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ただいま

 遺跡の内部と地上を隔てる、最後の扉。


 ここを抜ければ、短い階段がある。

 その先には、外がある。


 三百年以上ものあいだ、エリスが一度も辿り着けなかった場所。


『ここまで……です』


 エリスがユウナの手をそっと振りほどき、扉の前で立ち止まった。


 声はかすれていた。

 その足は、まるで見えない鎖で床に縫い止められているかのように動かない。


 この扉を開けること。

 施設の外へ出ること。


 それは、彼女の深層に刻まれた命令によって固く禁じられていた。


 自由を求める意思と、拒絶する命令。

 その二つが、彼女の中で軋み合っている。


「ほら、エリス」

 ユウナが隣へ寄り添い、静かに語りかける。


「大丈夫よ。その一歩を、信じてみて」


 エリスは、震える手を扉へ伸ばした。

 指先が、冷たい金属へ近づく。


 だが――触れる直前、何かに弾かれたように、その手は引き戻された。


『無理……です』


 エリスは顔を伏せた。


『できません……!』


 一歩、逃げるように後退する。


『希望なんて要りません。そんなもの……三百五十二年前に捨てました』


 堰を切ったように、涙が溢れ出す。


『外の世界に拒まれて、また独りにされるくらいなら……絶望に落とされる前に、私を終わらせてください』


 その言葉に、ルシエラが息を呑む。

 リリアも、唇を固く結んだ。


 だが、ユウナだけが応えた。


「踏み出すことを恐れるな!」


 一喝。


 冷たい通路に、ユウナの声が鋭く響いた。


「あなたはまだ希望を捨ててなんていない!」


 エリスが、はっと顔を上げる。

 ユウナの瞳は、一点の曇りもなく彼女を見据えていた。


「本当に諦めていたなら、あの扉のボタンに残っていた痕跡を、そのまま放置して残したりなんてしなかった」


 エリスの瞳が、わずかに揺れる。


「“案内”を名目にトラップの存在を教えたり、セーフルームまで私たちを導いたりもしなかったはずよ」


 ユウナの手が、エリスの肩を掴む。


「あなたは待っていたのよ」

 静かな声だった。


「希望を捨てずに、いつか掴める時を。誰かがここまで辿り着く、その瞬間を」


 掴まれたエリスの肩が震える。


「だから今、あなたはここにいる」


 その震えを感じながら、ユウナは、柔らかく微笑んだ。


「そうでしょ?」


 沈黙。


 誰も言葉を挟まなかった。


 ユウナはさらに声を届ける。


 祈るように。

 慈しむように。


「――また、あの優しい歌を聞かせて?」


 エリスの震えが、完全に止まった。


 ゆっくりと、彼女は顔を上げる。


 その瞳から涙は消えていない。

 しかし、そこには微かな……確かな光が宿っていた。


 一歩、エリスは踏み出した。


 今度は、逃げなかった。


 伸ばした指先が、三百年以上ものあいだ禁忌とされていた扉へ触れる。


 その背後で、ユウナは静かに剣の柄へ手をかけた。


 もし扉が開かなければ。

 もし、まだ命令が生きていて、エリスを苦しめる何かが発動するなら。


 エリスが絶望を味わう前に、自分が彼女を終わらせる。


 それが、エリスをここまで連れてきた者の務め。

 ユウナの覚悟だった。


 全員が息を呑んで見守る中。


 扉は、あまりにもあっけなく。


 吸い込まれるように左右に開いた。


「っ……!」


 差し込んできたのは、眩い黄金色(きんいろ)の陽光だった。


 冷たい遺跡内の空気とは違う。

 草木の香り。

 土の匂い。

 生き物の気配を孕んだ、暖かな風。


 それが、エリスの銀髪を優しく揺らした。


 エリスは目を見開く。

 信じられないものを見るように、光に満ちた世界を見つめていた。


「ほら」


 ユウナは剣から手を離し、軽やかに階段を駆け上がった。


 そして地上へ躍り出る。


 眩しい空を背にして振り返り、エリスへ向かって力いっぱい手を伸ばした。


「お帰り、エリス!」


 その言葉が、エリスの胸に深く、深く突き刺さった。


 視界が、再び滲む。


 しかし今度の涙は、悲しみのためではなかった。


『……っ……!』


 エリスは一歩、また一歩と階段を上る。


 そして、ユウナの手を取った。


 強く。

 固く。

 ようやく掴んだ希望であるかのように。

 ――決して離すまいとするように。


『ただいま、です……!』


 その言葉は。


 三百年以上の孤独を越えて、ようやく外の世界へ届いた、最初の言葉だった。

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