成長限界
翌日、訓練場にて。
「ずっと動けなかったからね。まずは、身体を動かすことに慣れないと」
「はい」
朝の空気は、まだ少しひんやりとしていた。
二人は訓練場の一角に並んで立ち、まずは柔軟から始める。
筋を伸ばし、関節を回し、呼吸を整え、眠っていた身体の奥へ少しずつ意識を通していく。
続いてストレッチ。
さらに木剣を持ち、型の確認へ移る。
足運び。
重心移動。
振り下ろし。
切り返し。
ひとつひとつを確かめるように繰り返しながら、ユウナは少しずつ身体へ感覚を戻していった。
そして。
「さ、軽く打ち合ってみましょうか」
軽く距離を取って向かい合う。
「はい、行きます……っ!」
最初は、本当に軽く、感触を確かめるような打ち合いだった。
だが、二人の剣はすぐに熱を帯びていく。
一撃ごとに速度が増す。
踏み込みが深くなる。
切り返しが鋭くなる。
見学していた冒険者たちは、最初こそ「技を盗もう」と目を凝らしていたものの、すぐにそれどころではなくなった。
速すぎる。
上下、左右、前後。
立ち位置が目まぐるしく入れ替わり、やがて訓練場全体が一つの戦場であるかのように、二人は場所を変えながら剣を交わし続ける。
木剣同士のぶつかり合う音が、途切れることなく響き渡った。
そして――不意に。
ぴたり、とすべてが止まる。
ルシエラの剣先が、ユウナの腹部へそっと添えられていた。
一方、ユウナの剣は空を切っている。
勝負あり。
「むー」
ユウナが、あからさまにむくれた。
「一週間寝たきりだったんですから……」
ルシエラが僅かにきまり悪そうに言う。
何でもありの勝負なら、それぞれ得意な土俵が変わり、ユウナに十分な勝ち筋はあるだろう。
だが、純粋な剣技だけなら話は別だ。
もともと二人の腕前はほぼ互角。
そこへ一週間のブランクが乗れば、さすがに差は出る。
それでもユウナは、まったく納得していなかった。
「もう一本!」
―――
結局、その日は何度やっても、積み上がるのはルシエラの勝ち星だけだった。
―――
「………………」
「………………」
無言のまま、二人は訓練場を後にした。
帰り道。
隣を歩くユウナは、見るからに不機嫌だった。
ものすごく悔しそうである。
ルシエラはそんな横顔をちらりと見て、次にはその後ろの景色へ視線を逃がした。
どうフォローしたものか分からない。
やがてユウナが、口を尖らせたままぽつりと言った。
「少しくらい手加減すればいいのに」
子供みたいな言い草だった。
ルシエラは少しだけ間を置いてから返す。
「……それでユウナは満足するんですか?」
「ダメ。そんなことしたら絶交する」
二言目にして、もう最初の文句と矛盾していた。
ルシエラの口元から、思わず笑みがこぼれた。
「本当に子供みたい」
小さく。
他の誰にも聞こえないような声で呟く。
それは、ユウナが他には見せない顔だった。
戦場でのハイペリオン級ではない。
ルシエラにだけ見せる、拗ねて、悔しがって、意地を張る、素のユウナ。
「何か言った!?」
すぐさま食いついてくる。
「……何も言ってませんよ」
ルシエラは涼しい顔で答える。
そして、声をやわらげた。
「最後の方は差が詰まってました。明日にはどうなるか分かりません」
その言葉に、ユウナの目が生き返る。
「明日は全部勝つ!」
即答だった。
さっきまでの不機嫌はどこへやら。
単純で、負けず嫌いで、でもそういうところがたまらなく彼女らしいと、ルシエラは目を細めた。
帰り道に響くその声は、どこか明るかった。
取り戻した身体。
取り戻した日常。
そして、取り戻した“いつもの二人”。
その実感が、木剣を打ち合った手の余韻とともに、二人の間に戻ってきていた。
―――
翌日の訓練は、昨日とは比べ物にならないほど、火花の散るような苛烈なものとなった。
ユウナは、昨日までの自分がいかに“動けていなかったか”を、戻ってきた勘と共に痛感していた。
一週間という空白は、想像していた以上に大きかった。
しかし同時に、その空白を埋めるように、身体の奥深くから研ぎ澄まされた感覚が蘇ってきてもいた。
数本の激しい打ち合いを終え、滴る汗を拭いながら、ユウナがふと問いかける。
