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61.崩壊

「………………はぁ」


 沙雪が現実に帰ったことを見届けたトーマはどさりとその場に腰を下ろした。

 涙は止まらないし鼻水も流れっぱなしだ。ティッシュを具現化させて鼻をかみ、顔を拭いた。

 もう沙雪の姿は欠片も見えないが、余韻に浸りながら空を見つめていると、横から声をかけられた。


「これで沙雪は現実に戻ったのか」

「あ、高見さん。まだいたんですか」


 高見徹也である。彼は悪魔として夢の世界へ入って来た。今でも目覚めようと思えばすぐに現実に戻れる。とっくに目覚めたものだと思っていた。


「本当に沙雪が目覚めるかどうか確認してたんですか?」

「ああ、それもあるが……その前に聞きたい。君はどっちだ?」


 高見はじっとトーマを見つめる。小さく首を傾げて困惑している様子だった。

 そんな高見を見てトーマはふっと笑った。


「俺はトーマです。岸辺当真じゃない」

「それはいつからだ?」

「うっわそれ聞きますかあんた」


 トーマは歯茎をむき出しにして眉間に深い皺をよせた。端的に言うとものすごく嫌そうな顔をした。

 そんなトーマを見て高見は失笑した。笑うつもりはなかったがヘンテコな表情に笑ってしまった。

 嫌がられても高見が気にしていないことを察するとトーマはさっと顔を逸らした。


「最初っから俺はトーマですよ。少し体を貸しただけ」


 当真にトーマを乗っ取る力はない。今回は当真とトーマの意見が一致したから当真の思い通り体を動かせたに過ぎない。

 そう言ってトーマは右手を顔のそばにあげ、手のひらを空に向けた。

 するとそこから小さく頼りない球状の光がふよふよと空へ昇って行った。高見とトーマがそれを見守っていると、空に溶けるように消えて行った。


「今のは一体……?」

「岸辺当真の魂的なアレです」

「魂なんてものが実在するのか?」

「今さらでしょそれ」


 高見とトーマが今いる『夢の世界』だって十分ファンタジーだ。一般の人からしたら魂と同じかそれ以上に実在を怪しむものだろう。

 そんな世界で切った張ったしておいて魂の実在ばかり疑うのはいかにもあほらしい。


「俺もアレが本当に魂かどうかなんて分からないですけどね。でもそう信じた方が救いがあるでしょう」

「……まあ、な」


 空に消えた沙雪はどこかすっきりした顔をしていた。

 思うに、娘は岸辺当真と別れも言わずに死別したから囚われてしまったのではないだろうか。

 もちろん当真を責めるつもりはない。当真だって死にたくて死んだわけではない。


 もしも当真が交通事故で死んだりしていなければ。

 高校、大学と進学したり就職したりするにつれて子供は親から自立する。同級生や同僚が増えることで親は子供が関わる相手を把握しきれなくなる。親から当真と関わるなと言われることは減っていっただろう。

 ほとんどの人は同級生や同僚の生活環境や親族関係を深く詮索したりしない。大人になればなるほど相手のプライベートに土足で踏み込むことは避けるべき、という意識は強くなる。殺人犯の息子というレッテルは常識というラベルで見えづらくなっていく。

 きっと当真は沙雪以外にも友達が出来ただろう。


 沙雪は当真と知り合うことがなくてもいずれは関わる相手が増えたはずだ。世の中には沙雪より派手に髪を染めている人は山ほどいるし、逆に沙雪が地味な色に染めることもできるようになった。


 当真が生きていれば、二人はごく普通の恋人らしい関係に収まったのではないだろうか。

もしかしたら生涯を添い遂げたかもしれないし、中学卒業を待たずに破局していたかもしれない。


 そんなもしもを考えられるのも沙雪が目覚めることを決めたからだ。

 魂が実在して、当真が沙雪に別れを告げ、沙雪を解き放ってくれた。

 沙雪が夢の中で当真そっくりの人形を作り、人形に自分が言ってほしいことを言わせただけと考えるよりもよっぽど夢がある。


「んで、他の残る理由って何ですか? 内容によっては協力しますよ」

「私と一緒にこの世界へ来た人たちと、安村さんの安否を教えてほしい。連れ帰らないといけない」

「部下の人はもうみんな……あ、一人帰ってないですね。安村さんは帰るつもりがないみたいなので放っておくしかないと思います」

「帰るつもりがなくてもこの世界は崩壊して目覚めるのではないか?」

「基本はそうですけど安村さんは自分の意思で現実との繋がりを切ってますから戻らないんじゃないですかね。エア城は俺も可能な限り保守する約束なんで、どのみち完全崩壊する頃には現実の体が死んでるんじゃないでしょうか」


 トーマは安村にシャングリラを破壊すると言った。

 安村は難色を示した。シャングリラはエアと作った、安村にとって大切な場所のひとつだ。

 そこでトーマは権限の及ぶ限りエア城を守り続けると約束した。

 安村の目的は楽しい思い出に浸りながら緩やかに消滅すること。そのための場所として最も大事なエア城を残してもらえるならば妥協の余地はあった。


「そうか」

「居場所を聞いたりしないんですか? 今のうちに殺せば目覚めさせることが出来るかもしれませんよ」

「無理に起こしても安村さんにとって良いことにはならないだろう。彼が安村さんを起こすことが出来ないならそれまでだ」

「そうですか……あ」


 トーマは下、エア城の中心の方へ視線をやった。

 ふう、と息を吐いて高見に向き直る。


「安村さんも部下の人も目を覚ましました」

「そうか。……よかった」


 ぎしぎしと嫌な音が鳴り響く。エア城が壊れかかっていた。

 エア城を誰より望んでいたのは安村である。その安村が目を覚ましたことで、夢の世界の消滅を望む意思が押し寄せてきた。

 城の端から急速に崩れ落ちていく。

 世界の崩壊はまもなく完了する。


「さ、高見さんもさっさと帰った帰った。このままじゃ世界の崩壊に巻き込まれますよ」

「ああ、気にしないでくれ。私は現実へ戻るつもりがない」

「はあ?」


 トーマが素っ頓狂な声を出して高見を睨みつける。

 高見は平然とその場に腰を下ろした。


「この場で私が死ねば勤務中の事故での死亡になる。遺産や手当は全て沙雪の手元に行くことになる。娘がこれほど傷付いていることに気付かなかった役立たずの父親が現実に戻るより、これからの生活の元手が多い方がいいだろう」


