36.娘から父へ
高見沙雪はどこにでもいるような内向的な子だった。
保育園では少ないながらも友達がいて、絵本をよく読んでいた。
高見徹也は仕事をしながら男手ひとつで沙雪を育てた。手がかからない良い子だった。
変わったのは小学校に入ってからだった。
周囲が変わり、沙雪本人も変わってしまった。
きっかけは髪の色だった。沙雪の髪は母親譲りのライトブラウンだった。それを子供たちは異物とした。
家庭環境も関わっていただろう。高見の妻は沙雪が保育園に入る前に亡くなっている。同じ保育園に通っていた子の親から小学校の保護者たちにも知れ渡った。
今時父子家庭くらい珍しいものではないが、沙雪の髪の色を見た保護者たちは「不良だ」「母親がいないから」「父親は不在がちだという」「きちんとしつけられていない」と言いがかりをつけた。
子供は親が思うより親をよく見ている。親は沙雪に対する隔意を隠しているつもりだったが隠しきれていなかった。
子供たちは沙雪を遠巻きにした。
高見がどれだけ声を上げようと子供の意識を変えることはできない。ただただ歯がゆかった。
引け目を感じて逃げてしまえば子供たちは沙雪を『殴って良いもの』だと考える。だから逃げずに胸を張るよう沙雪に言い聞かせることしかできなかった。
ふさぎこみがちだった沙雪だが、中学校に入ってから変わり始めた。友達もできた。中でも一人は今でもたまに沙雪を見舞いに来てくれているらしい。
学校に咎められない程度に髪を染める子が現れ始めたことで沙雪の異物感が和らいだことが理由だと高見は思っている。
ひどく落ち込んだ時期もあったが沙雪は立ち直った。
高校受験も成功し、厳しい受験戦争を勝ち抜き有名な大学への進学も決まった。
大学に通うため一人暮らしを始めた一年後。妻の命日に墓前でもうすぐ沙雪も成人すると報告した直後のことだった。
沙雪が昏睡状態に陥った。
二十歳の誕生日だからと、ケーキとプレゼントを買って沙雪の部屋へ行った。
ノックをしても反応がない。電話を鳴らしても出ない。メッセージアプリの連絡も返事がない。
誕生日を祝いたいと連絡をしていた。特に予定もないから来ても良いと言ってくれていた。沙雪なら急な予定が入っても連絡を入れてくれる。
高見はアパートの管理人と共に沙雪の部屋に踏み込んだ。
沙雪は殺風景な部屋の床で眠っていた。
そして目を覚まさなかった。
高見は国都大学の医師から夢遊症のことを聞いた。
耐え難い現実を前に夢の世界へ逃げ込んだと言われても信じられなかった。
沙雪は強い子だ。小学校でいじめられても、中学校で辛い目に遭っても乗り越えてきた。現実逃避なんてするはずがないと思った。
大学でよほど酷いことがあったのかと思い調べてみるもそんな形跡は見当たらなかった。尋ねた同級生に不審なところはなく、それどころか高見の調査に手を貸してくれた。みんな沙雪を心配してくれていた。
しかし、原因は見つからない。成績にも人間関係にも現実逃避したくなるような部分は見当たらなかった。
高見は夢の世界へ潜ると決めた。
沙雪が現実を捨てた理由は沙雪にしか分からない。
夢の世界から連れ出し、話をして、悩みを解消する。
それが高見の望み。自分が死ぬリスクを負っても、他人の夢を踏みにじってでも成し遂げなければならない願いだった。
―――
「どうしてまた、トーマを殺すの、お父さん」ねえ、どうして?」
数年ぶりに聞く娘の声は怒りに満ちていた。表情は取り澄ましているように見えるが内心は大荒れに暴れ狂っていると分かる。感情がオーバーフローしてうまく出力できなくなっている。
娘からの問いに高見の思考はかつてない速度で展開されていく。
トーマという名前に聞き覚えがあったが、特別気にしていなかった。特別珍しい名前でもない。芸能人あたりの名前だろうと深く考えていなかった。
しかし、娘に関係するものと考えれば連鎖的に記憶が掘り起こされていく。
「トーマ、岸辺当真……まさか、中学の同級生だった子か?」
架空のものと捉えていた名前が急激に輪郭を帯びていく。
岸辺当真。沙雪の同級生だった少年だ。他の同級生の子の名前なんてろくに覚えていないが、それでも岸辺当真の名前は憶えている。むしろ今まで思い出さなかったことが不思議なくらい印象に残っている。
「そうだよ。ねえ、答えてよ。どうしてまたトーマを殺したの」
「違う、私は当真くんを殺していない。だって、」
これまで抱いた疑問が急速に氷解していく。
現実世界で見つからない理由も、放置されているはずのトーマがこの世界で生きている理由も合点がいった。
