表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

58/81

スタンピード②

 スタンピードが迎撃圏内へ到達するまで、残された猶予は三日。


 決して長いとは言えない時間だった。


 冒険者ギルドの訓練場には、招集を受けた冒険者たちがひしめいていた。

 経験の浅い若者もいれば、幾度も修羅場を越えてきた古参もいる。装備を整えた騎士団の連絡役や、衛兵隊の使者の姿もあり、普段は活気と喧騒に満ちているその場所を、今は重苦しい緊張が支配していた。


 ギルド長は招集された冒険者たちを見渡しながら、状況の説明を終え、低く締めくくった。

「各人、万全の準備を整えてくれ」


 少し間を置く。


「それから……思い残すことのないように過ごしてほしい」


 重い言葉だった。

 それは単なる覚悟を促す言葉ではない。


 今回の戦いがどれほど過酷で、どれほど多くの命を奪いかねないものであるかを知ったうえで、それでもなお前へ出る者たちに向けた、願いのような言葉だった。


 しかしユウナにとって、それはある意味で日常とも言える。


 死ぬつもりはない。

 油断するつもりもない。


 いつだって最悪を想定し、そのうえで生き残ることを選び、そのために必要なものを揃え、必要ならば迷いなく金も切ってきた。


 だが――誰もがそこまで割り切れるわけではない。


―――


「……皆が、そこまでの精神状態に至れるわけじゃないと思います」


 西区、リリアの工房。

 追加で必要な消耗品を選びながら、ルシエラが静かに言った。


 精算用のカウンターの上には、すでにいくつもの品が並べられている。


 〈月光の魔符〉

 精神抵抗力を高める、使い捨ての魔符。


 〈陽光の魔符〉

 生命抵抗力を高める、使い捨ての魔符。


 〈消魔の守護石〉

 魔法ダメージを軽減する、使い捨ての石。


 どれも、命を護るための品だった。

 ユウナは迷いなく、それらを積んでいく。


「すごいですね~」

 リリアが、やや呆れ混じりに声を漏らした。


「高価な魔符を、上等な紙でも買うみたいな勢いで選ぶとは~」


 それも無理はない。

 魔符の最上級品は、一枚5000ガメル。

 月光と陽光をそれぞれ十枚ずつ、ユウナとルシエラの二人分で計二十枚。

 それだけで10万ガメル。


 さらに、〈消魔の守護石〉は一個2500ガメル。

 これも二人分で十個ずつ、計二十個。

 それだけでさらに5万ガメル。


 合わせて15万ガメル。


 普通の冒険者なら、躊躇して当然の額だった。

 だがユウナは、指先で魔符を弾きながら平然と言う。


「これで生存率を上げられるなら、安いものよ」


「なるほど~」

 リリアは、妙に感心したように頷いた。


 そんなリリアにユウナは笑いかける。

「まあ、今回はリリアがいるからね。全部使い切るようなことにはならないと思うわ」


「はい~、がんばりますよ~」

 リリアがいつもの間延びした調子で言って笑顔を見せる。


 そこで一瞬、会話が途切れた。

 店内には、銀貨をやり取りする音と、相も変わらず奥の工房から、調合用の大鍋を熱する音だけが残る。


「ところで~」

 そんな中でリリアが、ふと思い出したように口を開いた。


「お買い上げいただいた〈性転換薬〉は使ってみましたか~?」


 空気が止まった。

 ルシエラの身体がぴしりと固まる。


 その反応を見て、ユウナがわずかに口元を上げた。

「それがねぇ、ルシエラがなかなか許可してくれなくて……」


「ユウナ!」

 即座に、ルシエラの声が飛んだ。


 リリアはくすくすと楽しそうに笑う。

「いけませんね~」


 により、とした笑みが深まる。

「“思い残すことのないように”しないと~」


「リリア!」


 ルシエラの顔は、その短いやり取りの間で真っ赤になっていた。


 工房の中では、死闘を三日後に控えた者たちのものとは思えない会話が、普段通りに交わされている。


 だが、だからこそ。


