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42.高見沙雪④

11/21 3話目です。

ソシャゲなんかでも日付は午前五時に変わったりするからセーフのはず。

 それから沙雪の記憶はあいまいだ。通夜にも言ったのだが、当真の遺体はエンバーマーでも手の施しようがない状態だったため、会場にも遺影が飾られているだけだった。機械的に焼香し息苦しさを覚えながら帰路についた。

 学校に行っても家にいても夢の中を歩いているような不安定さがあった。音を聞いても物に触れても輪郭がはっきりしない。

 ハルは随分世話を焼いてくれた気がする。教科書を忘れることがあれば貸してくれた。後に聞いた話だが、席が遠い時には別クラスの愛に声をかけて用意してくれたこともあったという。

 一か月ほどぼんやり過ごした。三年に進学し、当真の席に白い花が飾られているのを見ることもなくなった。

 漠然と、このままではいけないんだろうなと思った。使命感や焦燥感があったわけではなく、一般論として、誰かが死んだからと抜け殻のように生きることは良くないことだろうと思った。

 だから経験者に尋ねることにした。


「父さん、私はどうすればいいの?」


 尋ねた相手は父だった。沙雪の母は十年以上前に亡くなっている。幼児の頃の話なので、母が死んだあと父がどう過ごしていたか覚えていない。妻の死を経験した父ならば有益なアドバイスをくれるだろうと考えてのことだった。


「とりあえず、勉強に集中したらどうだ。何かに打ち込んでいれば気がまぎれるだろう」

「分かった」


 沙雪は頷いた。とりあえず、という前置きは気になったが、妻を亡くした経験を持つ先達が言うことだから素直に聞くことにした。

 父の言うことは間違っていなかった。他のことに集中している間は当真のことを考えずにいられた。ふと思い出した時には何も手がつかなかったが、そうなるのは決まって集中力が落ちている時だ。副作用が強い頭痛薬を飲んででも眠ることでやり過ごした。


 ひたすら勉強したおかげで高校受験は危なげなく合格できた。当真の死から一年が過ぎる頃には人並みに過ごせるようになっていた。

 同じ高校にハルも進学していた。沙雪の世話をしながら一緒に勉強していたおかげで偏差値が爆上がりしたらしい。

 ハルのおかげもあり、高校では普通の高校生として過ごすことが出来た。友達と一緒に昼食を摂ることもできたし、一緒に遊びに行くこともあった。

 それは三年前の沙雪が期待し、叶わなかった理想の生活だ。偏差値が高くも自由な校風の高校では髪色に難癖付けられることもなく、友達に囲まれ、疎外感を感じることがない学校生活だった。


「たかみーさ、彼氏とか作らないの?」

「うん。なんかそういうのいいかなって」

「……あの人のこと?」


 同級生の男子に告白された翌日。ハルは周囲に誰もいないことを確かめてから小声で問いかけてきた。

 主語も述語も目的語も不明確な問いだった。質問のていをなしていない。

 しかし、沙雪には意味が正しく伝わった。


「岸辺のことは断る口実に使っただけだよ」

「……そっか」


 告白された沙雪は「好きだった人が死んでしまって、今はそういうことが考えられない」と言った。

 ハルの目には、当真が死んだ後の沙雪の姿が焼き付いている。

 表面上はいつも通りなのだが、話してみると反応が鈍く、こちらを向いているのに目が合わない。階段を踏み外して落ちた時にも平然と立ち上がり、何事もなかったかのように歩き出す。さほど高くなかったとはいえ額が割れていたのに気付いていない様子だった。

 沙雪は当真のことはもう気にしていないと言うが、今だって『あの人』と言われただけで当真のことを即答した。

 ふとした拍子にあの危なっかしい沙雪が現れるかと思うと気が気ではなかった。


 大学受験は過酷だった。沙雪は高校に進学してからも勉強をしていたが、上位の大学は全国の勉強が趣味のような連中が受験する。

 勉強に集中するためには高い目標を持つことが一番だった。上位の大学を目指して懸命に勉強した。

 結果、沙雪は志望校に合格した。ハルとは違う大学になったが、大学の距離は近くたまに会おうと話していた。


 大学に入ってからの生活も順風満帆だった。

 サークルこそ入らなかったが友達はできた。成績に不安はない。一人暮らしを始めたので父親にストレスを感じることも無くなった。難しい授業や人間関係が面倒に感じることはあるが、極端に大きなものではない。

 中学生の自分が聞いても信じられないほど順調だった。障害らしい障害はなく未来は希望に満ち溢れている。多くの人は沙雪が恵まれた環境にいると思うだろうし、沙雪自身も自分が恵まれていると思っている。

