ドラゴンゾンビ②
刃が通りにくい。
生前のグレータードラゴンよりも、さらに硬い。
死を経てなお積み上がった執念が、その巨体を異様な強靭さで支えているようだった。
ユウナの振り下ろした剣が、腐敗した鱗に深くめり込む。しかし、刃は骨まで届かず、粘つく腐肉に阻まれる。
ルシエラの横薙ぎがドラゴンゾンビの左前肢を深く切り裂いた。それは痛打ではあるが、致命打にはならない。
加えて、吐き出されるブレスはもはや炎ではない。
腐食にも似た毒の奔流。
それは魔法的な防御をすり抜け、直接肉体を蝕んでくる。
各部位の攻撃力も、生前より一段上がっていた。
翼の叩きつけが二人を打ちのめす。
尾の一薙ぎはルシエラを捉え、彼女の体を数メートル吹き飛ばした。
爪がユウナの肩口を深く切り裂き、鮮血が迸る。
リリアからは回復魔法が惜しみなく飛んでくるが、傷の治りが明らかに追いつかなくなっていた。HPがじわじわと削られていく感覚が、肌で感じ取れる。
――もし、〈魂の救済者〉が力を解放していなければ、今の時点で、すでに勝敗は決していたであろう。
そんなギリギリの攻防を続けながら、時間も残されていなかった。
迫り来るモンスターの群れ。
その濁流は、刻一刻と距離を詰めてきていた。
早く倒さなければならない。
しかし、回復へ手を集中せざるを得ない局面も強制される。
押し切れない。
押し切られれば終わる。
「ユウナ……!」
ルシエラの声に焦燥が滲む。
だがユウナは、振り向きもせずに言った。
「焦ってはダメよ」
短く、鋭く。
「焦りはミスを生む」
剣を振るいながら、なおも冷静だった。
「確実に削っている。ミスさえなければ……」
その声には、迷いがない。
ユウナには見えていた。
細いながらも、確かな勝ち筋が。
それを通すためには、必要な順番がある。
必要な犠牲がある。
そして――必要な覚悟がある。
やがて、その時が来た。
最後の行動機会。
モンスターの波は、もうすぐそこまで迫っている。
ユウナが叫ぶ。
「ルシエラ、全力の一撃の後に離脱! 【フライト】の効果はまだ残ってる! 空へ飛べば余裕で逃げられる!」
間髪入れず、リリアにも指示を飛ばす。
「リリアも回復魔法はもういい! 最後に攻撃魔法! その後、ルシエラと一緒に上へ離脱!」
「はい!」
ルシエラの返事は即答だった。
そのまま踏み込み、全身全霊を込めて剣を振り抜く。
「たぁあああああっ!!」
鋭い一撃が、ドラゴンゾンビの頭部へ深く食い込む。
重い手応え。
腐った鱗と骨の奥まで届く感触。
そのままルシエラは、流れるような動きで宙へ舞い上がった。
一方、リリアもまた杖を掲げる。
「……ユウナさん」
一瞬、何かを言いかける。
だが、ユウナがこちらへ向けた表情を見て、その言葉は飲み込んだ。
代わりに、別の一言だけ。
「……っ、ご武運を」
そして詠唱。
「操、第八階位の攻。滅殺、灼熱、業火―――掃炎」
浄化の炎が魔力の中で脈打つ。
「【クリメイション】!」
放たれた炎が、ドラゴンゾンビを包み込んだ。
アンデッドに対して特効を持つ浄化の火。
腐った肉と妄執を焼き尽くすための炎だった。
それを撃ち切ると同時に、リリアも上空へ退避する。
空へ昇ったその顔には、複雑なものが宿っていた。
敬意。
そして――どこか、確信にも似た感情。
そのとき、ユウナが下から叫ぶ。
「よくやったわね、二人とも……私たちの勝ちよ!」
その言葉を聞いて、ルシエラは確信した。
もう終わる。
ここで決まる。
ユウナの指示も、間違いなくそのためのものだった。
そしてユウナが最後の踏み込みへ入る。
「《魔力撃》――《全力攻撃Ⅱ》!」
魔力を剣に叩き込み、限界まで研ぎ澄ました一撃。
「はあああああっ!!」
剣が、深く沈む。
――これで終わる。
ルシエラは、そう信じた。
だが。
ドラゴンゾンビは、倒れなかった。
巨体が大きく揺れた……ただそれだけだった。
そして次の瞬間、ルシエラは気づく。
ユウナが――離脱しない。
「ユウナ……?」
上空から見下ろしたその先で、ユウナが顔を上げる。
目が合う。
そして、ユウナは悪戯っぽく笑った。
「ゴメンね」
ほんの一瞬。
それが、何に対する謝罪なのかを理解する前に――
ドラゴンゾンビが、残った力のすべてを振り絞って反撃した。
死者の執念が爆発するような凄まじい咆哮とともに、腐敗した巨体が激しく捻じれ、ユウナに向かって圧倒的な暴力の奔流を叩きつけた。
空気を引き裂く重低音が響き渡り、ユウナの身体は地面に叩きつけられた。
衝撃の瞬間、左腕が肘から千切れ、鮮血を大量に撒き散らしながら宙を舞う。
さらに続く苛烈な一撃がユウナの胴体を深く抉り、どこかの骨が砕ける鈍い音が響いた。
毒を帯びた衝撃波が肉を焼き、骨を軋ませ、血飛沫がユウナの周囲の地面を赤黒く染め上げていく。
その直後。
背後から迫っていたモンスターの波が、濁流のようにユウナとドラゴンゾンビ、二つの影を飲み込む。
質量の奔流だった。
蹄の音、牙の軋み、爪が地面を掻く音が一つになってその場を蹂躙する。
土煙が上がり、視界を完全に覆い尽くした。
ちぎれ飛んだユウナの腕が、上空のルシエラの胸元へ飛んでくる。
ルシエラは、ほとんど無意識のままそれを抱きとめていた。
視界が、灰色に染まる。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
その直後。
モンスターの波の中心で、雷の奔流が荒れ狂った。
眩い紫電が幾重にも爆ぜ、轟音が大地を震わせる。
ドラゴンゾンビの断末魔の絶叫が、雷鳴の合間に響き渡った。腐った巨体が雷撃に貫かれ、黒い煙を上げながら崩れ落ちていくのが見えた。
そして――その圧力が、ふっと消えた。
ドラゴンゾンビの存在が完全に絶たれた瞬間だった。
しかし、モンスターの波そのものは止まらなかった。
統制を失い、ただ突き進むだけの暴走したモンスターの群れは、勢いだけをそのままに、ユウナのいた場所を踏み荒らし続けていた。
何十、何百ものモンスターが、まるでそこに何もなかったかのように、ただ無慈悲に通り過ぎていく。
ルシエラの唇が動き、震えた声を発した。
「……ユウナ?」




