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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
26/59

第26章

 

 最後にクーパーウッドがバトラーと話をしてから、状況は大きく変わっていた。モレンハウワー、シンプソンと組んでマーケットを支えるべきだと提案がなされたときは極めて親密だったのに、残念ながら、月曜日の午前九時に、すでにもつれた状況にさらに混乱が追加され、それがバトラーの態度を完全に変えてしまった。クーパーウッドがステナーの援助を求めていたのと同じ日の午前九時、バトラーが家を出て馬車に乗ろうとしていたとき、郵便配達人がやってきて、バトラーに四通の手紙を渡した。バトラーはいったん足を止めて手紙をちらっと見た。一通目はオイギンスという下請け業者からのもの、二通目はセント・ティモシー教会の告解を聞いてもらっているミカエル神父からで、教区の貧困基金への寄付に対する感謝状、三通目はドレクセル商会からの預金に関するもの、そして四通目は匿名の手紙だった。明らかにあまり教養がなく、おそらくは女性と思われる人物からの、安っぽい便箋になぐり書きされたものだった。 

  

 

 拝啓

 ここに警告します。あなたの娘のアイリーンはよからぬ男、フランク・A・クーパーウッドという銀行家とつきあっています。信じないのであれば、北十番街九三一番地の家をご覧なさい。そうすれば自分で確認できます。 

  

 

 署名もなければ、どこから来たのかを示すような印もなかった。バトラーは、これは指摘された番地の近くに住む誰かに書かれたものだという印象を強く持った。彼の直感は時々鋭かった。実を言うと、この手紙は、指摘された家の近所に住んでいて、アイリーンとは顔見知りで、彼女の雰囲気と境遇に嫉妬するセント・ティモシー教会会員の少女によって書かれたものだった。彼女は痩せた貧血気味の不満だらけの生き物で、個人的な鬱憤晴らしによる満足感と、道徳的義務を果たした安堵感とを一緒にできるタイプの頭脳の持ち主だった。彼女の家は通りの反対側の、表札のないクーパーウッドの家から北に五軒目くらいだった。事実を空想につなぎ合わせたり、真相のかなり近くまで迫った鋭い勘ですべてを融合させたりして、時間が経つにつれて徐々にこの家の意味を理解したか理解したと思った。その結果は最終的に、今、バトラーの目の前ではっきりと残酷に広がるこの手紙になった。

 

 アイルランド人は現実的でもあるし哲学的でもある民族である。彼らの最初にして最強の衝動は、悪い状況でも善処することだ――悪事に対しても普段よりましな顔をする。この文章を最初に読んだとき、この内容はバトラーの頑丈な体中に異常な悪寒を走らせた。顎が本能的に引き締まって、灰色の目が細くなった。これは本当だろうか? これが本当でなかったら、手紙の主は「信じないのであれば、北十番街九三一番地の家をご覧なさい」などと具体的なことを言うだろうか? それ自体が確かな証拠――厳しいありのままの現実――ではないだろうか? しかもこれは、昨夜自分に助けを求めてきた男――自分が散々助けてやった男だ。自分のもともと回転は遅いがかなり精密な思考に、娘のすばらしさと魅力を感じたとおり――これまでに抱いたことがなかったほどかなり鮮明な映像を――無理やり詰め込んだ。すると同時にフランク・アルガーノン・クーパーウッドという人間が痛いほどよくわかった。どうして自分はこの男の本当のずる賢さを見抜けなかったのだろう? クーパーウッドとアイリーンの間に何かがあったとして、どうしてその兆候に全然気づかなかったのだろう? 

