帰魂
世界から音が消え、時間そのものが凝固したかのような錯覚。
いや、違う。
音はある。
風も吹いている。
遠くではモンスターの咆哮も響いている。
それなのに、その全てが遠い。
まるで世界それ自体が息を潜め、これから行われる冒涜を見守っているかのようだった。
リリアの放った【リザレクション】の銀光が、粒子となってユウナの遺骸へと降り注ぐ。
美しい光だった。
だが、その美しさは祝福と言える類のものではない。
凍てつく墓標にも似た冷たさ。
魂の奥底を覗き込まれるような、生理的な嫌悪感。
生命が本能的に拒絶する種類の光だった。
銀光がユウナの身体を包む。
その瞬間。
ルシエラは確かに見た気がした。
光の向こう。
どこまでも遠い闇の彼方へ伸びていた何かが、強引に引き戻される光景を。
目の錯覚だったのかもしれない。
術式が見せた幻覚だったのかもしれない。
だが、それはまるで。
旅立った魂へ鎖を打ち込み、無理やりこちら側へ引き摺り戻しているように見えた。
銀光が脈動する。
その度に空気が震えた。
耳には聞こえないはずの悲鳴が、世界のどこかから響いている気がした。
そして――
大地に吸い込まれていた鮮血が逆流するように肉体へと戻り始める。
砕けた骨が、不可視の糸に引かれるように本来の場所へと収まっていく。
無惨にちぎれ、潰れていた四肢が形を取り戻し、浅黒かった死の陰影が、生者の持つ淡い熱に書き換えられていく。
ぴくり、と指先が跳ねた。
次いで、止まっていた肺が、狂おしいほどに空気を求めて大きく上下する。
「あ……」
ルシエラの目が、限界まで見開かれる。
それは、欲しかったものがようやく手に入りそうな子供のような、危ういまでの期待の眼差し。
やがて、重い瞼がゆっくりと持ち上がった。
混濁していた視線が虚空を彷徨い、焦点を結び――目の前で涙に濡れるルシエラを、真っ直ぐに捉えた。
その瞬間。
ユウナの口元が、気まずそうに、そしていつもの悪戯っぽさを滲ませて歪む。
「……ただいま」
掠れた、しかし何よりも耳に馴染んだその声。
間違いなく、そこに“いつものユウナ”がいた。
「ユウナ……!!」
弾かれたようにルシエラの身体が動いた。
抱きつく。
強く、強く。
まるでそのまま彼女を自分の肉体の一部として取り込んでしまわんとするほどの猛烈な力で。
「ユウナ……ユウナ……ユウナ!!」
壊れた機械のように名前を繰り返す。
喉を震わせ、呼吸を乱し、堰を切ったように溢れ出す涙。ルシエラはユウナの首筋に顔を押し付け、その温もり、脈動、生存の証を、狂おしいほどの想いで確かめ続けた。
「ちょ、ちょっと、ルシエラ……苦し……っ」
ユウナは顔を顰め、言いかけて……しかし、言葉を飲み込んだ。
「……ごめん。びっくりさせちゃったわね」
ルシエラは何度も、何度も首を振った。
「びっくり……なんて……そんな言葉じゃ……っ」
涙で言葉が崩れる。
「……死んだと……本当に、死んだと思った……!」
その震える一言に、ルシエラが味わった地獄の全てが凝縮されていた。
ユウナはわずかに目を伏せ、自嘲気味に、いつもの調子で嘯いた。
「……まあ、実際に死んでるしね」
「軽く言わないでください……!!」
怒りと安堵、そして消えぬ恐怖が混ざり合った絶叫。ルシエラの腕がさらに強く、ユウナの身体に食い込む。
「……うん、ごめん。本当にごめん」
素直に謝り、ユウナは目の前で揺れるルシエラの髪の上に頬を乗せた。
その光景を少し離れた位置から眺めていたリリアが、全身の力を抜いて地面に座り込んだ。
「……はぁ~~……っ」
大きく、魂を吐き出すような溜息。
「心臓に悪いですよ、本当に……。ユウナさんって、死に際まで規格外なんですか~……?」
額に手を当て、疲労と安堵を噛み締めるリリアの表情には、禁忌を犯した覚悟と、それでも二人の絆を繋ぎとめることができたと言う喜びが滲んでいた。
「リリア」
ユウナが顔だけを向け、リリアの名を呼ぶ。
「……ありがとう。助かったわ」
その短い一言に込められた重みを、リリアは真っ向から受け止めることはせず、ふいと視線を逸らした。
「……貸しですよ~。利息、たっぷりつけてもらいますからね~」
いつもののんびりとした口調。だが、その声は微かに震え、どこまでも柔らかかった。
ルシエラはまだ離れない。ユウナという世界の中心に、全てを預けるようにしがみついている。
「……もう、絶対に離しません。二度と」
ぽつりと、呪いにも似た強い決意。
ユウナは苦笑しながら
「……それは困るわね。お風呂にも入れないじゃない」
軽口。いつもの、なんてことのない調子。
遠く、スタンピードの残党が虚しく吠える声が聞こえる。
だが、蹂躙の主は消え、災厄の波は二人の絆を断ち切ることはできなかった。
「……戻ってこれたわね、私たちの場所に」
ルシエラが、涙を流したまま、力強く頷く。
「はい……っ」
その声は未だ震えてはいたが、死の静寂を打ち消すほどの熱を帯びていた。