 そうして軽口を叩き、呆れ、顔を赤くしていられる今この時間が、どれほど貴重なものかを、三人ともどこかで分かっていたのかもしれなかった。


―――


 三日後。

 二人はいつも通りの朝を迎えた。


 それは不思議なほど、普段と変わらない朝だった。


 目を覚ましたルシエラが最初に向き合ったのは、やはり胸元へしっかりと抱きついているユウナだった。

 眠っているあいだにすっかり絡みつかれ、腕も脚も逃がさぬように巻きつけられている。


「……起きてください、ユウナ」


 小さく声をかけても、返ってくるのは寝ぼけた唸り声だけで、むしろさらに抱きつく力が強まったものだから、ルシエラは朝から軽いため息をつくことになった。


 結局、その腕を丁寧に外し、どうにか引き剥がすまでに、それなりの時間を要した。


 それから二人で朝食を取る。


 湯気の立つスープ。

 焼きたてのパン。

 手早く整えられた、けれど温かい食卓。


 向かい合って座り、短い言葉を交わしながら食べる時間は、いつも通りだった。


 その後も、いつも通り。

 食事を終えると、二人は静かに立ち上がる。


 鎧を身につける。

 革紐を締める。

 剣を佩く。

 ポーチに魔晶石、魔符、守護石、各種ポーションを収めていく。


 一つずつ。

 いつもと変わらぬ手順で。


 だが今日のそれは、ひとつひとつが明確な意味を持っていた。


「ルシエラ」


「はい」


 視線が交差する。


 それだけで十分だった。


 言葉はいらない。


 何を背負っているのかも。


 何を為すべきかも。


 互いに、よく分かっていた。


―――


 冒険者ギルド。


 訓練場に集まった冒険者たちを前に、ギルド長が立っていた。

 その場には、普段のざわめきはない。


 あるのは緊張と、押し殺した不安、そして避けられぬ戦いと言う現実だけだった。


 ギルド長はゆっくりと周囲を見渡す。


 若い冒険者がいる。

 古参の冒険者がいる。

 昨日まで酒場で笑っていた者が、今日は装備を固め、武器を握り、街のために立っている。


「状況は厳しい」

 ギルド長の声が、広間に低く響いた。


「敵は数で押し潰す災厄そのものだ。正面から受ければ、ただでは済まん。こちらの防衛線も、万全とは言い難い」


 誰も口を挟まない。

 沈黙が、言葉の重さを受け止めている。


「だが、ここで退けばヴァルクレアは終わる。商人の街区も、職人の街区も、宿も、市場も、家族も、仲間も、何もかもが踏み潰される」


 ギルド長の目が、冒険者たちを一人ずつ射抜くように動いた。


「騎士団は正面を支える。衛兵隊は街門と市民の避難路を守る。お前たちは遊撃だ。乱れた箇所を埋め、突破出来そうな場所を切り崩し、倒れた者を拾い上げろ」


 一拍。


「そして、最悪の相手は――ハイペリオンの二人が叩く」


 その視線が、ユウナとルシエラへ向けられる。

 場内の視線も、それに続いた。


 ハイペリオン級冒険者ユウナと、その相棒のルシエラ。


 その力の大きさは、過去いくつもの冒険の記録が証明している。

 ヴァルクレア最大の戦力、冒険者たちの精神的支柱と言っても過言ではない。


 もちろん彼女たちだけにすべてを背負わせるわけではない。

 それでも、最後の牙を折る刃がこの街にあるという事実は、確かに冒険者たちの胸の奥へ火を灯した。


 ギルド長は、短く息を吐く。


「ユウナ」


 名を呼ぶ。


「何か言ってやれ」


 突然の指名に、ユウナは片眉を上げた。

 面倒そうに見えた。

 実際、こういう場で英雄らしい言葉を求められるのは、あまり得意ではない。


 だが、逃げるつもりもなかった。


 ユウナは軽く息を吐いて前へ出て、ギルド長の横に並ぶ。


 場内の空気が、ピンと張り詰めた。


「……私は、綺麗な演説はできないわ」


 静かな、だがよく通る声だった。


「勝てると軽々しく言うつもりもない。怖くないと言うつもりもない。

 たぶん今日、ひどい目に遭う人はいる。怪我をする人もいるし、運が悪ければ死ぬ人もいる」


