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33.安村高作

9/19 2話目の投稿です。

長めです。

 安村高作という男がいる。彼は悪魔である。

 見た目は三十代後半から四十代程度の男性である。がりがりにやせ細った体に脂がにじみ、暗い表情と落ち着きなく動く視線は自信の無さを如実に示している。

 片腕がなく、視力も右目と左目で違っている。内臓にぎりぎり引き絞られるような痛みがありふらつきそうになる。

 しかしその足取りに迷いはない。人目を避けるようにしながらシャングリラの街並みを歩いていく。


 道中、トーマとすれ違った時には肝が冷えた。

 勢いでシャングリラまで来てしまったが、自分が悪魔であることを忘れていた。トーマに悪魔を感知する能力があることも、悪魔に対して容赦がないことも頭から抜け落ちていた。

 すれ違った直後、トーマは「あ」と声を出した。雑踏の中であるにも関わらずその声は安村の耳に強く響いた。

 安村とトーマは会ったことがない。気が付かれるはずはないのだが、トーマは振り返り安村の姿を追っていた。

 とっさに路地に入った。シャングリラに来て二か月程度のトーマは路地に詳しくないはずだ。加えて路地はエアの趣味で入り組んでおり追手を撒くにはもってこいだった。

 路地には誰もいない。こんな人目を避けている人間しか歩かない道を歩いていたら逆に目立つと思っていたが杞憂だった。トーマと出くわさないようにしばらく路地裏で時間を潰しながら、ゆっくりと目的地に歩いていく。


 目的地が近付く。

 見知った区域に入った。目をつぶっていても建物の様子まで思い出せる。

 心臓がばくばくと脈打つ。落ち着こうと深く息を吸うのに空気が肺に入らず息苦しくなる。

 目的地を訪れるのはおよそ百日ぶりになる。

 不思議なことだが、前に訪れた時から街の様子は変わっていなかった。

 街中に響くジークフリートを称える声の中から昨日悪魔がシャングリラを襲撃したと拾った。安村がシャングリラを離れてから悪魔は攻撃を仕掛けていない。この世界では、安村が離れてから一日程度しか時間が経っていないらしい。

 現実世界とこの世界では時間の流れが違っている。おそらく夢の世界の方が早いだろうと聞いていたが、夢の世界のことだ。安村はさほど気にしなかった。

 

 安村は夕日に照らされた一件の家の前で立ち止まった。

 立派な家だった。豪邸というほどではないが、閑静な住宅街が似合いそうなつくりをしている。住宅雑誌で理想のマイホームとして拍子になりそうな家だ。

 安村は泣きそうになった。

 実家と同じか、それ以上に馴染んだ家だ。久しぶりに見るとなんとも言えない感慨があった。

 大部分を自分で燃やしてしまったはずだが直っている。こんな世界だから一日二日で直っていても不思議はない。建築系チートがいなくてもこの世界の成り立ちを考えれば不自然なことではない。

 目的地はこの家だが、この家を見るためにシャングリラに入ったわけではない。

 安村はこの家の住民に用があった。


 大きく深呼吸して気分を落ち着かせる。ゆっくり肺に空気が行きわたるように何度か呼吸を繰り返す。

 髪は乱れていないだろうか。とっさに両手で髪を触ろうとして、一本無いことを思い出して、片手で頭に触れる。髪は乱れていないが額の脂が気になったのでハンカチでぬぐった。

