スタンピード①
それからしばらくの間、二人は比較的穏やかな日々を過ごしていた。
ギルドから回ってくるそれなりに物騒な討伐依頼をこなし、時にはリリアから素材採取を頼まれて、西区の工房や街の近郊、さらに足を延ばして通常は人の立ち寄らない秘境を行き来する。
もちろん、命のやり取りや危険は当たり前のようにある。
それでも、変異種やレジェンダリーゴブリンのような、世界の理そのものが狂ったような災厄に比べれば、それはずっと“普通”の仕事だった。
戦って、稼いで、帰る。
食事をして、風呂に入り、眠る。
時には軽口を叩き合い、時にはくだらないことで言い争い、時にはリリアの工房で見慣れない品を眺めながら、ユウナが財布の紐を緩めすぎないようルシエラが見張る。
そんな、当たり前の日々。
だが――その穏やかさを切り裂くように、ヴァルクレアの街を激震が襲った。
北の山から、突如としてモンスターの大群が溢れ出したのだ。
ただの群れではない。
一塊となり、濁流のように前へ前へと突き進む、死の奔流。
――スタンピード。
原因は不明。
目的も不明。
ただひたすらに前進し、その進路上にあるすべてを呑み込み、踏み荒らしながら進み続ける“災害”。
すでに山に近い村が一つ、その波に飲まれていた。
幸い避難は間に合って、人的被害は出ていない。
だが、だからといって被害が軽いわけではなかった。
家屋は叩き潰され、畑は踏み荒らされ、連れ出せなかった家畜は呑み込まれ、村はもはや自力では立て直せないほどに破壊されている。
それでもなお、モンスターの流れは止まらない。
そして、次にその進路の先にあるのは――ヴァルクレアの街だった。
「全冒険者に招集をかけろ! 騎士団、衛兵と連携して街を死守するぞ!」
ギルド長の声が、緊急招集として街中へ走った。
当然、その報はユウナとルシエラにも届く。
二人はすぐにギルドへ呼ばれ、そこでギルド長から“特別な依頼”を受けることになった。
執務室の空気は重かった。
ギルド長の表情にも、いつものような余裕はない。
「街の騎士団と衛兵が防衛線を構築する。冒険者は遊撃だ」
低く、はっきりと告げる。
「その中でも――お前たちには、最悪の相手を叩いてもらいたい」
一呼吸。
「グレータードラゴンの存在が確認されている」
その名を聞いた瞬間、ルシエラがごくりと喉を鳴らした。
グレータードラゴン。
その名だけで、脅威としては十分だった。
ユウナもまた、わずかに目を細める。
「それは……ある意味、レジェンダリーゴブリンより厄介ね」
低く洩れた声には、はっきりとした緊張が滲んでいた。
グレータードラゴンのモンスターレベルは18。
数字だけを見れば、レジェンダリーゴブリンより低い。
だが、問題は単純なレベル差ではなかった。
ドラゴンは多部位モンスターだ。
頭部。
胴体。
左右の翼。
そして尻尾。
五つの部位が、それぞれ独立した意志を持つかのように襲いかかってくる上、巨大な胴体そのものが障壁となり、知恵と統率の中心である頭部への近接攻撃を阻む。
一対一の近接戦を得意とする者にとって、それは最悪に近い構造だった。
「【ブリンク】による回避嵌めは通用しませんね」
緊張のままにルシエラが言う。
単発単体攻撃なら躱せる。
だが、多角的に同時に押し寄せる部位攻撃までは捌ききれない。
ユウナも静かに頷いた。
「そうね……」
束の間考え込み、そしてギルド長を見る。
「だからギルド長。一つ提案があるわ」
―――
そして場所は変わり、西区。
炉の熱と金属の匂いが漂う“作り手”たちの街の中にある、リリアの工房を訪れたユウナはそこで、早速本題を切り出していた。
「わ、わたしが~、ドラゴンと戦うんですか~?」
リリアが、さすがに困惑したような声を漏らす。
間延びした話し方はいつも通りだったが、その目には明らかな警戒があった。
ユウナは首を横に振る。
「ドラゴンの攻撃圏内に入る必要はないわ」
落ち着いた声で、理路整然と続ける。
「戦闘前の強化バフ。それに、戦闘中は遠距離からの適時支援。それをお願いしたいの」
それを聞いてリリアは、困ったように笑った。
「……わたしはただのアルケミストですよ~?」
その言葉に、ユウナはわずかに口元を歪める。
「隠さなくていいわよ」
まっすぐに見据えた。
「あなた、操霊魔法を使えるでしょう?」
その瞬間、リリアの肩がぴくりと揺れた。
ユウナは続ける。
「中途半端な回復役を連れて行っても、ドラゴンの前では足手まといになるだけ。でも、あなたなら話は別よ」
その目はもう、確信を得ている様子だった。
テラスティア大陸から海を渡ってきたこの女が、いざという時自分の身も守れない、普通の錬金術師兼商売人であるはずがない。
ユウナは最初から、そう見抜いていた。
「見たところ、少なくとも操霊魔法は12レベル……いえ、多分13レベル」
一拍置いてから、さらに言う。
「アルケミスト技能は14レベルってところかしら」
リリアはしばらく黙っていた。
店内は静まり返る。
奥の工房では調合用の大鍋が煮え続けているのだろう。薪が小さく爆ぜる音だけが、かすかに流れてきた。
やがて、リリアはふぅ、と長い息を吐いた。
「……そこまでわかりますか~」
観念したように、両手をゆるく上げる。
「当たり、ですよ~」
その返答に、ルシエラが目を見張った。
ただの変わり者のアルケミストだと思っていた。
作る道具の性能が高い、優秀な錬金術師であり、同時に抜け目のない商売人。
それが本当の姿だと、ルシエラは疑いもしていなかった。
ユウナが最初から見抜いていたことに、静かな感嘆を覚える。
リリアは少し考えるように視線を落としたあと、ゆっくりと顔を上げる。
「いいですよ~」
あっさりとした口調だった。
「街がなくなったら、商売どころじゃないですし~」
そこまで言って、いつものあの、によりとした笑みが戻る。
「それに……」
口元の笑みが、ほんのわずかに深くなる。
「グレータードラゴンの素材なんて、滅多に手に入りませんからね~」
ユウナの口元にも、不敵な笑みが浮かんだ。
「決まりね」
そうしてユウナとルシエラは、頼もしい協力者を得ることになった。
迫り来るスタンピード。
その中にいるのは、災厄の象徴たるグレータードラゴン。
ヴァルクレアの命運を懸けた戦いが動き始めていた。




