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45.最悪の目覚め

2022/2/12 一話目の投稿です

 目を覚ました時、しばらく何が何だか理解できなかった。

 視界は白一色に染まりきぃんと耳鳴りが続く。どくんどくんと鼓動がうるさくて呼吸が荒くなる。自分がどんな体勢をしているか不確かで周囲の音が聞き取れない。

 まばたきのたびに視界が明滅し、景色が輪郭を帯びていく。耳鳴りが収まり傍らで白い服を着た人が何か言ってると認識できるようになった。

 体は動かない。感覚があるのに力が入らない。はっきりしてきた目に映るのは白い天井と照明が放つ光だった。

 この時点では記憶が混乱していて状況を飲み込めていなかった。直前に命を失うほどの衝撃を受けたのだから仕方ないと言える。

 ただ、それでも腹の底からせり上がるような悪寒があった。目にしたくない何かがすぐそばにあると本能的に感じていた。いくら息を吸っても肺に空気が届いていない気がする。

 重い腕を無理やりに動かす。


 皮が余ったような干からびた手がそこにあった。


「……………ぁっ!!」


 腕を上げていられず顔に手が落ちた。声にもならない声が喉から溢れる。胃に何か入っていれば吐いてしまったに違いなかった。

 忘れていたかった記憶と現実に触れた安村は力なく涙を流した。


―――


 日々は怒涛のように過ぎていく。

 まず状況の説明があった。安村は国都大学付属病院に入院し、治療を受けていた。看護師たちが面倒を見てくれていたと言っても年単位で動いていなかった肉体は衰えている。しばらくは自力で歩くことも難しいだろう、とのことだった。

 鏡を見るとかつての丸さは見る影も無くなっていた。点滴で必要な栄養を補充していただけの体は枯れ木のように細い。かつての名残は皮膚が余っていることくらいである。実際に寝返りを打つことすら難しい状態では医師の言葉に反論する気にはならなかった。

 体の状態だとかリハビリの日程だとか、詳しく説明してくれたが安村は聞き流していた。

 何をする気力も湧かなかった。夢と現実のギャップが大きすぎた。

 グレンは誰より強く、みんなに頼られ、愛する人と並び立っていた。

 安村はあまりに弱く、一人では立つこともできず、見舞いに来る人すら誰もいない。


「失礼します。お見舞いの品をお持ちしました」


 ぼうっとベッドに横たわっていると看護師が籠を手に病室へ入って来た。

 籠の一番上にはゲーム機があった。その下には何本ものソフトが入っていた。


「こちらは安村さんが目を覚ましたら渡してほしいと預かっていたもので――」


 看護師の言葉は耳を左から右へ通り過ぎていった。

 安村の視線は籠に注がれていた。ゲーム機のすぐ下、ソフトの一番上にはフェイタルクロニクルがあった。

 全身がカッと熱くなった。猛烈な羞恥と怒りがこみ上げる。

 これを用意した誰かは安村の部屋を勝手に覗き、フェイクロをエサにすれば飛びつくだろうと思ったのだろう。


「安村さんが連絡をとっていいならば」

「やめろ」


 噛みしめるように声を出した。そうでもしなければ怒鳴り散らしてしまいそうだった。

 見舞いに来るような人に心当たりはない。家族も友人もいない。

 次に考えられるのは親戚たちだ。親族が夢遊症なんて病にかかっただけでも外聞が悪いのに、昏睡から目覚めた身寄りのない親族を放置していたとなればさぞ世間体が悪いだろう。それが嫌で安村の部屋に立ち入り、食いつく餌を探し、安易にそれを与えようとした。そうとしか思えなかった。


「ですが」

「やめろって言ってるんだよ!」


 食い下がられ、結局安村は怒鳴ってしまった。声はみっともなくひっくり返っていた。勢いで振った腕は籠に当たりゲーム機とソフトを床に散らばらせた。

 やってしまった、と即座に思った。看護師は何も悪くない。ゲームを届けたのも頼まれたからで、普段かいがいしく世話を焼いてくれている。これはただの八つ当たりだ。


「もし気が変わったら声をかけてください」


 看護師は表情を変えずにゲームを拾ってベッド横の台に置いた。持って帰ってほしかったがあくまでも安村への贈り物なので勝手に処分はできないらしい。捨ててくれと言いたかったが八つ当たりしたバツの悪さでとっさに言い出せなかった。