 最後にもう一度息を整えて、安村はドアをノックした。


「はーい」


 返ってきた声を聞いただけで安村は再び泣きそうになる。

 どたどたと足音がする。その人が近付いてくると分かっただけで心臓を握りしめられたような緊張感がある。

 きっと会ったところでどうにもならない。むしろろくでもないことになる。そう聞いていても会いたかった。

 がちゃりとドアノブが動き、ドアが開く。

 そこから顔をのぞかせたのは黒い髪に獣耳を生やした少女だった。


「ミオ……!」


 安村は今度こそ涙した。比喩ではなく夢にも見たその顔を見て、感情が抑えられなくなった。

 うまく言葉が続かない。何か言わないと、と頭を巡らせながらも、黙っていても伝わるものがあればと思った。

 きっとあるはずだ、と思っていた。


「誰なのですぅ? 気持ち悪いのですぅ」


 変質者を見るような視線と、聞いたこともない甘ったるい響きの声に、安村グレンの願いは粉々に打ち砕かれた。


―――


「何なのですぅ、黙りこくってぇ。オマエみたいな気持ち悪いおじさんのことは知らないのですぅ。なんか用なのですぅ? 用がないなら帰ってほしいのですぅ。用があっても気持ち悪いから帰れなのですぅ」


 ツバでも吐きそうな表情でミオは言い放った。ばたんと聞こえよがしな音を立ててドアを閉めた。鍵を閉める音が鼓膜を打った。


「……は?」


 安村は呆然とその場で立ち尽くしていた。


「…………はぁ?」


 今、目の前で起きた出来事が現実だと捉えられなかった。

 誰だ、今のは。ミオはあんなことを言わない。人を見た目で侮って暴言を吐くような子じゃない。ヘドロに砂糖を混ぜ込んだような、べったりした毒のある声を出さない。

 しばらく経って安村が思い至ったのはアレがミオではない可能性だ。ミオの偽物がこの家を乗っ取ったのだと思った。

 もうひとつの可能性に思い至る。転生者が望んだパートナーも成り立ちは他の人間モドキと同じだから、パートナーの転生者が死んだ後に他の転生者が望めばその通りに姿を変えると聞いた。

 ミオの姿は変わっていなかった。姿を変えると聞いていたから勘違いしたが、中身だけ変わるということもありうるのだろうと思い当たった。


「……確かめないと」


 もしも何者かがミオに成り変わろうとしているなら放ってはおけない。

 そんな可能性は限りなくゼロに近いと分かっていながらも安村は行動を開始した。

 この家の構造は誰よりもよく知っている。悪魔を警戒して窓の鍵もしていたが、階段に面した小さな窓はかけ忘れることがあった。

 家の裏手に回り込み確かめてみると案の定開いていた。もともとの安村の体では腹回りがつっかえるような小さな窓だが、数年間寝込んでぎろぎろに痩せた体ならば滑り込めそうだった。慣れない体に苦戦しながらも家の中に入ることに成功するも、着地の瞬間にどたんと大きな音を立ててしまった。これでは侵入の意味がない。


「誰なのですぅ!?」


 鋭いのにへばりつくような声が聞こえた。同じ声のはずなのに記憶と違う響きがたまらなく不快だった。。

 侵入はバレた。もうこそこそする意味はない。安村は歩き慣れた階段を沈痛な面持ちでおりた。

 身構えながらキッチンにたどり着くと、ミオがへっぴり腰で包丁を構えていた。

 安村は失笑する。ミオはレジスタンスに参加していた。戦闘経験もある。室内での戦闘で短い刃物を使うことはあっても、腰が引けた素人丸出しの構えを取ることはない。


「お前は……さっきの変質者なのですぅ!? ジークぅぅ! 助けてほしいのですぅ!」


 ミオは大声を上げた。自分で戦おうともせず、即座に人を頼った。それも相手はジークフリートだ。

 思えばジークフリートはミオに色目を使っていた。こちらから誘ってもろくに応じないくせに、上から目線で構ってやると言っていた。

 今のミオはジークフリートの願望を反映したものなのだろう。ジークフリートを愛し、他を見下すことでジークフリートを持ち上げ、甘ったるい声で囁き、頼ることでジークフリートの自尊心を満たす。そのための人形だ。


