26.遭遇
「油断してた。結界の警報で目は覚めていたんだ。けど、ミオが寝ていていいと言ってくれた。トーマもムラマサもいるから侵入者くらい追っ払ってやるって」
グレンの声は落ち着いていた。しかし周囲の炎は消えない。それどころか徐々に高温になっていく。耐熱魔法に冷却魔法を併用したトーマですら汗がにじむ。
この汗は暑さだけが理由ではない。目の前の、自分を殺せる存在が激昂していることが恐ろしい。
「その言葉を聞いて安心した。実際、ミオは強いからな。侵入者が誰だろうと何とかしてくれると思ってた。なのにあいつら、どんな汚い手を使ったんだろうな。銃声で目を覚ましたらミオに庇われていた」
声に抑揚はない。炎が燃えるごうごうとした音の中で不思議なほどよく響く。淡々と、冷え冷えした声音だった。
グレンは傍らのベッドにミオを横たえた。とても丁寧な手つきだった。そっと顔に手をやりミオの瞼を閉じる。
ベッドの横で膝を折りグレンは瞑目する。
「悪魔はどうせ転生者を狙うだろうと思っていた。これまで市民を巻き込むようなことをしなかったから、ミオの脅威じゃないだろうと勘違いしていた。……甘かった」
グレンは立ち上がる。もう熱をまき散らしはしない。炎は圧縮され、その目は剣呑な光を放つ。
「徹底的にやる。悪魔は一人残らず焼き尽くす。……まずはミオを殺したあいつからだ」
グレンは垂直に跳び上がった。抑えきれなくなった炎をこぼしながら空中で方向転換し、小さな爆発を起こし別方向へ飛んで行った。
「……やばい。フィオナ、家に結界張ってこもっててくれ!」
「トーマはどうするの!?」
「グレンさんを追う! 完全に頭に血が上ってる。誰かが止めないと何が起きるか分からん!」
悪魔は弱いが侮れる相手ではない。悪魔は自分たちの力が弱いことを自覚した上で転生者を殺す手はずを整えている。
悪魔の一人を結界と反応させることで注意を引き、隙をつく作戦だったのかもしれない。悪魔にこれ以上の策はないかもしれないが、ミオを狙うことでグレンをおびき出す作戦という可能性も否定はできない。
ムラマサのこともアズサのことも覚えている。つまり、まだ生きている。
二人も警報に気付いているはずだ。悪魔に襲われたとしても激昂したグレンよりは冷静に対応できるだろう。
念のためフィオナに強化魔法と風の鎧を付与する魔法をかけて、トーマはグレンの後を追った。
―――
「くそっ、くそっ……!」
シャングリラの外で悪魔が走っていた。いつの間にかシャングリラの隣に出来ていた森に逃げ込む。
途中までは良かったのだ。仲間の一人が自分たちを探知する能力を持つトーマのところへ乗り込み意識を釘付けにした囮の仲間は悪意を持ってシャングリラに入ることで結界に反応させた。そのことで他の転生者たちも囮を警戒し、街中で行動しやすくなっていた。
彼の担当はグレンだった。グレンが悪魔を倒し油断したところを攻撃するつもりだった。
しかしグレンは動かなかった。事前の観察でどこか疲れた表情を見て、体調がすぐれないことは分かっていた。
家にはグレンの他にミオという女がいた。グレンのパートナーである。
ミオはターゲットではない。殺すつもりはなかった。家に侵入した際に見つかったとしてもグレンを殺して即座に立ち去れば『黒ずくめの強盗が来たが何も盗らずに去っていった』と認識される程度で済むはずだった。
誤算だったのはミオが強かったこと。強化魔法を使っても押されるほどの筋力と敏捷性を持っていた。
『グレン、起きるのです!』
ミオは悪魔に気付くなりそう叫んだ。
悪魔は焦った。
グレンは強い。目を覚ましていればミサイルでも無力化してしまえるほどのふざけた力を持っている。戦いになれば勝ち目はない。
だから即座に銃を抜いた。ミオを殺害すれば今後の行動に支障をきたすと分かっていてもなお、グレンの殺害を優先すべきだと判断した。
ありったけの力でミオを振り払い、対転生者用の特別強力な銃弾を装填した銃を構え、撃った。弾丸は散弾だった。適当に撃ってもミオもろともグレンに当たるはずだった。
過去に転生者が作ったものだけに威力は尋常ではない。銃弾の運動エネルギー自体は通常のものと変わりないが、散弾の一粒でも体に入り込めばそこから連鎖的に肉体を崩壊させていく猛毒の弾丸だ。
弾丸は放たれたが、グレンには命中しなかった。
ミオがグレンを庇ったのだ。異様な速度でグレンの前に立ちはだかり、散弾が炸裂するより早く自分の体で受け止めた。
ミオの声と銃声でグレンが目を覚ました。
彼はとっさにグレンに向けてもう一発散弾を撃ったが無駄だった。今度は発砲した瞬間に銃弾が蒸発した。