 あまりに正直な言葉に、何人かが息を呑む。


 ユウナは続けた。


「でも、それでも私たちはここにいる。逃げてもいいはずなのに、報酬と命を天秤にかけても割に合わないはずなのに、それでも武器を持ってここに立っている」


 その目が、場内をゆっくりと見渡した。


「なら、それで十分よ」


 一拍。


「怖いなら、怖いまま戦いなさい。震えるなら、震えたまま前を見なさい。格好つけなくていい。英雄になろうとしなくていい」


 ユウナの声が、少しだけ強くなる。


「ただ、自分の持ち場を守りなさい」


 静かな言葉だが、その奥には硬い芯があった。


「私たちはドラゴンを叩く。あなたたちは、あなたたちの戦場を守って」


 そして、口の端をクッと上げる。


「そうすれば、今日の夜も酒場は開くし、明日の朝も市場は動く。

 西区の炉も燃える。宿の飯も出る。くだらない喧嘩も、安い酒も、うるさい笑い声も、全部いつも通りにやって来る」


 そこでユウナは、剣の柄に軽く手を置いた。


「だから――帰ってきましょう」


 最後の言葉は、演説というより、ただの約束に近かった。


「全員で、とは行かないかも知れない。それでも、あえて言うわ、全員で――」


 ユウナは冒険者たちを見る。


「――この街に」


 ギルド内が静まり返る。


 それは一瞬だったのか、それとも長い沈黙だったのか。


 誰かが剣の柄を握りしめる音がした。


 次の瞬間――


「おおおっ!!」


 誰かの叫びが上がった。

 それを合図にしたかのように、広間の空気が一気に弾ける。


「やってやる!」

「ドラゴンは任せたぞ、ハイペリオン!」

「こっちは絶対に抜かせねえ!」

「門は守る!」

「帰ったら朝まで飲むぞ!」


 怒号にも似た声が次々と重なった。


 武器が掲げられる。

 剣が鳴る。

 盾が打ち鳴らされる。


 先ほどまで訓練場を覆っていた重苦しい空気が、熱気へと変わっていく。


 恐怖が消えたわけではない。

 不安がなくなったわけでもない。


 それでも今、冒険者たちの意志に、確かな火が灯っていた。


 ギルド長はその様子を見ながら、わずかに口元を緩めた。


 ユウナは、何となく居心地悪そうな顔をして肩をすくめる。


「……こういうの、私の柄じゃないんだけど」


 隣でルシエラが微笑みながら言う。


「でも、皆に届いていました」


「ならいいわ」


 短く答え、ユウナは目を閉じた。


 あとは戦うだけだった。


―――


 やがて二人はギルドを出て、街門へ向かう。


 街門近くで、すでに待っていたリリアと合流した。


「おはよう、リリア」


「おはようございます~。今日はよろしくお願いします~」


 交わされる挨拶は拍子抜けするほど軽い。

 まるでこれから向かうのが戦場ではなく、ただの山登りででもあるかのようだった。


 だがその軽さが、かえって三人の強さを物語っていた。


 そして街を出る。

 外へ出ると、遠くから響いてくる音がより大きく聞こえてきた。


 地鳴り。

 あるいは、濁流のうねり。

 スタンピードの波が、避けられ得ぬものだと分かる音だった。


 ルシエラは前を見据え、リリアは小さく息を吐く。


 その隣で、ユウナは笑みを作った。


 そこに気負いはない。


 無理に奮い立たせるような熱もない。


 ただ、いつも通り死線の前に立つ者の顔だった。


 こうした場所に立つのは、今さら珍しくもない。


 しかしもちろん――死ぬつもりなど、欠片もない。


 ユウナは髪をかき上げ、前方を見たまま告げる。


「さあ、ドラゴン退治に行くわよ!」


「はい!」

 ルシエラの返事は短く、揺るがない。


「素材、楽しみです~」

 リリアの言葉だけが少々場違いだが、だからこそ、逆に心強かった。


 三人はそのまま前へ進む。


 迫り来る災厄へ。


 ヴァルクレアの命運を懸けた戦場へ。

ユウナの檄のセリフを一日中考えてた記憶

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