セーフルーム
「……この部屋は、安全だと思っていいのね?」
ユウナは、絞り出すような声でエリスに問いかけた。
肩で息をしている。
額には汗が滲み、表情には濃い疲労の色が浮かんでいた。
切断光線の通路を抜けたあと、三人を待ち受けていたのは、休む間もない魔動機の強襲だった。
ウォードゥームの編隊。
銃装されたアイアンゴーレム隊。
それらを援護するかのように、天井付近を飛び、上から機銃を掃射するシルバーウィング。
普通の上級冒険者パーティなら、十回は全滅していてもおかしくない。
そんな地獄のような防衛網を、三人は力業と気力で突破してきた。
そしてようやく、エリスに案内されたこの部屋へ辿り着いたのである。
『はい。ここは緊急時のセーフルームです』
エリスの声だけが、疲労とは無縁だった。
『物理防壁、防火扉、超強化ガラスにて隔絶されています。
本来は警備ユニットの侵入不可プログラムも施されていますが……現在、そのプログラムが有効かは不明です』
「最後の一言が不安すぎるわね……」
ユウナが眉間を押さえる。
「……まあ、見た感じ頑丈そうですし~」
リリアが、壁を軽く叩きながら言った。
いつもの軽さは残っているが、声は掠れている。
「扉さえ閉めておけば、他の場所よりはマシですよ、きっと~」
その“きっと”に、誰も反論する元気はなかった。
「……そうですね。何はともあれ、一服しましょう」
ルシエラもまた、限界だった。
重い足取りで荷物を下ろし、のろのろと中身を探り始める。
「お茶の用意をします……」
『お茶ならば、私がご用意いたしますが』
平然とした顔で、エリスが申し出た。
その言葉に、三人の視線が一斉に向く。
「あなた、そんなことまでできるの?」
『はい』
エリスは淀みなく頷いた。
『私には、シェフ、ハウスキーパー、メイド等のスキルが、プログラムとして一通り備わっております』
「……そう」
ユウナはごく僅かな時間考えたあと、手をひらりと振った。
「じゃあ、お願いするわ」
「ユウナ、本当に大丈夫なのでしょうか……?」
ルシエラが訝しむような声を出す。
エリスはこの遺跡の管理補佐個体を名乗っている。
施設の案内を任務と称し、その情報は今のところ完全に正確で、敵意はないように見える。
だが、何もかもを信用するには、まだあまりにも情報が少ない。
しかしユウナは、迷いのない様子で答えた。
「大丈夫よ。エリスに敵意はないわ」
そして、ルシエラを安心させるように口元を緩める。
「道具を渡してあげて」
そこまで言われれば、ルシエラも拒まない。
彼女は荷物の中から、火打石、薪、鍋、水筒、そして茶葉を取り出し、エリスへ差し出した。
エリスはそれらを恭しく受け取る。
だが、火打石を手にしたところで、ぴたりと動きを止めた。
『……旧時代の火おこし用品ですね』
じっと、石を見つめる。
『実物を見るのは初めてです』
「……もしかして、使えないの?」
『はい』
即答だった。
『この石をぶつけ合って火花を散らすには、当機の演算ユニットに新たな技術習熟プログラムをダウンロードする必要があります』
「ジェネレーションギャップどころの話じゃありませんね~」
リリアが乾いた笑いを漏らした。
「三百年分の技術の断絶を感じます~」
エリスは表情を変えないまま、火打石と薪をルシエラへ返した。
『この道具では火を起こせませんが……当施設のライフラインは現在も問題なく稼働しておりますので』
そう言って、エリスは壁際へ歩み寄る。
そこには、腰ほどの高さで壁がわずかに出っ張った、奇妙な空間があった。
棚とも机ともつかない。
用途の分からない、のっぺりとした白い壁面。
エリスがその一部に軽く触れる。
すると、壁から静かに銀色の板状の台がせり出した。
「……何それ」
ユウナが思わず呟く。
エリスは答えず、慣れた手つきで作業を続ける。
壁の一部から突き出た金属の棒に手をかざす。
その瞬間、透明な水が勢いよく流れ出した。
『浄水システム、異常なし』
エリスは壁面を開けて取り出した、金属のポットに水を満たす。
次に、せり出した台に刻まれた黒い円形の紋章の上へ、そのポットを置いた。
仕掛けらしきものはない。
だが、エリスが傍らに指を触れた瞬間、ぱっと淡い光が灯る。
魔力を感じはするが、魔法の気配はない。
少なくとも、ユウナたちが普段感じているような魔力の流れではなかった。
にもかかわらず、ポットの中の水は恐ろしい速度で気泡を上げ始める。
数十秒ほどで、シュンシュンと蒸気が噴き上がった。
「これ……魔法じゃなくて、別のエネルギーで熱してるんですか~?」
リリアが目を丸くして、台の表面を覗き込む。
『魔素を熱エネルギーに変換しております』
「魔素なんですね~。なのに魔法以外の使われ方……これが魔動機文明時代の技術ですか、面白いです~」
リリアの目に、疲労を押しのけるような好奇心が起き上がってくる。
エリスは淀みない動作で茶葉を量った。
湯の温度を確認し、器を温め、最適なタイミングで湯を注ぐ。
その所作は正確で、滑らかで、どこまでも無駄がなかった。
そこには、三百年前に失われたはずの“文明的な日常”があった。
火を起こす手間もなく。
薪も使わず。
煙も出さず。
ただ壁に触れ、水を出し、台に置くだけで湯が沸く。
魔動機文明時代の、現在の技術では及びもつかない機械仕掛けの便利さが、鮮やかに再現されていた。
「「「………………」」」
火を起こすだけで数分。
湯を沸かすのにさらに数分。
それが当たり前だった三人は、ただぽかんと口を開けてその光景を見つめることしかできなかった。
やがてエリスは、湯気の立つカップを三つ用意し、完璧な角度で一礼した。
『お待たせいたしました。リラクゼーション・ブレンドです』
そう言って静かにカップを差し出す。
魔動機文明の利器を前にして、現代の冒険者たちは微妙な顔をしながら、それぞれ温かな茶を啜った。




