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52.夢の果て

「結論から言うと、もうじきこの世界は終わります。高見さんたちの勝利は確定しました」

「は……?」

「ついでに言うと俺の目標も達成されるのでウィンウィンってやつですね」

「……はあ?」


 なぜ夢の世界が終わる? 勝利が確定したとはなんだ。

 高見はとっくにチェックメイトされていて勝ち目はないと思っていた。暗殺というゲームはリザインして交渉に勝ち筋を見出そうとした。

 それが、すでに自分たちが勝っていると言われ困惑した。


「高見さんたちもご存じの通り、夢の世界は大勢の人の意識と繋がっています。それを辿って少しでも現実逃避願望がある人をこの世界に引っ張りました」


 新規に夢遊症に罹患した人はトーマが夢の世界に連れてきた。

 とはいえ強制ではない。『少し休みませんか』と彼ら彼女らに声をかけた。

 ほとんどの人はトーマに声をかけられたことにも気付かない。ただ、そこで休みたいと思った人の前には夢の世界につながる糸が吊り下げられ、それを掴めば夢の世界へ入ることとなった。


「ぶっちゃけ引っ張り込んだ人たちはテキトーです。人数さえいればどうでもよかった」


 引きずり込めそうな人に片っ端から声をかけただけで特別な意図はなかった。


「理由はふたつ。ひとつは意識の逆流を起こすこと」

「逆流? 夢の世界から現実世界へ干渉するということか」

「その通りです。全ての人の意識は夢の世界と多かれ少なかれ繋がっている。たくさんの人を引きずり込んで夢の世界を強固にすればそれだけ人の意識への影響力が強くなる」


 それは夢の世界を活用する上での懸念事項のひとつだった。

 夢の世界はしょせん夢だ。この世界でドラゴンを素手で倒せる力を手に入れても現実の腕力は変わらない。むしろ眠っていた期間が長いほど衰弱していく。魔法も同じでどれだけ極めても現実世界に反映されることはない。

 しかし、精神的な部分は別だ。

 安村は数年間英雄として過ごし、現実との落差に絶望した。

 マギは夢の世界で心の整理を付け、目覚めてからは前向きにリハビリに励んでいる。

 目を覚ましても夢の世界で感じたこと、経験した記憶は消えない。

 だからこそセラピーやストレス発散目的で使用できるのはないかと期待されている。


 一方で懸念があった。

 夢の世界から現実世界へ、物理的な侵略はあり得ない。夢の世界はそもそも物質として存在しない。夢の世界がどれほど強大になろうとも形は持たないし、現実世界で魔法が使えるようになることもない。

 では精神的な侵略は? 例えばの話、暗示は現実にも存在する。催眠魔法と言われて暗示をかけられて、自分がまだ魔法にかかっていると思い込んだまま現実に戻った場合、目覚めた時に催眠は解けているのか?

 今のところ懸念された事態は発生していない。悪魔たちが試してみても個人差が大きすぎてアテにならなかった。懸念は懸念としてあり続けている。


「……現実世界の人間の思考に干渉するつもりか」


 トーマの言葉は懸念が最悪の形で実現しうることを示している。

 夢の世界は人の願いを反映する。夢の中の人が多ければ多いほど願いが増え、夢の世界は強大になる。すでに高見たちがトーマに敗れる前とは比べ物にならない大きさのはずだ。

 問題は強まった影響力がどう行使されるか。高見はかすかなしぐさからもトーマの言葉の真偽を探れるよう、一挙手一投足を凝視する。


「概ねあってますけどちょっと違います。俺が干渉するのは無意識部分にちょっとだけです。高見さんが想像しているような事態にはなりません」

「身勝手な欲望を受け入れシャングリラを台無しにしてまで人を増やし、何がしたかったんだ」


 トーマは悪戯が成功した子供のように笑った。


「夢遊症罹患者に対する偏見を捻じ曲げました」


 安村の話を聞き、トーマは夢遊症罹患者が『現実逃避した情けない連中』と思われていることを知った。

 ただ安村の話を鵜呑みにしたわけではない。かつてジークフリートだった男城おぎ光龍みつるをはじめ、今も夢の世界を望む繋がりが強い人たちの心に触れた。

 被害妄想じみたものもあったが、おおよそ夢遊症は『心が弱い人が』『現実逃避したことによりかかる』『恥ずかしい病』として認識されていた。


「急に大勢が脈絡なく罹患することで、これまでの発表に対する信用が揺らぎます。そのうえで強固になった夢の世界の力で、全国の人たちの無意識に『夢遊症は心が疲れた人ほどかかりやすい、誰でもかかりうる病気である』と刷り込みました」