 片付ける気力は湧かず視界の端にゲームは残り続け苛立ちを募らせる。


 ある日のことだった。いつも通り清掃員が部屋を掃除していった。

 掃除が終わり清掃員は出て行ったが、その日は中途半端にドアが開いていた。

 安村は外の声が聞こえてくるまで気付きもしなかった。


「ねえ、どうだった?」

「抜け殻よヌケガラ。ずいぶんおとなしいわ」

「あんな出来損ないを置いておいてどうするのかしらねー」

「しっ、誰か聞いてるかもしれないわよ」

「どうせ聞いてても何もできないでしょ」


 ぎゃはは、と品の無い笑い声が耳に届いた。


「そっちのはどうだった?」

「起きてリハビリ頑張ってるらしいけど……ねぇ? 一回現実逃避した人でしょ?」

「どんなに頑張ったってたかがしれてるわよねぇ」

「頑張るふりするだけで生活費もらえるんだからうらやましい限りよねー」

「やだ、何言ってるの。ぼけーっと寝てるだけでももらってるわよ」

「そうだったわね。いいわよねえ、自分が世界で一番不幸ですーって顔してるだけで生きてけるんだから」

「ほんとよねえ」


 よく響く甲高い声は徐々に遠ざかり聞こえなくなった。

 リハビリをさぼりがちな安村は体こそ衰弱したままであるが頭はもう目が覚めていた。有り余った時間のおかげで余計なことを考える余裕がある。


 きっと清掃員たちいつもあんな会話をしているのだろう。たまたま安村の部屋のドアが開いている日に限ってペラペラ喋っているとは考えづらい。

 彼女らは安村が夢遊症であることを知っているふうだった。患者の個人情報を喋ったことを上司に報告されたら立場が危ういはずだ。安村がこうして聞いていると想像もしていないだろう。

 これほどの迂闊さだ。個人情報保護に対する意識が薄いことは想像に難くない。上司にバレないように話す、くらいの感覚だろう。病院に勤めている人間として、仕事の愚痴を言いふらしている姿が簡単に想像できる。

 そして彼女らと話す相手は彼女らと大して変わらない知能程度で、無駄に大きな声をしている。『病院に勤めている人の話』を面白おかしく言いふらす。

 偏見が生まれる過程なんてそんなものだとネット越しでも理解できた。


 現実に戻ったことを嫌に思っていたが、それだけだった。明確な目標もなく嫌だ嫌だと考えるだけで怠惰に過ごしていた。

 安村の意識が切り替わる。こんな世界はさっさと捨ててしまいたいと心から思う。

 現実世界を嫌うだけではなく、積極的に拒絶する意思が生まれた。


 ならどうすればいい。どうすれば夢の世界に帰ることができる。

 悪魔たちは夢遊症に罹患せず夢想世界へ侵入した。立ち入る手段そのものはあるはずだ。

 たとえば自分が悪魔になるとか。


 安村の目に火が点る。

 その日から安村はリハビリに積極的に取り組むようになった。

 安村は自分が悪魔になりたい理由をでっちあげることができる。まだ友達が夢の世界に残っているから起こしたいとでも言えば説得力があるだろう。

 しかし、ずっと抜け殻だった人間がいきなりそんなことを言い出したら怪しいことこの上ない。安村なら疑う。

 だから体を鍛える。悪魔たちを信じさせることができても、最低限の体力がなければ病院は安村の行動を許さないだろう。前向きに努力して現実世界に馴染もうとしていると思わせることができれば悪魔たちを欺きやすくなる。

 病室から出るとより多くの陰口が聞こえるようになった。夢遊症患者専用のリハビリ室はない。他の患者やその家族の目に触れればこそこそ話す声が聞こえる。いい歳こいたおっさんがまともに歩くこともできない姿を嘲笑する声はいつだって聞こえた。どこから漏れたのか安村が夢遊症罹患者であることをあげつらう声も聞こえた。


