停滞の終わり
工房の扉が閉まると、張り詰めていた空気は一気に緩んだ。
「あ~~~。やっぱり慣れないキャラ作りは疲れますねぇ~……」
リリアは、先ほどまでの冷徹さが嘘だったかのように、いつもの気の抜けた声を漏らした。
首をこきこきと鳴らしながら、棚の上に並ぶポーション瓶を整え直していく。
ついさっきまで場を支配していた、あの圧倒的な強者の気配は、もう微塵も残っていない。
「………………」
対照的に、ユウナは俯いたまま、ぎゅっと拳を握りしめていた。
敗北。
それも、単なる力負けではない。
自分が“格上”だと信じて疑わなかった慢心を、足元から完全に崩された敗北だった。
「……色々と……勉強になったわ……」
ようやく絞り出した声は、まだ小さく震えていた。
しかし、その瞳からはもう、先ほどまでの濁った絶望は消えている。
砕けた心の破片を、自分の手で拾い集めようとする意志が、そこには確かに戻り始めていた。
「限界を極めて、焦っちゃったんですね~」
リリアは背を向けたまま、淡々と言う。
「でもそもそも、人族の個体としての強さなんて、高が知れているんです~」
手を止めることなく、静かに続ける。
「どれだけ必死に鍛えても、竜の鱗を素手で引き剥がしたり、巨人の腕力を真っ向からねじ伏せたりなんて、生物の構造的に無理なんですから~」
人は弱い。
その事実は、15レベルという高みに達したからこそ、より残酷に突きつけられる。
他種族が生まれつき持つ理不尽な強みへ、人の肉体一つで比肩することはできない。
「だからこそ、人は知恵を絞るんです」
リリアの声が明るくなる。
「道具を使って、工夫して、そして何より――“協力”する」
そこで、くるりと振り返った。
「互いの足りない部分を補い合って、連携を極めて、圧倒的な強敵に土をつける」
にっこりと笑う。
「……それこそが、人族の冒険者の強さじゃないですか~」
「……そうね」
ユウナの口元に、ふっと微笑が浮かんだ。
自嘲めいていて、それでいてどこか憑き物の落ちたような笑みだった。
「私たちは、そうやって格上の強敵に勝ってきた」
確かめるように、自分へ言い聞かせるように続ける。
「……それなのに、いつの間にか独りよがりの強さに囚われて、一番大切なことを忘れていたわ」
「思い出しましたか~?」
パッと手を広げ。
「まったくもう。知ってるはずのことを再認識させるだけなのに、高価なマテリアルカードを大放出させちゃいましたよ~」
そのぼやきに、ユウナは苦笑した。
「……悪いことをしたわね」
小さく息を吐く。
「授業料として、今日使った消耗品の分は全部私が払うわ」
「いえいえ、いいんですよ~」
リリアはぱたぱたと手を振った。
「お金はいっぱい使っちゃったけど、その代わり得難い経験ができましたから~」
一拍。
「……ユウナさん相手に本気で戦ってみたおかげで、わたしにも少し“上”が見えてきました」
「……上?」
ユウナが眉をひそめる。
人族の限界へ届いたはずの自分を倒したリリアが、さらにその先を口にする。
その意味を測りかねて問い返すが、リリアはただ、含みのある笑みを浮かべるだけだった。
「ふふっ……これは、アドバイスです」
その瞳が鋭く光る。
「これまでの“本当の死闘”を、もう一度最初から思い返してみてください」
静かな声だが、その言葉には確信があった。
「ユウナさんなら、もう気づけるはずですよ~」
抽象的で、煙に巻くような言い方だった。
だが、その奥には、既存の理をひっくり返すような何かが潜んでいる気がした。
ユウナはしばらく黙っていたが、やがて静かに頷く。
「……ええ、ありがとう」
その声には、もう先ほどまでの空虚さはなかった。
「この借りは、そのうち必ず返させてもらうわ」
まだ多少のぎこちなさを残しながらも、身を翻して工房を後にする。
ルシエラもまた、そんな彼女の後を追う。
半年間止まっていた、二人の時計の針が。
今ようやく――力強く動き出した。