 口には出さないが、沙雪は自分の顔など見たくはないだろうという考えもあった。

 トーマは高見が首を落とす前にはまだ普通の転生者に収まる力しか持っていなかった。

 自分がトーマを殺したことが岸辺当真が目覚めるきっかけだったと推測できる。

 沙雪は目覚めたが、果たしてそれは自ら望んでのことなのか、妥協した結果なのか、高見には分からない。

 高見さえ何もしなければずっとトーマと幸せな夢に浸っていられたのではないか。

 役立たずのくせに夢から無理やり叩き起こした父親など疎ましいだけだろう。


 なんてことを考えながらため息をつく高見。

 ふと気が付くとすぐ隣にトーマが立っていた。


「ざけんなくそじじい」


 トーマは高見の胸倉を掴んで持ち上げた。その額には青筋が浮いており、怒っていることは明確だった。


「あんた、沙雪と顔合わせづらいってだけだろ。要するに気まずい思いするのが嫌だから適当に理屈こねて自分はケツまくって楽な方へ逃げようとしてんだろ」

「そんなことは……」

「ないって胸張って言えんのか。百パーセント沙雪のためだけ考えた決断だって俺の目ぇ見て言えるんなら認めてやるよ」

「………………」


 激烈な怒りを隠そうともしない視線に射抜かれて高見は目を逸らしてしまった。

 沙雪のためを考えての決断だった、はずだ。

 しかし沙雪のためを考えて、自らの消滅と沙雪との別れを受け入れたトーマを前にすると自信が持てなかった。

 自分はただ疲れて面倒くさがっただけなのではないか。

 そう頭の端に浮かんでしまう時点でトーマに図星を衝かれたと認めているようなものだ。トーマの目を直視できなかった。


「はっ」


 トーマは鼻で笑って高見を突き飛ばした。

 俺なら沙雪を一人にしない。そんな声が聞こえてきそうであった。


「沙雪のためって言うならさっさと目覚めてできることはなんでもやれよ。疎まれててもやりようはあるだろ。申し訳なく思ってるんだったら死ぬまで沙雪のために出来ることやれよ。父親だろ、あんた」


 トーマに父親はいない。岸辺当真の記憶にも父親はいなかった。

 当真に生物学的な父親はいるが法的にも精神的にも他人であった。当真の認識では『父親』ではなく『遺伝子を寄越した男』くらいの認識でしかない。その遺伝子も可能なら引っこ抜きたいほどであった。

 沙雪の父は当真の父とは違う。娘のために命がけで夢の世界へ挑む『父親』である。

 高見は返す言葉もなくトーマの言葉を胸に刻んだ。

 目の前のトーマも、魂だけとなった岸辺当真も、可能であれば自分が現実へ行って沙雪と寄り添いたかっただろう。

 けれど彼らにはそれはできない。当真は死んでしまった。トーマは現実に生まれてすらいない。

 そんな彼らの前でよくこれほど惨い甘えを見せたものだ。


「約束する。私は死ぬまで沙雪のために尽力する」

「……頼むよほんと」


 夢遊症罹患者への偏見はトーマが緩和した。

 しかしそれでも絶無というわけにはいかない。偏見を持ったままの人がいれば、沙雪自身が偏見を感じて傷付くこともあるだろう。

 偏見以外にも衰弱しきった肉体の回復など課題は山ほどある。

 ほんのわずかでも、誰でもいいから沙雪の力となってほしかった。


「世話になったな、トーマ君」

「ええ、手の焼ける親子でした」

「すまなかった。それと、ありがとう。君のおかげで沙雪は救われた」

「岸辺当真の墓に言ってやってください」

「そうだな。だが、岸辺当真とトーマは別なのだろう。君にもお礼を言わないといけない」

「………………」


 トーマは黙って後ろを向いてしまった。

 当真もトーマもまっすぐな好意に慣れていない。どう反応したらいいか分からなくて照れ隠しをしているのだろうと高見にも分かった。


「さようなら、トーマ君」


 すうっと高見の姿が夢の世界から消える。

 残されたのは崩れゆくエア城とトーマただひとり。

 トーマはその場にごろりと寝転がった。


 空は快晴。目覚めた魂がまるで逆向きの流星のごとく空へ吸い込まれていく。

 夢の世界由来の建物や物質、シャングリラを彩った人形たちは無限の底へ消えていく。


 世界の崩壊を目前にしてもトーマはゆっくり深呼吸するだけだった。安村が目覚めた今、エア城を維持する動機も力もない。

 大の字になったトーマはやり切ったような、まだ足りないような、不思議な気持ちだった。


 ——ああ、でもやるべきことはやったよな。


 納得とも達成感とも言い難い感覚に包まれ、空を見ながら穏やかに笑う。


「さようなら」


評価ポイント200を超えていましたありがとうございます!

あとは幕間1話とエピローグ2、3話で完結です。

明日、投稿が終わると思いますので最後までお付き合いいただけると嬉しいです。

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