覚醒
宿へ戻った二人は、ようやく一息ついていた。
「……ふぅ」
ユウナが大きなベッドに仰向けに倒れ込むと、身体が柔らかな寝具に沈み、その感触が、張り詰めていた緊張や溜め込んでいた疲労感を、ゆっくりとほどいていった。
リリアの工房を出たあと、二人は久しぶりにまともな食事を取り、身体を清め、髪を整え、武具の手入れもきちんとし直した。
たったそれだけのことだった。
だが、それだけで分かってしまう。
昨日までの自分たちは、まともではなかったのだと。
「そりゃあ、勝てないわね」
ユウナは乾いた笑みを浮かべて呟いた。
ベッドの端に腰かけていたルシエラも、小さく頷く。
「……運がよかったですね」
その意味は、痛いほどよく分かっていた。
もし、昨日までのあの有様で、あのまま本当の強敵と相対していたら――その先は、考えるまでもない。
リリアが言い放った“平和ボケ”とは、まさに二人の核心を突いていたと言える。
やがてユウナが、目を閉じて呟いた。
「死闘を思い出せ……か」
リリアの言葉。
あれは、ただの抽象的な慰めではなかった。
何か、確かな意味がある。
ユウナは記憶を辿る。
レジェンダリーゴブリン戦。
最初にドレイクバロンを落とした判断に間違いはなかった。
だが、そのためには大きな賭けが必要だった。
レジェンダリーゴブリンの一撃で即死する可能性は、小さからずあった。
――本当に、賭けだったのか。
思考が待ったをかける。
違う。
あの時、自分は知っていた。
あの怪物は、こちらを侮っていた。殺すよりも、痛めつけることを優先する。
だから一撃目では死なないと、そう確信していた。
さらに最後。
瀕死に追いこまれていた。
レジェンダリーゴブリンが勝ちを確信し、余裕をもって近づいてくる……
嗤いながら棍棒を振り上げる……
その光景が――まるで先に見えていたように、はっきりと脳裏にあった。
だからこそ、半死半生の状態でも魔力を練り、最後の魔法を放つ準備ができていた。
「……視えていた?」
閉じていた目が、ゆっくりと開く。
今度はドラゴンゾンビ戦。
あの戦いの途中から、自分は戦況の全体を知っていた。
与えるダメージ。
受ける攻撃。
回復量。
足りない一撃。
そして最後、スタンピードに踏み潰されながらも、一瞬だけ耐え、最後の一撃を放ってから倒れるところまで。
全部。
分析したのではない。
計算したのでもない。
もっと直感的に。
もっと鮮明に。
イメージ……いや、“視えて”いた。
ユウナは、がばっと身体を起こした。
「ルシエラ!」
「はい、ユウナ!」
返事は驚くほど早かった。
しかもその声には、ユウナと同じような確信が混じっている。
ルシエラもまた、何かを掴んでいた。
二人はほとんど同時に立ち上がると、そのまま部屋を飛び出した。
夜の街を駆けて向かう先は、冒険者ギルド。
受付に詰め寄り、眠たげにあくびをしていた職員を驚かせ、夜で閉まっている訓練場を半ば強引に開けさせる。
訓練場に入ると、すぐに木剣を手に取って打ち合う。
乾いた音が響いた。
踏み込み、斬撃、切り返し。
その瞬間、分かった。
――視える。
自分の剣の軌跡。
それを防ごうとするルシエラの剣の軌跡。
剣が動くより前に、それらが線として浮かぶ。
ならば。
そこから少しだけ、自分の刃をずらせばいい。
バシン!
