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34.たった一人の生き残り

「あれ、飯田。何やってんだ? もう仕事はあがりだろ」

「ちょっとだけ、忘れないうちに調べておきたいことがあるんだ。結局俺は役に立てなかったからさ」

「ふーん、気にすることないと思うけどな。どれ『トーマ トラック』? 夢の中の名前で使ってる名前って実名とは無関係なものばっかりだろ? 調べても意味ないんじゃないか。安村さんだってあっちじゃグレンって名乗ってたんだろ」

「たぶん意味ないな。けどトーマって名前になんか聞き覚えがあるんだよ」

「そんなに珍しい名前でもなくないか? ウチの研究所にも一人くらいいそうだし、ゲームや漫画を含めればもっといるだろ」

「だな。でも検索かけるだけなら一分もかからないし、なんか分かれば儲けものだろ」

「確かに。で、なんか分かりそうか?」


 同僚に尋ねられ、飯田はエンターキーを押した。

 飯田と同僚は期待せずに画面を見つめる。三秒ほどで検索結果がディスプレイに表示される。


「……は?」

「……え?」


 二人は食い入るように画面を見つめながら硬直した。


―――


「とうとう俺だけになっちまったかー」


 エア城前の広場のベンチに座り、トーマは天を仰いだ。

 夜明けの空はからりと晴れている。日差しは柔らかく浴びていると体が心から温まる。

 それでも冷えた心は温まってくれない。心の内の憂鬱も溶けてなくなってくれたりはしない。


「……消えても困るんだけどな」


 きっとトーマが本心から悩みを忘れたいと思えば忘れられるが、それでは困る。

 トーマは深く溜め息をついた。


 ミオが殺された夜、トーマは自宅の窓を閉め切っていた。

 理由はよく覚えていないが、シャングリラ中が騒がしかった。何とかバンザイ、とか誰かを称える声が聞こえていた。

 名前を思い出せないのは称えられていた転生者が殺されたせいだろう。トーマだけならまだしも、住民の誰も称えていた名前を覚えておらず、そのことに疑問を抱いてもいないのだから間違いない。

 おそらくはミオの家で、トーマが遭遇した悪魔に転生者は殺された。


 トーマが住む家は防音もばっちりなので窓を閉め切れば外の音をほとんどシャットアウトできる。全くの無音というのも落ち着かないので防音結界までは使用しなかった。

 そろそろ寝ようかという頃合いに外から人の声が聞こえてきた。

 相当大きな声だった。シャングリラ内での犯罪発生率はほぼゼロパーセントだが、先日悪魔が街に侵入したばかりである。トーマには悪魔への警戒心が色濃く残っていた。

 フィオナの周りに強力な結界を多重に張ってから外に出た。声が聞こえた方へ進むと、ミオが住む家だった。

 ジークフリートを称える絶叫でもあげていたのかとげんなりして帰ろうとすると、窓が目についた。

 リビングの窓ガラスが割れていた。窓枠しか残っていないような状態だった。

 悪魔かと思ったが、ミオの家にいた転生者はもう死んでしまったはずだ。この家を今さら悪魔が襲う理由が分からない。かといって普通の強盗がシャングリラにいるとは考えづらい。

 悩みそうになるがその前に庭に踏み込んだ。強盗だとしても悪魔だとしても放っておくわけにはいかない。

 そして目にしたのは息絶えたミオと、血の涙を流した痩せぎすの男だった。


「なんだこれ」


 悪魔かと思って違和感を探るとごくわずかにそれらしい気配がした。勘違いかと思ってしまうほど微細な違和感だった。

 男が悪魔だとすると物取りはないだろう。どこかの工房や研究所と違ってこの家に転生者を殺すのに役立つものはない。

 悪魔の目的は転生者を殺すことだ。パートナーが消えると同時に変わり果てたミオは世界が作った人形と見て間違いない。悪魔としてではなく、個人的な理由でミオを殺したのかもしれない。