 笑いたければ笑えばいい。お望み通り、こんな世界からさっさと出て行ってやる。


 安村は気にしなかった。この時点で安村のメンタルは無敵の人に近い。できれば夢の世界へ戻って安らかに死にたいが、今誰かに殺されても構わない。自分が何をして誰に迷惑をかけることになっても気にする理由がない。迷惑をかけたくないと思う相手が存在しない。外聞を気にする必要はなかった。




 結果として、安村は夢の世界へ戻ることになった。

 悪魔の多くは反対していた。安村を疑っている者もいたが、それ以上に夢の世界への再侵入が危険だからだ。

 夢の世界はどんな理由であれ一度世界を出たものを拒むようになる。そう判明する前に再侵入を試みた人は精神に大きな傷を負った。肉体・精神共に弱っている安村では耐えられない確率が高いと思ってのことだった。


「いいんじゃないかな、ものは試しだ」


 背中を押したのは国都大学夢遊症研究室の首席研究員、前川武和だった。


「とはいえ安村さん、我々は立場上あなたを死なせるわけにはいかない。まずは体力づくりをしてもらいます。その後、試験に合格したら夢の世界へ戻れるか試してみるというのはいかがでしょう」

「それでいい」


 安村は一も二もなく頷いた。

 まともな人間なら安村を夢の世界へ戻すような真似はしない。前川が嘘を言っている可能性を考慮してもこれ以上のチャンスがあるとは思えなかった。


 前川は自分で言った通り、ものは試し程度で言っている。

 これまで夢遊症から目覚めた人の中に夢想世界へ戻った人はいない。

 戻りたがるほど現実逃避が激しい人はリハビリをろくにしない。夢想世界への再侵入を試みて失敗すればそのままショック死するような人ばかりだった。それでは実験もできない。

 一方でリハビリを頑張る人は、夢想世界で自分の悩みに一定の答えを出し社会復帰を目指している。再度現実逃避しようとしない。


 安村の目の前に餌をぶら下げて、それでリハビリを頑張ってくれればいい。夢想世界への再侵入が成功すれば新しいデータが取れる。失敗しても安村のリハビリが進行するのだから損はない。

 安村なら戦力になってくれるという打算もある。安村は再度現実逃避するために夢の世界へ戻りたがっている。しかし安村がいなくなった以上、夢の世界は安村が理想とする姿から大きく変わっているはずだ。安村にそれを受け入れる度量があるとは思えない。うまく転がればシャングリラを熟知している安村を味方にすることができる。夢の世界での肉体を扱う技量も年季が違うだけに味方となれば心強い。

 シャングリラに残ろうとしても強制覚醒措置を行えばいいだけの話だ。


 安村はますますリハビリに打ち込むようになり、前川が要求したラインを越えてきた。

 前川は約束通り安村を夢の世界へ送り込んだ。強制覚醒措置のことは伝えなかった。

 夢の世界へ戻った安村は再侵入の反動で片腕を失くし体のあちこちに不具合を抱えていたがすぐに慣れ、研究所が雇った元警官や元自衛官に比べても遜色ない動きを見せた。前川たちにプロゲーマーなど仮想の肉体の扱いに長けた者を救出部隊に加えるべきか考えさせるほどだった。

 安村が単独行動を始めることも想定内だった。他の救出部隊員が尾行して侵入経路を調査した。


 変わり果てたシャングリラを見て、自分が築き上げたものが他人の妄想に塗り替えられているのを見て絶望するか。それとも現実よりはマシと馴染んでしまうか。

 夢遊症患者の救出に協力的になるなら良し。シャングリラを崩壊させてくれても良い。他の転生者を救出する上でメリットとなりうる行動を取るうちは夢の世界に置いておく。夢の中に居つこうとするならさっさと強制覚醒を行う。


 どちらでもいい。そのはずだった。


「安村さんの強制覚醒、失敗しました」


 前川の打算はあえなく崩れ去った。


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