「当真くんはあの事故でとっくに死んでいるじゃないか」
岸辺当真は沙雪が中学二年生の冬、死んでしまった。
交通事故だった。信号待ちをしている時に大型トラックに突っ込まれた。
あまりにもひどい状態だったと聞いた。遺体を見ても岸辺当真だと判別するのが困難なほどで、助かりようがなかったと。
現実世界で探しても見つからないはずだ。国都大学の捜索班はトーマが生きている前提で捜索していた。すでに死亡した人については調べていなかった。
高見たちはトーマが転生者でフィオナが人形だと思っていたが、逆だった。
フィオナこそが転生者の高見沙雪だった。
高見が首を斬ったトーマは、岸辺当真を模して造られた、沙雪のための人形だった。
髪の毛を引っ張られ顔を上げさせられる。目を動かして自分を押さえつけるものの正体が分かった。
それは人の手だった。トーマによく似た顔をした無表情のナニかが高見の体にのしかかっていた。一体や二体ではない。両手足をそれぞれ一体ずつで抑え、背中に一体座っている。計五体のトーマもどきに動きを封じられていた。
気が付けば周りにも人形がいる。トーマによく似たもの、子供が作った粘土細工のようなものと、さまざまな人形がひしめいている。
高見は生唾を呑んだ。これは世界が用意した人形ではない。沙雪が作った失敗作たちだ。
これほどの数の人形を作るために沙雪はどれほど時間を費やしただろう。現実世界の肉体を捨て置いて、どれほど命を削ったのだろう。
「……当真くんはすでに死んでいる。どれほど精巧に作られていてもトーマは人形だ」
「それがなに?」
こつこつと音を立てて沙雪は高見のそばに寄る。
「トーマはただの人形じゃない。五年間かけてようやく出来上がった本物だったの」
「どれほど本物に近くても人形は人形だ」
「人形でもいいよ。私が本物だと思えるならそれでいい。フィオナが疑わなければそれでいい。私たちにとって本物だったらそれでいい」
沙雪はそっと高見の前にかがんだ。高見の目を見据えてはっきりと口にする。
「トーマはフィオナと幸せに暮らす。それを感じながら微睡んでいることが私の幸せ」
高見は言葉を失った。
これまで何人もの転生者と対峙し、話をした。
理不尽な境遇を嘆き平穏に暮らせる場所を望んだ人がいた。思い通りにならない現実に苦しみ、思い通りになる世界を夢見た人がいた。
現実から目を逸らした彼ら彼女らの境遇は様々だが。共通している部分があった。
それは自分が幸せになりたいと願っていること。
理想的なパートナーや住みやすい環境を望む人いた。つらい記憶を閉じ込めて理想的な過去で上書きするのも彼らが望んだから。死んだ転生者の記憶が無くなることすら、転生者でも死ぬという事実から目を逸らし夢に溺れるためではないかと言われていた。
沙雪の願いには自分がいない。自分が岸辺当真と幸せになりたいなら理解できる。そういう転生者はこれまでにも存在した。
自分は眠り、自分が作った人形同士の幸せを望むなんて理解不能も良いところだった。
「理解できないって顔してる。お父さんたちはこの世界が逃避のためのものだって思ってるんだ」
「勘違いだとでも言うのか」
「この世界にいるのは、現実から逃げた人だけじゃないの。現実とは違う世界を望んだ人もいるんだ」
沙雪がそうだった。夢の世界に入る前、沙雪に現実を否定する気持ちはなかった。有名大学に合格し、人間関係にもトラブルはない。順風満帆を絵にかいたような人生だった。
ただそこには大きな穴が空いていた。どれほど幸せを注いでも素通りしてしまうような大きな穴だ。
現実世界で死者が蘇ることはない。だから死んだ人とも共に過ごせる世界を望み、夢の世界へやって来た。
「この世界で私は彼を蘇らせることを望んだ。世界はすぐに答えてくれた。……でも違った。世界がくれたのは思い通りに動く人形で、岸辺じゃなかった。だから私は自分で作ることにした」
「今も現実の体は衰弱していっているんだぞ。すぐにでも起きるべきだ。いつか覚める夢のために現実を棒に振ってはいけない」
「いつか覚めるって誰が決めたの? 今も現実の体は衰弱してるんでしょ? このまま眠っていれば衰弱死するんじゃないの? そうなればこの夢は永遠よ」
本当は高見がこの世界にやって来た理由なんて聞かずとも分かっていた。沙雪を助けに来たのだ。父親が父親なりに自分を大切に思っていたことくらい分かっている。腹が立って聞かずにいられなかっただけだ。
その証拠に高見は怒りと嘆きがまじりあった表情を浮かべている。
