55.岸辺当真②
2022/2/19 1話目です
当真にとって小学校は地獄だった。
小学校の外も地獄だということに気付いてしまった。
同級生は当真を遠巻きにひそひそ話をしている。教師も腫物に触るような態度をとる。上級生とすれ違えば小突かれる。
思えば保育園の頃からそうだった。他の子どもの親は当真が自分の子供のそばにいればひったくって連れ帰った。あれは殺人犯の子供と自分の子供を触れ合わせたくなかったのだろう。保育園の先生に怒鳴っていた理由も今なら想像がつく。当真を自分の子供のそばに置いたことを怒られていたのなら、先生が当真にやるせない気持ちを抱くのも無理はない。
よくよく考えてみれば団地の住民も当真と母には関わろうとしない。近くにいれば露骨に嫌そうな顔をする。団地の子供に「あっちいけ」と石を投げられる当真を見ても大人はみんな知らんぷりしていた。
父親のことを知れば理由は嫌というほど分かってしまう。当真の父はついカッとなっただけで人を殺すようないかれだ。その妻はいかれと好き好んで付き合ったいかれだ。いかれの間に生まれていかれに育てられた子供と関わりたくないのも当然と言える。
「父親がなんだ! 会ったこともねえよ! 俺には関係ない!」
ある日のことだ。授業でグループを作れと言われた。
当然、当真と同じ組になってくれる子はいない。声をかけても無視されるか、もう満員だからと断られる。
そんな当真を見て担任は「父親がなぁ」とため息をついた。
父親が悪人であることは知っている。図書館に何度も足を運び、辞書や漢字の教科書を片手に父親の記事を読んだが、なにひとつ父親を弁護できる要素が見つからなかった。
だから当真は背中を丸めて学校で生活していた。息を殺し、自分の存在がなるべく小さく、
誰にも迷惑にならないよう努めた。陰口を叩かれても小突かれても黙って耐えていた。
なのに。いじめを許さないと自己紹介していた担任が父親のことをあげつらった。
我慢の限界だった。
「はっ」
担任は鼻で笑った。関係ないわけないだろ、と馬鹿にしていることは小学生でも分かった。
「あああああああーーーー!!!!」
耐え切れなくなって当真は叫んだ。椅子を蹴飛ばして立ち上がり、担任に突っ込んでいった。
担任は当真を蹴り飛ばした。六歳の子供が成人男性に勝てるはずがなかった。
頭を打って気を失った当真が目覚めて最初に目にしたのは頭を下げる母親だった。
保健室で、担任に申し訳ありません、ごめんなさいとみじめったらしく頭を下げていた。担任は困りますよ、と偉そうに母を見下していた。
帰り道、母は事情も聞かず、当真を見もせずにごめんねと繰り返した。
翌日から当真の扱いは目に見えて悪くなった。給食が配られないこともざらで、担任の目の前でもためらわずいじめられるようになった。
担任は囲まれて蹴りつけられる当真を見て笑っていた。
自分みたいな立場の人間が暴力を振るったら、振るおうとしたらどうなるのか、嫌になるほど思い知った。
当真は以前にもましてひっそりと生活した。足音だけではなく鉛筆が転がる音にすら気を遣った。何が誰を不快にさせて、その結果何をされるか分からない。
何をされてもやり返さない当真はいじめにあった。上級生だけではなく同級生にも根も葉もないうわさを流され、無視され、殴られ、物を壊された。
当真は徹底的に何もしなかった。
もう母が頭を下げるところを見たくなかった。
自分の身を守るための最低限の暴力だったとしても、やり返したらまた母が頭を下げることになると理解していた。
授業で工作しても壊された。絵を描いても母は忙しくて授業参観に来れず、母の目に触れることなく破り捨てられた。
一度だけ、母を描いた絵が破られずに持ち帰ることが出来た。
母は笑ってありがとうと言ってくれた。
能面のような笑顔だった。
九歳ですでに作り笑いを見分けられるようになっていた当真は、自分で絵を破り捨てた。
十歳の誕生日、当真が家に帰ると浴室で母が倒れていた。
片腕を湯船に突っ込み、手首を深々と裂いていた。
当真は不思議なほど静かな心持で母の腕をバスタブから取り出し、キッチンにあった輪ゴムで傷口のそば、心臓に近い部位を圧迫した。
