2 前世の落とし物
学園で倒れたという報を聞き、家から執事たちが駆け付け、私は意識を失ったまま家に連れ帰られたそうだ。そして、三日間意識を失い、夢を見続けた。
夢の中で、私は王妃だった。授業で見たあの王妃だった。私は幼少の頃から、彼女が嫁ぎ、やがて王妃になったところまで思い出した。夢だけどとてもリアルで、あれは夢ではなく現実にあったことなのだと思った。
これはもしや、前世というやつなのではないかと思った。私の国は、ごく稀に、前世を覚えている人が生まれてくる。前世を持っているのは、魔力が強い高位貴族に多いというが、詳しいことは解っていない。記憶持ちが高位貴族に多いせいで皆が非協力的であるため、研究が進まないのだという噂だった。
目覚めてから、ばあやに泣きつかれながら、私は前世の記憶のことを言うべきかどうか考え、誰にも言わないことにした。安易に口にするのが危険だと思ったからだった。前世が王妃であっただなんて、受け取る人次第では不敬極まりないことだ。なんの証拠もないのに、私の前世が王妃だったなんて、口にしない方が良いに決まっていた。それに、私の前世は不審な死を遂げているはずなのだ。なんせ、そのせいで隣国エヴァンディエラとの仲が、数十年に渡って冷え切ったのだから、間違いない事実だ。
私はまだ、死んだ時の記憶を思い出していない。だから、不審な死というのが、一体なんだったのかわからない。わからないうちは、とても危険であると思った。国民に教えられる歴史上でも、王妃は『不審な死』とだけ言われており、特に死因について追及はない。亡くなった後の、政治的な軋轢の方が重要で、着目される部分だった。
用心のため学園を一週間休むことになった私は、家の図書室で片っ端から歴史書を漁ってみたが、大した成果を得られていなかった。どちらかといえば貧乏な我が伯爵家の図書室には、大した本は置いておらず、授業で習ったこと以上のことは何もわからなかった。
学園に復帰したその日に、私は学園の図書室に行くことになったのは、そうした理由だった。少なくとも実家よりも蔵書がある学園の図書室ならば、もしかしたら詳しいことがわかるのかも知れない、と思った。
夕方の図書室は、窓から夕陽が差し込んで、オレンジ色に照らされていた。試験期間ではないためか、人はとても少なかったことに、胸を撫でおろした。ヘルガが申し出てくれた付き添いを断って、私は一人で図書室に踏み入れた。心配してくれるヘルガには申し訳ないけれど、一人で調べたかった。
いつも私が利用する物語のコーナーではなく、その奥の、専門書が多く並ぶ本棚を見渡した。歴史書のコーナーを見つけ、必死で百年前の歴史を書いた本を探す。王朝も政権も変わっていないため、百年前の記述となると、現行王朝に慮って曖昧な記述で書かれているものばかりだった。片っ端から本を取ると、私は専門書コーナー奥の閲覧机に腰かけ、記述を探した。専門書コーナー辺りは誰も人がおらず、ほとんど貸し切り状態で都合が良かった。
あまり人が見ないような専門書だからだろうか、どの本からも古い紙とインクの匂いがした。慎重にページを捲りながら、該当の箇所を探した。
「クラウディア王妃陛下の薨去に伴い、エヴァンディエラから激しい外交抗議があり…」
どの本もぼんやりとした記載していなかった。私の前世、クラウディア・アムール・フォン・リーファシュラード王妃が亡くなり、エヴァンディエラから抗議があり、数十年冷え切った関係になる、ということだ。肝心のクラウディア王妃がどのような死に方をしたのかは解らない。ただ、激しい抗議が入るくらいだから、暗殺か、それに近いものなのだろう。
学園に置いてあるような歴史書では、詳細は解らないようだった。私は背もたれにもたれかかり、溜め息を吐いた。時計を見ると一時間以上経っていた。ずっと集中して文字を眺めていたせいか、身体が強張っている。もっと詳しい記述を探すのであれば、王宮図書館にでも行かねばならないだろう。でも、まだ学園生の私に王宮図書館に入室する権利はない。それどころか、王宮の官吏や侍女にでもならねば、ただの伯爵令嬢では、一生目にすることもないかもしれない。