申し訳ないなと思わないわけではないが、目の前でトーマを殺された怒りは今も収まっていない。現実に戻る動機もない。
「なんならお父さんもこの世界で暮らす?」
「は……?」
「お父さんも現実に疲れてるんじゃないの? トーマが悪魔に違和感を持っていたのは、悪魔たちがこの世界を望んでいないから。でもお父さんにはあんまり違和感を感じていなかったみたいなの。それってつまり、お父さんも現実を捨てるくらい望んでいることがあるんじゃない?」
悪魔たちは夢の世界にとっては異物だ。この世界にいるのは現実に背を向けた人々だが、悪魔たちは違う。現実世界で生きていて、生きる意志がある人々である。文字通り生きている世界が違う彼らにトーマは違和感を覚えていた。
高見から感じる違和感は弱かった。高見が現実から遠ざかっているからである。
「なんなら私が蘇らせてあげようか、お母さん」
沙雪の手に光が灯る。
沙雪がこの世界に望んだ能力は『勇者創造』である。岸辺当真であれば特殊能力なんて要らなかったが、悪魔たちや他の転生者を見て、力があった方が岸辺当真が生きやすいだろうと判断した。
トーマが完成するまでの数年間、ひたすら人形を作り続けていた。人一人作るくらい大した労力でもない。
瞬く間に、高見の目の前に生前の妻の姿が現れた。遺影からそのまま取り出したような姿と表情だった。
「ふ……」
高見の体がわなわなと震える。目を見開き、奥歯が砕け散るほど噛みしめた。
「ふざけるなッ!」
神刀の柄が軋むほど握りしめた。視界が真っ赤に染まりそうな激怒がでたらめな力を引き出した。
高見は体を押さえつける人形を振り払い立ち上がる。そして、妻を模した人形を真っ二つに叩き斬った。
「こんな人形が母さんだと思うのか!? 当真くんのこともそうだ! 死者を冒涜するんじゃない!」
「ふざけてるのはどっち!?」
血走った目で沙雪を睨みつけた高見を、沙雪はさらに強い力で睨み返した。立ち上がり、ダンと一歩前に踏み出した。
「ねえ、私頑張った! 小学校でいじめられても転校しなかった! 岸辺が死んでどうしたらいいか分かんなくなったから、お父さんの言う通り勉強した! 友達作れって言うから作ったし、大学にも進学した! でもそれで私が手に入れたものってなに!? 頑張っても頑張っても、私はちっとも幸せじゃない!」
人形の一体が高見の腕に縋り付く。関節を固めて動きを封じ、人外の膂力で神刀を腕ごともぎ取った。
それでも倒れない高見に無数の人形が飛び掛かる。足を取られ高見は再び床に叩きつけられた。
「お父さんが言うことはきっと正しいと思うよ。現実で頑張って生きなきゃいけないんだよね。いつまでも死んだ人に囚われてちゃいけないよね。正論だよ。
でもね、お父さんの言う通りに生きても私は全然幸せじゃなかった。いじめは辛かったし、勉強に打ち込んで岸辺のことを忘れようとしてもダメだった。他の人を好きになんてなれなかった。
だから自分を信じることにしたの。誰かの言いなりとか正論通りの行動じゃなくて、自分の心に正直でいようって決めたの」
「……それがこの世界で眠っていることだと言うのか。フィオナなんて人形として生きることなのか」
「そう。だって私は邪魔だもの」
人形を作りながらずっと考えていた。本当に本物の岸辺当真を作り出せたらどうしようと。
真実を知ったら自分の死を嘆くかもしれない。起きるよう沙雪を諭すかもしれない。
そこで目を付けたのが異世界転生だった。他の転生者と同じように現実で死亡して転生したことにすればいい。強い力を与えれば生きやすいし、都合の良い設定を受け入れてもらうためにもちょうどいい。死んだことも前向きに受け入れやすいだろう。
岸辺当真にはこの世界で幸せに生きてもらいたかった。そのために余計なしがらみを消した。現実の家族の記憶も、沙雪の記憶も邪魔でしかない。真っ新な気持ちで新天地を自由に生きてほしかった。最悪、フィオナが不要と切り捨てられても受け入れるつもりだった。
「ねえ、お父さん、私のことは放っておいてよ。なんなら体なんてバラバラにして病気の人のために使ってくれてもいい。どこかの誰かに売り払ってくれてもいいからさ」
「そんなことできるわけないだろう! 何があっても私はお前を連れ戻す。私が諦めると思うな」
「……そう。じゃあ私からの最後のお願い、聞いてほしいな」
沙雪は高見の顔にそっと手を添えた。
目を伏せ、ぽつりとその言葉を告げる。
「死んで」
温度の無い言葉が脳に届くと同時に高見の頭に神刀が突き刺さった。
高見の体は砂のように崩れ去った。
前の話と一緒にそのうち微修正するかもしれません。




