幕間:グレンと安村
2022/2/23 1話目です
それは高見とトーマが話している時のこと。
安村は片手で持ったコテで壁に土を塗っていく。左官工事のように見えるが安村にそんな技術はない。安村がイメージできる『それっぽい』道具と動作がこれだっただけである。
土を塗ってすぐに壁は美しく修復されていった。
「見つけた」
作業していると声をかけられた。
声をかけてきたのは十五、六歳くらいの少年だった。髪型は適当に短くしました、といったふうで手足はひょろっちい。
「何してるんですか」
「エア城を直している」
安村は少年の方を見もせず端的に答えた。
少年が悪魔であることは分かっている。安村が声をかけられることを望んでいない今、人形が安村に働きかけることはない。トーマが高見徹也たちに対応していることを考えれば悪魔以外ありえない。
悪魔のほとんどはトーマの手により夢の世界に入ると同時に望んだ夢に溺れた。この少年がどうやって夢から逃れたか疑問ではあったが、トーマによりエア城内での戦闘が禁止されている今、警戒する必要はなかった。
「しばらく前に悪魔たちが侵入したんだっけ。ほとんど直っているように見えますけど」
「目につくところから修復した。よく見ると細かい傷がたくさん出来ている」
爆弾で破壊されたような大きな損傷はすでに直し終わった。
悪魔たちはエア城内部で人形たちを倒すため発砲した。その流れ弾で傷付いた部分まで手が回っていなかった。おおざっぱな修復が終わった今だから気付ける傷は多かった。
「トーマに頼んで直してもらえばいいのに」
「俺がやりたいんだ」
確かにトーマならば世界の中枢から完全な状態のエア城の記録を探し、今のエア城に張り付けることで修復できるだろう。トーマからも申し出があった。
安村はそれを断った。
理由はいくつかある。これから死ぬまであと何年あるか分からないが手持無沙汰では退屈だ。城の修復は手慰みにちょうどいい。トーマがコピペしただけのエア城は自分たちが作ったものだと言えないような気がした。
なにより、エア城はグレンとエアがあーでもないこーでもないと角を突き合せて作った楽園の象徴だ。たとえトーマであろうと手を入れられたくなかった。
「そっか」
少年はそれきり何も言わなかった。ひび割れた壁の方を向いてぼんやり突っ立っている。
気が付けば少年の手には安村と同じコテと土を乗せたコテ板があった。少年はそれを使って壁の修復を始めた。
安村は黙って自分の作業に没頭する。その隣で少年も同じようにコテを振るう。
「あのさ」
しばらく無言で土を塗っていた少年が口を開いた。
「どうせだったらもっとかっこよくしねえ?」
安村はぐっと押し黙る。その手は止まっていた。
「模様替えしてもいいし、間取りを変えちゃうのもアリでしょ。夢の中だから基礎工事とか考える必要もないし」
「……やめろ」
「修復もいいけど新しく作っても――」
「黙れって言ってるんだよ!」
安村はコテ板を放り捨てコテを床に叩きつけた。
歯をむき出しにして目をかっ開いて少年に食ってかかる。
「お前、何してるんだよ!?」
「何って修理と提案を……」
「そんなこと言ってんじゃない! どうしてまたこんな、夢の世界なんかに来てるんだよ、エア!!!」
詰め寄られた少年は一瞬きょとんとして、それから嬉しそうに顔を崩した。
「……分かってくれたんだ」
「笑ってんじゃない! こんなところにいて現実はどうした!? お前は社会復帰したんだろ! だったらこんないつ無くなるかも分からない世界にいないで現実に戻れよ!」
安村は少年の声を聞いた瞬間から、もしかするとその前から気付いていた。
突然現れた少年の正体は、グレンと共にシャングリラやエア城を作ったかつての転生者、エアである。
エアもまたトーマにより理想の夢に引きずり込まれそうになった。
しかしエアは吞まれなかった。
理想よりも切実な夢がすぐそこに迫っていた。だからエアは与えられた夢を即座に振り払ってエア城に入り込み、グレンを探していた。
「現実は……まあ、順調です。リハビリも終わって、学校はそこそこですけど、友達も出来ました。なんやかんや学校が現実の中心だと思ってましたけど、そんなことないんですよね。場合によっては逃げるが勝ちっていうか。世界は広いし気が合う人も探せばいるっていうか」
「なら夢じゃなくて現実で頑張れよ。分かってるのか? ここにいる間に現実の体は衰弱してるんだぞ」
「知ってますよ」
一度は夢遊症に罹患したエアが知らないはずがない。かくいう安村はそのまま衰弱死しようとしている。