 

 親は、一日の長である安心感から、自分の子供を頭ごなしに決めてかかりがちである。これまで何も起こらなかった。だから、これからも何も起こらない。親は毎日、愛情のこもった目で我が子を見ている。子供は自分の生まれ持つ魅力や強力な親の愛情があっても、平凡どころか、言葉で表せないほど悪に染まらない存在になりがちである。メアリーは生まれつきいい子だ――少し乱暴だけど、この子にどんな災いが降りかかるんだ? ジョンは素直な、しっかりした子だ――どうしてこの子がトラブルに巻き込まれるんだ? 我が子に関する悪事が突如、偶然明らかになったときのほとんどの親の驚愕は必ずと言っていいほど痛ましい。「私のジョンが! 私のメアリーが! ありえない!」しかし、ありえるのだ。十分ありえるのだ。明らかに起こりえるのだ。中には経験不足や理解不足、あるいはその両方のせいで、たちまち態度を硬化させて憤慨する者がいる。散々優しくして尽くしてきたにもかかわらず、ひどく自尊心が傷つけられたと感じるからだ。人生の不安定と不確実性――私たちの存在が織りなす神秘的な化学現象――の由々しき事態が目の前で起こると、潰れてしまう者がいる。また、人生によって大まかなところを教えられた者や、理解力や直感あるいはその両方に恵まれた他の者は、私たちが人生や人格と呼ぶあの理解しがたい化学現象の最新の出現をこの中で見ても、よほど巧妙に立ち回らないとそれに逆らおうとしても無駄だと知っているので、問題に対してできるだけ平静を繕い、考えることができるようになるまで停戦を呼びかけてしまう。私たちは――考える私たちは――みんな、人生が解決できないものであることを知っている。残りの者はむなしいことを想像して、何にもならない騒ぎと怒りを持てあます。

 

 エドワード・バトラーは機知に富み、辛く厳しい経験を積んだ人物だが、自分の娘に対する恐ろしい告発文が書かれた安物の薄っぺらい紙を大きなざらざらの手に持ったまま、玄関先に立ち尽くした。今、脳裏に、とても小さな少女だった頃の娘の映像が浮かんだ――初めての女の子だった――何年もずっと自分はこの娘にどれほど強い思いを抱いてきたことだろう。美しい子供だった――赤みを帯びたブロンドの髪が何度もこの胸を枕にし、この硬いがさがさの指がその柔らかい頬を、そう、何千回も撫でたのだ。アイリーン、私の愛らしくて威勢の良い二十三歳の娘! バトラーは、真っ暗な、慣れない、不幸な考え事をしているうちに道に迷い、今や正しいことを考え、言い、行動する能力をなくしていた。何が正しいのかわからないと終いには認めざるを得なかった。アイリーン! アイリーン! 我が子アイリーン! もし母親がこれを知ったら心を痛めるだろう。知らせてはならない! 絶対に! きっとまだ知らないに違いない! 

 

 父親の胸に納めておこう! この世の中は歩いているうちに、愛情の奇妙なたくさんの脇道に迷い込んでいく。母親が子供に向ける愛情は、支配的で、勇猛果敢で、自分本位で、無欲である。これは同心円なのだ。妻に対する夫の愛情や、恋人に対する恋人の愛情は、愛の相剋の中で交わされた合意と交換取引の甘い契約である。息子や娘に対する父親の愛情は、そこに愛がある場合、大きくて、寛大で、悲しい、見返りを考えない静観的な与える行為であり、危険から守るために多くのことをしてあげたい悩める旅人にかける歓迎と別れのことばであり、失敗のときは同情、達成のときは誇りが伴う、長所と短所に対するバランスのとれた意見である。美しく、寛大な、淡々とした心で花を咲かせ、多くを求めることはめったになく、賢く豊富に与えることしか考えない。「息子が成功しますように! 娘が幸せになりますように!」父親の知恵と優しさの込もったこういう二つの熱い思いを、聞いたことも考えたこともない人がいるだろうか? 

