48.急変
2022/2/13 2話目の投稿です
事態は急速に動き始めた。
全国で突然夢遊症に罹患する人が相次いだ。
街中で倒れた人、自室で意識を失った人は次々病院へ搬送され、夢遊症の検査を受けることとなった。
結果、ほぼ全ての人が夢遊症だと診断された。たった一日で百人を超える夢遊症罹患者が発生した。そして今も数は増え続けている。
国都大学やその他の病院で受け入れているがすぐに限界を迎えることは容易に想像できた。病床数はもちろん、ずっと眠り続ける患者の管理を行う人材も全く足りなかった。
国都大学に国内唯一の夢遊症研究所があることは公表されている。マスコミによって対応を責める報道がされると常に電話が鳴り続ける状態となった。そのほとんどは不安をぶつけるだけのものか、何の知識もない人からのご高説であった。
前川はまるで生贄のように会見の場に引きずり出された。夢遊症がどういうものか国民に説明する義務があるのだそうだ。
そして前川は選択を強いられていた。
「国民は納得できる理屈……いや、堂々と殴れる相手を求めているに過ぎない。夢想世界のことを知ればマスコミに煽られて完全に破壊してしまうだろう。愚か者どものために、これほど利用価値がある世界を台無しにする必要はない。分かるね?」
「すべてを説明するべきです。誤魔化したところでいずれ正しい情報が公になります。嘘やごまかしは問題を先送りするだけです。いえ、国民を騙したと爆弾を大きくするだけの悪手です。分かりますね?」
会見を行うと決まった直後に違った場所から真逆の指示を受けた。
どちらも前川の上司というわけではないが、前川の上司以上の立場にいる人間である。普段ならどちらの言葉も無視するという選択肢がない。
あちらを立てればこちらが立たない。いっそ逃げ出すという選択肢もあるが、その場合はより悲惨な末路を辿ることになるだろう。すぐに思いつくだけでも、捜索のためとして前川の個人情報を拡散し、その後に夢遊症研究の責任者として生贄に捧げられて社会的に死ぬ。責任を取るためという遺書を書かされて首を吊るされる、なんていう今日日ドラマでも見ない未来が脳裏に浮かんだ。
もともと前川はさほど大きな理想を持っていない。就職する時だって大きい大学や病院に関係する研究室の方が生活が安定する、としか考えていない。だからこそ余計な私情を交えずに淡々と業務を処理できたという自負はある。
会見の場に立つとそんな自負は吹き飛び目の前が真っ白になった。物理的な圧力すら感じるカメラのフラッシュと、浴びせられる暴力的な視線に思考が白紙化した。今時のカメラでもこんなにフラッシュを焚く必要があるのかと現実逃避気味に考えていた。
「夢遊症の原因は現実逃避です――」
前川は滔々と事実を語った。
夢遊症は現実で追い詰められた人が強く現実逃避することにより発生する。
眠った人は都合の良い夢を見せられ自分から起きることはない。
眠っているうちに肉体は衰弱し、いずれは死に至る。
「予防は簡単です。夢の世界へ行くことを恐れてください。夢の世界へ行かないと意識を強く持ってください。それだけで大丈夫です」
「簡単な予防法があるならなぜ国民に周知しなかったのですか! この惨事はあなたの責任です!」
「周知しなかった理由は、そもそも夢遊症に罹患しうる人が少数だからです。また、大勢の人々が夢の世界を拒絶した場合、すでに罹患した方にどのような影響があるか分からなかったからです」
「罹患しうる人が少数と言いますが、現に何百人と罹患しているんですよ!」
「これまでとは明らかに違った症状の現れ方です。原因を解明するため研究を進めています」
非難されても前川は淡々と説明した。慌てたり言い淀んだりすればつけ入られることは目に見えていた。嘘も誤魔化しもなく知りうる限りの事実を伝える。
前川が真実を話すと決めたのはひとえに保身のためだった。自分のためでもあるが、研究所の職員のためでもある。
嘘というものはバレる。これほど大きな事件として表面化した以上、しつこいほどに詮索されるだろう。
もしも前川が誤魔化したとして、それがバレた時にしわ寄せを喰らうのは職員だ。命に関わる問題について嘘の発表をしたとなれば国民総出で職員を殴るだろう。暴行されるかもしれない。職も失うことにもなりかねない。再就職しようにも社会的な信用は失墜しているので難しいはずだ。
前川に選択を強いた二人のことはどちらも信用していない。責任を負うつもりがあるなら自分が説明をすることが出来る立場であるのに、どちらも前川に会見を押し付けた。問題が起きても何ら手助けは望めない。
暴力的な視線と言葉を叩きつけられつつも前川は淡々と説明を行った。その姿を反省が見えないと言われたが何も反論しなかった。常に最善を尽くしていた自覚があるので反省していないのは事実だ。前川は堂々と胸を張って受け答えした。
しかし。
「はい、申し訳ありません」
「現在調査中でして、ご迷惑を」
