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怒る門には福来る  作者: 篝火
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6/9

怒る女 ②

 我慢できずに、受付で次回の予約を取る時、

「今日を指定されましたよね?」

 ダメもとで言ってみる。


「ええ、しばらく来れないとおっしゃったでしょ? 早く来れるならその日を言ってくださったらよかったのに」

 受付に座った若い女性はつんとすました顔で平然と言う。唖然とした。どうして? こういう時はとりあえず、一言、申し訳なかったですね、と言わないの? その一言で丸く収まるものじゃないの?


 ふと見ると、受付の向こうで先生やスタッフが怪訝な顔で私を見てる。一瞬で頬が熱くなった。あの目は知ってる。そう自分がそんな目で人を見たことがあるから。スーパーのレジで、駅のホームで、そう、町内会の集まりでも。


 何、あれ、クレーマー? やだ、もう、うるさい。みんなそう思っていたに違いない。今ならわかる。中には正当な抗議をしていた人もいただろうって。一人で怒ってるのは恥ずかしい。抗議するのも恥ずかしい。だけど、我慢できないこともあるはず。


 疲れきってうちに帰ると、ソファで丸くなってレオンが寝ている。お前はいいね。いつもそうして寝ていられて。その時電話が鳴った。夫からだ。


「あー里子か。今日は晩飯いらないからな。転勤する部下の送別会を社内でやるから弁当が出るらしい。少し遅くなるから、ちゃんと戸締まりして寝てていいぞ」

「わかった。あのね、今日歯医者に行ったら、ブリッジした方がいいようなこと言われたんだけど、隣の歯も、神経抜くかも知れないって」

「何だ、それ。そんなに虫歯があったのか?」

「ううん、虫歯は一本だけなんだけど」

「あーなんだ。お前の言ってることはよくわからん。今はセカンドオピニオンなんて当たり前なんだ。納得いかないなら他の歯医者に行ってみたらどうだ」

「いいのかな?」

「いいに決まってる。もう仕事に戻るから切るぞ」

「あんまり飲み過ぎないでね。帰りはタクシーを使ってね。危ないから」


 返事を聞く前に電話が切れてしまった。ちゃんと聞こえたかしら。あとで、メールしておかないと。

「ねぇ、レオン、他の歯医者に行ってみようかな」


 同じくらいの年でもまだ社会に出て仕事をしている人はいっぱいいる。働いてなくても、子どもでもいれば、いろんなつきあいもあるだろう。そういう人達なら、どんな時に怒ったりするのかちゃんと弁えて、自分の思っていること、聞きたいことも堂々と言えるんだろう。


 そう思うと情けなくてため息が出る。なんでも年のせいにしちゃいけないとわかってるつもりだけど、頑張っても世の中の流れについていけないこともある。だから、臆病になる。


 私だけがおかしいのかも、私だけが知らないのかもと、不安になる。そんな時、夫が、大丈夫って言ってくれると安心する。長年会社勤めをしてきた夫が言うのだから、それは世間一般の常識なんだと安心できる。

「レオン、今日はパパさん遅いんだって。レオンと二人きりだと、ちょっと淋しいね」


 モンスターペアレント、クレーマー、そんな言葉を聞く度に、困った人、大人げない人たちだと思ったけれど、そんな風に一塊に枠にはめてしまうのは怖いこと。だって何かを主張すると、もう私はクレーマーの困ったおばさんになってしまうかも知れないんだから。


 思えば夫婦という括りにだって一つとして同じ夫婦はいないはず。欲しくてもずっと子どものできない私たち夫婦が、子どものいるご夫婦とは少し違ってたように。


 携帯を手に取り、メールを送る。

「飲み過ぎないでね、年なんだから」

 夫の定年まで一年あまり。そうしたら、病院も買い物も一緒に行こう。夫は嫌がるだろうけど、年を取ったら、お互い身体にガタがくるのだから仕方がない。かさばる買い物も二人で分ければ何とかなると思うと、つい先日、トイレットペーパーをぶら下げて帰ってきた時の夫の渋い表情が目に浮かぶ。だって、あれだけダブルって言ったのにシングルを買ってくるんだもの。

 

 一人で老いていくには少し怖い世の中だけど、二人ならきっと大丈夫。明日、別の歯医者に行ってみよう。悪いところはちゃんと治して、美味しいものを一緒に食べたい。そんな相手がいるのなら、年を重ねていくのも、そう、きっと悪くない。

次回は「怒る猫」編で完結です。よろしければ最後までどうぞよろしくお願いいたします。

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