 

 馬車でダウンタウンを走る間、バトラーの大きな、回転の鈍い、ある意味で混乱した頭脳は、フル回転でこの予想せぬ悲しく悩ましい新事実に関する可能性のすべてを検討した。どうしてクーパーウッドは自分の妻で満足しないんだ? どうして、よりによって我が家(バトラー家)に入り込んで、こんな秘密の関係を築かなければならないんだ? アイリーンに何か落ち度があったのだろうか? アイリーンは思慮分別がないわけではない。自分が何をしているのか承知していたに違いない。善良なカトリックなのに、いや、少なくともそう育てられたのに。この数年ずっと定期的に告解にも聖餐式にも通っていた。確かに最近バトラーは、娘があまり教会へ行きたがらず、時には言い訳までして日曜日に家にいたがることに気づいてはいたが、一応は通っていた。なのに、これは、これは――思考が袋小路に入った。それからバトラーは頭の中で、物事の中心に戻って、また一から全部考え直した。

 

 自分の事務所に続く階段をゆっくりのぼった。中に入って腰を下ろし、思案を重ねた。十時になり、十一時になった。息子が時折、気になる問題を持ち込んで煩わせたが、父親の機嫌が悪いことに気づくと、しまいにはほったらかして考え事をさせておいた。十二時になり、一時になった。クーパーウッドが来たことが告げられたときも、まだ座って考え事をしていた。

 

 クーパーウッドはバトラーが自宅にいないのを知るとアイリーンにも会わずに、エドワード・バトラー・コントラクティング社に駆けつけた。ここはバトラーの路面鉄道関連業務の中核でもあった。会社のフロアは通常業務ごとに区画が分けられて、経理、道路管理、会計などの部門があった。オーエン・バトラーと父親は、小さくても魅力的な調度品を備えた事務所を奥に構えて、そこで会社の重要業務をすべて処理した。

 

 不思議なことに、クーパーウッドはここに駆けつける間に、さまざまな人間の困難に先行することが多々あるあの奇妙な心理的直感が働いて、アイリーンのことを考えていた。自分とアイリーンの関係がただならぬものであることや、今、自分がその父親のところに助けを求めて駆けつけている事実について考えていた。階段を上るとき、妙に嫌な予感がしたが、彼の人生観はそんなものを受け付けなかった。バトラーを一目見て、何かまずいことがあったことがわかった。態度があまり友好的ではない。目つきに険があり、クーパーウッドの記憶では、これまで一度も見せたことがないある種の厳しさが表情にあった。これはただ援助を断るとか預り金の返済を求める気でいるのとは違う何かがある、とクーパーウッドはすぐに察知した。何だろう? アイリーンか? それに違いない。誰かが何かを吹き込んだな。二人が一緒のところを目撃されたんだ。まあ、たとえそうだとしても何も証明できない。バトラーは、この自分からは何ひとつ手がかりを得られやしないのだ。だが、彼から預かっている金は――そっちは確実に引き上げをくらうな。そして追加融資の件は、一言も言われないうちから、考えても無駄だとわかった。

 

「あなたからお預かりしているお金の件で参りました、バトラーさん」クーパーウッドはこれまでと同じ明るい雰囲気で、元気よく言った。彼の態度と表情からでは、彼がいつもと違う何かに気づいたことは、誰にもわからなかった。

 

 バトラーは部屋にひとりっきりだった――オーエンは隣の部屋に行っていた――バトラーはもじゃもじゃ眉の下からただ相手を見つめるだけだった。

 

「あの金は返してもらわなければならない」バトラーは無愛想に、陰鬱に言った。

 

 娘の貞操を奪ったこの陽気で洗練された男を見ているうちに、アイルランド人の昔かたぎな怒りが突然胸にこみ上げた。バトラーはこの男と娘のことを考える一方で、かなり相手を睨みつけた。

 

「今朝の情勢から、あなたが返済をお求めかもしれないと判断しました」クーパーウッドは震えを態度に出すことなく静かに答えた。「底が抜けましたからね」

 

「底が抜けたな。すぐには回復せんと思う。今日中に自分のものは自分の手もとにおかないとな。一刻も猶予はできない」

 