 なのに満たされない。触れられる場所に幸せがあるのに手を伸ばすと遠ざかるような、ぶよぶよした何かに邪魔されて届かないようなもどかしさがあった。


 大学に入って一年半ほど経ったある日の夜、父からメッセージが届いた。

 二十歳の誕生日を祝いたいという文面だった。

 メッセージを見てもうすぐ誕生日だと思い出す。そういえば先日、友人にも祝おうと言われていた。

 たしか、誘いは断ったはずだ。先約が入っているからごめんと手を合わせた。


「私ももう二十歳か」


 父にいいよと返信し、スマホをベッドに放り投げた。沙雪も後ろに倒れてベッドに寝転がる。


「いろいろあったな」


 目を閉じれば思い出す。

 幼い頃から髪の色を理由に遠巻きにされた。当真に出会うまでは全て髪のせいだと思っていたが、今思えば自分が意固地だったせいでもあるだろう。

 中学に入ってようやく友達が出来た。当真と出会って、気を引きたくて化粧を覚えようとした。そのおかげでハルに話しかけることができた。

 好きになった人の死を経験したのも初めてだった。母は沙雪が赤ん坊の頃に亡くなっている。好きも嫌いも悲しいもなかった。

 それから高校受験して大学受験して今ここにいる。


「……いろいろ、あったっけ?」


 いろいろあったはずなのに思い出せない。若年性健忘症かと思ったが、すぐに違うと分かった。


 全てどうでもよかったのだ。


 沙雪にとってかけがえのない時間は当真と出会ってからの一年だけで、他は覚える価値すらなくなっていた。

 小学校までの記憶は何一つ楽しいことが無かった。学校は苦痛だったし父親も何を考えているか分からない。家にいないから話す機会も無いし、家にいたらいたでどこか恐ろしかった。

 当真が死んでからはずっと勉強をしていた。当真の死から意識を逸らすために必死に没入したが、勉強して何がしたいわけでもない。手に入れた知識は使い道がなくひたすら空虚だった。

 友達は作った。ハルが沙雪も馴染めるよう頑張ってくれたし、父に新しい友達を作ることを勧められたので、高校でも大学でも周りに友人がいた。

 だが、その友人は勧められるまま、必要だから作っただけのものだ。名前と顔が一致しない人すらいる。仮に誰か死んだとしても一か月後にはその存在を忘れているだろう。


「私、何してるんだろ」


 当真が死んでからの六年かけて一歩も進んでいない。

 体は成長した。知識も身に着けた。けれど心は中学二年の冬のまま。

 きっと自分は当真に心を預け過ぎた。たった一年で当真以外の世界全てより重くなるくらい偏っていた。

 当真は死んでしまった。その時、当真に預けていた心の大部分は消えて巨大な空白となった。

 いくら幸せを注いだところで満たされることはない。満ちる器が無いのだから当然だ。


 自分を客観視することはできた。いつまでも中学生の頃の経験に心を縛られて前に進めなくなっている。だから過去のことは過去として置いていけばいい。記憶を過去のものとして感情を風化させることは人間の正常な機能のひとつだ。辛い記憶を忘れることで前に進めることもある。


 その記憶を忘れたくない人はどうすればいいのだろう。

 記憶のすべてを大事に抱え込んで、それだけ眺めて生きていたい人はどうすればいいのだろう。


 正常な機能だろうが必要ない。沙雪が欲しいものは過去にしかない。

 死んだ人間は生き返らない。過去に戻ることもできない。

 仮にそれらの方法を研究したとして、達成できる確率は何パーセントだろう。どう楽観的に考えても1パーセントもない。

 ありえないような可能性の壁を越えることが出来たとして、その時沙雪は何歳になっているのだろう。十年や二十年で引き当てられるほど高い確率ではないはずだ。

 仮に生き返ったとして、過去に戻れたとして、当真はきっと沙雪が自分のために人生を投げ出したことを嘆くだろう。笑って礼を言って、沙雪に見えないところできっと泣く。否定され続けて生きてきた当真は、自分に誰かが人生を差し出すほどの価値が無いと思っている。

 沙雪にとっては当真以外のすべてに価値が無いくらいなのに。


 ぼうっとした頭で考える。

 いったい自分は何がしたいのだろう。どうなりたいのだろう。


 答えはすぐに出た。当真に会いたかった。

 現在も将来もどうでもいい。医者に明日死にますと診断されてもハイそうですかと返して終わる。

 沙雪は一人で夢を見る。当真が元気に笑っている夢だ。

 そこに自分はいらない。どこかから眺めることが出来れば十分だ。むしろ当真には余計なことを忘れて、屈託なく笑ってほしい。

 教室のように卑屈にではなく、沙雪に見せる何かを諦めて乾いたようなものではなく、心の底から笑っていてほしい。

 現実では土台不可能な絵空事だ。


「……現実では?」


 かちりと何かが噛み合った気がした。幸福と沙雪の間を阻むぶよぶよした壁が薄らいでいく。

 そうだ。現実だから悪いのだ。死んだ人間は生き返らないとか、過去に戻ることはできないとか、そんなくそったれな物理法則に支配された世界が悪い。

 当真が笑って生きられるなら異世界だろうが夢の世界だろうがなんでもいい。必要なら、こんな世界は顧みることもなく捨てられる。


 何かに引っ張られるような感覚があった。

 その力は弱い。軽く首を振るだけで途切れて消えるようなか細い糸を伝って、指一本でも負けないくらいのはかなさで沙雪を引く。

 沙雪は何も考えずその糸を引いた。全力で跳び上がってその糸を伝って、その先のどこかへたどり着くことだけを望んだ。


 その過程で無数の情報に触れる。沙雪が目指すのは夢の世界であること。どれだけ夢の世界で報われても現実世界には一切反映されないこと。現実世界を放り出している間、肉体はずっと衰弱していくこと。いずれ死んでしまうこと。言葉ではなく感覚と本能で理解した。


 何を今さら。


 沙雪は迷わなかった。

 たったひとつの願い事が叶うならばそれでいい。現実で死ぬなんて些細なことだ。当真が死んでから向こう、死んだように生きてきた。この先もきっと同じようにただ生きているだけで幸せのない日々が続く。


 現実なんて必要ない。私は夢に生きる。


 かくして高見沙雪は夢の世界へ降り立った。


過去の話は終わり。勢いで書いたのでそのうち直すかもしれません。

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