 殺人の動機を考えた時、真っ先に思い浮かぶのは怨恨だ。

 トーマが来る以前にミオは悪魔の恨みを買ったのかもしれない。

 なんとなくしっくりこなかった。悪魔は転移という原理不明の切り札がある。仮にミオが悪魔を拷問しようとしたとしても転移で逃げられて終わりだ。リスクを冒して襲うほど恨まれることが難しいだろう。


「もしかして、もと転生者?」


 ふと思いついたのは目の前の悪魔が転生者としてこの世界へ来たことがある可能性。死亡した転生者がもうこの世界へ来れないと決まったわけではない。

 思い付きだったのだが悪魔はパッとトーマから距離を取った。

 正面から見ると悪魔の目から血が流れた跡があり、泣いていたようでもあった。


「真実は、本当のことすべてじゃない」


 悪魔はそう言い残して去っていった。

 取り残されたトーマはその言葉に目が覚める思いだった。

 高見が言ったことが嘘か真実か考えたが、どこまで真実なのか考えていなかった。

 全て真実かもしれないが、半分くらい嘘かもしれない。誤解を招くように真実を部分的に伝えるなんてマンガでよくある手法だ。


 とりあえず人を呼んでミオを弔ってもらった。最近は人が変わってしまったが世話になった過去は変わらない。

 人を手配したあとは、家に帰る気になれず公園でずっと考え事をしていた。


 悪魔に殺された転生者の記憶は消えてしまう。殺された転生者の名前は誰一人思い出せない。

 けれど、一昨日からミオがやたらと誰かを持ち上げていたことは思い出せる。持ち上げられていたのはおそらく昨日死んだ転生者だ。

 その転生者について、顔も名前も思い出せないのにどんな会話をしたかうっすら覚えている。嘘丸出しの自慢話を臆面もなくされて辟易した覚えがある。

 おぼろげにでも記憶が残り始めた理由は分からない。たくさんの転生者が急に死んだため世界が記憶を消しきれないのかもしれない。あるいは根こそぎ消すとかえって不自然だという判断かもしれない。ほぼ丸一日分の記憶が無くなっていればトーマも不自然に思う。


「……本当のことすべてって何だろう」


 トーマが思い出すのはミオを殺した男のことだ。

 彼はミオを殺したがトーマを攻撃しなかった。広場でぼんやりしていても攻撃されていない。隙だらけ過ぎて逆に怪しかっただろうか。

 彼が言う「真実」は高見が語る世界の真実のことだろう。

 彼は現実世界で高見から話した内容を聞いたか、あるいはトーマと一緒に高見の話を聞いた転生者だったと推測できる。トーマは後者ではないかと思った。

 おぼろげな記憶をもとに推測に推測を重ねる形になるが、彼がミオのパートナーだった転生者で、ジークフリートにこびへつらうミオを許せず殺したと考えれば動機もある。

 根拠も確証もない。推測というより決めつけだ。自分で笑ってしまう。


「真実は全てじゃないって言うなら、高見が話したことは概ね事実なんだよな。ただ、高見にとって不都合なことを隠してる」


 高見の話がまるっきり嘘なら、高見の話は嘘だと言えばいい。本当のことすべてじゃない、なんて回りくどい言い方をする必要はないはずだ。

 トーマが考えるべきは高見が隠した不都合な真実のこと。

 ミオを殺した彼が元転生者だとすれば、この世界で死んでも現実世界に戻るという部分は真実だ。警告めいた口調からすると目覚めた際に何かしらのデメリットがある。


「現実で衰弱しきってるって言うならむしろ早く起きた方がいいよな。起きるリスクってなんだ」


 実は夢遊症というのは嘘で、末期ガンだったりするのだろうか。治る見込みがなく、起きても苦しいだけだとしたら頷ける。

 しかしトーマには大病した記憶がない。まさかそこまで込みで世界が捏造した記憶なのだろうか。

 ふと、ぼやけた言葉が思い出された。スタンフォードから声がかかるほど優秀だとか、後輩に慕われていたとか、会社の社長にヘッドハンティングされないよう懇願されたとか、嘘丸出しの与太話を転生者から聞いた。