「ははっ」


 思わず笑ってしまった。

 気持ち悪い。最悪だ。自分が好きだったものに手を加えられることはこれほど気持ち悪いと知らなかった。知らずにいたかった。

 笑いたいような泣きたいような気持ちの安村と、甲高い声でジークフリートを呼ぶミオの間にコミュニケーションは成立していなかった。

 異様な空気をガラスが割れる音が引き裂いた。

 窓ガラスを無駄にブチ破って現れたのは鎧姿の男だった。ジークフリートである。

 ジークフリートはミオと安村の間に滑り込んだ。


「あぁん! ジークぅ!」

「フッ、遅くなったな」


 ジークフリートは安村の方を見もせずにミオの髪を撫でる。ミオは恍惚とした表情でジークフリートを見つめる。安村はあまりの気持ち悪さにめまいがした。


「そいつが不審者なのですぅ。服装も黒っぽいし、きっと悪魔なのですぅ」

「悪魔、か……なぜトーマは気付かなかった」

「トーマなんて役立たずなのですぅ。頼れるのはジークだけなのですぅ」

「フッ、そう言ってやるな。トーマも頑張ってはいるんだろうさ」

「さすがなのですぅ」


 願望丸出しのジークフリートにも、媚びるための言葉を吐くミオもたまらなく不快だった。

 ジークフリートの名前を聞いた瞬間に覚悟していたが、実際に見ると想像のはるか上を行く気色悪さだった。

 頼った対象がトーマだったらまだ許せた。もともとミオとトーマはそれなりに親しくしていた。ミオがいきなり一人暮らしになって寂しそうな姿を見せたら、トーマは気にかけてくれただろう。きっとミオも今のような姿にはならなかった。


 ジークフリートにしなだれかかるミオを見ていられなかった。もう限界だった。

 積極的に転生者を殺そうとは思っていなかった。それでも転生者の救出を名目にこの世界へやって来たのだから武器はいくつも身に着けている。そのひとつ、腰に提げた拳銃を引き抜こうとした。


「遅いな」


 その瞬間、安村の腕は切り落とされた。

 もともと無理にこの世界へ来た反動で腕は一本になっていた。これで両腕とも失ったことになる。

 ジークフリートは腕を斬るだけで安村にとどめを刺さなかった。室内で振るには邪魔過ぎる大剣を抜き、安村に突きつける。


「トーマや……名前も思い出せんが、他の転生者も悪魔だ悪魔だ騒いでいたがこの程度だ。何を騒ぐことがある。冷静に対処すれば一瞬で終わることだ。こいつを尋問すれば情報だって簡単に手に入る」

「すごいのですぅ」


 ミオはジークフリートの剣を持っていない方の腕に縋り付いた。ジークフリートは得意げな顔をする。


「トーマも他の転生者もそこらのモブと変わらないのですぅ。やっぱりジークが、ジークだけが特別なのですぅ」

「フッ、そうでもないさ。他の連中もまあ、それなりだ」

「さすがジークなのですぅ。視野が広いのですぅ」

「さすがしか言えないのか?」


 べたべたする二人の間に温度を感じさせない言葉が割り込んだ。


「……なんだと?」

「転生者の望みを写す存在なんだから転生者が望んだ言葉をかけてくれるよな。気持ちいいよな。でもワンパなんだよお前。どれだけさすがって言われたいんだ? 現実じゃ誰も言ってくれなかった反動か、男城オギ光龍ミツル

「…………誰だぞれは」

「お前の名前だよ。ジークフリート? 神話の英雄気取りか? それともゲームか何かからパクったか?」

「俺の前世の名前は真暁寺夜宵だ。そんな変な名前の奴は知らん」

「知らないわけないだろ。自称前世の名前もなんだよ。そんなに自分の本名がいやだったのか、ミツルくん。そんな夜っぽい名前を名乗っちゃってまあ、本名に縛られてる感満載だなあ、ええ?」

