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44.トーマと安村

 トーマは高見に首を斬られた後のことをよく覚えていない。寝起きのように意識がぼんやりして、頭と体が分かれた自分の体を俯瞰していた。

 次第に周囲が暗くなり自分の体が見えなくなっていく。自分が水に沈めた泥団子のようにもろもろと崩れていくのが分かった。

 崩れていくことに恐怖はなかった。抵抗しようと思うこともなく意識が真っ暗な底に沈んでいく。

 やがて周囲は黒に染まり何も見えなくなる。しばらく後には自分もこの闇に溶けていくのだと感覚的に理解できた。


 ふと、引っ張られるような感覚があった。

 抵抗する気力もなくそちらへ引き寄せられる。

 だんだん弱くなる力に引っ張られていると真っ暗な中に小さな小さな白い球体があった。

 球体が見える距離にたどり着いたところで引き寄せる力はなくなった。

 意思も気力も無くなっていたが、ほんのわずかに残った衝動に促されるままに手を伸ばす。

 白い球体に触れると、それはするりとトーマの中に入って来た。まるでもともとそこにあったくらいの自然さでトーマの心臓の隣に居座った。


 強い衝撃があった。寝ぼけているところをぶん殴られたような混乱がある。

 急速に自分と世界の輪郭がはっきりしていく。崩れ行く意識が再構築される。

 その過程で球体から膨大な量の情報が流れ込んでくる。


 この世界のこと。転生者のこと。

 岸辺当真のこと。高見沙雪のこと。

 そして自分自身のこと。


 知らなかったことも、知っていたはずが忘れてしまったことも全て押し付けられた。

 吐き気がした。みぞおちを思いきり殴られたような痛みと不快感があった。


 転生者の情報はどれも強烈だ。知識だけではなく抱いていた感情まで伝わってくる。

 生まれつきの体質のせいで嘲笑われ、引きこもって後悔した人がいた。

 社会の方針に馴染めず落ちこぼれた人がいた。

 自責の念をもって仕事をした結果、負担を押し付けられて心が折れた人がいた。

 暴走車両に突進され事故を起こし人生が破綻した人の嘆きは申し訳なくもやるせないものだった。

 中には鼻で笑ってしまうような肥大した自意識のカタマリも転がっていたが、その苛立ちは強いものだった。


 真実を知った。トーマは岸辺当真を模して造られた人形だと理解した。

 驚きはしたがそれだけだ。生まれてまだ半年も経たないトーマはアイデンティティや自分の本質に悩む段階に至っていない。

トーマには他の人形と違い意思がある。この世界の中では人間と同じ機能が備わっている。だから人間でも人形でもやることは変わらないと割り切ることができた。


「安村さん、愛情ってどういうものなんですか」

「どうしたんだ急に」


 そんな人形が安村に問う。

 いきなり城の一室に呼び出された安村は目を白黒させる。

 安村は沙雪がいないことに気付いた。トーマのそばを離れようとしない沙雪であるが、食事の準備をするときだけは別だ。その間に尋ねたいことがあるのだろう。


「よく考えたら俺も当真も真っ当な愛情を知らないんですよね。だから一般的に好きな相手にどうするものなのかよく分からなくて」


 当真は父親を知らない。母親はいつも能面のように笑って機械的に当真の世話を焼いていた。小学校に上がった後、とあるきっかけで母は精神を壊し、まともに会話すらできないようになっていた。

 父の親族は存在するのかも分からない。当真も知らなかったことだが、父は再三の非行により家を追い出されている。親戚たちも殺人犯の関係者とみなされることを恐れて当真のことを知っても無視した。母の親族も似たようなものである。

 学校では遠巻きにされるか石を投げられるかのどちらかだった。中学校に入ってからはマシになったが、それでも警戒は最期まで抜けきらなかった。


「フィオナちゃんはトーマ君のことをあい……好きだったと思うぞ」


 言われて脳裏をよぎるのはフィオナのあどけない笑顔だ。

 沙雪が何を思ってフィオナを作ったのか、トーマはもう知っている。

 あれは演技ではない。沙雪が自分の心の一部分を抽出して作った別人と言っていい存在だ。沙雪は余計なしがらみを全て自分で抱え、トーマに寄り添い力となるべくフィオナを作り出した。

 そこにあるのは強い愛情である。仮にトーマが他の転生者と恋人になったとしても、自分の理想の恋人を作り出したとしても変わらず力になっただろう。


「あれ、真っ当な愛情だと思います?」


 愛情の表れであることは分かる。否定するつもりはない。ありがたいと心から思っている。

 でも、真っ当と言っていいか疑問だった。愛情よりも執念とか渇望という言葉が似合ってしまうと感じている。そう感じてしまうことを申し訳ないとは思っている。

 安村も腕を組んで目を閉じた。何も言い返せなかった。愛情があるのは間違いないと思うが、真っ当とか一般的といった尺度からは大きく外れている気がしてならなかった。

 恋人ですらない男が死んだ時、それを生き返らせるために異世界へ行く人間は少数派どころではないだろう。生き返らせて共に過ごすつもりならともかく、生き返らせるだけ生き返らせて自分は眠っているだけでいいなんて人はさらに少ないに違いない。