「わかりました」クーパーウッドは答えた。この状況がどれほど危険であるかが、はっきりとわかった。老人は不機嫌でいる。どういうわけか、自分の存在が老人を苛立たせている――殺しかねないほど怒っている。原因はアイリーンに違いない、何かを知ったか、疑っているに違いない、とクーパーウッドははっきり感じた。

 

 仕事で急いでいるふりをして、これを終わらさなくてはならない。「残念です。先延ばししてもらえるかもしれないと思ってたんですが、わかりました。お金は用意できます。すぐ送ります」

 

 クーパーウッドは振り返って、さっさとドアまで行ってしまった。

 

 バトラーは立ち上がった。これを違う形で処理しようと考えていたのだ。

 

 この男をとっちめてやる、いや、暴行さえも考えていた。答えざるを得ないような遠回しな言い方か、じかに問い詰めるつもりだったが、クーパーウッドはいつものように元気よく出て行ってしまった。

 

 老人は取り乱し、激怒し、がっかりした。隣の部屋に通じる小さな事務室のドアを開けて「オーエン!」と叫んだ。

 

「はい、お父さん」

 

「クーパーウッドのところへ人をやって金をもらってこい」

 

「じゃ、返済を迫ることに決めたんですね?」

 

「そうだ」

 

 オーエンは老人が怒っていることに困惑した。どういうことだろうと思いはしたが、父親とクーパーウッドの間で多少のやりとりがあったのかもしれないと考えた。デスクまで行ってメモを書き、事務員を呼んだ。バトラーは窓際に行ってじっと外を見つめた。怒りと憎しみと残忍さが血管にみなぎった。

 

「汚らしい犬め!」突然、低い声で独り言のように叫んだ。「あいつを始末する前にあいつの全財産を奪ってやる。必ず刑務所に送ってやる。必ず破滅させてやる。待ってろよ!」

 

 バトラーは大きな拳を握りしめ、歯を食いしばった。

 

「けりをつけてやる。思い知らせてやる。犬野郎め! 忌々しい悪党め!」

 

 これまでの人生で、これほど憎らしく、残忍に、無慈悲な気持ちになったことはなかった。

 

 自分に何ができるかを考えながら室内を歩き回った。アイリーンに問い質す――これが自分のやることだ。娘の表情か唇が、自分の疑惑が正しいことを告げたら、後でクーパーウッドを始末しよう。次は市の財務官の件だが、クーパーウッドに関する限り、これは犯罪ではない。しかし、犯罪に仕立て上げることはできるかもしれない。

 

 今度は、自分はちょっと街に行ったとオーエンに伝えるよう事務員に言伝して、バトラーは路面鉄道に乗って自宅に向かった。そこで長女がちょうど外出しようとしているところに出くわした。アイリーンは、細い平らな金の紐で縁取られた紫色のベルベットの外出着を着て、印象的な金と紫のターバンをかぶり、ブロンズ色の子ヤギの革のかわいらしい新品のブーツをはき、ラベンダー色のスエードの長い手袋をしていた。耳には最近の流行り物の一つである長い黒玉のイヤリングが飾られていた。このとき、この老いたアイルランド人は娘を見て、おそらくかつてないほどはっきりと、自分は珍しい羽を持つ鳥を育てていたことに気がついた。

 

「どこへ行くんだ、お前?」 不安と苦悩とくすぶる怒りを隠そうとしたがうまく隠しきれずにバトラーは尋ねた。

 

「図書館よ」アイリーンは簡単に言った。それでも、とっさに父親の様子が完全におかしいことに気がついた。表情があまりにも険しく陰鬱だった。疲れて塞いでいる様子だった。

 

「ちょっと私の仕事部屋まで来てくれ」父親は言った。「出かける前に会いたいんだ」

 

