22.さよならアマザ王国①
ぎりぎり日曜日
「アマザ王国を滅ぼしましょう」
虫が湧いて困るから殺虫剤を焚こう。
それくらいの気軽さでトーマは言った。
グレンは絶句した。トーマの提案のていをした何かに答えるのに時間がかかってしまった。
「……トーマ君、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
「アマザ王国を滅ぼそうって言いました。できれば地表から痕跡も残らないくらい消し飛ばすのが理想ですね」
「それがどういうことか、本当に分かっているのか!?」
問われてなおトーマは平然としていた。
グレンは自分でもよく分からないほどの戸惑いと焦りを感じていた。
「アマザ王国の国民を皆殺しにすることを気にしてるんですか?」
目の前にいる相手が、自分のよく知るトーマではなく、全く別の何かに変わってしまったような気味の悪さがあった。
少なくともグレンが知るトーマなら、大量虐殺をほのめかすようなことを言わない。グレンたちが話していても止めようとするだろうし、少なくとも自分が関わろうとはしないだろう。
それを当人が提案し、さらにグレンが戸惑っていても躊躇う素振りすらない。
エアを殺されたことを思い出した怒りがかすむほどのうすら寒さがあった。
「アマザ王国は国民まるごとろくでなしなので気にしなくていいと思いますよ」
「気にしないわけ、ないだろう? 何人死ぬことに……殺すことになると思ってるんだ」
「何人くらいでしょうね。国としての規模はそんなに大きくないですけど、三十万人の軍隊を出せるんだとしたら三百万人くらいはいそうですよね」
「それだけの人数を殺すっていうのか」
大量虐殺なんてレベルじゃない。戦争や自然災害ですら三百万人が死ぬなんてそうそうない。多すぎて現実感が湧かないほどの人数だ。
「グレンさんも昨日、サクッと十万人を焼き殺したじゃないですか」
呼吸が浅くなったグレンに鋭利な言葉が突き刺さった。
事実だった。いくら相手が明確な敵だったとはいえ、グレンは十万人を焼き払った。命を奪う葛藤とかそんなものを感じることもなかった。
三百万に比べれば少なくとも、十万人は充分に多い。人口十万人以下の市町村なんてたくさんあるし、地球にも総人口が十万人を下回る国家は存在する。
前日にそれだけの数をあっさり殺した人間に命の大切さを説かれても何も響かないだろう。グレン自身が自分の言葉に説得力を感じなくなった。
「まあ、グレンさんは協力してくれなくていいです。俺が一人でやります」
「……トーマ君は国ひとつ滅ぼすほどの大規模魔法は使えないだろう」
「魔力と適性はあるのでなんとかします」
「それでも簡単なことじゃないだろう。どうしてそこまでアマザ王国を滅ぼそうとするんだ」
トーマの目が据わる。表情はいつもと変わらないのに、グレンは肌がひりつくような感覚を覚えた。
目の前の相手は怒っている。グレンに対してのものではないと分かるのに、それでも足がすくみそうなほどの怒気を放っている。
床に座っていてよかったと思う。もし椅子に座っていたら足が震えてしまったかもしれない。
まだグレンは勘違いをしていた。
「アマザ王国には多数の悪魔がいるからです。あいつらは皆殺しにしないといけない」
トーマは怒っているだけではない。
悪魔たちを殺す気だった。
放っているのは怒気ではなく殺気。グレンをひるませたのは濃密な殺意だった。
「……三百万の命を巻き添えにしてでも殺したいのか」
「アレらは命じゃありませんからどうでもいいです。人間っぽい姿をした何かです。それに、殺すとしてもいいじゃないですか。もしかしたら俺たちみたいに転生して、生まれ変わった先でもっと幸せに暮らすかもしれませんよ」
グレンは違和感があった。
トーマはまるで見てきたかのようにアマザ王国内部のことを語る。
それはおかしい。トーマの話では、召喚直後にアマザ王国を追放されている。国民を見る機会なんてなかったはずだ。昨日の戦いでもトーマは王城に直接乗り込んだ。国民性なんて知るはずがない。
さらに、トーマはアマザ王国の人々を命じゃないと断定した。人でなしならまだ分かるが、命ではないというのはどういうことなのか。
「……俺は思い出せないんですよ」
違和感の正体を確かめる前にトーマが言葉を続けた。
怒りや悲しみ、悔恨、無力感。そんな後ろ向きな感情を絞り出すように話す。
「俺は魔法が使えます。チート能力任せじゃなくて、技術としての魔法です。法則まで覚えています。俺はいつ、どこでこんなことを覚えたんでしょうね」
「それは……シャングリラに来てから図書館によく行っていただろう? 本を読んで勉強したんじゃないか?」
「一冊もタイトルを覚えていないのに?」