「……まあ、真っ当ならいいってものでもないからな」


 安村の返事はトーマの質問に対する答えにはなっていなかった。


「そういうもんですか」

「トーマ君は俺がこの世界に来た理由を知っているだろう?」


 現実世界の安村は引きこもりのニートである。

 生まれつき脂肪が付きやすく痩せづらい体質だった。小さい頃から腹回りは餅のようにぷっくり柔らかかった。思春期に身長は伸びたが脂肪は減らなかった。

 食事制限すればすぐに貧血になる。運動すればすぐに息が上がる。継続しても進歩は亀の歩みどころかなめくじの方が早いのではないかと思うほどだった。

 そんな安村は当然のようにいじめられた。分かりやすく劣っていて、それを自覚して背筋が丸まっているものを見逃すほど子供は優しくない。


 安村は転校したいと両親に言った。転校がダメでもそれ以外の対策をさせてほしかった。

 両親はそれを許さなかった。安村と同じ体質の父は、自分は立ち向かった、こうして会社に勤め結婚もした、ここで逃げたら一生居場所なんかできないと叱責した。

 登校を続けた結果、安村は倒れた。神経性の胃炎を発症し、同年代の子供に囲まれるとパニックを起こすようになった。

 安村の両親はようやく思い至る。息子は弱音を吐いていたのではなく真剣なSOSを発していたのだと。

 安村は引きこもりになった。それからしばらく時は流れ、両親が亡くなった。

 遺産があったので当面の生活には困らないがいつか底を尽きる。崖から飛び降りるくらいの覚悟でバイトを探し、人手不足のコンビニに勤めることになった。

 しかし安村は何もできなかった。客への挨拶もできない。レジの扱いもままならない。商品を陳列しようとすれば並んだ商品を棚から落とす始末だった。何度教わっても緊張と恐怖に体がすくんで失敗を繰り返した。

 根気強く教えてくれていた店長と先輩が、安村が使えないと愚痴っていた時にも怒りは湧かなかった。心底申し訳なく感じて仰る通りですと納得することしかできなかった。安村はバイトを辞めた。

 何もできない自分がほとほと嫌になって消えてしまいたいと願った。

 そして安村はグレンになった。


「両親は俺を思って立ち向かえって言ってくれたんだと思うが、その結果はこうなわけだ。真っ当な愛情だからって良い結果に結びつくと約束されているわけじゃない」


 きっと両親は今の安村を見たら泣くだろう。あの人たちは安村が逃げることを許さなかったがそれも息子を思ってのことだ。両親なりの愛情がそこにあった。


「真っ当ならいいってものでもないのか」

「沙雪ちゃんのことだよな」

「です。できればプラスアルファ乗せたいんですけど、どうしたら喜ぶんでしょう」

「俺みたいなヒキニートに年頃の女の子が喜ぶものなんて分からんよ」

「安村さんが喜ぶものも知りたいんですけど。何か手掛かりになるかもしれないですし。安村さんが現実に戻る気になる可能性だってゼロじゃないですよね」

「……まあ、それくらい考えるのはやぶさかでもないけど」


 安村は現実に戻るつもりが微塵もない。未練が何一つないのだ。両親は死んだしきょうだいもいない。親戚からは鼻つまみ者として扱われている。オンラインにもオフラインにも友達はいない。

 時間を持て余した安村はオンラインゲームにも手を出したがほとんど人と交流しなかった。ゲームで知り合った人たちはみんなゲームを楽しんでいた。一方安村は現実逃避の暇つぶしとしてゲームをしていた。その温度差を自分も相手も感じ取り深く関わることをしなかった。

 安村には趣味と言えるものがない。温度差を感じた時、ゲームも漫画も有り余る時間を潰すために手を出しているだけだと痛感させられた。遊んだゲームの新作が出ると聞いても心は揺れもしないだろう。好きなゲームフェイタルクロニクルは制作会社が倒産しているので新作が出る可能性すらない。

 自分由来でも他人由来でも生きたいと思う理由がなかった。

 そう言って会話を断ち切ってしまうのは大人げないし情けない。慕ってくれる相手の力になりたいと思う程度の社交性は残っている。なんとか回答をひねり出す。


「夢遊症に罹患したことへの偏見は嫌だった。……ごめん、答えになってないな」


 トーマに尋ねられたのは喜ぶことだ。質問への答えとして不適切だと頭を下げた。


「いえ、聞きたいです。よく考えたら俺、夢から覚めた後にどうなるのか分かってないんですよ。だから気になります」


 トーマには現実での出来事を覗き見る権限がない。万能なのはあくまでも夢の中だけだ。

 なら、と安村が話そうとしたところで沙雪の気配があった。食事の準備が出来たらしい。


「また今度……にする必要もないのか? 俺の記憶を読めるかな」

「安村さんが許可してくれれば」

「じゃあいいよ。あんまり見られたいものでもないけど、その代わりの約束をもらっているからな」


本編を概ね書き終わったので一気に投稿していきます。

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