リグラム、絶えず
ペラギウスの館。プルセミナ教皇の座所にして、信仰と政治の中心地。この館は三区画に分けられている。中央が大聖堂と個別に分けられた守護聖人を祀る小聖堂。左翼には神学校と、国政を動かす会議がおこなわれる枢機卿院。そして、右翼にはプルセミナ教皇の住居や執務室などに関連する場所。
いつもなら、ラキウスことプルセミナ教皇トゥルスキア四世に呼ばれた時は、右翼の館へ行く。だが、今日は左翼の館の重厚な扉の前で、入室が許されるまで待っている。
「教会騎士団下級騎士アルト・メディクルム殿。コローネル首席枢機卿がお呼びになられました。ご入場ください」
「はい」
扉に張り付いている衛兵が厚みのある扉を開く。その先から漂う冷たい空気は、部屋の作りからくるものなのか。それとも、部屋の中で俺を待つ政治家たちが醸し出す冷気なのか。
どちらにしろ、この冷たさに怯んじゃダメだ。報告しないと。ここ数週間で起きた事件について。そして、俺たちは万全の準備をして迎えないといけない。冬の時代を。
戦争の時代を。
◇
――時間はさかのぼり、聖杖暦六〇四年のセミリナスの月。春の訪れを祝い、農作の始まりとなる季節。アルトのもとに、ラキウスから招集令状が届いた。遂に来たかと、アルトは令状を握りしめ出発の準備に取り掛かった。前年のヴェニシアの月に、アルトとミーナは念願の婚姻を結び、エスト・ノヴァで新婚旅行を楽しんだ。美しい妻と穏やかに過ごすリンドの町での日常は、アルトの英気を養うのに十分な時間であった。妻と両親家族に見送られ、アルトは首都リウリスへ向かった。
ファーレン伯爵家直伝の乗馬術と、当主であるフォルマ・ファーレン伯爵より結婚祝いと贈られた青毛の馬を駆けさせると、あっという間に首都へ着いた。「どんなもんだい」と自慢げな馬に、笑いながら首筋を撫でて教会騎士団本部ザクルセスの塔の馬丁に預けた。離れていく俺に、ロンブル(馬の名前。ミーナが名付けた)はひと鳴きして見送ってくれた。懐っこくて賢い馬だ。
早速、ペラギウスの館の教皇区画で若き教皇と庭で謁見した。艶やかなベージュ色の髪は風に軽く揺れ、聖職者らしかね意外と硬い手は茶器の持ち手を摘む。草原を思わせる爽やかな緑の瞳は細められ、見目の良さもあってその場が一枚の絵画のようだ。
「いつまで待たせているんだ。早く来い」
「あ、はい」
ラキウスの向かい側に座り、侍従さんが紅茶を用意してくれる。以前は強烈な初対面で、何もかもにも毒が入っているんじゃないかと怯えていたけど、今は信頼の積み重ねで心配がない。
「ごほっ。苦い、痺れ――毒……」
紅茶を口に含んだ瞬間、あまりの苦みにむせ返る。舌も痺れてきた気がする。何で、今さら毒を……!
「何を大げさな。それは薬湯だ。臓器の解毒を助けてくれる」
「ゲホッ、薬湯?」
俺の様子に、侍従は慌てて水を差しだしてくれた。いくら口をゆすいでも、痺れと苦みが収まらない。それに、解毒って。毒を飲んだ覚えもない!
芝生でうずくまり咳き込む聖人を、微かに笑いながら優雅にお茶を楽しむ教皇。この異様な光景は、ラキウスの側近である女性司祭エヴァリス・レハンさんが来るまで続いた。
「アルト君、大丈夫?」
「……ありがとうございます。落ち着きました。醜態をすみませんでした」
「いいのよ。私もあなたみたいに苦しんだから。あれを飲んで平然としてるあの人の味覚がおかしいんだから」
当のラキウスは、睨みつけるレハンさんを意に返さず茶菓子を食べている。何でも、ラキウスは疲れ気味らしい。教皇の仕事は激務だ。ましてや、ラキウスの活動も加われば、何倍もの苦労があるだろう。それで疲れ気味だから調合した薬湯や粉薬を飲んでいるのかな。でも、どこか他人事な様子のラキウスになぜかと聞けば、その視線はレハンさんに向いた。視線を投げられたレハンさんは頬を赤く染めて下を向く。美人だ。
薄々と気付いていたけど、レハンさんはラキウスのことを大切に、いや、愛してると思う。ラキウスがどう思っているのかは分からないけど、レハンさんがラキウスに何かを言って、ラキウスは薬湯を飲み始めたってところだろう。
「こんなひどい味になるなんて。薬は何を使ったの?」
「それは――」
「ラキウス、待って! そ、それは内緒だから。特にアルト君には!」
レハンさんの言葉に、ちょっと疎外感で寂しくなったけどこれ以上は聞かないでおこう。それに、こんな毒のような薬湯を飲みにきたわけじゃない。
「リグラムが残っていた」
ラキウスの言葉は、本物の毒についてだった。
リグラム。それは、ある植物を加工して作られる依存性のある危険な薬物だ。都市部の刺激を求める富裕層を始め、理由は様々だけどリグラムがもたらす独特な快楽を求めて摂取する人たちがいる。当然、そんなものを常用すれば身体や精神に重大な害を与えて廃人となる。場合によっては死んでしまう。
俺はノーラ地方の東部に安置されたエウレウム様の墓参りに、近くのエルベンの町に行った。そこは犯罪組織によって占拠され、リグラムの製造拠点となっていた。攫われた町の子供たちが、中毒症状に苦しみながら加工作業をさせられていた。当然、持てる力を発揮して製造拠点を破壊し、原料となる植物は全て燃やした。
それなのに、残っていた?
エルベンの町が唯一の製造拠点であったことは間違いない。証拠もあった。
「リグラムの中毒症状と思われる病人が首都で確認された。お前の貢献もあって、リグラムは絶えたはずだと私も思っていた。だが、残念ながらリグラムの中毒症状で間違いない」
「在庫があるって記された場所も取り締まったのに」
気持ちが沈んでいる俺の前に、レハンさんは地図を置いた。そこには、ある場所がマークされていた。ノーラ地方と接する大陸の支配者の一角、エグラド侯爵領の端にある町だ。
「私たちもリグラムの流入経路を追ったわ。すると、その町に辿り着いたの。ここは、川を利用した物流が盛んな辺境の町。町を調べたかったのだけれど、警備が異様に厳しいのよ。エグラド侯爵の正規兵が町や岸を守っているの。そんなに重要でもない辺境の町に」
レハンさんの説明を聞けば、誰でも怪しむだろう。今回のことがなければ、町の存在も知ることがないような場所だ。
「町への入出も厳格に管理されて、密偵が入り込む隙もない。だから、お前を呼んだ」
ラキウスは芝生に座る俺を見下ろし、命じた。
「聖人という立場を使い、情報官と共に町へ潜入しろ。そして、リグラムの所在を明かせ」
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