彼は逃げた。呆然自失としながらもグレンは異常な高熱を放っていた。彼が持つ銃器にグレンの炎を貫けるものはない。初任務は失敗となる。
悔しかった。もっとうまくやれると思っていた。
今は逃げなければならない。この場にいても何の収穫も得られず焼け死ぬだけだ。せめて失敗した経緯だけでも報告しなければならない。
グレンは追ってこなかった。
よほどミオを殺されたことがショックだったのだろう。
これからの作戦はより厳しくなるだろう。せめて今回だけでも逃げ切ることが出来てよかった。
シャングリラから出て森に身を隠し、一安心できるはずだった。
異様な熱気を背後に感じた。全身から冷や汗がにじんだ。暑いのに冷や汗ってなんだよ、と現実逃避気味なことを考えてしまった。
振り向いて姿を確認するより逃亡することを優先した。すでに手遅れな感はあるが1%でも生き延びる確率を上げたかった。
転移による逃走も考えたがすぐに候補から外した。
「俺はまだ何もできてない……い“っ!」
閃光が走る。男の右肩を貫いた。
激烈な痛みと熱さ。右腕に力が入らなくなった。
楽には死なせないという意思を感じる。グレンが彼を殺すことだけ考えているなら森ごと焼き払うだろう。今のレーザーだって当たった瞬間に全身を燃やすことだってできたはずなのに、肩に穴を開ける程度にとどまった。傷口を焼き潰し失血死すら許さない。
彼は逃げた。恐怖と痛みで思うように動かない体を引きずっていく。
どこへ逃げればいいか分からないが、それでも己の役目を果たすために、少しでも遠くへ逃げようとした。
「逃がすわけないだろう」
もう一度閃光が放たれた。
光は彼の左足を貫いた。断裂こそしていないが大腿骨の真ん中あたりがごっそりと無くなってしまった。筋肉も焼き切れ歩ける状態ではなくなった。
彼は地面に倒れ伏した。もう立ち上がることもできないが、残った左腕と右足で這うように進む。
「トーマ君、こいつに転移をさせるなよ」
「……はい」
トーマは周囲に違和感がないか注意しながら頷いた。
グレンはトーマが悪魔を殴り倒したという話を聞いて、トーマは悪魔の転移を阻害できると勘づいていた。
不意をついて悪魔を倒したのなら分かる。これまでグレンが悪魔を倒せたのは、転移する暇を与えず燃やした場合だけだ。それ以外は転移で逃げられている。
マウントを取るなんて余計な動作をすれば悪魔は転移で逃げる。転移は死亡に近いリスクがあるとどこかで聞いた覚えがあるが、それでも本当に死ぬよりはマシだろう。殴り殺される道を選んだと考えるよりも転移できなかったと考える方が自然だ。
壁には転移を妨害する魔法はかかっていない。トーマが悪魔を倒した現場にはトーマしかいなかった。ならばトーマは転移を妨害する方法を持っている、という推論である。
トーマ自身、転移を妨害できる理屈は分からなくても、なんとなく妨害する方法は分かった。
悪魔を嬲るような行動は賛同はできないが、もしフィオナを目の前で殺されたら似たような行動を取る自信があるだけに否定も出来なかった。
目の前の悪魔は転移する気配がないのだが。
悪魔のヘルメットが唐突に炭化し崩れ落ちた。現れたのは若い男の顔だった。先ほどトーマが石化させたものと同じ、日本人らしい顔立ちだった。
グレンはその場にかがみ、悪魔の髪を掴んだ。
「俺たちから大切なものを奪うのはそんなに楽しかったか」
悪魔の目を覗き込む。グレンは口調こそ穏やかだが内心怒り狂っている。返答ひとつ誤れば生きたまま焼かれることになる。
悪魔は返答できずにいた。肩や足の激痛、グレンに詰問される緊張、役立たずの足手まといで終わる恐怖に喉が引きつり、呼吸すら難しくなっていた。
「なんか言えよ」
グレンは悪魔の片目に自分の指を近づける。数秒後に現実となる凄惨な光景を想像したトーマはグレンたちから目を逸らした。
「……は?」
目を逸らした先にはもう一人の黒ずくめがいた。何の脈絡もなく、いつの間にか十メートルも離れていない場所に立っていた。
おそらく悪魔だ。他の悪魔と同じライダースーツのような黒い服を着ている。ヘルメットをかぶっていない、白髪交じりの初老の男性だ。
トーマは困惑した。
なぜなら、目の前の男には他の悪魔のほどの違和感がなかったからだ。
違和感そのものはある。しかし他の悪魔のように激烈ではない。他の悪魔は水墨画に原色のペンキをぶちまけたような違和感があるのに、目の前の男は森の中の迷彩柄のように馴染んですらいる。
そのせいでこれほど接近されるまで気付けなかった。グレンに至ってはまだ気付いてすらいない。
「そのくらいにしておいてくれないか、安村さん」
悪魔らしき男は穏やかな声音でグレンに呼びかけた。
今日か明日にまた続きを投稿する見込みです