 精神的疾患が甘えだと一笑されていた時期がある。そんなものにかかるのは心が弱いせいであり、身内がかかっただけでも恥だと言われたこともあった。

 研究や実態の周知が進むことで偏見は減少した。

 トーマは夢の世界から直接意識に働きかけることで急速に周知した。

 まるっきりの嘘ならばバレるリスクもあるが、トーマが周知した内容はほとんど前川が公開した事実と同様である。誰かが調べてもアラが見つかる心配はない。


「では、安村さんや……沙雪は、夢遊症に罹患したことを瑕疵として責められることはないのか?」

「ゼロにはならないと思いますが何もしなかったよりだいぶマシだと思います」

「そうか……!」


 それは高見にとって朗報だった。

 高見はずっと夢の世界に籠っていたため現実の情勢には詳しくなかったが、沙雪に殺され現実に戻った一か月で嫌というほど夢遊症罹患者への偏見を思い知った。

 病室に籠っていれば陰口を言われる。掃除などのために病室へ入って来る人は無意識に見下したような態度を見せる。リハビリしていればくすくすと笑われた。

 高見は夢遊症罹患者ではなく助けるために動いていた側だ。そのことを知っている人は少なからずいる。そんな高見でも顔をしかめたくなるようなことが何度もあった。夢遊症罹患者がどんな目に遭っているのか想像するのは容易かった。

 前川の会見と危機感をあおる報道により国民のほとんどが夢遊症のことを知ってしまった。

 苛烈と言うほどではないが、夢遊症に罹患したと知られたらはっきり見下される。

 こんな状況に沙雪を叩き落とすくらいなら眠ったままの方が良いかもしれない、と思ったこともある。


「二つ目の理由は、この世界を終わらせるためです」


 トーマの言葉に高見ははっと息をのむ。


「それはまさか……」

「動機は想像つくと思うんで割愛で。今までみたいに罹患者が極少なら騒ぎになりませんけど、急に職場や道端で人がたくさん倒れたら『原因は何だ』ってなるのが普通です。治療のためにも夢遊症を公表せざるを得なくなる。夢遊症を知った人たちが夢の世界を怖がって遠ざけようとすれば、夢の世界と現実世界は切り離される」


 夢の世界は人の意識に繋がって構成されるネットワークのようなものだ。

 これまでは大勢の人の意識が繋がっていた。夢の世界を現実の存在と捉えている人が少なかったため積極的な影響こそなかったが、慎重に広告しポジティブなイメージで存在を認知されればいくらでも拡張できただろう。