「夢の世界を一度でも後にしたらもう一度入るには強い反発がある。最悪死ぬかもしれない。精神に異常をきたした人だっているんだぞ」
「承知の上で来たんですよ。再三おどかされました。もしかしたら俺が現実に帰らないんじゃないかって疑ってたのかもしれないですけど」
エアは力みなく笑う。
戦闘力を持たなかったエアは悪魔によって比較的早くに起こされた。その頃にはまだ病室の分け方も不十分で、夢の世界で殺されたことがトラウマになった人をその目で見ている。
エアが眠っていた期間は一年足らず。それでも目が覚めた後のリハビリは大変だった。夢の世界では転生者として高い身体能力をしていただけに、衰弱した現実の体はギャップが大きく慣れるまで時間がかかった。
一日くらいなら眠っていても問題ないだろうが、二日三日と寝込み続ければ、再びリハビリが必要になっていくだろう。
「でもおれはグレンとまた何か作りたかったんだよ」
「!?」
エアの口調は穏やかだったが言葉に揺らぎはなかった。
激昂する安村を前にしても一歩も引かない。その強い視線に安村が一歩引いてしまうほどだった。
「おれさあ、学校で馴染めなかったんだ。いじめられてたわけじゃないけどさ、好きなゲームもみんなと違って、話が合わなくて、一人も友達がいなかった。
それでいいと思ってた。分からないならいい、おれはひとりで楽しいんだって。
でも、違ったんだよな。この世界に来たのが証拠だ。現実はうまくいかなくて嫌だって逃げ出した」
夢の世界は現実に嫌気がさした人間が駆け込む場所だ。現実で本当に満たされていたなら夢の世界への扉は開かない。
エアにとって友達とはすっぱいぶどうで、手に入らないから『分からないやつらが悪い』『あんな連中と遊ぶよりひとりでいることが楽しい』と自分に言い聞かせた。
言い聞かせる必要がある時点でそれが本心ではないと分かっていたのに。
「夢の世界に来てもなんも変わらなかった。好きに物を作れるようになったけどそれはゲームの中と一緒だった。……夢の中に来ても自分で気付いてなかったんだよ。自分が本当は誰かと一緒に何か作りたかったって」
夢の世界は入り込んだ人間の夢をかなえる。力が欲しければチート能力を、恋人がほしければ理想の人形を、名誉が欲しければ称える群衆を用意してくれる。
しかし、本人が望んでいないものを用意してくれることはない。
だからエアはひとりだった。仲間も友達もいらないと自分に言い聞かせていたエアは荒野でひとり街を造っていた。
それはそれで楽しかったが、心のどこかに満たされない部分があった。
どうして満たされないのか直視することすらできず黙々と街を造っていた。
「そしたら、グレンが見つけてくれた。……嬉しかった。見つけてくれたことも、声をかけてくれたことも。そのうえ、城を見てフェイクロだって見抜いて、おれが気付いてなかったところを教えてくれてさ、その後もあーだこーだ言ってくれてさあ、どれだけ嬉しかったか、楽しかったか、グレンには分からないと思う」
エアの目に涙がにじむ。
グレンがシャングリラに現れた時、エアは大量の兵器を向けた。
外敵だと判断したなら警告なんかしないで撃ってしまえばよかったのに、エアはグレンに話しかけた。
自分が作った街並みを褒めてくれた。自分と同じかそれ以上にゲームの知識があって、こだわったポイントを見抜いてくれた。ゲームの設定を知り、建物はこうした方がいいんじゃないかと意見をくれた。
エアが意見を取り入れたり、逆に理由を言って却下したりすると、グレンは理由を聞いてくれた。
対等に話してくれた。
たったそれだけのことがどれほど嬉しかったか。
一緒に物作りをしてくれた。
たったそれだけの時間がどれほど楽しかったか。
グレンがいなければ今も気付いていなかったに違いない。
本当は、ただ物を作るのではなく、誰かと一緒に作りたかったのだと。
現実世界で友達を作ろうと思えたのもグレンのおかげだ。
自分の心を素直に受け入れたエアは、目覚めた時にも不思議とすっきりしていた。
泣くでも喚くでもない。自分が本当にしたかったことをできるように頑張ろうと思えた。
自分以外の人が何をやりたくてどう考えているか想像するようになった。グレンがしてくれたように彼ら彼女らに寄り添って、相手の希望と自分の希望が両立するように話をするようになった。
眠る前が嘘のように受け入れてくれる人が現れた。
現実でもオンラインでも友達が増えた。一緒にゲームをする仲間もできた。
国都大学付属病院の職員にグレンのことを尋ねたが、教えてくれなかった。
もしかするとグレンは自分が作り出した人形だったのではないかと思ってしまうこともあったが、初めて読んだゲームの資料集にはグレンが言った設定が書いてあった。グレンは人形ではなく転生者だと確信した。