「うるさい」

「俺は救出対象の情報を名前くらいしか知らないけどさあ、それでも分かったよ。お前、いじめられてただろ。それとも無視されてたか? 大した実力も無いのに偉ぶって、態度悪くて、周りに嫌われて孤立してただろ」

「やかましい、俺は自分で一人でいることを選んだんだ。孤立じゃなく、孤高だ」

「孤高の男がどうしてべったり女に言い寄られる夢を見るんだよ」

「っ、黙れ! ミツルなんてやつは知らん! 知ったふうな口を利くな!!」


 ジークフリートは大剣を振った。壁や天井にぶつかっても無視して振り抜ける。

 そのはずだった。


「!?」


 振りかぶった大剣は天井に引っかかった。力を込めて無理やり振り下ろすが安村はそれを横に避けていた。


「動揺してるぞ、どうしたミツルくん」

「その名前で呼ぶなっ!」


 大剣を横薙ぎに振るがその動きは遅い。運動不足の人が雪かきをするような頼りなさだった。いつものジークフリートなら考えられないことに、剣を二回振っただけで息を切らせている。


「本当のお前はその程度だよ、ミツルくん。少しは現実を、周りを見ろ」

「おれは見えてる、周りの連中がバカなだけだ……っ! だからおれの価値に気付けず注目しない」

「そうかい、そうだといいな」


 安村は目の前の相手に憐憫を感じていた。

 ジークフリートは筋骨隆々で二メートル近い長身の成人男性だった。

 心なしか身長が縮んで見える。顔も幼くなっている。中学一年くらいに見える。ジークフリートとミツルの間で揺れているのだろう。

 彼は転生者の中でもひときわ尊大で、周囲を見下すような言動を取っていた。

 転生者は理想の姿でこの世界に現れる。あの姿と態度、周囲から称賛される状況が理想ということは、現実では真逆の環境にいたと想像がつく。力が手に入ったことでごく自然に調子に乗ったのだろう。


「違う、そうだ、おれは宵闇の英雄、ジークフリートだ。ミツルなんて名前ではない。……デタラメを言って俺を騙そうとは汚い悪魔だ。死ねッ!」

「っ!?」


 自分に言い聞かせるような宣言に続いてくり出された剣は普段に近い力強さだった。まだぎこちないが直撃したら死を免れない。顔立ちも身長もいつも通りに戻っていた。

 回避に専念する安村を見て、ジークフリートは相手に反撃手段がないと判断した。そもそも両腕が無いのだから、仮に銃を持っていても撃つことなどできない。

 安村は後ろに跳ぶことで剣をかわしたがそこまでだった。背中が壁に触れる。

 ジークフリートが嗜虐心に溢れた表情を浮かべる。


「フッ、やはりこうなる結末だ。このジークフリートをくだらない言葉で惑わしやがって、嬲り殺しにしてやる。そうだな、まずは爪を剥いで、それから指を一本一本……」

「うるせえ男城光龍」

「ッ、お前――!」


 ジークフリートの輪郭が揺らぎ、激昂する。

 剣を振りかぶり、追い詰められた安村に振り下ろそうとする。

 一歩踏み出し、そしてその場に崩れ落ちた。


「……は、あっ!?」


 ジークフリートは腹に猛烈な熱を感じていた。片手を腹にやるとべったり赤い液体がこびりついていた。

 血だった。ジークフリートとしてはろくに流したことがなかった血が、だらだらと流れていた。ずぐずぐと鼓動に合わせて激痛が走る。


「鎧の強度も姿もイメージ通りか。思い込みが弱くなったらチートも失うって不便なものだな」


 安村は床に這いつくばるジークフリートを冷ややかに見下ろしていた。

 その右足のつま先からわずかな煙が立ち上っている。安村は右足に銃を仕込んでいた。


 安村が知る限り、転生者は本当に命がけで戦ったことはない。魔物が出る場所に行くことがあってもチート能力で安全が保障されている。能力が封じられるという設定があったとしても、仲間が助けてくれたりして助かるように出来ている。