浴室を出て母の携帯電話を手に取り119番に連絡した。
リビングには手紙が置いてあった。ごめんねとだけ書いてあった。
「なにがごめんねなんだろ」
自分を置いて死ぬことだろうか。貧乏な生活をさせていることだろうか。いじめから助けられないことだろうか。
それとも産んでしまったことを詫びているのだろうか。
警察に事情を聞かれている間もずっと心ここにあらずで考えていた。
母は一命をとりとめたがこれまで以上に会話が困難になった。
後に知った話であるが、母は職場でも団地でもろくな扱いを受けていなかったらしい。
安い給料で不当に長く働かされ、ごみ捨てひとつで文句を言われる。立場が弱く何も言い返せずやり返せず言いなりになっていた。
母は公的機関に当真がいじめられていることを相談していたらしい。その時にも私のせいで、と口癖のように言っていた。
他に相談できる人が母にはいなかった。他の子どもの親は当真の父のことを知っており陰口を叩く側だった。母の親族には人殺しの子を産むと決めたことで縁を切られたらしい。公的機関の職員は当真たちを支援できるか相談の連絡をしたが、当真に何の連絡もなかったことが事実であると証明している。
病室で久しぶりに母の顔を間近で見た。三十代も前半だとは思えないほど老け込んでいた。
さびた金属の臭いがする浴室を掃除しながら当真は考える。
何がいけなかったのだろう。
母は悪いことをしていない。当真もおとなしくしていた。
だが当真はいじめられ、母は自殺するほど追い詰められた。
黙っていれば殴って良いものだと思われる。やり返せばそれ見たことかと大手を振って迫害される。
生きていくためにはどうしたらいいのだろう。
そんなことを考えながら夕飯を買いに行くと親子連れの姿があった。
母親は子供から目を離さなかった。子供が駆け寄って何事か言うと、母親は顔をほころばせた。
当真が一度も母親から向けられたことがない表情だった。
周りを見ればそんな表情は珍しくもなかった。親子や恋人、友人同士と関係性はさまざまだったが、当たり前のようにそこら中に転がっている。
ただひとつたりとも当真に向けられることはなかった。
その数日後、当真をいじめに行った子供が階段から落ちた。子供は当真に突き落とされたと言ったが、当真は身を守るために手を振ったら強く当たってしまっただけだと言った。
担任は当真の言葉には取り合わず全て当真のせいだとした。暴力事件だとなじられたが当真は涼しい顔をしていた。
当真に突き落とされたという子は病院に行ったが何事もなく翌日には登校してきた。
仕返しとばかりに当真を殴りつけた。当真は何もやり返さなかった。
その日、再びその子は階段から落ちた。当真の仕返しかといきり立ったが、近くに当真はいなかった。
怒りのやり場に困った彼は当真を殴って気を晴らそうとしたが、胸倉を掴まれてなお冷ややかなまなざしを向けられ、手を放した。殴らずにそそくさと立ち去った。
気味が悪かった。
次第に暴力を振るわれることが減っていった。
いじめていた筆頭のグループの子が立て続けに怪我をしたからだ。
交通事故だったり、転んだ拍子に頭を縁石にぶつけたりした。
当真が無関係なことは明らかだった。交通事故の原因は彼らが交通ルールを無視して自転車に乗っていたせいだし、転んだのだって縁石の上を歩いて足を滑らせたからだ。
彼らは当真が自分たちを呪っているのではないか、裏で何かしているのではないかと思った。
もっといじめてやろう、抵抗できないようにしてやろうとは思わなかった。
当真はあれだけいじめられていたのに自分たちをどうでもいいような目で見てくる。自分をさんざん殴った相手が怪我をしたと聞いても笑わない。
何をされるか分からない。見たこともない大きな蜘蛛のようで関わりたくなかった。
彼らもクラスメイトも当真を徹底的に無視したが、当真は気にしなかった。
これからの身の振り方を考えていた。
お気に入り登録や評価をしてくださった方、ありがとうございます。
おそらくあと一週間もかからずに全話投稿できると思いますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。




