エグラーデの毒
聖軍の快進撃は止まらず、エグラド領まで一週間とした夏の終わりの夜。野営地の森の空気は湿気を含み、嫌な暑さだった。寝ていた俺は、ラキウスの近習の一人に起こされる。
髪の寝ぐせ直しに手間取りながら身なりを整えラキウスの天幕へ行く。そこには、ラキウスと聖軍の実質的な総司令官であるウィリバルト・ハーケン将軍を始め軍の幹部がいた。それ以外にも、俺と同じようにラキウスの護衛として同行している、教会騎士たちのまとめ役の教会騎士団長であるロベルト団長もいる。
「来たか。では、始めよう」
ラキウスは俺が天幕に入ると儀礼挨拶を飛ばして、すぐに会議を始めた。事情も分からず立ち尽くしていると、ロベルト団長が手招きをして隣に立たせた。ラキウスが放つ刺々しい空気に、集まった人たちの間には強い緊張感がある。
「リウリスで反乱が起きた」
日常の何気ない会話の一部のような調子で伝えられた一言に、俺だけじゃなく皆も理解ができなかった。いや、言っていることは分かる。思考が追い付かないに近い。
「……首謀者は誰です?」
「情報の精度は?」
早く気を取り戻したハーケン将軍とロベルト団長が問う。その声に皆の意識は現実に戻った。
「首謀者はガリアス・コローネル他、枢機卿たち。情報は確かなものだ」
淡々と答えるラキウスの側をよく見ると、従軍していなかったはずのダーバンさんが汚れたローブマントを着て立っていた。向こうも俺の視線に気付いて小さく頷く。これはダーバンさんからの情報なのか。
「枢機卿というのは、聖下にお味方していた者たちも反旗を翻したのですか!?」
幹部の一人の言葉に、ラキウスの言葉は止まる。言い辛そうな様子に、全員が目を丸くした。スパッと言い切るのが、いつものラキウスだ。それが言葉を詰まらすなんて想像もしなかった。
「……彼らの大半はコローネルによって暗殺されたそうだ。一部は脱出したが安否不明。それと、この続きの内容を余に知らせようと無茶をした者はここまでの道中で殺された」
死を悼む姿だ。屍で築かれた階段に下を向くことなく上り続けた男が、俺の知る限り初めて踏みつけている屍を見て悼んでる。
俺が知らなかっただけなのか、それともラキウスが変わろうとしているのか。どっちかは分からないけど、その姿に目頭が熱くなってくる。初めて会った頃は、ラキウスという名前が古語で意味する通り「氷」のような人だった。肌に触れるとゾクリとするような冷たさ。首元に当たる刃のような冷たさ。人の熱を奪う存在。
「彼らのマーラが環で磨かれ、再び命へと還って良き生を送れますように」
祈らずにはいられなかった。ラキウスが死を悼んだ人たちが、次の生で幸せになれるように。生命のマーラを学ぶ身として、今できる精一杯の祈りだ。
「メディクルムよ、ありがとう」
「あ、いえ……」
呟き程度の声だったつもりだけど、ラキウスや周りにも聞こえていたみたいだ。ハーケン将軍もラキウスの様子から、黙とうの音頭を取った。
黙とうを終え、改めて空気を引き締めたラキウスは首都の状況を教えてくれた。俺の証人喚問が終わった後、いつの間にか領地へ帰っていたコローネル首席枢機卿は、実は首都近郊に身を隠していた。そして、聖軍が出発して首都から遠く離れた所で、事前に周辺へ潜ませていた自らの兵を引き連れて帰還。首都から離れていた理由は、暗殺の知らせが入ったからだと言っているらしい。これは嘘だな。
帰還したコローネル首席枢機卿はすぐに枢密院を招集した。議題は、ラキウスの教皇罷免と逮捕だ。コローネル首席枢機卿が率いる枢機卿派とラキウスが率いる教皇派の枢機卿が対立。その夜、大勢の教皇派が暗殺されて議題は賛成多数で罷免が決まった。
「くそ。教皇を罷免なんて可能なのかよ!」
ハーケン将軍は初めて声を荒げた。それをたしなめたのがロベルト団長だった。続けて、ラキウスを罷免する方法を明かした。
「教会典範において、大多数の枢機卿の支持があれば可能だ。今回、反対票に回るはずだった聖下と近しい枢機卿たちが暗殺されたことで、成立してしまった。その上、戦地での聖下の言葉を理由に逮捕状を出したか」
ラキウスが禁じた占領地での乱暴狼藉を犯した教会貴族の処刑の時、民衆へ語ったことは好意的に受け止められた。奴隷だった亜人種にもだ。人間族の最高権力者の言葉に希望を持つ人は多かった。あの時の内容は、別の戦地でも語られて広がりつつあった。それをコローネル首席枢機卿は知ったのだろう。
「聖下。すぐに脱出の準備を」
ハーケン将軍の言葉の意味が分からなかった。何でここを脱出?
「聖下が罷免されたからには、この聖戦は無効となり聖軍も解散することになるのだ。まだ、諸卿たちは罷免と逮捕状のこのことを知らない。無冠貴族はまだしも、教会貴族は逮捕状に従うだろう。逃げるなら今しかないということだ」
ロベルト団長の耳打ちで、このまま聖軍にいても危険なのが理解できた。確かにラキウスの言葉や態度で、無冠貴族や亜人種だけじゃなく一部の教会貴族も従うような空気だけど、反発を強める教会貴族もいた。彼らは教皇罷免の報と逮捕状があれば、参戦義務のある聖軍という枠組みが外れてラキウスを捕まえようとするかもしれない。
「これが、エグラーデの毒だったか」
うなり気味の声で呟き、ラキウスは天井を見上げた。
ようやく、エグラーデの狙いが分かった。ラキウスの排除が目的だったのか。エグラーデ、トロラス・エグラド、ガリアス・コローネルは連携していた。ラキウスがリグラム関与の疑いでエグラド家へ聖戦を興すように仕向け、首都から離れた所でコローネル首席枢機卿が首都を制圧。北からエグラド家が待ち構え、南からラキウス逮捕のために枢機卿たちが教会軍というものを興して聖軍に迫っている。最強の味方であるはずの聖軍も、教皇罷免により地位と権力の根拠を失ったラキウスには、敵軍の中で孤立状態。挟み撃ちの上に、足元が燃え上がってるありさまだ。幸いなのが、ラキウス個人の保有する教皇軍が味方であることだけ。
「……聖下。我らの負けです」
夏の夜なのに、天幕の中はとても寒かった。
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