 戦闘に危機感がない転生者は油断しがちになる。それは自分の身をもって知っていることだ。

 ジークフリートと対面してもどうせ嬲って屈服させようとするだろうと思っていた。転生者は自分に敵対した相手を痛めつけて心を追って優越感を得ようとするからだ。

 その隙をつけばいい。腕の一本くらいくれてやる。両腕を失った相手を見て無力化出来たと勘違いしたところを撃てばいい。


 ジークフリートは男城光龍という名前を無視できていなかった。

 銃で仕留めるには鎧の存在がネックだったが、名前を呼べば先ほどの中学生の体格に戻ると考えた。未完成の体なら鎧越しの衝撃だけでも大きなダメージになる。

 実際には名前を呼ばれただけで鎧の存在まで揺らいでしまった。安村にとっては嬉しい誤算である。


「さよなら」

「ま……っ」


 安村はジークフリートの額に右足を押し付ける。右足の先端には銃口がある。

 制止しようとしたのを無視して発砲した。

 ジークフリートの頭は砕け散った。その体はぼんやりと消えて行った。

 さて、と安村は先ほどから黙っていたミオに視線を向ける。ぼんやりした表情でその場にぺたりと座り込んだ。動く気配はない。


「……イメージひとつであそこまで変わるなら、腕も治せるか?」


 安村は切り落とされた自分の片腕のところに向かう。両腕がないことに難儀しながら切断面を雑に合わせる。

 傷が無く、思い通りに動く右腕を強くイメージする。あっさりと右腕はくっ付いていた。傷跡ひとつなく切り落とされたなんて信じられないくらい自然につながっていた。力を込めると何の違和感もなく動いた。


 あまりの自然さにかえって違和感を覚えながら安村はミオの元へ向かう。

 どうすればいいか分からないが、放っておくつもりはなかった。

 安村が近付くとミオがはっと目を覚ました。


「ひっ」


 ミオは落ち着かない様子であたりを見回そうとし、すぐに安村と目が合い、逃げようとした。腰が抜けているのかうまく立つこともできずその場でじたばたあがいている。


「な、なんなのですぅ、こいつ! だ、だれか助けてほしいのですぅ! だれかぁ!!」


 その声にミオはもう戻ってこないと悟った。

 きっと、目の前で悪魔に撃たれた時に本当のミオは死んだ。守れなかったのは自分自身だ。

 安村はもう転生者ではない。悪魔だ。世界が悪魔の希望を聞き入れてミオをもとに戻してくれるとは思えない。


「はやくぅ! だれか来るのですぅ! ミオを助けるのですぅ!」


 のです、という口癖は自分の好みを反映したものかもしれないが、言い方ひとつで雰囲気はまるで違う。こんなべたつく声音で、偉そうに言われたらいらつくだけだ。

 安村の目が据わる。好きなものをいじくりまわされて全く違う何かにされたことに対する怒りと、目の前の人間モドキに対する嫌悪感と、最初に作ったものとしての責任と、体感で十年以上の時間を共に過ごしたものに対する愛着がないまぜになっていた。

 絡み合った感情はひとつの結論を出す。

 安村は背を向けて逃げようとするミオの足を踏みつけた。それだけで動きを封じられたミオは思わず安村の方を振り向いた。

 その首を一本だけの腕が掴んだ。安村は全体重を右腕にかけてミオの頸部を圧迫する。


「あ……っ……!?」


 ミオがじたばたともがく。ミオの手が安村の頭を掴む。がりっと頭皮をひっかき、皮を破り出血させる。だらだらと流れた血は目に溜まり視界を赤く染める。

 安村は止まらない。力を緩めない。歯を食いしばりながら無言でひたすらミオの首を絞める。

 ミオの爪が安村の腕を、手を、頭を何度もひっかいた。ミオ自身の首すらもかきむしり、やがてその体から力が抜けた。それからもしばらく安村はミオの首に体重をかけていたが、ミオが窒息死していることに気付いた。

