パスワード
「斬りますか?」
ルシエラが、ごく自然な動作で剣の柄に手をかけた。
目の前にあるのは、分厚そうな金属製の扉だ。
古びている様子はない。
表面は鈍く光り、いかにも頑丈そうで、通常はまず力押しなど考えないだろう。
だが、ルシエラの声には迷いがなかった。
斬れる。
そう言っているのと同じだった。
「速攻で正攻法を放棄しましたね~」
リリアがけらけらと笑う。
こういう場合、普通の探索者ならば、まず周囲の部屋をもう一度調べ直す。
机の引き出し、棚の裏、壁の刻印、床の傷。
パスワードそのものか、少なくとも手がかりになるものを探す。
それが、遺跡探索の定石だ。
「斬ってもいいけど、スマートじゃないわね」
ユウナはそう言いながら、腰の小袋へ手を入れた。
中から取り出したのは、いくつかの小物だった。
チョーク。
小さなナイフ。
糊の入った小瓶。
そして、薄い透明な紙。
リリアの目が、きらりと光る。
「わ、すごい。透明な紙ですよ~。高級品ですよ~」
「まあ、自作だからほぼタダだけどね」
「自作ですか~!?」
今度は本気で驚いた声だった。
ユウナは、少し得意げに透明な紙を指先でつまむ。
「食物繊維を細かく刻んで、灰汁で煮込んで、余計な成分を抜いて繊維だけを残すの。残った繊維をさらに解繊して、平らに塗って乾かせば紙になる。だけどそこからさらに延々と解繊し続けて、布で濾過した液の方を平坦な所に貼りつけて乾かせば、こういう透明の紙になるのよ」
「すごく早口ですね~」
リリアが目をぱちぱちさせる。
隣でルシエラが、どこか慣れた様子で頷いた。
「ユウナは、こういうのが大好きなんです」
「……こほん」
ユウナは小さく咳払いをした。
そして、話を切り替えるようにチョークを手に取る。
通常の紙を敷き、その上でチョークの表面をナイフで細かく削る。
白い粉が、さらさらと紙の上へ落ちていった。
それを指先で軽くほぐし、粉末にする。
「で、これを……」
ユウナはパネルへチョークの粉末の乗った紙を近づけ、ふっと息を吹いた。
白い粉が、薄い霧のように舞う。
十二個のボタンへ、ふわりと降りかかる。
一見すると、ただ白く汚れただけに見えた。
だがユウナは、そこで糊の小瓶を開ける。
透明の紙へ、道具を使って、ごく薄く、均一に塗っていく。
「この透明な紙に、糊を薄ーく塗って……」
慎重に、糊を塗った面を、パネルへ押し当てる。
数秒。
圧をかける。
それから、ゆっくり剥がした。
「お~~~~~~」
リリアが感嘆の声を上げた。
透明の紙には、パネルのボタンの凸部に合わせて、白いチョークの粉が移っていた。
それだけではない。
いくつかのボタンの上に、他より濃い跡がある。
そしてその中には、細かな線が渦を巻くように浮かび上がっていた。
指紋――
長年の使用で生じた微細な摩耗が、指紋の形を痕跡として残していた。
誰かが、かつてそのボタンを押した痕跡。
三百年の時を越えてなお、完全には消えずに残っていた手がかり。
ルシエラが、思わず息を呑む。
「……こんな方法が」
「力で壊すより、こっちの方が遺跡探索っぽいでしょ?」
ユウナは透明の紙を光に透かし、指紋の位置を確かめながら、薄く笑った。
「さすがですね~」
リリアは楽しそうに目を細める。
「こういう小細工、大好きです~」
「小細工じゃなくて、技術と言ってほしいわね」
ユウナは軽く返しながらも、視線はすでに紙面へ集中していた。
「これで、押すべきボタンは分かったわね」
ユウナは透明の紙をかざしながら言った。
十二個並んだボタンのうち、チョークの粉が濃く移っているものは四つ。
つまり、実際に使われていたボタンは四つだけということになる。
「なるほど。あとは順番ですね」
ルシエラが、尊敬と期待を隠さない目でユウナを見る。
その視線を受け、ユウナは得意げに鼻を鳴らした。
「ふっふ……これはね」
彼女は指紋の浮かんだ半透明の紙を指で示す。
「魔動機文明時代の人には、こういうボタン操作をするときの癖があるの」
「癖、ですか?」
「そう」
ユウナは、人差し指で机を軽く叩くような仕草をした。
「最後のボタンは、無意識に強く押す傾向があるのよ」
そして、実演するように指を動かす。
「た、た、た……っターン! って感じでね」
言われてみれば、四つのうち一つだけ、指紋が他よりも濃く、はっきりと写っているボタンがあった。
押し込む力が強かったのだろう。細かな指紋の線まで、他より鮮明に残っている。
「ほうほう」
リリアが目を輝かせる。
「じゃあ、これを最後に押すんですね~。さすが百戦錬磨の冒険者さんです~」
「まあね」
ユウナは胸を張った。
実に得意げだった。
「ではでは~」
リリアがさらに身を乗り出す。
「残りの順番は、どうやって判別するんですか~?」
目は輝き、その声は完全に期待で弾んでいた。
ルシエラも同じような目で見ている。
今まさに、ユウナが魔動機文明の謎を鮮やかに解き明かしてくれる――そんな顔だった。
しかし、そこまでは自信満々だったユウナが、ふっと顔を背けた。
「……総当たり」
ぼそり。
「……はい?」
リリアが首を傾げる。
「もう一回お願いします~」
「総当たりよ、そ・う・あ・た・り!」
ユウナは開き直ったように声を張った。
「三つのボタンの順番を試せばいいだけでしょ! 最後は分かってるんだから、六通りしかないわ!」
沈黙。
ルシエラとリリアが、そろって透明の紙を見た。
それから、パネルを見た。
最後に、ユウナを見た。
「……最後に締まりませんね」
「ですね~」
「何よ何よ!」
ユウナがむっとした顔で反論する。
「十二個から四個に絞って、しかも最後のキーまで当てたのよ!? 十分すごいでしょ!?」
「それはまあ、そうなんですが……」
ルシエラが困ったように言う。
「ここまで来たら、最後まで正答を導いてくれると思いますよね~」
リリアも悪気なく頷いた。
「うっ……」
痛いところを突かれる。
だが、それでも結果は結果だ。
四つに絞られているなら、試行回数は限られる。
しかも最後のキーは判明している。ならば、あとは前三つの並びを試すだけ。
そしてその通り、試すこと三回目。
――ごぅぅん……
重い音を立てて、金属扉が左右へスライドする。
「開きましたね~」
リリアが楽しそうに目を細める。
ルシエラは、ほっとしたように息を吐いた。
ユウナは腕を組み、少しだけ顎を上げる。
「ほら、開いたでしょ」
得意満面……いや、得意半面の中途半端な表情だった。