「あ」


 ぞわりと背筋に冷たいものが走った。

 曖昧だった情報が嚙み合って一気に輪郭を持つような錯覚を覚える。

 至った推測は極めて残酷なものだった。そんなわけない、と打ち消そうとしても消えてくれない。それどころか考えるほどに深く心に刻まれていく。トーマ自身の記憶が欠けている理由も説明できてしまう。

 推測に推測を重ねた妄想みたいなものだ。あまり真に受けるな。きっと杞憂に終わる。

 自分に言い聞かせる。ここで考え込む必要はない。

 真実はまもなく分かる。そう確信していた。

 きっともうじき――


「来たか」


 爆発音。シャングリラの外壁、扉部分が破壊された音だ。見なくても分かる。

 そこからいくつもの違和感が街へ侵入してくる。


「トーマ! ここにいたの、気を付けて、」

「悪魔だな」

「う、うん、そうだけど……ずいぶん落ち着いてるのね」

「そろそろ来ると思ってた。たぶん高見もいるんだろうな」


 昨日の悪魔が一人だけでシャングリラに来たとは思えない。おそらく彼だけ先走って単独行動を起こした。

 悪魔側としてもなるべく早くトーマを仕留めたいだろう。真実を必要以上に拡散させないためにも、トーマが手遅れになる前に救出するためにも迅速な行動が求められる。

 そういった理屈とはまた別に予感があった。

 悪魔の中には高見がいる。トーマの目の前で自爆したがあれで終わりとは思えない。何食わぬ顔で他の悪魔を率いているに違いない。


「きっと今ならみんながトーマの言うことを聞いてくれます。みんなに指示を出してあげてください」

「ああ、そうなるのか」


 シャングリラにいる転生者はトーマ一人となった。

 市民は転生者を気持ちよくするために作られた人形だ。

これまではトーマ以上に市民を支配する権限あるいは欲求を持った人がいたが、もう誰もいない。

 ならば市民は全てトーマの意のままに動くということだろう。


「悪魔は三方向に分かれてる。全員転生者謹製の装備を持っているから決して侮らないように。兵士は中央を進む悪魔を……そのリーダーらしい人以外を倒してくれ。エア城前の広場より北側に住んでいる人は北側の悪魔と、南側に住んでいる人は南側を進む悪魔と戦ってほしい。無理に倒す必要はない。足止めしてくれるだけで十分だ」


 トーマがその場に立ったまま、さほど大きくもない声で指示を出すと市民は黙々と動き始めた。

 無駄口のひとつもない。全員が淡々とトーマが感知している悪魔の居場所へ向かって進んでいく。


「ははっ」


 乾いた笑いがこぼれる。

 なんだこれは。指示が聞こえるはずのない距離にいる人までタイムラグ無しに動いている。市民はトーマが頭の中で考えたことをそのまま読み取ったように一糸乱れぬ動きを見せる。全員が訓練された兵士のように統制が取れている。曖昧なイメージの部分も勝手に動いて形にしてくれる。

 市民が喋らないのはトーマがその機能を求めなかったからだ。トーマは賛美も何も必要なく、悪魔と戦う兵隊だけを求めた。だからその通りの存在として振る舞っている。


「これは勘違いするな」


 周りが気持ち悪いくらい思い通りに動いてくれる。まるで自分が素晴らしく有能な指揮官であり、偉大な人間かのような錯覚すら覚える。

 トーマはこの世界が夢であり、市民は転生者のために動く人形と認識している。だから気持ち悪いと思うことが出来る。

 もしも事前情報無しにこんな状況に置かれたら勘違いしない自信がない。きっと気持ち悪いと思えなくなった瞬間が終わりだろう。


「フィオナはこっちに来て」

「どこへ行くの?」

「エア城。広場じゃどこから狙撃されるか分かったものじゃない」


 きっと悪魔は歴代の生産系転生者が作った装備を持っている。一人一人が転生者並みの攻撃能力を持っていると思った方がいい。エア城は城だけあって頑強なので立て籠るにはちょうどいい。


