18.喪失②
一人称視点です。
障害物がなければ飛ぶより走った方が速い。アマザ王国を抜けたところでシャングリラへ向かって走り始めた。
「とりあえずグレンさんに報告が優先だな」
アマザ王国はシャングリラの西側にある。一番距離が近いうえに都市の代表者としての地位もある。そろそろアマザ王国軍を一人残らず倒した頃合いだから手が空いているはずだ。この判断に間違いはない。
……本当に?
強化魔法を使いながら走るだけなら神経を使わない。考える余裕が出てきた。
悪魔は転生者の命を狙っている。それは今回の罠でも明らかだ。
仕掛けられていた爆弾はすさまじい威力だった。俺でも強化魔法を使っていなかったら死んでいただろう。相手を生かして捕まえようなんて考えていない。
では、もしも俺が悪魔だったらどんな手を打つ? 転生者を殺すために何をする?
悪魔単独の戦闘力は大したものじゃない。真っ向勝負なら百人同時に敵に回しても勝てるだろう。これは俺だけではなくチート持ちに共通したことだ。
例えばグレンさんは銃弾が命中する前に蒸発させてしまう。マギなら周囲の空間を歪めて弾丸を相手に返す。ムラマサは相手が銃を構える前に切り捨てるだろう。
俺なら理不尽を体現したような相手と正面から戦ったりしない。無防備なところを狙って不意をつく。
そう考えると悪魔が他の転生者に何か仕掛ける確率は低い気がしてきた。
グレンさんは戦闘モードで超高熱を纏っているし、ムラマサも高速で動き回っている。さっきの巨大銃だろうとあの二人を狙撃できるとは思えない。
マギは正面に対して強力な障壁を何重にも張っていた。一枚一枚がグレンさんの全力攻撃を防げるほどの代物だ。アレを突破できるなら罠なんか仕掛けなくてもシャングリラごと転生者を蒸発させられる。つまり考えても無駄な可能性である。
ジークフリートは……まあ、平気なんじゃないかな。前も銃弾の直撃くらってピンピンしてたし。知らんけど。シャングリラ周辺には悪意探知結界があるし、不意打ちされることもなさそうだ。
「杞憂だったか?」
戦闘態勢の三人を殺すのは極めて困難だ。今動くよりもほとぼりが冷めた頃合いに狙撃するほうがよっぽど可能性がある。
慌ててグレンに報告することはないかもしれない。少し遠回りになるが、先にマギのところへ行こう。アマザ王国軍を倒し切って障壁を解除した瞬間を狙われたら危ない。
方向を調整しながらシャングリラに向かって走る。マギがいる北の城壁に面しているのは平原だ。狙撃手が隠れられそうな場所はない。
横から狙撃できそうな場所もない。シャングリラの外側、周囲十キロに城壁より高い構造物はない。下からの狙撃は角度的に壁が遮ってくれる。シャングリラを守る壁はチート級の強度なので銃弾が貫通することはない。
シャングリラ内には転生者への悪意を探知する結界がある。背後からの奇襲は狙撃するより難しい。
アマザ王国軍が隊列を組んでいたあたりに到着した。
俺がシャングリラを発ってから一時間も経っていないのに戦闘は終わっていた。
言うまでもなく負けたのはアマザ王国軍だ。
……無理もない。地面にはマギが撃った魔法によるクレーターが無数にある。こんなものを遠距離から間断なく撃ち込まれたらどうしようもない。攻め込んできたのだから自業自得だが、ちょっと同情する。
壁の方を見るとマギが不思議そうな顔で手を振っていた。
俺からは『鷹の目』がある右目でしか見えないのによく気付くものだ。何か索敵用の魔法でも使っているのかもしれない。
……そういえばなんで右目だけ特殊能力があるんだ?
まあいいか。転生時に付与されるチート能力に理屈を求める方がおかしい。
手を振り返そうとすると、壁の上から誰かが落ちるのが見えた。
「は?」
頭から血と一緒に体温が落っこちていくような感覚。
呼吸がうまくできない。心臓が不愉快にバクバク鳴っている。
誰だよ。あんなところで何をやってるんだよ。何落ちてるんだよ。
ちらりと壁の上に黒い人影が見えた。
足に力を込める。Aランクの筋力、敏捷に加えて渾身の強化魔法を使う。あまり無茶なことをすれば反動でダメージを負うが、そんなことはどうでもよかった。
あんな高さから無防備に落ちたら死んでしまう。助けなきゃ。
先ほどまでとは比べ物にならない速度でシャングリラに迫る。ある程度近付いたら全力で踏み切り、ジャンプした。
壁にぶつかる衝撃くらいどうとでもなる。それより一秒でも早く受け止めないと。
足の筋肉が断裂するくらいの勢いで跳んだ甲斐あって余裕で間に合う。なんなら落ちてる人を観察する余裕もある。
そのはずなのに吐きそうなほど心臓が暴れて収まらない。
落ちてきたのは小柄な少女だった。研究者っぽい白衣を着ている。
顔に見覚えはない。知らない人だ。
そのはずなのに、科学者っぽいナリだけど魔法を研究してるんだろうなと思った。興味を持ったものの前で目を輝かせている姿が脳裏に浮かんだ。
そんなことが分かるはずないのに。
今にも地面に落ちてしまいそうな彼女の目はうつろだった。
頭に穴が開いていた。
落下を待つまでもなく確実に死んでいる。
もう笑った顔も楽しそうな顔も好奇心に満ち溢れた顔を見ることもない。
言いしれない喪失感があった。
うつろな目を見ると底知れない大穴を見たような不安定な気持ちになる。
そこに何があったか分からない。けれど巨大な何かが欠落したことは分かる。
泣きたい。気持ち悪さのまま胃の中のものを全部吐き出して大声で喚きたい。
……それは後だ。せめてこの人を地面に落下させることなく、これ以上傷付けることなく受け止めないといけない。
タイミングはこれ以上ないくらい完璧だった。確実にキャッチできる。
そのはずだったのに、俺の手は空を切った。
名前も知らない誰かは、空気に溶けるようにすーっと消えてなくなった。
自分が巨大な壁に向かって飛んでいることも忘れて呆然としてしまった。
猛烈な嘔吐感が消えていく。喪失感すら消えていく。
べしゃりと頭から壁に突っ込んでも痛みが気にならないほどの不快感だった。
なんだこれは。何が起きている。俺はなんで壁に向かってジャンプした? なんで吐き気を感じていた? 喪失感ってなんだ。どうして俺は泣いている?