 力の入れ過ぎでかちこちになった指はなかなか首から離れてくれなかった。

 指がはがれ、背筋の力で体を起こした。

 目の前にはミオの死体があった。手には首を絞めた感触と、体温が抜けていく感覚が残っていた。

 そこでようやく、安村は自分の息がひどく荒くなっていることに気付いた。


「あ……ああ…………ああああああああああぁぁぁぁぁあぁぁぁぁ!!!!」


 叫んだ。恥も外聞もなく、これまで一度も出したことがないような大声を上げた。

 どうして叫んだのか分からない。自分が何をしたくて、どんな気持ちなのかも分からない。

 それでも黙っていられなくて、体の真ん中からあふれてくる衝動のまま声を出した。

 酸欠になるくらい叫び続けた。


「なんだこれ」


 肺の中の空気が全部なくなった頃に現れたのはトーマだった。

 そういえばミオは最期までトーマの名前を呼ばなかったな、とだけ思った。

 振り向いた安村とトーマの目が合い、不思議な沈黙が訪れた。


 トーマは砕けたガラスが散乱するリビングと、キッチンに倒れるミオの遺体を見た。その上に座る安村にも当然気付いている。

 状況が呑み込めず困惑していた。いつもならミオを殺害した人物を取り押さえてそれからどうしようか考えるところで迷ってしまっていた。

 ここはミオの家だ。レジスタンスのメンバーとして豪華な家を与えられていた。そんなミオは先日、悪魔の自爆に巻き込まれるも不自然に生き残っていた。

 トーマは、ミオは他の転生者のパートナーだったと考えた。爆発から助かったのはきっとその転生者が庇ったからだ。だからミオに命がけで守った人がいることを忘れないでくれと言った。

 目の前に座る男はおそらく悪魔だ。ほんのわずかに違和感がある。

しかし、こうして近付いてようやく感じられる程度の違和感しかない。他の悪魔と比べて違和感が少ない高見と比べてなお少ない。

 まさか、と思い至る。


「あんた、元転生者……?」

「っ!?」


 安村は我に返った。

 ミオを手にかけ、トーマを見たことでどうにもならない衝動を覚えた。

 なんで自分もエアも殺されてしまったのに、こいつらはシャングリラでのうのうと生活しているのだろう。シャングリラもミオと同じように、ジークフリートジークフリート言うように改変されてしまっていた。これからはトーマトーマ騒ぐのではないか。それはもう安村たちが作り上げたシャングリラとは違うのではないか。シャングリラはこれからも転生者を引き入れるために使われるのではないか。

 ならば、創造者として後始末をしないといけないのではないか。

 この街を滅ぼさないといけないのではないか。


 ここでトーマに殺されたらもう戻って来られない。感覚的に理解できた。

 全力で飛びのき、かつての感覚で魔法を無理やり発動する。なんとか飛行魔法を発動することができた。

 トーマの能力なら簡単に追いつき安村を始末することができる距離だが、トーマは動かず安村を見ていた。

 懐かしむような、戸惑うような視線だった。負の感情は欠片もない。

 安村の中にシャングリラを滅ぼすだけでいいのかと疑問が浮かぶ。それでいいのかと自分で自分に問いかける。答えが出ないまま、とっさに言い残した。


「真実は、本当のことすべてじゃない」


 頭の中はごちゃごちゃだった。

 シャングリラは壊してしまいたい。

 トーマごと壊したくはない。

 シャングリラへの愛着や執着、エアに対する申し訳なさが安村の中で渦を作っていた。

 安村はそれだけ叫んでミオの家を後にした。

 

 取り残されたトーマは安村の背中を目で追っていた。


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