眉間を抑えながら考える。私はまだ、クラウディア王妃の記憶を全て思い出せていない。現在、リーファシュラードは、エヴァンディエラとは友好関係にあるが、時間が経ってなあなあになっただけで、やろうと思えば、いつでも蒸し返されるような状態だ。そんな状態の時に、自分がクラウディア王妃だったと言い出すなんて、命知らずも良いところだろう。
クラウディアの記憶を思い出すにつれ、彼女がエーベルハルト国王を愛していたことがわかる。でも、どうやら彼女は片思いだったようだ。
記憶の中のエーベルハルト国王は、金髪碧眼の美しい青年だった。クラウディアが恋するのも無理はない、綺麗な青年だった。
「おや、本がないと思ったら」
考え込んでいるところで、頭の上から声が降ってきて、驚いて顔を上げる。一瞬、夢を見ているのかと思った。そこにいたのは、金髪碧眼の美しい青年だった。まるで、エーベルハルト国王のような男性だった。
「きみが持っていたんだね」
何も答えられず硬直したままだった私は、言い募られてようやく息を止めていたことを自覚した。ゆっくり細く息を吐くと、私は目の前の彼が幻ではないことを知った。
夕陽が目の前の彼の金色の髪をきらきらと照らす。整った顔だけど、柔らかい笑顔を浮かべているから、優しく見える。私は彼が誰なのか解り、慌てて立ち上がった。
「御無礼いたしました、殿下」
頭を下げながら、冷や汗が背を伝るのがわかった。目の前の彼は、私の同級生で隣のクラスの、ベルナール・ルネリエ・フォン・リーファシュラード王太子殿下だった。
いつもであればこんなミスをしないのに、クラウディアの記憶があったせいで、ぼーっとしてしまっていた。失態に青くなる私に、ベルナール殿下は、ひらひらと手を振って見せた。
「驚かせてごめんね。僕が急に声を掛けたせいだから、気にしないで」
「でも…」
「ここには、きみと僕と、あとリュカしかいないから」
リュカ、の言葉で、ベルナール殿下の後ろから、黒髪の青年が顔を出す。黒目黒髪の彼は、ベルナール殿下と違った印象の、整った顔をしている。ベルナール殿下に並んで有名人だから、私も知っていた。リュカ・フォン・ハムズガルド。ハムズガルド侯爵家の令息で、殿下の側近と護衛を兼ねて傍にいる人だ。にこりともしないし、あまり話さないから、クールなイメージを持たれる人だった。この人も伯爵令嬢の私から見れば高位の方で、近寄りがたい存在だった。
そもそもベルナール殿下とも、私はほとんど話したことがない。パーティなどで挨拶する程度の仲であり、学園ではほとんど口を利いたことすらない。それなのになぜ、と思いながら、私は目を白黒させる。貴族にあるまじき失態だ。
「あの、殿下、なにか…」
「そこの歴史書、探していたんだ」
なにか、御用でしたか、と言おうとした私の言葉に、ベルナール殿下は言葉を重ねた。殿下の視線は、私の机に山積みになった本に注がれている。私は本と殿下を交互に見遣り、息を飲んだ。私が本を独占していたから、殿下は本を探し回っていたのだろう。
「すみません、私が独占していたばかりに…」
「いや、僕もまさか、他の読者がいるとは思わなかった。歴史書なんて、人気あるものじゃないだろう?」
そう言って、殿下は笑った。私も、まさか殿下が歴史書を必要としているとは思わず、独占してしまっていたのだ。ここをどうぞ、と言って席を立つべきだろうと思い腰を浮かしたところ、殿下はマルシエ嬢、と私の名を呼んだ。
「きみも近代史を調べているのかい?」
「あ、はい。そうですが…」
「僕も近代史を調べたくてね。でも、そこにある本全てを一気に読むことなんかできないから、一緒に調べるってことでどうだろうか」
「一緒に調べる、ですか?」
首を傾げた私の真向かいの席に、おもむろに殿下は腰かける。殿下の真後ろにハムズガルド侯爵令息が立った。
