57.岸辺当真④
2022/2/19 3話目の投稿です
中学校に入ってから四か月が経った。
クラスでの立場は確立された。不憫なやつと認識され、当真に家族の話題を振るのはタブーという風潮になった。男子の上位グループの準メンバーのような扱いで孤立することもなくなっていた。
「はあ…………」
当真は小さな映画館でため息をついた。
映画はわずかばかりの生活費をやりくりしてようやく月に一度味わえる贅沢だった。
クラスメイトには映画に行くことを話していない。グループメンバーはみんな気が良い連中だ。スポーツファンもオタクもいるが反発せずに「おすすめはなに?」「楽しみ方を教えて」と違う趣味を理解しようとする。本当に中学生か、と思うくらいの人格者たちだった。当真に映画を見る趣味があると知れば理解しようとついてくるだろう。
クラスで溜め込んだストレスを解消したいのにクラスメイトをぞろぞろ連れていたら本末転倒である。
中学校生活は順風満帆だった。いじめられることもないし勉強にもついていける。家計のやりくりと母の世話焼きは負担だがやってやれないことはない。
しかし、順風満帆なのは表面だけだった。
放課後にグループで遊びに行くことはあったが、当真と誰かが二人きりになると決まって相手はよそよそしくなる。
中学生らしくないくらい大人びたクラスメイトも人間だ。怖いものは怖い。
彼らは当真が好きだから友達として付き合っているのではなく、可哀そうな立場の当真を憐れんで仲間に入れてくれているだけだ。友達ではない。
友達ではないのに、優しく真面目な彼らは無理をしてでも歩み寄り理解しようとしてくれる。
とてもありがたいことだがそのありがたさが鬱陶しくもあった。
当真は一方的に排除されないだけの立場を得るために彼らを利用している。深く打ち解けるほど薄汚い打算と内心を理解されるリスクが大きくなる。
ここ数年で自分の性格がゆがんだ自覚があった。
たまに興味がない相手にこびへつらってまで生きている理由はあるのか、なんて考えてしまう。
自宅には人形のようになった母親がいる。何を言うわけでもないのに母の視線を浴びると責められているような気持ちになる。
家の外で時間を潰そうと思ったら図書館が一番良かった。勉強して優秀な成績を保つことで教師への印象を良くすることができるので一石二鳥だが、休館日と営業時間の存在がネックだった。
「映画か」
図書館の視聴覚ブースを覗いている時に閃いた。
そういえば世の中には映画館という施設があるのだ。調べてみると、近くの映画館は中学生ならどこでも千円で映画を見ることができる。
当真は食料品を買う時に十円の違いで遠くのスーパーまで走っている。時給換算すればコスパが悪いことは分かるのだが、現金収入は限られており増やす当てもないので節約したければ体力を使うほかない。
千円は大金だ。二日分の食費が消し飛ぶまであるが、どうしても出せないほどではない。
夏休み、図書館が休館の日に近所で一番大きな映画館へ行った。
そして数分で引き返した。
大きな商業施設の中にあるシネマコンプレックスは人でごった返していた。中学生、高校生くらいの人も山ほどいる。
金がないことを理由に遊びを断る当真がシネコンにいたと知られたら陰口の種を提供してしまうことになる。当真は逃げるように商業施設を後にして、近所のこじんまりした映画館に入った。
こちらは経営が成り立っているか疑問に感じるほど人の出入りが少ない。
上映している映画を吟味しようにも一種類しかなかった。シネコンで見ようと思っていた流行の映画はやっていなかった。
「……ちょうどいいか」
がっかりしかけるも考えなおした。
話題の映画を見たとする。教室でその映画の話になった時に口出ししたくなってしまうかもしれない。うっかり映画を見ていなければ分からないことを口走ってしまうかもしれない。
タイトルを聞いたこともないような映画の方が話題にあがるリスクは少ない。
そう自分を慰めながら席に座る。陰鬱さを凝縮したようなため息をついても咎める者は誰もいない。
初めての映画館にほんのり高揚しながら柔らかいシートに体を預ける。
照明が暗くなり他の映画の広告が流れ始める。
ひとりきりになって最近の疲労を自覚した当真はうとうとし始めた。このままでは眠ってしまうかもしれない。
