39.高見沙雪①
11/7 二話目です
『他人のせいにするな』
というのはとても正しい言葉だと思う。
誰かに期待して、その期待に応えてくれなかったからといって恨むのは筋違いだ。自分に見る目が無かったと考えれば反省材料になる。頼んだことを相手がやってくれていなくても、進捗を確認していなかった自分が悪い。確認して、催促しても相手がやってくれなかったならそもそも頼む相手を間違えている。
誰かに期待するから失望することになる。誰も自分に都合よく変わってくれたりしないと理解するべきだ。必要なら他人より自分を変える方がよほど手早く確実である。
小学校を卒業する頃には誰に言われるまでもなく正論の意味を感得していた。
けれど一方で、正論はいつでも正しいものではないとも思っている。
頑張ったってできないことはある。自分の主張を曲げられないこともある。どう考えたって他人のせいとしか言いようがない困難も存在する。生まれる前から押し付けられている負債なんて対処しようがない。
誰かに非難されるたびに思っていた。
これも自分が悪いのか、と。
―――
中学校に進学して三日目の朝。教室へ向かう高見沙雪の足取りは重かった。
余裕をもって席につこうと思って早めに家を出たのが運の尽きだった。
校門のそばで生徒会役員たちが挨拶をしていた。暑苦しいのは苦手だが挨拶されて無視するほど社交性が死んでもいない。誰とも目を合わせずに「おはようございます」と返して通り過ぎようとした。
「きみ、ちょっといい?」
生徒会役員の一人が正面に立ちふさがった。言葉は疑問形だったが有無を言わさない圧力があった。現に目の前に立つ彼は沙雪に不躾な視線を浴びせている。
「なんですか」
いきなりそんな視線を向けられて愛想よく応対できるほど人間が出来上がっていない。沙雪の態度も相応につっけんどんになった。非難がましく呼び止めてじろじろ睨みつけた生徒会役員はあからさまに機嫌を悪くしていた。
「あのさ、新入生だよね。いきなり髪染めてくるって何考えてるの」
「地毛です」
「そんなわけないだろ!」
嫌味たらしい嬲るような言葉に噛みつくように即答すると、彼は沙雪を怒鳴りつけた。
相手は男子、身長も沙雪より格段に高い。威圧されれば恐ろしい。彼の大声に周囲の視線が集まり、物理的な圧力でもあるんじゃないかと思うほど突き刺さってくる。
大きい声というのはそれだけで暴力だ。正義面した人がいかにもそれらしいことを大声でのたまえば、周囲は怒鳴られた人が悪いことをしたように思う。沙雪の体感では誤解は生じさせるより解く方が百倍難しい。情報の拡散が早過ぎて、全ての誤解を解くことは不可能だとすら思う。
怖くても面倒でも、諦めて謝ったら誤解は事実として定着する。それを防ぐために弁明していると、生活指導の教師がやってきた。教師は沙雪を生徒指導室へ連れて行った。
「あのなあ、思い込みで怒ってる相手に真っ向正論ぶつけても逆上するだけに決まってるだろう。適当に笑って地毛なんですよ、学校に証明書出してるんですよ、って言えばそれで済むだろ」
「……なんで私が愛想よくしないといけないんですか。いきなり怒鳴りつけてきたのはあの人です」
「あいつは思い込みが激しいけど悪いヤツじゃないからな」
「思い込みで人を怒鳴りつけるのは悪いことじゃないんですか」
釈然とせずに頑なな態度を取る沙雪に教師はため息をついた。
「そんな四角四面だと苦労するぞ」
そう言われて解放された。
教室に到着すれば針のむしろだ。ドアを開いた瞬間に注目が集まり教室がしんと静まった。生徒会に叱られ、生徒指導室に連れていかれた人間としてすでに周知されたらしい。
同級生たちはすでにコミュニティを形成しているが、沙雪が入れそうなコミュニティは無い。近寄っただけで話しかけるなと態度で言われる。
「あんた、やるじゃん。でももっと色を地味にしてバレないようにしないとさあ」
「これ、地毛だから。学校に証明書も出してる。生徒会の人たちが知らなかっただけ」
