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54.岸辺当真①

『他人のせいにするな』


 と自分に言い聞かせて生きてきた。

 誰かのせいにしたところで現状は変わらない。誰かを恨んで呪っている時間が無駄だ。

小学生の頃、恨み言を考える暇があれば現状打破のために努力しろ、と暗示のように繰り返した。

 当然、言い聞かせている時点でそれは出来ていない。心の中は怒りと恨みでいっぱいだった。


 他人に期待するのは早々にやめた。

 役所の人や店の人は親切に応対してくれるが、父親のことを知れば表情が変わる。態度が変わる。丁寧であっても心のどこかで早くどこかに行ってくれと思っていることが分かった。

 教師は自分が殴られていても見て見ぬふりをする。助けて、なんてどれだけ大きな声で叫んでも彼らの耳には入らない。聞こえてもうるさいと怒鳴られるのが関の山だった。


 結局みんな面倒くさがりで自分のことで手一杯なのだ。

 誰も、関りのない子供の事情を深く知ろうとは思わない。わざわざ厄介事を抱えた相手と関わってレッテル以上のものを知ろうと思わない。

 最初はそのことを拗ねていた。誰も自分のことを知ろうとも助けてもくれないと甘えたことを考えていた。

 けれど、よくよく考えてみれば自分だって相手のことなんてろくに知らない。知ろうともしないで自分を可哀そうがっている。どっちもどっちだ。

 他人が都合よく気を遣ってくれることに期待するなんて馬鹿げてる。

 十歳にして悟ったようなことを考えていた。


 沸点を超えた怒りは蒸発して霧散した。

 なんでも自分のせいにされることに憤る時期はもう過ぎた。

 残ったのは苛立ちと諦めだった。

 正当な怒りだったとしても弱い立場では振りかざすこともできない。親に貼られた最悪のレッテルにより無条件で犯罪者扱いされる。

 みんな正しいとか間違ってるとかどうでもいい。自分を安全圏に置きつつ誰かをサンドバッグにしたいと思っている。正論も正義もそのための便利な道具に過ぎない。だから強者に都合の良いように姿を変える。

 的外れな非難や賢しらな説教をされるたびに思ってた。


『はいはい、俺が悪いのね』


 いかにも真剣な顔で聞き流すくらいには擦れていた。


―――


『ごめんね』


 岸辺当真の一番古い記憶は、背中を丸めて自分の手を引く母の姿だった。

 顔は笑っているのに力がなくて楽しそうでも嬉しそうでもない。疲れ切っていた。

 母は当真にいつも謝っていた。貧乏でごめんね、苦労させてごめんね、と頭を下げているから一緒の食卓についてもなかなか目が合わなかった。


 保育園に預けられていた頃は何を謝っているのか理解できなかった。

 お母さんは悪いことしてないのにどうして謝るの、と尋ねたこともある。母は困ったように笑って『ごめんね』とだけ言った。それきり何を言ってもごめんとしか言わなくなってしまった。

 別に、母を責めたいわけではなかった。母に苛立ちはしたが、謝るばかりで質問に答えてもらえなかったことが原因である。


 保育園では、他の子の親は我が子が当真のそばにいれば引きはがすように連れ帰った。時たま先生に何事か怒鳴っている人もいた。どうしたんだろう、と思っていたが、怒鳴り声を聞くのは嫌だったので耳をふさいでいた。

 そのあとは先生の笑顔が固くなっていたことを覚えている。

 思えば当真は笑顔に囲まれて育ってきた。作り笑いやごまかしの笑いという概念を知らない当時は幸せだったと思う。

 転機が訪れたのは小学校に入ってからだった。


『おい、お前の父ちゃん人殺しだって?』


 いきなり一回りも二回りも体が大きい上級生に突き飛ばされた。

 小突き回され、蹴り飛ばされ、調子に乗るなとか弱いじゃんとか意味の分からない言葉を投げかけられた。


 当真は困惑したが、ここでひとつの疑問に行き当たる。

 家には父親がいない。そのことを気にしたことはなかった。保育園でもシングルマザー、シングルファザーの家はあった。親が離婚しているとか、死別しているとか、親が片方しかいないなんて今時そう珍しいことではない。