 アイリーンは好奇心と驚きの入り混じった変な気持ちでこれを聞いた。外出しようとする自分を呼び止めて仕事部屋で会いたがるのはいつもの父らしくない。この場合、父親の態度が示すのは、この異例な対応は何か今までわからなかったことが発覚したという予告であることだ。当時の厳しい慣習を破った他の人たちと同じように、アイリーンは露見につづいて起こる悲惨な結果を意識して神経質になった。自分がやっていることを知ったら家族はどう思うだろう、とたびたび考えたが、家族がどう思うかは自分にもわからなかった。父親はとても血気盛んな人だった。アイリーンは父親が自分や家族の他の者にむごい、もしくは冷たい態度とるなんて思ったことがなかった。特に自分に向かっては。いつも自分を溺愛していたから、何が起ころうと完全に縁を切られることはなさそうだが、確信は持てなかった。

 

 階段をのぼるときバトラーは、大きな足で粛々と一段一段踏みしめて先導した。アイリーンは玄関の広間にある縦長の大きな鏡に映る自分の姿を一瞥して、自分がどれほど魅力的に見えるかと、この後につづくことにどれほど不安を感じているかを同時に理解して後に続いた。お父さんはあたしにどんなの用があるのかしら? 父親の用件を考える間、一時的に頬の赤みが消え失せた。

 

 バトラーは息苦しい部屋に入って大きな革椅子に座った。この椅子は部屋の他のどれとも釣り合いがとれていないのに、それでも机とはセットだった。バトラーの前の、光が当たる位置には、来客用の椅子があり、彼はじっくり観察したい顔の主をそれに座らせるのが好きだった。アイリーンが中に入ると、バトラーはそれを指して「そこに座れ」と言った。これもアイリーンには不吉だった。

 

 父親のこの手続きが何になるのかわからないまま、アイリーンは腰かけた。何があってもすべてを否定するとクーパーウッドと交わした約束が瞬時によみがえった。父親があの件で自分を攻撃しようとしても、満足な結果を得ることはないとアイリーンは思った。フランクのためにもそうしなければならない。かわいい顔が一瞬で強張り、険しくなった。小さな白い歯がきれいに二列に並んでいる。娘が何かの攻撃に対して意識的に身構えているのが父親にははっきりとわかった。このせいで、娘にはやましいところがあるのではないかとバトラーは不安になった。かえってどぎまぎし、恥ずかしくなり、憤慨し、完全に不幸になった。コートの左のポケットを探って、いろいろな書類の中から、とても安っぽい紙質のあの絶望的な手紙を取り出した。小さな封筒から便箋を出して、一言も発しないでそれを広げる間、バトラーの大きな指はほとんど震えといってもいいいじり方だった。父がここで持っているのは何かしらと考えながら、アイリーンは父親の顔と手を見つめた。バトラーは大きな手で小さな手紙を渡して「読んでみろ」と言った。

 

 アイリーンはそれを受け取った。紙に視線を落とせるので一瞬ほっとした。しかしすぐに視線を上げて父親の顔を見なければならないことに気がつくと、安心はすぐに消えた。 

  

 

 拝啓

 ここに警告します。あなたの娘のアイリーンはよからぬ男、フランク・A・クーパーウッドという銀行家とつきあっています。信じないのであれば、北十番街九三一番地の家をご覧なさい。そうすれば自分で確認できます。 

  

 

 自分でも気づかないうちに、たちまち頬から血の気が引き、ただ熱い反抗的な波となって戻ってきた。

 

「よくもこんな嘘を!」アイリーンは目をあげて父親の目を見ながら言った。「あたしのことをこんな風に書くなんて! どういうつもりかしら! みっともないったらありゃしないわ!」

 

 バトラー老人は目を細めて厳しく娘を見た。娘の虚勢にだまされる相手ではなかった。本当に潔白だったら、娘なら反発して跳ね起きかねないのを知っているからだ。抗議なら娘の全身で表現されただろう。なのに、こうして高慢にただ見つめるだけだとは。バトラーは娘の熱心な反抗から有罪は確実だと読み取った。

 