「僕も御相伴に預かっても?」
茶目っ気溢れた雰囲気で、殿下は冗談を言うと、山積みにされた本の中から一冊手に取った。急な展開に驚く私を見て、殿下はおかしそうに笑う。
「マルシエ嬢、僕のことは気にせず調べ物をどうぞ」
「でも…」
「僕もきみを気にしないから」
そう言って、殿下は本を開いた。読み始めてしまった様子を見て、どうしようかと顔を上げると、ハムズガルド侯爵令息と目が合った。ハムズガルド侯爵令息は僅かに目を見開くと、それから頷く。だから私は戸惑いつつも、また本に目を落とした。
◇
お兄さまの立太子記念パーティーでのことだった。エヴァンディエラの王女で、お兄さまの同腹の妹である私も、綺麗に飾り立ててもらった。お兄さまとは八つ離れているけれど、とても仲が良い。お兄さまにとって、同腹の兄弟は私しかいないため、殊更良くしてくださるのだ。
大広間にはざわざわと囁き声が広がっている。天井から吊るされたシャンデリアが煌びやかな光を放つ。王族は一列に並んでいなければいないから退屈だ。普段一緒にお喋りする友人たちは、人混みの中に溶け込んでいてどこにいるのかわからない。
「クラウディア」
話しかけられて隣を見ると、お兄さまが私を小突いていた。膨れっ面でお兄さまを見上げると、お兄さまは肩を竦めた。
「退屈そうだね」
「だって、特にすることがないんですもの」
王族ってつまらないわ、と呟くと、お兄さまはおかしそうに笑った。
「もうすぐ挨拶の列が始まるから、そうは言ってられなくなるよ」
「挨拶もつまらないですわ。あ、でも」
「ん?」
「お兄さまの立太子はおめでたいと思っていますのよ」
私が慌てて付け足すと、お兄さまは虚を突かれたような顔をした。お兄さまが立太子されたことは、とてもおめでたいのだ。つまらないなんて、子どものようなこと言ってしまったのを少し後悔したのだ。
そんな私の心の内がわかったのか、お兄さまはぽんぽんと優しく私の頭を叩いた。
「ありがとう、クラウディア」
そう言って、お兄さまは再び前を向いた。お兄さまの横顔を眺めながら、この人が次の王太子で良かったと思った。とても優秀で見目麗しいお兄さまは自慢の兄なのだ。私はいつもお兄さまを見ているせいで、恋をしたことがない。お兄さまよりも格好いい人なんか、存在しないと思ってしまうのだ。いつか結婚しなければならないことはわかっているけれど、できる気がしない。
「立太子おめでとうございます、殿下」
ぼんやりしていると、声が聴こえた。お兄さまの真向かいからだった。いつの間にか人がいた。私はふと何気なくそちらに目を遣る。そして、衝撃を受けた。
そこにいたのは、美しい少年だった。年はお兄さまよりずっと下、もしかしたら私と同じくらいかもしれない。稲穂のように金色の髪を靡かせ、サファイアのように透き通った瞳をお兄さまに向けている。酷く整った顔をした彼は、不意に私を見た。目が合った瞬間、稲妻が走ったのかと思った。心臓が音を立てる。目の前のこの人に聴こえるのではないかと思ってしまうくらい、うるさい。
「初めまして、クラウディア王女殿下。エーベルハルト・グスタフ・フォン・リーファシュラードです」
「エーベルハルト殿下…」
私は熱に浮かされたかのように、エーベルハルト殿下の名前を口の中で繰り返した。エーベルハルト殿下から目を離すができなかった。まるで縫い付けられたかのように、彼から視線を逸らすことができなくなった。
初めてだった。初めての感覚だった。世界から音がなくなり、エーベルハルト殿下以外の何も見えない。一秒たりとも見逃したくないと、思った。
お兄さまとエーベルハルト殿下が会話しているのを、私はぼんやりと見続けた。エーベルハルト殿下。心の中で呟く。エーベルハルト殿下。まるで宝物の様だった。
私は生まれて初めて恋をした。この時、私は知らなかったのだ。この恋は、身を焦がし破滅へと導く、悪魔のような恋になると。そんなことは、まだ、知らなかった。