「お母さん、うちにお父さんがいないのはなんで?」


 その夜、母に尋ねたが母はいつも通り申し訳なさそうに笑って「ごめんね」と言うばかりだった。ごめんねってなんだよ、と問い詰めても疲れ切ったように何も言わない。

 翌日、当真は近所の図書館へ行った。保育園に預けられない日には一日図書館にいることもあったので利用者カードは持っている。インターネット利用スペースの予約を取ることは難しくなかった。

 難しいのは検索だった。どう調べれば知りたい情報に手が届くか分からずに単語をこねくり回した。

 「きしべ」と検索バーに入力し、利用者カードを見て「岸辺」と変換した。それで調べてもそれらしい情報は見つからず胸をなでおろす。


「……よし」


 上級生に言われた「人殺し」という言葉がずっと喉に突き刺さったまま飲み下せずにいた。

 当真は検索バーに「岸辺 殺人」と入力し、震える指でエンターキーを押した。

 一秒足らずの時間を置いて、検索結果は出てきた。


「…………………っ!」


 絶句した。百万件を超えるヒット数があったが、一番上に出てきた記事の見出しだけで吐きそうになった。

 岸辺という苗字の後に見覚えのある漢字が書いてあった。暴行という感じは読めなかったが不穏な雰囲気が字面から伝わってくる。

 過呼吸を起こしそうになりながら記事をクリックした。

 短い記事だった。何月何日、どこそこで殺人事件が起きたというだけの記事だ。記事には動画が埋め込まれており自動的に再生される。

 監視カメラの映像だった。ガラの悪い男性がふらついて近くを歩いていた男性にぶつかった。ぶつかられた男性は面倒ごとを嫌ったのか、軽く頭を下げて立ち去ろうとした。

 ぶつかった男性が立ち去ろうとした相手の肩を掴んで引っ張った。そしてその顔をしたたかに殴りつけた。倒れた相手に馬乗りになり一方的に殴り続ける。そんな動画が通りすがりの人や近くの店の人たちに取り押さえられるまで続いた。

 どこからどう見てもやりすぎだった。仮にぶつかられた男性がひどい侮辱の言葉を言ったとしても殺していい理由にはならない。当たり所が悪くてたまたま死んでしまったということもあり得ない。相手が完全に動かなくなっても殴り続けていたのだから。

 当真は無言で検索ページに戻り他の記事を見た。難しい漢字で書かれていて読めない部分も多かったが、岸辺という苗字の男は「笑いながら」「大声で死ねと叫びながら」「警察官に拘束されても暴れ続けていた」ということが分かった。


 嘘だろ、と思った。こんなやつが自分の父親だなんて信じられなかった。信じたくなかった。

 あまりにもひどすぎた。情状酌量の余地が欠片もない。動画の男は頭がおかしい真性の犯罪者だった。

 自分の父親の名前を知る方法を調べ、当真は図書館を後にした。

 後日、市役所で住民票をとった。市役所の人はおつかいとでも思ったのか親切に申請書の書き方を教えてくれた。身分証は母の財布から手数料と一緒にくすねた保険証を見せた。

 緊張でどうにかなりそうになりながらも住民票を見た。


「……はは」


 親の名前の欄にはネットの記事に書かれていたのと同じ名前が記入されていた。

 その日、どうやって帰ったか覚えていない。気が付いたら家にいた。

 家の中でぼんやりしていたら母が帰って来た。


「当真、明かりもつけないでどうしたの……」


 明かりをつけた母は当真が何の返事もしないことを心配しながら、次の瞬間には石のように固まった。

 テーブルに置いてある住民票が見たからだった。

 当真には小遣いを与えていない。住民票は幼児が取ろうとしても金がかかる。手数料はどこかから盗んだとすぐに分かった。

 けれど母は叱りもせずにいつも通り「ごめんね」と言って当真を抱きしめた。

 当真は黙って母の腕に抱かれていた。


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