ってことよ。いい?」

 

 アイリーンは二つのかわいい手を彼の肩に置いた。クーパーウッドはこの問題を慎重に検討した。「わかったよ、でも階段の下までは一緒に行く」

 

 二人はドアのところへ行って、クーパーウッドがドアを開けた。外にはアルダーソンと他に探偵が二人いて、デイビス夫人が五フィートくらい離れたところに立っていた。

 

「それで」クーパーウッドはアルダーソンを見ながら命じるように言った。

 

「こちらのご婦人に会いたがっている紳士が下にいるんだ」アルダーソンが言った。「彼女の父親だと思うよ」静かにつけ加えた。

 

 クーパーウッドはアイリーンに道を譲った。アイリーンは、男たちの前でこうしてさらし者にされたことに憤慨して通り過ぎた。アイリーンの勇気は完全に回復していた。今は、父親が自分を人前で見世物にしようとしたと思って腹立たしかった。クーパーウッドは後を追い始めた。

 

「あなたはすぐに降りない方がいいと思うがな」アルダーソンは賢しげに警告した。「相手は娘の親父さんだ。あの娘、バトラーっていうんだろ? 向こうはあなたを娘ほどには歓迎してないぞ」

 

 それでもクーパーウッドは聞き耳を立てながら、階段の降り口に向かってゆっくりと歩いた。

 

「なんでまたこんなところに来たのよ、お父さん?」アイリーンの尋ねる声が聞こえた。

 

 バトラーの返事は聞こえなかったが、もう気が楽だった。バトラーがどれほど娘を愛しているかを知っていたからだ。

 

 父親と対峙したアイリーンは今、反抗的にじっと見つめて非難の表情を見せようとしていたが、ぼさぼさの眉毛の下にあるバトラーの深い灰色の目は、怒りと反抗のさなかにいるアイリーンでさえもあからさまにひけらかすことができないほどの、疲労と絶望の重さを露呈した。これはあまりにも悲しすぎた。

 

「まさかこんなところでお前を見つけるとは思わなかったよ」バトラーは言った。「お前はもっと自分のことを大切に考えると思ってたんだがな」声が詰まり、バトラーは話をやめた。

 

「誰と一緒にいるのかもわかってるんだぞ」バトラーは悲しそうに首を振りながら話を続けた。「あの犬め! いまにやっつけてやる! 私は人を使ってお前を見張ってたんだ。ああ、今日はいいを恥かいた! 今日は屈辱の日だ! さあ、お前は私と一緒にうちに帰るんだ」

 

「お父さん、そのことなんだけど」アイリーンは始めた。「人を使ってあたしを見張ってたですって。考えるべきだったわ――」見たことがないような、苦悶に満ちた、それでいて威圧的な態度で父親が手をあげたので、アイリーンは話すのをやめた。

 

「そんなことはいい! そんなことはいいんだ!」見たことがない悲しそうな灰色の眉の下から苦々しくにらみつけてバトラーは言った。「我慢できん! これ以上、お父さんを怒らせないでくれ! 私たちはこの状況をまだ抜け出せずにいる。奴もだ! さあ、お前はお父さんと一緒にうちに帰るぞ」

 

 アイリーンは理解した。父が言っているのはクーパーウッドのことだ。このことはアイリーンを怖がらせた。

 

「準備ならできてるわ」アイリーンは緊張して答えた。

 

 老人は胸が張り裂ける思いで先にたった。この時の苦しみは一生忘れることはないだろうと感じて。

 


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