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50.再侵入

 高見はおぼつかないながらも地力で立ち上がり、慣れ親しんだカプセルの前に立った。

 ヘルメットのような機械をかぶり体を横たえるとカプセル内部のクッションが膨らみ体を固定する。時折自動でもみほぐし、衰弱を和らげてくれる。

 高見はこのカプセルの中で五年間眠り続け、娘を探してきた。たかだか一か月離れた程度では懐かしいとすら感じない。


『この状況を打破する鍵は沙雪さんだ』


 目を閉じると先日病室で聞いた前川の言葉が蘇る。


『今もまだ夢の中にいる夢遊症罹患者の内、沙雪さんだけが特異だ。異変を起こしているのがトーマか沙雪さんか分からないが、トーマが沙雪さんの願いから生まれた存在であることは間違いない。沙雪さんが目覚めればトーマも消えるだろう。高見さんは興味ないかもしれないが、私も沙雪さんの救出がうまくいくことを祈っている』


 前川はそう力なく笑った。

 高見はあくまでも沙雪を救出したいだけである。それすらも沙雪が心から夢の中で溺れ死ぬことを望むなら貫徹できるか怪しい。他の夢遊症罹患者に興味はない。

 しかし、前川には世話になったと自覚している。研究室とかかわりが無かった高見を夢の世界へ行けるよう取り計らってくれたのも前川だ。

 自分が娘を助け出すことで前川が助かるなら喜ばしいことだ。沙雪を起こす動機がひとつ補強された。


『トーマを倒す手段はおそらく存在しない。彼は世界の根幹に干渉する権限を得ていると思われます。存在を認識された瞬間に殺されてもおかしくない。

 だから、今回の部隊は夢の世界との親和性が高い人で固めた。違和感が少ないあなたたちが、トーマに気付かれる前に沙雪さんを助け出す。それが唯一の勝ち筋だ』


 高見や他の悪魔の話を聞いた限り、トーマは他の夢遊症罹患者と隔絶した能力を持っている。正面から戦って勝てる要素は一つもない。

 過去シャングリラに潜入していた部隊によると、トーマは悪魔の気配を違和感と呼んでいた。

 前川は違和感を、夢の世界を望まない人が機械の力で無理やり侵入したことにより生じるものだと考えた。だから自分自身の現実を放り出して夢の世界へ没頭する高見はトーマにとって違和感が少なかったのではないか。


 高見と同じように夢の世界を望む人々ならばトーマに気付かれづらいかもしれない。

 彼らは夢の世界に取り込まれるリスクが大きいが、他にトーマへの対抗策が思い浮かばなかった。


『なんて、長々と語りましたが、せめて高見さんだけでも無事に戻れることを祈っています』


 そう締めくくり前川は高見の病室から去っていった。

 以来、高見は前川の姿を見ていない。

 たまたまかもしれない。体調を崩してしまったのかもしれない。もしかすると、前川も夢遊症にかかってしまったのかもしれない。

 高見は静かに深く呼吸した。

 やるべきことは変わらない。沙雪にハルのことを教え、目を覚まさせる。なんなら順番は逆転してもいい。沙雪が目覚めれば話をする時間はある。ハルと顔を合わせる機会だっていくらでもある。


「高見徹也、入ります」


 カプセルの蓋が閉まる。目をつぶると意識がすーっと体から離れていくような感覚がある。寝入りばなのように現実と夢の境界が不明瞭になる。

 高見はただ、娘を助け出すことだけを考え、夢の世界へ飛び込んだ。


 黒い水の中を落ちるような感覚があった。五年前、初めて夢の世界へ侵入した際にはなかったものだ。

 時に硬く鋭い棘が飛来し体を抉る。これが夢の世界からの拒絶反応だろう。おそらくこの程度で済んでいるのは高見自身に現実逃避したい気持ちがあるからだ。

 妻が死んだ。娘は現実を捨てて夢の世界に浸っている。妻の忘れ形見の娘に不自由させないため仕事に打ち込んでいたつもりだったが、本当は妻の死から目を逸らすためだったのではないか。だから岸辺当真が亡くなった時に娘がどれほど悲しんでいるか気付けなかった。

 自分の失態から目を逸らしたい気持ちはあるが、それは今すべきことではない。


 負傷の程度によっては夢の世界へ到達できても役立たずになってしまう。腕で頭を庇い、身をひねって棘をかわすが全てを回避することはできない。腕に大きな棘が当たった拍子に体勢が崩れる。体が回転し前後不覚になったところを飛んできた棘が口に当たり、前歯をへし折っていった。

 これまで味わったことがない鮮烈な痛み。夢の世界では痛覚を無いものとして扱っていたので腕を焼かれようが頭がもげようが痛みを感じなかった。今は痛覚を抑えようとしてもうまくいかなかった。


「この程度がなんだ」


 一瞬逃げ帰りたくなるような痛みを感じてなお高見は夢の世界へ向かって潜り続けた。言葉にすることで決意を明確なものにする。

 ここで逃げたらもう一度夢の世界へ行こうと挑戦することさえできなくなる。そんなの自分で自分を許せない。

 死に物狂いで棘をかわし夢の世界へ向けて潜っていると唐突に棘が飛んでこなくなった。どう頑張ってもかわせない密度で飛んでくる前触れかと思ったが、そんな様子はない。

 ぶわ、と暴風に巻き上げられるような浮遊感。体の自由がきかなくなる。


「っ!?」


 強い閃光。真っ黒な世界が一瞬で真っ白に染まる。全身を揺さぶられ意識が遠くなる。

 視界が白と黒に明滅するが歯を食いしばって意識を保つ。

 すると目のまえでひときわ強い光が発生した。吐きそうなほどの頭痛と耳鳴りの中、かろうじて失神を免れた。


 いきなり浮遊感が消えた。頭痛も耳鳴りも嘘のようになくなった。ただし平衡感覚はひどく曖昧になっており吐き気がする。全身の感覚が不確かだが、痛みも無くなっていた。

 少しずつ目が見えるようになってきた。五年前はシャングリラとは違う世界の森の中に落ちたが、今回は目の前に壁のように硬質なものがある。

 やがて平衡感覚も戻ってきた。自分が床の上でうつぶせに倒れているのだとようやく理解できた。


「ぐ……」


 首だけ動かすとそう遠くない場所に壁が見えた。どうやら室内らしい。

 まだ寝ていたいと駄々をこねる体に鞭打って無理やり身を起こす。


「あ、起きた」


 聞き覚えのある声が降って来た。

 全身から冷や汗が噴き出したのが分かる。


「……トーマ」


 顔を上げると、そこには沙雪を目覚めさせる上で最大の障害であり、何百人もの人々を夢の世界に引きずり込んだ元凶と目される少年が笑っていた。


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