「ルシエラ……昨日、あなた手を抜いてたでしょう?」
「そんなことはありません」
ルシエラは首を横に振った。
ユウナが伏せっていた一週間、ルシエラは身体そのものは動かしていた。
だが、互角以上の使い手と鎬を削るような緊張感からは遠ざかっていたのだ。
「私も……鈍っていたようです」
その言葉に、ユウナは小さく息を吐く。
「なるほどね」
そして、口元をわずかに吊り上げた。
「……じゃあ、ここからが本番よ。もう一本!」
「はい!」
再び木剣が交差する。
乾いた衝突音。
踏み込み。
切り返し。
反転。
しかし、打ち合うほどに、二人は奇妙な感覚に包まれていった。
以前よりも、世界が遅く見える。
踏み込みの一歩。
一撃の重さ。
身の捌き。
反転の鋭さ。
そのすべてが、かつての自分たちを明らかに凌駕していた。
そして、二人は悟る。
人族としての究極、到達点たる15レベル。
死線を越え、奇跡のような生還を遂げた末に、二人はついにその高みへと辿り着いたのだと。
しばしのあいだ、二人はその昂揚感に酔った。
歓喜だった。
今まで積み重ねてきたものが、確かに自分たちをここまで押し上げたのだという手応え。
剣を交えるたびに、それが実感となって身体を満たしていく。
しかし――
その悦びは、あまりにも早く、冷たい戸惑いへと変わっていった。
――こんなもの、なの?
ユウナの胸中に浮かんだその言葉は、あまりにも率直で、あまりにも残酷だった。
磨き上げたはずの技。
極限まで鍛えたはずの筋力。
辿り着いたはずの、人の頂。
それでもなお。
かつて対峙したレジェンダリーゴブリン。
そして、あのドラゴンゾンビが見せた、あまりにも理不尽で、理の外にある力。
その圧倒的なまでの“格の違い”には、到底届かない。
人の極限まで登り詰めても、なお届かない場所がある。
その現実が、喜びの熱を一瞬で冷やした。
ふと視線を向ければ、ルシエラもまた同じ表情をしていた。
高揚は消え、代わりにあるのは、言葉にしがたい薄暗い実感だけ。
二人はほとんど同時に、力なく剣を下ろした。
「ルシエラ!」
ユウナが何か言いかける。
しかし、その先を口にすることはできなかった。
「……っ、なんでもないわ」
「………………」
ルシエラもまた、何も言わなかった。
分かっていたからだ。
人族の最高レベル。
それはすなわち、種族としての限界という名の壁に、真正面から突き当たったということを意味していた。
その日から、二人の日々は目に見えて変わった。
何かに取り憑かれたように、無茶苦茶な日々を送るようになった。
危険な依頼を受ける。
肉体を限界まで追い込む訓練をする。
また依頼へ向かう。
討伐戦に身を投じ、傷だらけで戻ったかと思えば、休む間もなく武器を振るう。
以前までの彼女たちが大切にしていた、身だしなみへの配慮も、二人で囲む穏やかな食卓も、いつしかどこかへ置き去りにされていた。
髪は乱れ、装備は傷み、眠りは浅くなっていく。
ただひたすらに、肉体と魂を酷使し続ける日々。
そこにあったのは、健全な向上心ではない。
もっと暗く、もっと焦げつくような衝動だった。
強くならなければならない。
届かなければならない。
その一念だけが、二人を突き動かしていた。
―――
半年が過ぎた。
ユウナは魔術の深淵をさらに覗き込み、新たな領域へと足を踏み入れた。
ソーサラー14レベル。
ルシエラは野を駆ける術を磨き、肉体強化の技を深め、さらに電光石火の身のこなしまで我が物とした。
レンジャー14レベル。
エンハンサー10レベル。
スカウト7レベル。
確かに、二人は強くなった。
戦術の幅は広がり、対応力も増した。
できることは増えた。
届く範囲も広がった。
しかし、新しい力を手に入れるたびに、突きつけられるのは同じ現実だった。
――これ以上先はない。
壁は高く、厚い。
どれほど血を吐く思いで手を伸ばしても、その指先が“理外”の領域に触れることはない。
届きそうで、届かない。
いや、違う。
最初から、人の身では届かないと決まっている場所なのだと、嫌というほど思い知らされる。
暗い情熱に身を焼き続ける、終わりのない鍛錬。
その半年間――二人が笑顔を見せることは、一度としてなかった。




