再始動
リリアの工房では、店主が実に嫌な笑みを浮かべていた。
「によによによ……」
「…………」
「…………」
ユウナとルシエラは、棚に並んだポーションを吟味しているふりを続けていた。
視線は瓶へ向けている。
手元も、いかにも真剣に品定めをしているように動いている。
だが実際のところ、二人が全神経を注いでいたのは、背後からじっとりと絡みついてくる、粘着質で、それでいて妙に楽しげな視線を無視することだった。
沈黙。
薬瓶のかすかな触れ合う音だけが、工房の中に小さく響く。
その沈黙を破ったのは、やはり店主だった。
「……『もういいわ……私の負けよ……好きにして』」
不意に、リリアがユウナの声を模して呟いた。
完璧な声真似。絶望に打ちひしがれて自暴自棄になった、あの瞬間の掠れた声色まで、嫌になるほど見事に再現されている。
ユウナの耳がぴくりと跳ねた。
こめかみに、分かりやすく青筋が浮かぶ。
手の中のポーション瓶が、みし、と不穏な音を立てた。
だが、彼女はまだ耐えた。
聞こえなかったふりをして、その瓶を棚へ戻す。
「……『でも、今の戦いはフェアじゃありません!リリアは自分だけ装備を完璧に整えて……』」
追い打ちをかけるように、今度はルシエラの声真似が響いた。
こちらもまた、無駄に完成度が高い。
真面目さと悔しさと、どうしても納得できないという拗ねた感情が、実に腹立たしい精度で再現されていた。
ルシエラの肩が、小刻みに震え始める。それでも声を出すのは堪えていた。
すると今度は、カウンターの上に置いてあった新聞を手に取り、朗読を始める。
「……『深夜のハイペリオン、下着姿で――』」
「ああもう! 分かったわよ! 悪かったわね!!」
「~~~~~~~~っ!!」
ついにユウナが吠えた。
同時に、ルシエラは顔を両手で覆い、その場に蹲る。
そんな二人を見て、店主であるリリアはころころと笑いだした。
「いや~、あれだけ暗く沈み込んでいたその日のうちに、まさかここまでぶっ飛んだ伝説を打ち立ててくれるとは思いませんでしたよ~。」
「……新しい“きっかけ”を見つけて、舞い上がっていたのよ。自分があんなに単純だったなんて、思いもしなかったわ」
ユウナは顔を赤くしながらも、どこか吹っ切れたように自嘲した。
あの夜の自分たちが冷静ではなかったことは、今さら否定しようもない。
半年間、出口の見えない焦燥に灼かれ続け、ようやく掴んだわずかな光に、思っていた以上に心が浮き立ってしまったのだろう。
「まあ、それだけ半年間の苦しみが深かったということですね。仕方のないことだとは思いますよ~」
「……本気でそう思っているなら、もう少し弄るのを手控えてほしいんだけど?」
「いやまあ、それはそれとして面白いんで。別腹ですね~」
屈託のないリリアの返答に、ユウナは深く溜息をついた。
怒る気も失せたように苦笑する。
だが次の瞬間には、その表情から冗談の色がスッと消えた。
ユウナは真正面からリリアを見据える。
「まあ、それは置いておいて。改めてお礼を言わせて……
ありがとう、リリア。本当に感謝しているわ」
静かで落ち着いた声だった。
先ほどまでの羞恥も、苛立ちも、照れ隠しも、そこにはない。
「……それから、ごめんなさい。あなたにまで当たり散らして、随分と失礼なことを言ったわ。
あなたに負けるはずがないなんて、完全に下に見るような物言いをして……」
そう言って、ユウナは深々と頭を下げた。
ルシエラもまた、その隣で静かに姿勢を正す。
「あなたの強さは本物よ。……またいつか、再戦してほしいわね」
「イヤですよ~」
リリアは即答した。迷いのない返事だった。
彼女は笑顔のまま、ひらひらと手を振る。
「冷静さを取り戻したユウナさんに勝てるはずないじゃないですか~。
堂々と勝ち逃げします。リベンジなんてさせてあげませんよ~」
悪戯っぽく笑うリリア。
それを見てユウナは肩の力を抜いた。
やはりこのエルフの少女には、力や技だけでは測れない“役者の違い”がある。
「(……これは敵わないわね)」
と、清々しい敗北感を覚えていた。
そんなことを思っていると、リリアが視線を移す。
カウンターに二人が並べた消耗品。
普段よりかなり念入りな準備。
「それで~?」
興味深そうに身を乗り出す。
「いつも以上に入念に準備してますけど、何か危険な仕事でも受けたんですか~?」
「ええ。魔動機文明時代の遺跡探索よ」
「ほほ~」
「門番がウォードゥームらしくてね。ギルドも危険度を最高ランクに見積もっているわ。だから、私たちに回ってきたのよ」
「魔動機文明時代の……ですか~」
その言葉が出た瞬間、リリアの瞳の奥に好奇心の炎が灯った。
普段の穏やかな笑みに隠しきれない蒐集欲と探究心が混じり、その間延びした声が、ほんのわずかに高くなる。
「それは……錬金術師としては、興味津々ですね~」
「そう」
ユウナの顔に笑みが浮かぶ。
「じゃあ、私たちの協力者ってことで来てくれないかしら」
軽い調子だったが、その目には真剣さも含まれていた。
「部外者でも、リリアならギルドも認めるでしょうし」
ユウナの言葉を受け、リリアは二人を交互に見た。
ゆっくりとリリアの口の端が持ち上がる。
「……面白そうですね~」
その一言で話は決まった。
「だけど一つだけ、条件と言うか、お願いがあります~」
リリアは、にこやかな笑みを崩さないまま、人差し指を立てた。
「今回の探索で見つかったもの」
ゆるい声だが、そこに混ざる音は決して柔らかいだけのものではない。
「素材でも、技術でも、遺物であったとしても」
リリアの目が、すっと細まる。
「それをどう扱うかの判断に、私も関与させてください~」
「……ふむ?」
ユウナは指を顎に当て、少し考え込んだ。
魔動機文明時代の遺跡。
そこから出てくるものは、単なる古道具とは限らない。
失われた技術。
危険な兵器。
制御不能の魔動機。
あるいは、今の人族社会の在り方そのものを揺るがしかねない知識。
リリアの言い分は、十分に理解できた。
「でも、仮にそれが大勢の人々に影響するようなものなら」
ユウナは静かに言う。
「多分、基本的にはギルドの――というより、国の判断になると思うわ」
大きなものほど、個人の手には余る。
影響力が大きければ大きいほど、その扱いには政治的な判断が絡む。
誰が所有するのか。
誰が管理するのか。
公開するのか、封印するのか。
仮にそれが兵器ならば、誰の手に渡すのか。
ひとつ間違えれば、国の均衡すら崩しかねない。
リリアは、小さく頷いた。
「そうですね~。そこは分かっています~」
いつも通りの話し方だが、その表情には、多分に真剣なものが混ざっていた。
「でも、一言申すくらいはしたいです~」
「……分かったわ」
ユウナは軽く息を吐き、頷いた。
「リリアの同行もギルドに許可を取らないといけないし、その時に話してみましょう」
「お願いします~」
そう言って、リリアはいつものようにふんわりとした笑顔を見せた。




