案内人
扉の向こうもまた、長い通路だった。
先ほどまでの区画と同じように、壁に埋め込まれた灯りが白く、冷たく足元を照らしている。
火の揺らぎも、魔法の温もりもない。
ただ一定の明度で、三百年前からそうであったかのように、無機質な光が床と壁を白々と浮かび上がらせていた。
空気は静止している。
かすかにひんやりとした感覚が肌を刺した。
だが、今度は決定的に違っていた。
通路に入って、わずか三メートルほど進んだ時だった。
右手側にあった金属製の扉が――何の予兆もなく、静かな音を立てて、滑るように開いた。
「!」
三人が、同時に身構える。
ルシエラの手が吸い込まれるように剣の柄へ伸びる。
ユウナは半歩前へ出て、即座に魔力を練った。
リリアもまた杖を持ち直し、油断のない目で開いた扉の奥を見つめる。
そこから現れたのは一人の女だった。
腰下あたりまでの長さの流れるような銀色の髪は、冷たい照明の下で絹のように滑らかな光沢を帯びていた。
年の頃は二十代前半に見える。
切れ長の瞳は氷のような淡い青灰色で、感情の欠片すら映さない。
整った鼻梁と、薄い桜色の唇が、冷たくも完璧な美貌を形作っていた。
隙のない端正な立ち姿、細くしなやかな肢体で背筋は美しく伸び、肩の線は柔らかでありながらも凛とした強さを感じさせ、まるで最高級の磁器人形を思わせる。
そして何より目を引いたのは、その身に纏っている衣装だった。
黒と白。
清廉なまでに整えられたメイド服。
この冷たい遺跡の奥にあって、あまりにも場違いな装い。
同時に、その女からは奇妙なほど徹底した無機質さが漂っていた。
肌は人のものに見える。
髪も本物としか思えない。
それなのに、何かが決定的に違う。
視線の動かし方。
立ち方。
そして、呼吸の仕方。
そこには“人間らしさ”という温度が、決定的に欠落していた。
女は、感情の宿らない瞳で三人を正面から見据えた。
敵意はない。
だが、歓迎とも言い切れない。
ただそこに存在する事象を、ありのままに認識している。
そんな、鏡のような目だった。
やがて女は、すっと裾を摘まむようにして一礼した。
無駄がなく、機械的なまでに美しい所作だった。
『ラボラトリー・No.9へようこそ』
澄んだ声だった。
よく通り、耳障りもいい。
だが、その抑揚もまた、精巧に作られた人工物のような響きを孕んでいる。
「……歓迎にしては、随分と平坦な声ね」
ユウナは軽口を叩いた。
だが、その視線は一瞬たりとも女から外れていない。
女は、まばたき一つせずに答えた。
『来訪者の確認後、接遇手順に従い応対を開始しました』
リリアが傍らで小さく息を呑む。
「……ルーンフォークではないみたいです。ガイノイド……でしょうか~」
ごく小さな呟きだった。
魔動機文明時代に存在したと言われる、人造の奉仕機構。
古い文献でしか見たことのない概念が、今まさに目の前に立っている。
リリアの声には、抑えきれない興奮と、同じだけの警戒が混じっていた。
ルシエラは剣の柄から手を離さないまま、低く問う。
「この遺跡に、他にも誰かいるんですか」
女は、ほんのわずかに首を傾げた。
『現在、居住区画における人類反応は、あなた方以外にはありません』
人類反応。
その冷徹とも言える言葉選びに、ユウナの目が細くなる。
「じゃあ、あなたは何者?」
ほんの一瞬の間があった。
女の目が、三人を順に捉える。
情報を整理し、定義づけるような沈黙。
そして、答えた。
『当機は、ラボラトリー・No.9管理補佐個体。識別名〈エリス〉』
一拍。
『施設管理、来訪者案内、生活補助、研究補佐を担当しております』
「ずっと動き続けてるんですか~……三百年以上も……すごいですね~……」
リリアの瞳に、抑えきれない知的好奇心が宿る。
エリスはその言葉にも反応を変えず、一定の間を置いてから、淡々と答えた。
『稼働継続は、当機の任務です』
「任務、ね」
ユウナは、その言葉を反芻する。
管理。
来訪者案内。
研究補佐。
つまり、この先にはまだ“案内すべき価値のあるもの”が残っているということだ。
三百年という歳月の果てに。
この自律機構が、なお役目を果たすべき何かが。
「なら、案内とかをしてもらえるのかしら?」
『可能です』
エリスは即答した。
だが、続く言葉は穏やかなものではなかった。
『ただし、現在ラボラトリー・No.9は一部区画において、封鎖、危険指定、機能不全を確認しております』
澄んだ声が、冷たい通路に響く。
『来訪者の安全を保証することはできません』
淡々と続く報告に、三人の間の空気がわずかに変わった。
やはり、ただの観光案内では終わらない。
「危険指定の内容は?」
ルシエラが鋭く問う。
エリスは、わずかな遅延もなく答えた。
『研究区画深部における管理権限未回収個体の残存』
さらに続ける。
『および、封鎖対象実験設備の異常稼働』
聞き慣れない言葉の羅列。
だが、意味は十分すぎるほどに伝わった。
――この遺跡の本当の怪物は、まだ奥に潜んでいる。
リリアが、興奮を押し殺すように息を吐く。
「これは……面白いですね~」
「面白いで済ませるのはどうかと思うけど」
ユウナはそう返しながらも、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
遺跡は生きている。
管理者がいて。
危険があり。
そして、価値が眠っている。
それは未知の領域だった。
だが同時に、今の三人にとっては、これ以上なく相応しい舞台でもあった。
エリスは、そんな三人を見つめる。
その瞳に感情はない。
期待も、不安も、喜びもない。
ただ、役目を果たすための無機質な光だけがあった。
『案内を開始します』
銀髪のメイドは、滑らかな所作で身を翻す。
『どうぞ、お足元にご注意くださいませ』
そして、白い光に照らされた通路の奥へ、静かに歩き出した。
三人は一瞬だけ視線を交わす。
ユウナが小さく頷き、ルシエラが剣の柄に指を添えたまま歩き出す。
リリアは口元に楽しげな笑みを浮かべながらも、杖を握る手にわずかに力を込めていた。
三百年眠り続けた研究施設。
その奥へ。
三人は、銀髪の案内人の背を追った。