トーマは魔法の理論を知っている。チート任せに『なんとなくできる』のではなく、どういう法則でどういう現象が起きるのか説明できる。簡単な現象を起こすだけなら即興で術式を組むことが出来るほどだ。
これは一日二日で身につく知識ではない。図書館で本を読んだ成果だとしたら、相当の数を読んだか、よほど素晴らしい教本に出会ったのだろう。
しかしトーマにはろくに本を読んだ記憶がない。印象に残っている教本がない。
「……たぶん、俺は図書館で誰かに会っていたんですよ。その人に魔法を教えてもらった。そしてその人は悪魔に殺されてしまった。そうでないと記憶が穴だらけなことに説明がつかない。グレンさんも似たようなものじゃないですか?」
「俺は……」
グレンはトーマと違う。これまでエアのことを思い出さなかった。エアの不在に違和感を覚えることすらなかった。
記憶がねじ曲がっていたからだ。
エア城やシャングリラは『仲間と作り上げた』と認識していた。
それは決して間違いではない。エアだって仲間だし、エアが街を作る時にはシャングリラの市民が資材を運んだこともある。
実際にはグレンもシャングリラの市民もエアの手伝いをした程度である。エア城もシャングリラも、正確には『シャングリラ市民が協力し、エアが作り上げた』ものである。
エアの記憶が奪われたことで『シャングリラ市民が作り上げた』ものだと認識がすり替わっていた。だから気付けなかった。
しかしトーマは違和感に気付いた。
この世界に生まれておよそ一か月。シャングリラでの記憶が少ないから記憶の帳尻を合わせる材料がない。
一か月の中で、名前も顔も思い出せない転生者と過ごした時間はきっと長かった。
結果として見落としたくても気付いてしまうほど巨大な空洞が産まれた。
「その人が殺されたら、殺した相手を許せないほど大切だったはずなんです。……なのに、なんて名前のどんな人だったか、まるで思い出せないんですよ」
一昨日までのトーマは殺人を絶対の禁忌と考えていた。たとえ相手が自分を明確に殺そうとしていても反撃を躊躇するほどの忌避感があった。
そんなトーマが昨日、悪魔を殺した。
悪魔だから人じゃないよね、なんてこじつけじみた考えはない。トーマは悪魔を人間だと思っている。
殴り殺した悪魔はトーマに何もしていない。なのに、自分に拳銃を向けてきた悪魔を殺すことすら躊躇うトーマが、全力で殴りつけた。
トーマにとって大切だった誰かがいた。その人を殺された。だから激怒した。
トーマはそう確信している。
「ふざけんなよ。ふざけんじゃねえよ。ぜったい許さない」
泣きたい気持ちなのに涙も流れない。何が悲しいのか、何に憤っているのか自分でも分からない。分からなくされてしまった。
きっと怒りは時間と共に風化する。ぼうっと過ごしていれば『大切な人を殺された』という記憶ごと薄れていく。
たとえそれが正常な機能だろうと受け入れるつもりはない。
「……そうか」
「グレンさんは邪魔だけしないでくれればいいです。自分でやりますから」
アマザ王国も魔物対策のため壁に囲まれている。出入り口を土魔法で封鎖すれば逃げ道はなくなる。あとは街の中に炎魔法をまき散らせば大惨事だ。トーマ自身はしばらく上空に留まり、脱出するものを見つけたら投石で始末する。
脳を興奮状態にする魔法を使えば数日くらいは行動できる。魔力量も問題ない。実現は可能なはず。
こうして話している間にも悪魔がアマザ王国から逃げてしまうかもしれない。拙速でも行動に移るべきだ。
「待ってくれ」
トーマが立ち上がろうとするとグレンが制止した。
「俺がやる」
「……いいんですか?」
今度はトーマが尋ねた。どういう風の吹き回しだろうか。
「俺が何もしなくてもトーマ君がやるんだろう? だが、トーマ君では時間がかかるはずだ。そうすると悪魔に逃げられる確率が高い。俺なら一瞬でアマザ王国の大部分を消し飛ばすことが出来る」
「歴史書に載るレベルの大量虐殺を国の代表者がやっちゃっていいんですか?」
「今さらだ。公的な代表はもう俺じゃない。それに、俺だって悪魔には怒っているんだ」
トーマの変貌に戸惑っていたが、グレンの怒りが消えたわけではない。
トーマは大切だった人を覚えてすらいられないことに憤っていた。
グレンは奪われた相手の大きさを思い知らされてしまった。
どちらも相手の気持ちなんて分からない。味わっている痛みは全く違うものなのだから当たり前だ。
けれどその怒りも、怒りを向ける相手も共通のものだった。
「トーマだってアマザ王国の連中をむやみに苦しめたいわけじゃないだろう?」
互いの怒りにあてられた二人は即座に行動を開始した。
予定のところまで進まなかったので平日に続きを投稿するつもりです。