だから職員に頼んだ。
『グレンが目を覚ましたらこれを渡してください』
手紙とたくさんのゲームを渡した。
一緒に遊びたいゲームを涼しい懐から資金を捻出して用意した。グレンならきっと分かってくれる。
本来なら職員はそんなものを預からないが、目覚めたところで自殺しかねない安村が生きる理由になればと思って預かることにした。
しかし安村は話を聞かず手紙を読むことすらなくゲームを振り払ってしまった。
エアの気持ちはグレンに届かなかった。
そのことを知った前川は決断した。
エアにグレンがまだ眠っていることを伝えた。近々救出作戦を行うこと、それがグレンを助ける最後の機会になるだろうと。
褒められた行為では決してない。業務上知り得た患者の個人情報を親族でもない他人に話すなど、懲戒免職になった上で刑務所にぶち込まれても文句が言えない犯罪行為である。
前川はそれを承知でエアに話した。
何か強制するつもりはなかった。リスクを説明し、現実世界を順調に生きているエアが断れば、迷う様子が見られたなら即座に引くつもりだった。
『行きます。どうすればいいですか』
エアは一秒の迷いもなく即答し、グレンを助けるために何ができるか尋ねた。
前川は、伝えたいことを伝えてくれればいいとだけ答えた。現実に戻るかどうかは安村が判断することだからだ。
前川には安村の気持ちがとてもよくわかる。現実なんてくそったれなことばかりで逃げたくなることはいくらでもある。前川自身が夢の世界と強くつながった人間だったらすでに眠りに落ちているだろう。
それはそれとして、必死な思いがあることを知った。安村がその声に耳を傾けることもなく、伸ばされた手を振り払ったことも知っている。
思いを伝えて断られるなら仕方ない。思いを知ってなお断るならそれもひとつの選択だ。
だが、思いを伝える機会すらなく、必死な声に気付くことすらなく終わるのは到底受け入れがたいことだ。
今ならまだ主席研究員として、全ての責任を負わされたものとしての地位を使うことができる。エアに機会を与えることができる。
前川の言葉にエアは頷いた。
そして今、全ての気持ちをグレンに向けて吐き出した。
「本当はめっちゃ怖かったよ。現実も悪くないって思えてきたところだし、友達と一緒に作ってるものあるし、夢の世界にもっかい行って反動で後遺症できたらヤダし」
「じゃあなんで無理してまで来たんだよ……」
「もう一回でも、グレンと何か作りたかったからだよ!」
エアの心の堰は決壊した。ぼろぼろと涙が出てくるし鼻が詰まって話しづらくて仕方ない。
「現実に未練タラタラだよ、やりたいこと山ほどあるよ!
でもそれと天秤ににかけても、グレンと、また話したかったんだよ、遊びたかったんだよ!
ああやだ、死にたくない! でももし夢の世界じゃなきゃグレンと遊べないならいいよ! おれも寝るよ! 起きれなくていい!」
死ぬのは怖い。絶対に嫌だ。遊びたいゲームも山ほどあるし友達だって作ることができた。
グレンがまだ夢の中にいると知った。一度は目覚めても再び夢の世界に戻ったと聞いた。本人が望まない限り現実世界に戻って来ないであろうことも。
前川の話を聞きながらエアは心の天秤にかけていた。
再びグレンに会うことができる可能性と、今ある現実とこれから手に入れるであろうすべてをそれぞれの皿に乗せた。
天秤はグレンに傾いた。
死にたくないが、グレンと再び遊ぶためなら眠ってもいいと思った。
エアは膝から崩れ落ち、額が地面に当たる。額が割れて血が流れるがエアは気付きもしない。
死の恐怖に直面し体が震える。冷たい体を少しでも庇うように自分の身を両手で抱きしめる。
涙と鼻水でぐっちゃぐちゃの顔で、必死に息を吸って、ありったけの気持ちを言葉にする。
「またおれと遊んでくれよお………!」
情けない姿で絞り出した声はみっともなく震えていた。
安村は膝を折ってエアの肩に手を置いた。
エアが顔を上げる。
安村の顔もまた、見れたものじゃないくらいひどいことになっていた。
安村はずっと誰にも必要とされず生きてきた。
ゲームの知識だって好きで身に着けたわけではなく、だらだら無駄に時間を過ごす中で覚えてしまっただけのものだ。
ゆるやかに現実から消えてしまいたかった。
自分は生きているだけで迷惑な、無価値な人間に思えて仕方なかった。
案外、そうでもないのかもしれない。
汚い顔をした二人が向かい合い、目が合った。
次の瞬間、二人の姿は夢の世界から消えてなくなっていた。
あとはエピローグ