「なあ、娘、お父さんがその家を監視しなかったとどうしてお前にわかるんだ?」バトラーは疑問を呈するように言った。「自分がそこに入って行くところを見られなかったとどうしてお前にわかるんだ?」

 

 恋人と交わした固い約束だけが、この巧みな突き上げからアイリーンを救うことができた。この通り、アイリーンは神経が張り詰めて真っ青だったが、フランク・クーパーウッドが威厳と品格を備えた態度で、もし捕まったらきみは何て言うんだい、と自分に問いかける姿を見ていた。

 

「こんなのは嘘よ!」呼吸を整えながらアイリーンは言った。「あたしはそんな住所の家には行ってないんだから、誰もあたしがそこに入るところを見てないわ。どうすればあたしにこんな質問ができるのかしら、お父さん?」

 

 娘が有罪か定かではないが、それでも確固たる自信がある複雑な心境だったにもかかわらず、バトラーは娘の勇気に感心しないわけにはいかなかった――そこに座っている間、娘は反抗的であり、嘘をついてそれで自分を守る覚悟を決めていた。アイリーンの美しさは父の機嫌を治すのに一役買って、一目置かせてしまうほどだった。結局、こういう女性はどう扱えばいいのだろう? アイリーンはもう、父親が時々心に思い描くような十歳の少女ではなかった。

 

「事実じゃないことは言ってはいけないよ、アイリーン」バトラーは言った。「嘘はつくべきじゃないんだ。それはお前の信仰に反することだからね。もしこれが事実でなかったら、どういうわけで誰かがこんな手紙を書くんだい?」

 

「でも、事実じゃないもの」アイリーンは怒りや憤慨を装って言い張った。「そんなところに座ってあたしにこんなことを言う権利がお父さんにあるとは思わないわ。あたしはそんなところに行ったことないし、クーパーウッドさんとだってつき合ってないわ。だって、社交以外ではほとんど知らない人なのよ」

 

 バトラーはしみじみと首を振った。

 

「お父さんはね、ひどいショックを受けたんだ。本当に、ひどいショックだったんだ」バトラーは言った。「お前がそう言うなら、お父さんはお前の言葉を信じるよ。でもね、もしお前が嘘をついていたら、お父さんはそれがどんなに悲しいことかを考えずにはいられないよ。その家を見張ったことはない。これは今朝受け取ったばかりだからね。それに、ここに書かれたことは事実ではないかもしれない。事実でないといいんだけどね。でも、今はもうこれ以上この話をするのはよそう。もしこれに曲がりなりにも何かがあったり、お前がまだ自分を救えないほど遠いところに行ったりしてなかったら、お母さんや妹や兄さんたちのことを考えて、お前にはいい子でいてほしいんだ。自分が育った教会や、世の中で守らねばならない名誉のことも考えないとね。だって、もしお前が何か悪いことをしていて、それをフィラデルフィアの人たちが知ってしまったら、いくら街が大きくても、私たちが引き続きいられるほど大きいわけじゃないからね。お前の兄さんたちには、ここで築かねばならない評判や、やらなきゃならない仕事があるんだから。お前だってお前の妹だっていつかは結婚したいだろう。この手紙が言うとおりのことをお前がしていて、これがお前についての話だったら、お前はどう世間に顔向けして何かをしようと思えるんだい?」

 

 老人の声は、いつになく悲しくて、彼らしくない感情がたっぷりこもっていた。娘が有罪だとわかっても、それを信じたくなかった。旺盛な信仰心で自分の義務だと感じていること、娘を厳しくしかりつけることに、向き合いたくなかった。娘を追い出そうとする父親もいるだろう。微妙な調査の末に、クーパーウッドを殺すかもしれない父親だっていよう。そんな展開をたどるのはごめんだ。復讐するなら、政治と金の力を通してやらなければならない――この手であいつを駆逐しないとな。しかし、アイリーンに絶望的処置をとることに関しては考えられなかった。

 