「つっ!?」
ルシエラの身体に、ユウナの木剣が当たった。
確かに防いだはずだった……それでも抜かれた。
ルシエラが驚きに目を見開く。
「この……っ!」
今度はルシエラが振りかぶる。
その瞬間。
「っ!?」
視えたのは、自分の木剣が、あえなく真っ二つにされる未来。
そのまま刃もない木製の剣に、袈裟懸けに叩き斬られる光景。
「冗談じゃないわよ!」
ユウナは木剣を投げ捨てた。
体裁も何もかなぐり捨てて、横へ転がる。
次の瞬間。
ルシエラの一撃が、投げ捨てられた木剣を両断し、そのまま地面に亀裂を走らせた。
「……ひゅ~~~」
ユウナが息を吐く。
感嘆とも、安堵ともつかない音だった。
しばし、静寂が落ちる。
夜の訓練場に、二人の荒い呼吸だけが残った。
やがてユウナが口を開く。
「未来視、とでも言うのかしらね」
積み重ねた経験。
死線の中で研ぎ澄まされた直感。
それらが一つになり、一手先の攻防を映し出していた。
相手の防御の隙間。
回避の最適解。
攻撃が届く軌跡。
それらが、先に見える。
だからこそ、相手の攻撃を予測して躱すことができる。
相手の守りをすり抜ける一撃が放てる。
そしてルシエラもまた、別の形でその先へ手を伸ばしていた。
リャナンシーを沈め切れなかったこと。
特効とも言える魔剣を手にしながら、ドラゴンゾンビに決定打を与えられず、ユウナに死を覚悟させたこと。
その悔しさから、彼女は目を逸らさなかった。
だからこそ今、ユウナを守るために、敵を確実に断ち切る一撃へ辿り着いた。
必要なのは、ただ強く振ることではない。
相手の守りごと斬り裂く軌道。
力を逃がさず、一点へ収束させる踏み込み。
迷いなく命の芯へ届かせる刃。
必殺に特化した剣。
――二人は、確かに届いていたのだ。
終着点ではない。その先へ至る道筋に。
目を合わせる。
さっきまで失っていた自信が、少しずつ戻ってくる。
そして二人の口元に、自然に笑みが浮かんだ。
久しぶりの、心からの笑顔だった。
半年ものあいだ忘れていた、互いの顔を見るだけで胸が軽くなるような、そんな笑み。
――だがその瞬間。
二人の視線が、ぴたりと止まった。
互いの格好を、ようやく認識する。
入浴後。
下着。
ほとんど裸同然の姿のまま、勢いだけで飛び出してきていた。
「~~~~~~っ!!」
声にならない悲鳴が、見事に重なった。
―――
「……やられた!」
翌朝。
朝の光が差し込む宿の一室に、ユウナの悔しげな声が響いた。
食卓へ朝食を並べていたルシエラが、怪訝そうに振り返る。
「?」
ユウナの手元には、ぐしゃりと握り潰された新聞。
しわの寄った紙面から、潰れかけた見出しが覗いていた。
<深夜のハイペリオン、下着姿で爆走!>
「…………」
不吉さをはらむ文言に、嫌な予感が止まらない。
ルシエラは無言のまま歩み寄り、そっとユウナの手から新聞を引き抜いた。
一面記事だった。
大きく踊る見出しの下には、走るユウナとルシエラの姿が描かれている。
魔動機術【マナカメラ】で記録された映像をもとに描き起こしたらしい挿絵は、嫌になるほど特徴を捉えていた。
本人のイメージとは少し離れた、可愛らしい下着姿で夜の街を爆走するユウナ。
その隣を、こちらは大胆で大人っぽい下着姿で必死に走るルシエラ。
「!?!?!?!?」
ルシエラの顔が、一瞬で真っ赤に染まった。
「プライバシーの侵害よ! 新聞社に抗議するわ!」
勢いよく立ち上がるユウナ。
だがルシエラは、羞恥に震え、顔を両手で覆ったままかろうじて反論した。
「……部屋を出て街中を走っていた時点で、もうプライバシーではないです……」
「うっ……!」
ぐうの音も出ない正論に、人類最高峰の魔法戦士は崩れ落ちた。
高みへの足掛かりを得た代償は……あまりにも大きすぎた。
―――
場面は変わって、リリアの工房。
「あははははははははは!! 苦しいっ、お腹痛い~~~!!」
リリアは新聞を片手に、床を転げ回って爆笑していた。
昨日まで死人のような顔をしていた二人が、まさか一晩でここまで「弾ける」とは思ってもみなかったのだ。
「は~~~~……ほんとに極端な二人ですねぇ」
笑いすぎて滲んだ涙を拭い、寝転がったまま大きく息を吐く。
そして、新聞に載った二人の絵姿を眺めながら、くすくすと笑った。
「でも……」
呟いたその声は、柔らかだった。
「高みへの道が……見えたみたいですね」
工房の窓から差し込む朝の光が、新聞の紙面を照らしていた。