「うん、指示する人は安全な場所にいないといけないものね。悪魔はみんなが倒してくれるよ、きっと」


 フィオナはほっとした様子だった。トーマがまた戦いに行くと思っていたのかもしれない。親しい人が得体のしれない相手と命がけで戦うとなれば心配だろう。戦わないと決めてくれたなら安心だ。

 自分が何かをしようとして心配されるのはむずがゆいものがある。決して不快ではないのだが、居心地が悪いような情けないような、それでいてほんのり嬉しくもある。そんなことをこの世界で初めて知った。

 教えてくれたのはフィオナだ。たとえ人形だろうが、自分の願望が作った存在だろうとそれは変わらない。何があっても守り抜くべき存在だ。


 トーマはフィオナを伴いエア城の謁見の間に足を踏み入れた。

 部屋の奥には立派な玉座が置かれている。定期的に掃除されているので埃はかぶっていない。

 謁見の間は市長が挨拶をするような時に使われるらしい。ただし玉座に座るものは誰もいない。シャングリラは民主主義だから、という名目になっているが、実際はエア城を作った転生者が趣味で作っただけのものらしい。

 座ってみるかとフィオナに尋ねるとすごい勢いで遠慮されたのでトーマが座った。ある程度の硬さはありつつもクッション性が高く、ふんぞり返るのにもってこいな椅子だった。玉座から謁見の間を見下ろすと偉くなった気分になれる。

 玉座は大きいのでフィオナにはその背に隠れてもらった。謁見の間は厳重に守られているので正面の入り口以外からは入れない。トーマもいる以上、玉座の裏は今のシャングリラで一番安全な場所だ。


 謁見の間の入り口は閉ざされているが不思議と気配を探ることができる。市民が怒号を上げて悪魔に襲い掛かり、悪魔は発砲して対応する。市民をすり抜けようとする悪魔は寄ってたかって押しつぶされた。

 その場の状況が手に取るように分かる。戦闘職でもない一般市民がアマザ王国戦の兵士よりよっぽど果敢に戦っている。腹に銃弾を受けても構わず襲い掛かる姿はトラウマものだ。悪魔たちはゾンビアクションゲームをプレイしているような気分になっているかもしれない。


 そんな中でたったひとつの気配がエア城に近付いてきている。

 市民をかわし、時に切り捨て、熟達した動きで謁見の間に迫ってくる。

 気配はエア城にたどり着く。城に入り、一直線に謁見の間へとやって来た。

 謁見の間の扉が蹴り開けられた。


「二日ぶりだな、トーマ君。約束通り今日は正面からお邪魔させてもらう」


 両手で拳銃を握った高見が姿を現す。


「約束通りって言うなら資料はどこにあるんですか? 物騒な物しか見えないんですけど」

「気にするな、目を覚ませば山積みになっている」


 トーマはゆっくりと立ち上がる。

 油断はない。素の能力でどれだけ勝っていようと高見はどんな武器を隠し持っているか分からない。手にした銃も転生者が作ったバケモノ装備だろう。自爆すら厭わない精神性が何より恐ろしい。必要であればどんな手段も講じるだろうし、トーマの想像が及ばないことをしかねない。


 高見は銃を構える。現実世界ではモデルガンを持ったこともなかったが、いくつもの夢の世界であらゆる武器の使い方を学習してきた。

 油断はあり得ない。悪魔の中で最も戦闘経験豊富な高見から見てなお目の前の転生者は怪物だ。他の転生者と違い突き抜けた能力が無い代わりに全ての能力が人間の水準を逸脱している。高見の話を聞き、冷静に分析した上でなおトーマの姿は揺るがない。何か確信めいたものすら感じさせる。その精神性は転生者にそぐわない。

 これまでシャングリラで倒してきた転生者たちとは別物であると考えなければならない。


 最強の悪魔と異色の転生者が対峙する。

 高見は深く、静かに呼吸しながら拳銃の感触を確かめる。

 トーマは瞬時に風の鎧を纏い、両足に力をためる。


 二人の呼吸が揃う。

 視線が交わり、そして弾けた。


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