 前川は真実を全て語った。夢の世界にのめり込めば現実世界のことを忘れて衰弱死しかねないことも話した。

 結果として夢の世界は恐ろしいものだと認知された。

存在を知った人の大多数は夢の世界を恐れた。眠ることすら恐ろしいと感じる人がいた。

 夢の世界に悪意はない。拒絶されれば繋がりは途切れる。

 それだけならば夢の世界は終わらない。規模が小さくなるかもしれない、といった程度で存続するだろう。

 真実を知った人の多くは、そんな恐ろしいものは無くなってしまえ積極的に拒絶した。

 これが致命的だった。数万を超える人による存在否定を夢の世界は実現しようとする。


「窓から外を見てください」


 言われ、高見は立ち上がり窓辺に立つ。


「……世界が崩れている」


 晴れやかな青空の下、地平線がシャングリラへと迫っていた。

 シャングリラの住民は誰もそれに気づかない。破局はごく静かに、当たり前のように迫っていた。


「今日中にはシャングリラも消滅するでしょう。夢遊症罹患者の人たちはさほどこの世界との繋がりが強くないので、シャングリラの崩壊と同時に現実へ戻ります」


 もともとトーマに誘われるまで夢の世界に来なかった人間だ。受け入れる世界が崩れれば元の体に意識は引き戻される。

 高見は驚かない。窓から視線を動かしトーマを見据える。


「ならトーマ君、きみはどうなる」

「聞くなら沙雪のことじゃないんですか」


 笑うトーマに高見は苦いものを噛んだような顔をする。


「世界を崩壊させるのは沙雪を現実へ返すためだろう。聞く必要はない」


 雑ぜ返すような言葉を切り捨てる。

 トーマは笑いをひっこめてバツが悪そうに目を逸らす。

 沙雪はトーマに自由を与えた。フィオナ以外の女と付き合おうが、男と付き合おうが、冒険しようが、引きこもろうが、トーマが楽しそうであれば口出しするつもりはなかった。


 しかし例外はある。許可することでトーマ自身の存在が揺らぐ行為は禁止した。

 トーマはフィオナと沙雪を殺せない。暴力を振るうことはできても殺害は絶対にできない。

 沙雪によって自由意思を与えられたトーマだがその本質はシャングリラに溢れる人形と同じ、夢遊症罹患者の願望を満たすための道具に過ぎない。沙雪がこの世界からいなくなれば他の人形と同じ意思無き人形に成り下がる。

 ゆえにトーマは沙雪を殺せない。沙雪を現実に戻すための直接的な行動はできない。


「お見通しですね。夢の世界が崩れれば沙雪は現実に戻ります。当人が戻らないと言っても俺が送り返すので」

「その後、きみはどうなるのかと聞いている」

「消えるでしょうね」


 トーマはあっさりと白状した。

 沙雪が現実に戻るだけなら人形としてのトーマは残る。誰かがトーマの存続を願えば今のトーマが残る可能性も絶無ではない。

 だが、トーマが存在するための基盤である夢の世界そのものが壊れれば話は別だ。人類にとって地球が爆発するようなものである。人間ならば肉体がある現実世界に戻るだけだが、人形であるトーマは世界ごと消滅する。


「君はそれでいいのか」

「……微妙?」


 ここにきてトーマは首を傾げた。


「断言も出来ない状態で自分を消滅させていいのか」

「なんか、俺を止めようとしているように聞こえるんですけど」


 高見は消滅するトーマを案じていた。

 世界が終われば沙雪は目覚める。その陰でトーマが消えようが高見には何の関係もないことだ。


「私には君が生きているように見える」

「………………」

「他の人形とは違う。沙雪に与えられただけでは説明がつかない自我があると感じている」


 沙雪はトーマに自我を与えた。

 だが、沙雪に与えられただけの自我だとしたら説明がつかないことがある。


 トーマは沙雪を起こし、現実世界に帰そうとしている。沙雪が目覚めることを望んでいないことは、今なお夢の世界にいることからも明白である。

 沙雪とフィオナを殺せないトーマは代替手段として夢の世界を壊そうとしている。その結果としてトーマは消滅するという。

 目覚めることもトーマが消えることも沙雪が心底望まないことだ。


「沙雪が目覚めることは保証された。なら、娘が大切に思っている人の心配をするのはおかしいことではないだろう。岸辺君に続きトーマ君まで消えてしまえば沙雪の心がもたないのではないかという懸念もある」


 トーマを殺された直後の沙雪は、表面こそ平静を装っていたが激怒していた。あれが夢の世界でなかったとしても自分を殺したのではないかと高見が感じたほどだ。

 蘇らせることができる状態でさえもあれほど怒り狂った沙雪が、トーマが不可逆の消滅をすると知ったらどうなるか。

 想像もつかないが、幸せな未来に結びつくとは思えなかった。


「だから、トーマ君とこの世界を消滅させない方法も――」

「………………お父さん、それどういうこと」


 バン、と音を立てて扉が開いた。高見は弾かれたように振り返る。

 そこには顔を真っ青にした高見沙雪が立っていた。


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