「おっしゃる通りです、すみません」
研究所への電話は鳴りやむことはなかった。前川が会見を行った日から勢いを増している。
頭のどこか冷静な部分は穏やかに告げる。前川が会見をした際に肩書が露出した。漠然と不安を抱えていたがどこに向ければいいのか分からなかった人々や、サンドバッグをさがしていた人たちが鬱憤を一斉にぶつけているだけだと。
そう頭では理解していても自分が悪かったのではないか、失敗したのではないかという考えが頭をよぎる。電話対応を担当する職員は前川のせいではないと言ってくれるが、ただ気を遣っているだけに思えて仕方ない。ふとした拍子に目があえば自分を責めているのではないかと感じてしまう。
外部への対応に人手を取られて研究は滞った。前川自身も電話対応をしようと申し出たところ部下に止められた。前川は仕事相手ならともかく一般人相手の電話対応はほぼ未経験である。出たところで火に油を注ぐことは目に見えていた。
夢想世界への侵入はトーマの手の内を暴かない限り即座に送還されてしまため無意味。研究をしようにも人手が足りない。外部への対応は部下たちが行っている。
前川は手持無沙汰になった。仕事はあるのだが、周囲の様子が気になって手がつかない。
ぼんやりした姿を見せていては示しがつかない。前川は席を立った。
行く当てはなかった。職場内では結局職員の目に触れる。外に出るのは論外だ。マスコミに見つかってまた叩かれる種になる。
「……やあ、こんにちは」
迷いながら歩き続け、たどり着いたのは高見徹也の病室だった。
高見は目覚めた直後はまともに会話もできなかったが、今は落ち着いている。ほとんどしゃべりもせず、静かに頭側が高くなったベッドに横たわっている。
すでに夢想世界で起きたことの聴取は終わっている。フィオナが高見徹也の娘、沙雪だったことも、五年もの間命がけで助けようとしていた娘に殺されたことも聞いた。
高見は前川が突然訪れても驚いた様子もなくちらりと目を向けるだけだった。
前川はベッドの横の丸椅子に腰かけた。
「どうも大変なようですね」
「ええ、まあ」
何か話そうと思っていたわけではない。前川が座って何を言おうか考えていると高見の方から話しかけてきた。
驚きしどろもどろな返事になる。高見は報告こそしたが、最近は何もしないでぼんやり過ごしているばかりだった。主体的に会話をしようとするとは思っていなかった。
高見は前川の方を見ていない。じっと正面を見据えている。
「ずいぶん追い詰められているように見えます」
「そういう高見さんはずいぶん落ち着きましたね」
目覚めた直後の高見は誰から見ても様子がおかしかった。突然大声を上げて泣きだしたかと思えばぼうっとした顔で食事もとらない。誰かに話しかけられてもまともに応対しなかった。
今は全く違う。視線をよそに向けているが、これまでの何も考えていない様子から一転して思案しているようだった。
まるで五年前、夢想世界へ行かせろと前川に掴みかかった時のような目つきをしている。
「少し愚痴に付き合ってもらっていいですか? 時間はあるのでしょう」
前川は苦笑した。前川は仕事が手につかなくて逃げてきているだけ。仕事がないわけではない。
かといってここで帰っても気になってまたぞろ仕事が手につかなくなる。
高見は沈黙を肯定と受け取り話し始めた。
「先ほど、娘の同級生が来たんです」
「ああ、たまに沙雪さんのお見舞いに来てくれてる子がいましたね。名前は確か、牧野さんでしたっけ」
夢遊症患者の見舞いに来る人はあまりいない。夢遊症に罹患する人の多くは現実の人間関係に問題を抱えている。未成年の場合は親が来ることもあるが、眠っている期間が長くなるほど見舞いに来ることは減る。
そんな中、沙雪だけは定期的に見舞いが来ていた。中学からの同級生という牧野晴瑠である。
「私が目を覚ましたと聞いてお見舞いに来てくれました」
「それは、よかったと言うべきか、申し訳ないと言うべきか」
入院している患者の名前や家族構成、症状は当然ながら個人情報である。安村から聞いていたが個人情報の管理が甘すぎる。出入り業者の整理という仕事が増えた。
「私はありがたかったですよ。……牧野さんは平気な顔をしていましたが、一言こぼしました。『友達がいの無いやつですよね』と」
高見は力の入らない両手をぐっと握りしめた。
「私は知らなかった。娘にどんな友達がいるのか、学校で何をしていたのか。何も知らずにつれ戻せばいいとしか考えていなかった。……だから、沙雪が自分の意思で眠っていると聞いてもまともに説得ひとつできなかった」
沙雪を起こさねば、と焦るばかりでその理由を何も考えていなかった。
たとえばの話、ハルが見舞いに来ていると知っていればそのことを言えた。当真が沙雪にとってどれだけ大きな存在か知っていれば同調して話を聞くことができたかもしれない。話を聞ければ説得する材料を探せたかもしれない。
