大猊下の帰還
——教皇トゥルスキア四世の率いる聖軍が、エグラド領に向けて順調に進軍している頃。首都リウリスでは、不穏な空気が漂っていた。
「聖軍が帰ってきたわけじゃないだろうに。あんな数の兵士がどこから来たんだ?」
「教会貴族の兵士だとさ。旗は掲げてないから分からんが、相当な家の所だろうよ」
「あれが……?」
夜の酒場では、住民が大通りで見た兵士について語り合っていた。見て分かる通りの上等な装備。ただし、数週間前まで首都にいた聖軍と違うのは……。
「酒がおせえぞ!」
「す、すみません!」
酒を浴びるように飲み、テーブルを蹴り上げて周囲を怒鳴り威圧する。兵士というより山賊崩れの傭兵だと住民は思う。逆らえば乱暴は当然として、警備隊も取り締まりをしない。なぜなら、出征に向かった教皇の代わりに首都へ入城した人物が許したからだ。
翌朝、ペラギウスの館にある枢密院の会議室で、しばらく空席になっていた唯一の石造りの椅子へ男が座る。
「よくぞ、戻られました。大猊下!」
「みな、長く留守にしてすまなかったな」
ガリアス・コローネル首席枢機卿。ラキウスが傀儡で収まっていた頃は、この男が国の支配者だった。色が落ち始めた金髪は後ろに撫でつけられ、絶えぬ笑みからは茶色の瞳を細めさせて笑い皺が彫られていた。
「我らは見捨てられたのかと思いましたぞ」
一人の年老いた枢機卿は安心したように笑う。他の者も同様だった。あからさまな渋面を浮かべるのは、若き教皇から推薦された若き枢機卿たち。聖軍が招集される前とは、立場がひっくり返ったような状況だ。
「友であるお前たちを見捨てるわけがなかろう。実はな、信用できる筋からワシの命を狙う者がいると知らせが入って領地に帰ったと偽りを流し、急ぎリウリスを出たのだ。しかし、聖下を長くお一人にするわけにもいかぬと、急ぎ兵を集めて帰ってきたのだ。それにしても、ワシの居らぬ間にトロラスが破門されて聖戦が起きていようとはのお」
聖戦を止められるかもしれない人物からトロラス・エグラドの名が出ると、会議室は色めき立つ。
「大猊下。我ら一同、近頃の聖下は正気のようには思えられません。聖下の忠臣にして教会の守り手である、エグラド枢機卿を破門の上に聖戦を宣言されるなど……」
「潰えたとされたリグラムが流行りしことは、我らも重大事と心得ております。しかし、穢れの聖人の証言と証拠を含めペティーサの陰謀の可能性もございましょう。それにエグラド枢機卿が関与しているなどとは言い掛かりに等しきこと。エグラド枢機卿も、国許の状況が明らかになるまで動けぬのも仕方がないでしょう」
今、コローネル首席枢機卿が帰還するまで、死刑宣告を待つ囚人のような悲哀を現ていた老人たちは、若返ったかのように気力と勢いを放っていた。
「貴様ら、恥を知れ!」
「エグラド家への出頭命令も聖戦への賛同したのは、お前たちも同じだろう!」
「聖下が狂乱しているなど、言葉が過ぎるぞ」
若手の枢機卿たちは猛然と非難した。しかし、大猊下の帰還と教皇の不在が老齢の枢機卿たちを勇気づけた。彼らの批判はどこ吹く風のごとくあしらわれる。
「まぁ、落ち着け。聖下への帰還の挨拶は叶わなかったが、今日は諸君らへの挨拶も兼ねて集まってもらったのだ。今はこれで散開しよう」
その夜、コローネル首席枢機卿の館で宴が催されている裏で、複数の高位の教会関係者の邸宅が盗賊に襲撃された。憐れにも亡くなった被害者たちの遺体からは、一か所の刺し傷と血が抜き取られたかのような状態だった。各邸宅の目撃者によると、犯人の特徴は黒装束と赤黒く輝く短剣と少年ほどの背丈だった。
この事件を受けた翌日の枢密院では、主に若手の枢機卿の出席者がとても大幅に減っていた。コローネル首席枢機卿は聖句を唱え、枢機卿たちは一致して被害者を悼んだ。そして、会議が始める。
「本来なら、亡くなった同胞の喪に服する期間だ。しかし、聖下に対して重大な疑義が発生したので共有したい」
ラキウスが言うところの旧秩序の守護者たちは、コローネル首席枢機卿の次の言葉を待った。
「聖軍の占領地で、聖下はこうおっしゃったそうだ。略すが、『プルセミナ教皇の名の下に定められた法によって、亜人種は開放する』と」
「なんと!」
「そのようなおぞましいことを聖下が!?」
老齢の枢機卿たちの驚く様子は、普段用いる演技ではない。心からの衝撃だったのだ。コローネル首席枢機卿は、周囲の動揺が落ち着く前に言葉を続ける。
「昨日、諸君らは聖下の正気を疑うと話していたが誠なのかもしれん。我らが従うは、女神サドミア様が救世の巫女プルセミナ様に授けた教えと法のみ。プルセミナ教皇がこのことを知らぬはずがないのに、自らの言葉が法だと信徒たちに話したのだ。さらには亜人種どもの解放も言及された」
悲嘆にくれる大政治家は、垂れ下がった頭を精一杯の気力で上げる。それが嘘くさく見えても、言及しないのが彼ら小物の政治家の生きる道だ。
「よって、私は諸君らへ同意を求めたい。正気を失い背教の咎を負う教皇トゥルスキア四世から、教会典範に則り教皇の解任ならびに背教罪による逮捕を!」
その提案へ、枢機卿たちは拍手と共に立ち上がり賛成をした。教会典範に則れば、枢密院出席者の三分の二以上の賛成が得られれば教皇の解任は可能だ。そして今、枢密院の出席者は昨夜の悲劇によって旧秩序側が占めていた。
「……偉大なる聖下よ。あなたはやり過ぎたのだ。全くつくづく思い知らされるよ。貴き血ではなくワシの子であれば、コローネル家は永久の安泰を得られたのに。そして、喜んであなたに世界を与えたのに」
万雷の拍手を得ても、ガリアス・コローネル首席枢機卿の心は晴れない。幼少の頃から知っているラキウスの英邁さと、傀儡の糸を自ら断ち切って自分に迫るほどの支配者としての才覚を認めていたから。
(殺しはしません。あなたが宿す貴き血は決して絶やすわけにはまいりませんからな。だから、当家の娘とたくさんの子を設けていただこう。その子らはあなたのように、教会だけではなく世界から栄光を約束された身。御身と似合わぬ窮屈な生活に強いますが、他の愚鈍な者どもではなく必ず当家がお守りまします。……我が神よ)
コローネル首席枢機卿は、目を閉じる。一つだけ欠けた、未完成で幸せなパズルの絵を思い浮かべて。決してパズルを完成させてくれないピースに、どれだけ恨まれても構わない。そのピースに理解されなくても彼の尊敬と愛情は変わらない。
それ故に、ガリアス・コローネルはラキウス・○○=○○を倒す。
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