内戦の狼煙
エグラド枢機卿への出頭命令から一か月が経とうとしていた。ただし、エグラド側からの動きは穏健ならざるものだった。
「エグラド枢機卿は傭兵を雇って、領内では徴兵と訓練をおこなっているそうだ」
教会騎士団本部ザクルセスの塔でも、高まる国内の緊張に囁き声が多くなる。大勢の意見では、「どこかの段階で教皇が剣を収めて、元通りになる」だった。そんな同僚たちの意見に、胸の中で否定を告げて食堂を出る。
二年と少し前なら、十分あり得た意見だ。教会が保持する軍事力は教会騎士団しかない。戦争を起こすなら、個別に軍事力を持つ教会貴族たちを集結させて『聖軍』を立ち上げるしかない。
でも、今は違う。ラキウスは自前の軍事力として兵力一万人を超した『教皇軍』を持つ。それも、ただ集めたわけじゃない。大陸最大の貴族である、セレス家の財力と資源を使った精強な軍隊だ。未だに実体が掴めていないけど、俺が所属する『騎士団』という影で活動する組織もある。
ラキウスに味方する勢力だって、侮れるものじゃない。
南方では、教会とは長年の犬猿の仲であった無冠貴族であるセレス家と同盟。さっき挙げたように、セレス地方の豊かな資源を使えるようになった。
北方では、ノーラ地方の大貴族である教会貴族のマリーダ伯爵。今のノーラ地方の情勢は、中央に位置するマリーダ伯爵を含めた東部が教皇派。西部が枢機卿派。
西方では、突出した武力はないけど政治や教会に強い影響を与えるカラムリア・テイゾ大司教が聖地コバクを治めている。でも、テイゾ大司教は高齢ということもあって先行きが心配な所もある。ゆったりと過ごしてほしいけど、情勢が許さない。ありがたいことに、テイゾ大司教はミーナの後見人でもあるから、俺にできることがあればしっかりと支えたい。
東方では、プラド地方への影響力が薄い。でも、同じサーリア地方内での東側に、五大貴族の一角であるファーレン伯爵家が味方する。獣人戦争の影響で再建中だけど、彼らが有する騎馬兵は強力だ。何せ強化された獣人兵を、騎馬突撃で粉砕して獣人戦争の勝利の決め手となった。
これが、今のプルセミナ教皇トゥルスキア四世の力だ!
……なんて、誰にも語れないことを心中で上司自慢をしながら待ち合わせ場所へ行く。今日は、アーウィンたちと訓練をする約束をしていた。
どうやら、訓練場には先に着いていたみたいだ。俺を見つけた途端、大きく手を振って目を輝かせる後輩の姿に苦笑した。
◇
――枢密院会議室。トゥルスキア四世から急遽招集された枢機卿たちは、教皇の『意見』に狼狽し、その意見を翻そうと必死になっていた。
「余とそなたらの同意のもと発せられた出頭命令は、再三にわたりエグラド枢機卿に通告している。だが、彼はひと月以上もこれを無視。もはや、教会と神聖国に対する反逆と認定するしかあるまい。よって、先に述べた通りである」
トゥルスキア四世は、怒りを押し殺している雰囲気で枢機卿たちに語った。実際には怒りも何もない。だが、数年前までの彼ならこのような仕草さえできなかった。
いつの時代も、教皇とはプルセミナ教会による支配の象徴だった。象徴に権力は必要ない。太陽のように、直視すれば目が焼けてしまうほどの聖なる輝きを放つ権威であればいい。神聖に身を置きながら世俗を生きるという、矛盾した存在である権力者たちが世界を統治するための道具だ。
だが、トゥルスキア四世は違う。教皇就任以来、枢機卿たちに面従腹背としながら力をつけてきた。武力、財力、政治力。それらは、彼にまとわりつく傀儡の糸を断ち切らせ、枢密院での静かな置物から脱却させた。彼は、本物の権力者となったのだ。
「聖下。ご決断を早まってはなりません! エグラド枢機卿は、聖下の栄光なる治世を支える臣下です」
「その通り。リグラムにエグラド侯爵家が関わったという証拠も、あの穢れた聖人の偽りという可能性も……」
その枢機卿は言葉に詰まった。そして、失敗したとすぐに悟った。普段なら、彼の言葉を否定する者はいない。むしろ、よく言ったと褒められるものだ。それは、彼が権力者だからだ。
「余が認め、余が信任した聖人が穢れ? 多くの信者と余が称賛した高潔なる聖人が、偽りを申すと?」
彼の言葉は否定される。それは彼の話す相手が、彼を上回る権力者だからだ。置物ではなくなったのだ。
「高潔なる聖人アルト・メディクルムは、そなたらの求めに応じて現地で起きたことの証言や、エグラド侯爵家が関与すると判断できる証拠を提示した。その結果、そなたらはエグラド枢機卿への出頭命令に同意した。違うか?」
反論の声は、枢機卿たちから上がらなかった。「どうにか挽回できないか」と沈黙の中、権力を欲しいままにしてきた老人たちは考えを巡らせ続けた。しかし、彼らより若々しく力溢れる者たちによる激流は、老人たちを呑み込む。
「聖下が仰られる通り、我らは高潔なる聖人殿の証言と証拠が有効であると認めた。ゆえに、出頭命令に同意した。今さら聖人殿の言葉を疑うなど、卿はその証拠があるのだろうな?」
「第一、聖人殿を見下すその言動は、彼を讃える信者たちへの背信だ!」
若い枢機卿たちは老人を糾弾した。この男たちは、前任者であった枢機卿が事故死によって繰り上げで枢機卿へ就任したのだ。
今、枢密院に集う若い枢機卿たちは、どれも似たような事情だ。前任者の事故死、急病、老衰、行方不明。酷い時は邪教信者による暗殺。彼らは多くの涙と共に、死を悼まれた。だが、誰も死因の追求はしなかった。それが、生き残る術だと権力者ならではの直感が働いたからだ。
ともかく、悲しい事情を抱えた若く開明的な枢機卿たちは、教皇に手厚く遇された。そして、今や教皇の信頼厚い良き助言者たちになった。
老人たちは若者たちの言葉で屈辱に震える。本来なら、自分たちの強力な味方である人物がいないのが痛い。それは、コローネル首席枢機卿だ。実質、宰相という立場にいながらアルトの証人喚問後と同時に首都から領地へ帰っていたのだ。枢密院にいる年老いた枢機卿たちは哀れ取り残された。
「みな、静まれ。そなたらの議論も尽きた所だろう」
教皇トゥルスキア四世は立ち上がる。
「プルセミナ教皇トゥルスキア四世は宣言する。トロラス・エグラド枢機卿は破門とし、同時に侯爵位も剥奪する!」
教皇へ恭しく首を垂れる者と、遅れて忌々し気に首を垂れる者。
「そして、謀反人トロラス・エグラドとエグラド家に対し、聖戦を布告する! 余の言葉を大陸中に、遍く伝えよ! 聖軍を招集せよ!」
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