「ねえ、お父さん」アイリーンはかなりの演技力ですねたふりをして答えた。「あたしに非がないことを知っていて、どうしてこんなことが言えるの? あたしがそう言ってるのによ?」

 

 老いたアイルランド人は、深い悲しみに暮れて娘の偽装を見破った――自分の一番大切な希望の一つが砕けたのを感じた。バトラーは社会的にも結婚にも娘に大きな期待を寄せていたのだ。一ダースはいる優秀な若者の誰かと結婚したかもしれないし、かわいい子供を産んで老後の自分を慰めてくれただろうに。

 

「なあ、娘、もうこれ以上この話はするのはよそう」バトラーは疲れたように言った。「お前はお父さんにとってずっと大切な存在だったから、お父さんはお前が間違ったことをしてるなんて信じられないんだ。信じたくないんだよ。だが、お前はもう大人の女性だ。もし何か悪いことをしていても、それをとめられるほど大したことはお父さんにはできないと思う。もちろん、多くの父親がするように、お前を追い出すのがいいのかもしれん。でも、お父さんはそんなことはしたくないんだ。だが、もしお前が何か間違っていることをしているなら」――バトラーは手を挙げて、アイリーンから出された抗議を封じた――「覚えておけ、お父さんはいずれ必ずそれを見つけ出す。それに、フィラデルフィアはお父さんと、お父さんにこんなことをしたやつがいられるほど広くはないんだ。必ず思い知らせてやる」バトラーは劇的に立ち上がって言った。「思い知らせて、そのときには――」バトラーは怒りの形相を壁に向けた。アイリーンは、クーパーウッドが今抱えている他の問題に加えて、自分の父親まで相手にしなければならなくなったことをはっきりと理解した。ゆうべ、フランクがあんなに厳しい目であたしを見たのはこれが理由だったのかしら? 

 

「でもな、お前のお母さんはちょっとでもお前を悪口を言う者がいると思っただけで、失意のあまり死んでしまうぞ」バトラーは震える声で追い打ちをかけた。「この男には家族がいるんだ――妻子がな。お前だってその人たちを傷つけたくはないはずだ。もしお父さんの見立てに狂いがなければ、あの家族は大変なことになる――これから自分たちに降りかかる問題と向き合わねばならないからね」バトラーの顎が少しだけこわばった。「お前は美しい娘だ。若いし、金もある。お前を妻にすることを誇りに思う若者は大勢いるぞ。何を考え、何をするにしても、自分の人生を粗末にするな。不滅の魂を滅ぼしてはいけない。お父さんを絶望させないでおくれ」

 

 寛容さがないわけではない――愛情と情熱がいっしょくたの愚か者――アイリーンは今にも泣きそうだった。アイリーンは父親には心から同情したが、クーパーウッドに対しては忠実であり、彼女の忠誠心は揺るがなかった。何かを言いたかった。もっと抗議をしたかった。しかしそんなことをしても無駄だと知っていた。父はあたしが嘘をついていることを知っている。

 

「もうこれ以上何を言っても無駄ね、お父さん」アイリーンは立ち上がりながら言った。窓の日差しは弱くなっていた。下の階でドアが小さな音をたてて閉まった。兄の一人が帰って来たのだ。図書館に行くつもりだったが、もうそんな気分ではなくなっていた。「どうせ信じてはもらえないでしょうけど、言っておくわ。やはり、あたしは潔白よ」

 

 バトラーは大きな茶色い手をあげて黙らせた。アイリーンは、父親の言う恥ずべき関係がバレたのと、このつらい面談が今終わったことを知った。アイリーンは振り返って、恥ずかしそうに出ていった。バトラーは、廊下を自分の部屋へ向かう娘の足音が小さくなるまでじっと待った。それから起き上がって、改めて大きな拳を握りしめた。

 

「あの悪党め!」バトラーは言った。「悪党めが! たとえ有り金全部をはたいてでも、あいつをこのフィラデルフィアから追い出してやる」

 


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