中学校入学直後にして突っ込みづらい程度に染めた少女に話しかけられたが、沙雪の返事は木で鼻を括ったようだった。
生まれつき沙雪の髪は色素が薄い。光の当たり具合によっては金髪にも見える。それで偏見を持たれることなどしょっちゅうだった。
だからこそ正しくあろうと努力した。勉強だって頑張ったし生活態度だって品行方正。頑ななのは一度でも緩く振る舞えばそれ見たことかと後ろ指を指されるから。
こんなグレーゾーンを攻める連中と同類に見られたくなかった。ただでさえ冷たい周囲の目線がさらに冷え込むと思ってのことだった。
少女は肩をすくめて去っていった。
そんな態度すら沙雪の神経を逆なでする。
たかだか髪の色が違うくらいでなんだ。何が悪いヤツじゃないだ。苦労なんかとっくにしている。
沙雪はずっとイライラしていた。ここで母親がいないことにも言及されていたら入学三日目で我慢の限界を突破していただろう。
四角四面な性格が周囲と軋轢を生むことは分かっている。けれどそれで沙雪が融通をきかせて緩く生きていれば『片親だから』『あんな髪だし』と陰口を叩かれる。ソースは実体験。
どうせ叩かれるなら私は悪くないと言い返せるようにしたい。それで遠巻きにされることになったとしても隙を見せたくない。どっちみち根も葉もないうわさを立てられているのだから、せめて胸を張れる自分でいたい。
自席に座る。イライラしているからこそ音を立てないよう気を付けて椅子を引き、そっと座った。早めに登校したはずなのにもう授業開始間近になっていたので、苛立ちを紛らわすために教科書を開く。
すると教室の端から響く馬鹿笑いが耳を刺す。ささくれだった心にはひどく染みた。
教科書を開いたまま、横目でそちらを窺うと数名の男子が固まって騒いでいた。
その中に岸辺当真がいた。不思議で仕方ないのと同時に殊更イライラする。
沙雪は教科書を開いたまま、どうやってこのストレスに対処しようか考えていた。
―――
中学校に入って半年ほど経った。
さすがにもう髪の色を理由に絡んでくる相手はいない。生徒会で一番思い込みが激しい人と最初にぶつかったことで地毛だとすぐに知れ渡った。怪我の功名と言っていいのかもしれないが、威厳高に思い込みで怒鳴りつけて謝りもしない相手に感謝するつもりにはなれなかった。その代償として相手が年上でも噛みつく狂犬のような扱いを受けることにもなっていたからなおさらである。
生活は落ち着いたが友達もできない。
沙雪が遠巻きにされているうちにグループは構成されていった。噂が収まる頃には勢力図は完成していて、悪い噂がある沙雪が立ち入れるような状態ではなかった。無視されるようなことはないが、積極的に話しかけてくる人はいない。部活に入ろうにも大体験入部の時点で針のむしろだった。
すでに友達を作ることは諦めていた。噂や偏見で物事を判断する連中などこちらから願い下げだ、高校に入ればレベルが近い友達ができる。だから中学で友達はいらない。
なお、半分以上すっぱいぶどうである。沙雪は中学では友達を作りたいと思っていた。
その日、沙雪は映画館へ向かっていた。大規模ショッピングモールに併設されたシネコンではなく、近所のさほど大きくない映画館である。
休日に出かけるような友達はいない。恋人もいない。
かといって家にはいたくない。一人ならいいのだが、父親がいつ帰ってくるか分からない。
アウトドア系の趣味が無い沙雪にとって映画は絶好の暇つぶしだった。本屋でずっと立ち読みしていれば変な噂を立てられることもあるが、映画館なら二時間黙っていても何ら不思議ではない。
流行りの映画は同級生と出くわすリスクが高い。人の入りが少ない近所の映画館を時折訪れていた。
館長の趣味なのか、放映されている映画はマイナーなものや昔の映画ばかりである。その日放映していたのは家族ドラマだった。あまり気は進まないが他に行く当てもないのでチケットを買う。
