63.マギとサクラとフィオナ
2022/2/23 3話目の投稿です
「それじゃあ沙雪の就職を祝って、かんぱーい!」
「「かんぱーい」」
少し奮発した居酒屋の個室で、真木夕子と加藤桜、高見沙雪がジョッキを鳴らした。
真木は喉を鳴らしてごくごくと、桜は舐める程度に、沙雪は二口程度それぞれ飲んだ。
「ぷはー、これで沙雪も社会っていう地獄を味わうわけだ」
「やめてよ、まだ出勤してもいないのに逃げたくなってきたじゃない」
「でも、大学はよかったの? 復学して大学卒業してから就職でもよかったんじゃない?」
「勉強したいことがあって行ってたわけじゃないから別に。大卒の資格を取るよりやりたいことがあったから」
就職も進学も手段であって目的ではない。目的が定まっているのなら無理に大学に留まる必要もないだろう。
「桜はどう? 新婚生活は順調?」
「うん、まあね」
桜ははにかんだ。
夢から覚めた後、桜はリハビリを行っていた。夢の世界に入ってから日が浅かった桜は、あの世界は夢だったんだとすぐに納得した。
社会復帰を目指していたが、もともとおっとりした性分であり、急ごうとするとすぐに焦って失敗する。失敗しないよう注意していると結局動きが遅くなってしまう。
欠点を自覚する桜はリハビリしながらもその後どうしようか悩んでいた。
退院後、リハビリしつつバイトをしたりハローワークを訪ねたりしたがどうもうまくいかない。かつて就職先で失敗し続けた経験が自信を奪い、実際にうまく働けない負い目が桜の心身を縛っていた。
思わずリハビリトレーナーに愚痴ってしまうこともあるが、彼は穏やかに話を聞いてくれた。
トレーナーとは食事の話なども合い、桜は惹かれていた。リハビリよりもトレーナーに合うことが目的になっていたことは否定しない。たまに手作り弁当を持参してアプローチを図ったりした。
そんな日々がしばらく続くと桜はトレーナーに結婚を前提にした付き合いを提案された。彼にとって桜は話が合い、おっとりした空気感が心地よく、食事の趣味が合う理想的な女性に映った。
一年ほど付き合い、桜は結婚した。
「桜こそよかったの? せっかくバイトに慣れてきたところだったのに今じゃ専業主婦でしょ? もっと自分で働いて稼ぎたいとかなかったの?」
リハビリ中に勉強し資格を取り、転職した先でバリバリに働いている真木は気づかわしげに問う。
女性の社会進出が叫ばれて久しい昨今、自分を支えるために結婚して家庭に入ってほしいという男性が真木には前時代的に見えた。相手に合わせるために桜が無理をしているのではないか、と思うことがある。
桜は首を横に振った。
「わたし専業主婦の方があってるみたい」
それはからっとした断定だった。
アルバイトは慣れてきて失敗は減った。しかし楽しくはなく、やりがいも感じず、アルバイトの先に何があるのか見えなかった。
専業主婦になってから夫が稼ぎ、自分は家庭のことに集中するようになった。
料理はもともと好きだった。誰かのために作るとなれば熱が入り、どういった食事が健康的か勉強するようになった。掃除や洗濯も桜の仕事ではあったが、夫の意向でその手の家電が揃っていたので大した負担でもない。
「これからどうなるか分からないけど、バイトや就活をしている時より今の方が充実してる」
「そっか」
真木はあっさりと引き下がった。桜と逆で自分が外で働く方が性にあっている真木はアプローチされても袖にしている。
自分の価値観が全人類に共通したものだとは思っていない。働きたくても働けないならともかく、自分の意思で専業主婦を選んだのなら他人が口を出すことではない。桜は実際に幸せそうなのだから余計なお世話だろう。
「私もそろそろ考えるべきかな……」
むしろ幸せそうな桜に当てられて真木の考えが揺らいできている。