そう思ったところで映画の本編が始まった。
気が付くと終わっていた。
「あ……」
当真は泣いていた。眠るどころか身を乗り出して食い入るようにスクリーンを凝視していた。
エンドロールが流れ始めてようやく背もたれに体を預けた。
小説で物語を読むのとは全く異なる衝撃があった。
映像は当真の想像よりはるかに解像度が高く、役者が演じる姿は当真が知らない熱を感じさせた。映画館の雰囲気と音響もまた当真に未知の刺激を与えた。
気が付けば当真は、主人公が困難に打ち勝ちハッピーエンドを迎える姿に自分を重ねていた。
それはまるで自分が救われたような体験だった。
心にこびりついた膿がこそげ落とされたような心地だった。
これを機に当真は時たま映画館を訪れるようになった。
沙雪と出会うのはこの二か月後のことである。
―――
十月のある日、映画館で当真と沙雪が遭遇した。
当真の目にも沙雪が喜んでいないことは明らかだった。当真が動揺していることも沙雪にはお見通しだったようで、とりあえず顔を洗うように言われた。鏡で見た自分の顔はちょっと他人様にはお見せできないありさまだった。
当真は沙雪を近くの喫茶店に誘った。かつて母と共に弁護士に連れられてきた店だ。口止め料にはこれくらい払わないといけないだろうと腹をくくる。
ひとりでこそこそ映画を見ているとクラスに知れ渡ったら厄介だ。遊びに誘われても金がないからと断ることが多いのに映画へ行っていると知られたら付き合いが悪いと言われてしまう。グループの人たちは何も言わないだろうがクラスでの居心地が悪くなる。
意を決して頭を下げたが、沙雪は頭を下げられたことに困惑していた。
会話が広がって「映画館であったことを秘密にしてほしい」という依頼への回答は流れてしまったが、沙雪は誰にも言わなかった。
当真は確約も無いのに沙雪から話が知れ渡ることはないと安心していた。
安心していることに気付いた時は笑ってしまった。同級生なんて、当真にとっては陰口を叩いているか殴ってくるだけの存在だったのに、信用するなんてどうかしている。
と、考えてなお沙雪を疑う気持ちが欠片も浮かばないのだから笑うしかない。
沙雪は当真が人殺しの息子と知っていてなお態度を変えなかった。
クラスで孤立気味だったし当真のことを知らない可能性もあるかと思って「人殺しの息子だぜ」と言ったが、だから何だと言いそうな白けた顔をしていた。
敵意も隔意も同情も憐憫もない同年代と話すのは初めてのことだった。自分でも知らない間に舞い上がっていたらしく話すつもりがないことまでぺらぺらと話してしまっていた。
「岸辺が話しちゃった理由は分からないけど、私は岸辺に親近感あるよ」
「高見が? 俺に?」
「岸辺と比べたら大したことないんだけどさ」
なんでここまで話してしまったのか自問する当真に沙雪は自分の髪をひと房つまんで見せた。
さらさらの髪は光を透かせて金色に輝いて見えた。
当真は綺麗だと思ったが、沙雪にはその髪色こそコンプレックスだという。
髪色が原因で不良扱いされ、偏見を向けられ、肩身が狭いという。当真自身も生徒会役員に絡まれた理由を知るまで沙雪をやばいやつだと思っていただけに頷くしかない。
親から押し付けられたものに迷惑しているという言葉にはいたく共感した。
話の流れで映画について意見交換した。
沙雪は映画が気に入らなかったらしい。当真は気に入っていたので、本音を言えば少し残念だった。どうせなら好きなところを語り合いたかった。
けれど、それ以上に映画の話をしてみたかった。
同級生と映画について語り合うとかめちゃくちゃ青春っぽい。当真が自分の身に訪れるとは想像もしていなかったことだ。異世界転生したらこんな気持ちなんじゃないかと思うくらいの衝撃だった。
沙雪の意見は批判的なものだったが、聞いてみればそれは確かにと納得できるものだった。新しい見え方が増えた気がする。
話していると沙雪がひとつ紅茶を頼んだ。
「最近、他の映画も見たの?」
「ん、まあ。月一くらいだけど一人で映画見に来てるし」
「じゃあもう少し付き合って。お茶は私がおごるから」
「……分かった」
この時、嬉しくて泣きそうになったことは、最期まで誰にも言わなかった当真だけの秘密である。
明日は日中投稿できないので、夜に出来るだけ投げちゃいたいと思います。