シアターに入ると相変わらずまばらにしか席が埋まっていない。沙雪を含めて片手の指で数えられる程度だった。これで経営が成り立つのか不思議で仕方ない。もしかすると創作でよくある「オーナーが趣味でやっている」店なのかもしれない。だとしたら下手な映画よりもそんな経営が成り立つようになった経緯の方が気になる。
そんなことを考えながらぼんやりとスクリーンを眺める。
結論から言えば、沙雪にとってその映画はハズレだった。
粗暴な父親と父を嫌う娘、娘をなだめる母の話だった。
物語開始時点で父親は死んでいる。交通事故で死んだと知っても娘は自業自得、せいせいしたと表情一つ変えない。母はそんな娘の頬を叩き、父親をそんなふうに言うものじゃないと諭す。娘は酒浸りで暴力的、ろくに働かない父を嫌っていたし、そんな父を擁護し自分に暴力を振るった母にも苦手意識を持つ。
娘が成人し働き始めた頃、母が亡くなった。遺品を整理しに実家に帰った娘が母の日記を見つけたところで物語が動き始める。
日記を読んだ娘は、実は父が職場で理不尽な仕打ちを受けていたこと、それでも母と娘の生活のために働き続けて心と体を壊してしまったことなどを知る。日記には自分を大切そうに抱える父の写真もあった。
父と母の過去が回想のように流れ、娘が父と母の愛を知り涙を流し、十年ぶりに父母の墓参りをするシーンで幕引きとなった。
沙雪はエンドロールが流れ始めたところで鼻を鳴らした。
娘役の女優の演技力は大したものだった。中盤の鬱屈した女性の演技、最終シーンの憑き物が取れたような表情のギャップは鳥肌が立つほどだった。
しかし、筋書きが悪い。世間的にはどうだか知らないが沙雪の神経を逆なでするようなシーンばかりで心中難癖をつけまくっていた。
事情があるなら母親は娘を殴る前に説明しなよ。なんで日記と写真一枚でそこまで鮮明に過去のことが分かるのよ。体を壊すくらいなら仕事を辞めて失業保険なり生活保護なり他の方法あったでしょ。愛しているなら妻と娘の足を引っ張らないでよ。ていうか回想シーンの「俺は不器用だから」ってなに。不器用って自覚があるならせめて丁寧に愛情を伝えるくらいしなよ。恥ずかしくってできないっていうなら安い自尊心に負ける程度の愛情なんじゃないの?
いつもならエンドロールが終わって映画館が明るくなるまで座っているが、イライラしてさっさと席を立った。これなら父親が帰ってくるかもしれずとも家でDVDでも見ている方が安上がりだった。
画面への集中が切れると洟をすする音が聞こえた。泣いているらしい。
ごく少数の観客しかいない映画館だけに音はよく響いていた。沙雪は自分が心底くだらないと思った映画に感動して泣くような人がいるのか、と失礼な感想を抱きながら興味本位でそちらに目をやった。
「あ」
思わず声が出た。
その声は彼が鼻をすする音と同じくらいよく響いた。つまり、彼の耳にも届いていた。
「えっ」
今度は彼が声をあげた。
びっくりして目を丸くする沙雪と、涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔面をさらす彼。
驚いて二人の動きが止まる。お互いに、いやまさかそんな、この人がこんなところにいるわけない、と心中で自分に言い聞かせていると分かる。
二人が無言で固まっているとエンドロールが終わり、無情にもシアターの明かりがついた。薄暗い中では不明瞭だった輪郭もこれ以上ないくらいくっきりと判別できる。
「高見さん」
「岸辺」
号泣していたのは岸辺当真だった。
地獄のような沈黙の中、二人の心はひとつだった。
((……気まずい))
何事もなかったように終わらせたいが今動くと露骨過ぎる気がして動けない沙雪。
うっわやっべえ今ぜったいひどい顔してるなんでよりにもよってどうしてこんなところに高見が!? と静かにパニクる当真。
これが、お互い認識していても不干渉だったふたりの、最初の会話であった。