真木は恋愛に興味がないわけではない。仕事に比重が偏っているだけだ。
「気になるなら考えればいいんじゃない?」
「そうは言うけど沙雪さん、コイツだーって男が見当たらないんですよ」
「じゃあ探すか、見つかった時に考えるか、見つかった時の予行演習でもすれば」
「くっ、そういう沙雪はどうなのよ」
「夕さんちょっと」
桜が真木の服を軽く引っ張った。真木も失言だったと思いジョッキで口元を隠した。
沙雪は恋愛をこじらせた結果、五年もの間夢の世界に引きこもっていた。相手が死んでいることもありデリケートな部分と思いこれまで桜や真木は触れてこなかった。
真木はすでに酔っていた。飲みっぷりは良いが酒に弱いのである。
酔っ払って配慮が抜け始めている真木はあまりに淡々とした態度の沙雪につい尋ねてしまった。このところ沙雪は安定しており、触れても大丈夫なんじゃないかと思っていた部分もある。
「私は当分いいかな。あ、でも就職先に良い人いたら考えちゃうかも」
緊張が走る桜と真木をよそに沙雪はさらっと答えた。
二人は目をしぱしぱさせ、それから恐る恐る尋ねる。
「こういう話題、沙雪さんに振っても大丈夫?」
「いいよ。やっぱり今まで避けてくれてたんだ」
「トーマのこともあったしあんまり触れない方がいいかなって思ってたわ」
「触れられても面白いことなんにも言えないから困るってところはある」
「「あー」」
最も長い間夢の世界にいた沙雪はそれだけリハビリに時間がかかっていた。
リハビリと並行して社会復帰のために勉強し、就活を始めた。その忙しさは察して余りある。
岸辺当真やトーマのこと以前に沙雪は恋愛する時間を持っていなかった。何も話題が無いのに尋ねられても答えられることがない。受け答えに困ると聞いて納得しかなかった。
「あ、でもハルが沙雪に突っ込んでるの聞いたことあるけど。その時は困ってなくなかった?」
「あいつは別。うるせえって頭にチョップされて喜ぶ変態だよ」
「「あー」」
またしても二人は納得する。
夢の世界で交流があった者同士ということで真木と桜と沙雪は仲良くなった。すると沙雪の見舞いやリハビリの付き添いをする牧野晴瑠と顔を合わせる機会があった。
沙雪を親友と呼んで憚らないハルは、沙雪に話しかけて反応があることが嬉しいのか無闇やたらと積極的に絡んでいた。沙雪がわりと本気で鬱陶しそうに振り払っていることもあった。
ハルは沙雪との接し方が真木たちと明確に違う。沙雪の反応が違うのも当たり前である。
「えー、じゃあ沙雪さー、どんな男ならアリなの? 参考にしたい」
「……生きてることかな」
「参考にならない! あとリアクションに困る!」
ジョッキをテーブルに叩きつけながら真木は嘆く。そんな真木を見て沙雪と桜は笑った。
「あ、こんな時間か」
真面目な話からくだらない話までさんざん駄弁った頃合いに沙雪のスマホが鳴る。
「ん? 電話?」
「ただのアラーム。そろそろ帰るわ」
「なんかあるんだっけ?」
「明日は予定があるから早めに帰るって言ってたよね」
「予定ってなによー、あたしらと飲むより大事なのかー」
ビール二杯で泥酔している真木を桜がどうどうとなだめる。沙雪は桜にごめんねと手を合わせた。酔っ払いの後始末を押し付ける形になってしまった。
桜は気にしないでと手を振った。飲み会をすると真木はだいたいこうなる。すでに慣れていた。
「うー、さゆきー」
桜に介抱されてなお真木は手を伸ばす。
沙雪はその手を両手で握って、真木が手を掴み返すより早く放した。
「ごめんね、すごく大事な用事なの」
それからじゃあね、と言い残し沙雪は居酒屋を立ち去った。
次の話は22時頃に投稿する予定です。
23時頃に+αを投稿して完結です。