沙雪に殺される直前、目が合った。恐ろしく冷たい視線だった。ほんのわずかでも親しみを感じている相手には決して向けない、憎悪と敵意がこもった視線だった。
娘から向けられた本気の殺意は人形が振り下ろした神刀と共に脳へ突き刺さった。凍てつくような冷たさはあまりに明瞭な拒絶を高見の心へ刻んだ。
沙雪は高見だけではなく現実世界のすべてを拒絶していると否応なく理解させられた。
高見は娘がそれほど現実を拒絶するまで気付けなかった自分の愚かさを呪った。何があっても娘を現実世界に連れ戻すと誓っていたが、それはただの自己満足でしかなく、沙雪にとっては迷惑でしかない、現実に戻ったら自殺するほどの害悪なのではないか。そう考えるとたまらなかった。
高見は身を起こす。衰弱した体に力を込めて背筋を伸ばし、前川に向かって頭を下げた。
「前川さん、お願いします。私にもう一度夢の世界へ行かせてください。私は娘に伝えなければならないことがある」
それはめちゃくちゃな頼みだった。
高見の体はすでに壊れかけている。高見は他の悪魔と違い、ずっと夢の世界に留まっていた。だからこそ夢遊症罹患者を救出するノウハウを蓄積し、悪魔の中でも最大の成果を上げることができた。
一方で、眠り続けていることは夢遊症罹患者と同様である。国都大学付属病院で処置を受けているとはいえ衰弱は免れない。五年前の写真と並べても同一人物と分からないほど痩せこけ、老け込んでいる。年齢が高い分、安村よりも衰弱が激しい。再び夢の世界へ入った場合、反動で死亡するリスクが極めて大きい。
夢の世界への再侵入を試みた安村が戻らないという前例ができてしまった今、さらに高見を夢の世界に放り込み、もしものことがあれば前川は社会的な死を迎えるだろう。
「いいよ」
前川はあっさりと頷いた。
夢遊症研究機関の首席研究員として会見に出ただけなのだが、すでに前川の社会生命は風前の灯である。悪意を感じるほどの性急さで、夢遊症は前川が蔓延させたように報道されている。
すでに終わったも同然の社会生命と引き換えに、これまで何人も夢の世界から救い出した高見に娘を起こす機会を与えられるなら安いものだ。
ふう、と無意識にため息が漏れた。高見が無事に娘を連れ帰ったとしても、危険を承知で夢の世界へ送り込んだ前川への批判は必ず発生する。高見の申し出を認めようが認めまいが前川の行く末は大して変わらないだろうが、罵倒される未来を想像すると憂鬱になった。
「ただ、行くなら早い方がいい。私はそう遠くないうちに更迭されるだろうからね。他の人が責任者になれば許可は下りないだろう」
世間的な非難が集まっている今、前川は不満のはけ口として懲戒処分を喰らってもおかしくない状況にある。今まだ主席研究員でいるのは当面続くであろう非難をかわす盾にするためだ。この状況では後釜だって見つかるはずがない。前川から辞職を申し出ても却下されるだろう。
国民は飽きっぽい。一か月ほど経った頃に適当な芸能人のニュースでもあれば注目は逸れるだろう。その時前川はひっそりと懲戒処分を受けることになると目に見えていた。
「いざとなれば向こうへ行ってみればいかがですか」
懲戒を受けた後の身の振り方を考えて遠い目をしていた前川になんてことないふうに高見が言った。
「向こうというのは、夢の世界ですか」
「はい。あちらもそう悪いものではないですよ。もともと前川さんたちもそういう用途を想定して研究していたのではないですか」
前川たちは夢の世界を研究していたのは、エンターテインメントやセラピー目的で使用できると考えていたからだ。
「夢遊症に罹患してしまえば合法的に職責から逃れられるでしょう」
「……いや、それは……いっそいいかもしれませんね…………」
問題は多い。逃げて良いわけはないのだが、建設性のない八つ当たりをされている身としては国民のために、なんてお題目を冗談でも唱えたくない。
「しかし、私が夢の世界と繋がっている人間なのかどうか」
「繋がっていますよ、前川さんも。一度繋がりを断ち切られた私と違い、強く望めば行けるでしょう。なに、心配はいりません。しばらく経ったら私が救出しましょう。そのあとは療養中とすれば時間稼ぎになります」
「……はは」
高見も前川も他人の弱さに寛容な人間である。自分の弱さから現実逃避した人間を山ほど見てきたのだから弱さへの理解が深まっている。
同じ状況でも感じるストレスは人によって違う。あの人は耐えたのだから、責任があるからと真面目に戦ってしまう人ほどひどい壊れ方をする。そんな実例をいくつも知っている。
すでに前川は夢の世界へ行くことを前向きに考えてしまっていた。
「そろそろ失礼します。実は暇なわけではないんですよ」
「はい、お体には気を付けてください」
「高見さんこそ。夢の世界へ入る前に体を壊したら元も子もない」
「肝に銘じます」
前川は高見の病室を後にした。その直後に高見が再度夢の世界へ向かう許可が下された。