落下しながら奇妙な確信があった。
難しく考えなければいい。あるがままを受け入れれば苦しむことはない。失ったことすら忘れて幸せに生きていける。
こんな喪失感を抱えて生きていたくはない。内臓を引っ張り出されたような苦しみは耐え難いものだ。
忘れるというのは人間に備わった大切な機能なのだろう。
背負って生きるには重すぎる悲しみもいずれ風化する。喉元過ぎれば熱さを忘れるなんてマイナスのニュアンスで使われるが、立ち直れないほどの失敗の記憶も薄れるから再び挑戦できるようになる。
だから抗おうとしなくていい。落ち着いて着地して、グレンさんのところに報告へ行けばいい。なんならアマザ王国の残党に石を投げつけたって良い。八つ当たりついでにシャングリラの役に立てる。
どうせ忘れたことすら忘れるのだから、楽な方へ流れるのが賢い生き方だ。
「――――ざっけんなぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
忘れるか。忘れてたまるか。
きっと大切だったものだ。忘れちゃいけない記憶だ。
相手がなんだろうが、何が起きていようが知ったことか。
それが世界のルールだろうが何だろうが関係ない。これ以上、ほんのひと欠片だって失うものか。忘却を許容する余地はどこにもない。
叫べ。この怒りを忘れるな。俺から大切な何かを奪ったやつを許すな。奪われた記憶すら奪う連中を許容するな。叫んで呪ってこの魂に刻み込め。
たとえこの怒りすら奪われたって何度でも蘇るように。怒りも嘆きも悲しみも感じず生きていけるようになんてくそったれな優しさを焼き尽くせるように。
地面にぶつかる直前で身を翻す。全力で地面を蹴って壁の上に跳びあがる。
そこには黒い人影がいた。間違いない。悪魔だ。
「お前は」
悪魔はこちらを振り向いていた。相変わらず黒いヘルメットのようなもので顔を隠しているので表情は伺えない。
けれど、驚いている。困惑している。なぜ俺がここにいるのか理解できないでいる。
――ああそうだろうよ。お前らに殺された転生者は存在したことすら忘れられる。誰も仇討ちなんて考えないし、考えられるはずがない。
だからそんなのんびりと普通に歩いて帰ろうとしていたんだろ? どうやったか知らないが、これからもシャングリラに潜伏するつもりだったんだろ?
仲間が殺されたことにも気付けない俺たちのそばに潜むのはさぞ簡単だっただろう。誰も殺されていないと思ってお前らをろくに警戒していなかったらしいからな。
でも、もうそんなことは許さない。
「俺から何を奪った!」
空中を蹴り悪魔に肉薄する。マウントポジションを取って動きを封じる。
悪魔はとっさに拳銃を握った右手をこちらに向けようとした。
そんな抵抗は許さない。右手を拳銃ごと握りつぶして抑え込む。
すると悪魔の姿が薄らいだ。いつも通り原理不明の方法で逃げるつもりなのだろう。
「逃がさねえよ」
絶対に逃がさない。お前だけは許さない。
悪魔を掴んだ左手に力を込める。石化させる要領で魔力を流し込む。
本当は石化させたところで意味がない。悪魔の意識はどこかに消えて、抜け殻の石ころが残るだけだ。
逃がさないという意思を込めて魔力を流す。
本当はそんなことしても意味がない。悪魔の転移は魔法でもなんでもないんだから魔力で妨害できるものじゃない。
けれど今は違う。俺なら悪魔をこの場に留めることができる。
薄らいでいた姿が元通りになる。悪魔は目に見えて狼狽した。
長くは続かない。帰還を封じられる時間はごくわずかだ。
右腕を振り上げる。
俺の中で誰かが叫ぶ。
――人殺しはいけない。ぜったいにやってはいけないことだ。思いとどまれ。そんなことしても何も取り戻せない。
正論だ。仇討ちしたところで殺された人は戻ってこない。その場ですっきりしたとしてもずっと殺人の十字架を背負うことになる。
大きすぎる罪は一人で背負いきれるものじゃない。近くにいる誰かにも否応なくのしかかる。その罪とは無関係な誰かを押しつぶしてしまうこともある。
やめろ、今ならまだ間に合う。取り返しがつく。
「もう取り返せないんだよ」
誰かが死んだ。目の前のこいつに殺された。
死んだものは戻らない。人殺しを法律が裁いたって帳消しになるわけじゃない。こいつのせいで失われたものは永久に空洞のままだ。
「あああぁぁぁああぁぁ!」
制止を振り切り、全力で拳を振り下ろす。
拳は吸い込まれるように悪魔の頭を貫いて壁に当たった。ヘルメットなんて俺には紙切れのような脆さだった。
頭を失った悪魔の体が消える。これはいつもの帰還とは違うものだ。
俺は悪魔を殺した。
自分の中で何かが大きくずれる音が聞こえた。
いけそうだったら今日中にもう一話投稿するかもしれません。




