もう一人のナイトメア③
ヴァルクレア冒険者ギルド。
扉が開いた瞬間、ざわめきが広がった。
視線の先にいたのはユウナ。
そして、その隣を歩くもう一人のナイトメア――ルシエラ。
「仲間か?」
「でも、ユウナはずっとソロだったはずじゃ……」
「ナイトメア……ってことは、まさか例の魔域の……?」
興味と警戒と、抑えきれない好奇心。
無数の視線が二人へと注がれる。
だが、ユウナは立ち止まらなかった。
何を言われようと、何を見られようと構わないとでも言うように、ルシエラの手を握って、まっすぐ前だけを見て歩く。
そのまま二人は職員に導かれ、ギルド長室へと通された。
重厚な扉が閉まる。
机を挟んで座るギルド長が、静かに二人を見た。
視線はまずユウナへ。
そして、その隣に立つルシエラへ移る。
「報告を」
短く告げる。
ユウナは余計な前置きもなく、淡々と口を開いた。
「魔域は鎮圧済み。核は消滅したわ」
その声はいつも通り冷静だった。
「発生原因は、暴走寸前だったナイトメアとの共鳴事故。彼女は現在、制御下にある。再発の兆候もなし」
そして、ギルド長が何かを言うより早く、ユウナは続けた。
「彼女は私の管理下に置くわ」
室内の空気がわずかに張る。
ギルド長が目を細めた。
「管理……とは?」
「冒険者としてよ。
私の責任で育成する。実力はある。私が保証する」
強引な言い方だった。
だが、勢いだけではない。
ユウナの中では、すでに答えは決まっている。
ギルド長が言葉を発するより早く、さらにユウナは言葉を重ねた。
「拒否するなら、私は彼女とギルド外で活動するわ」
部屋の空気が一段重くなる。
それは提案というより、ほとんど最後通告に近かった。
ハイペリオン級冒険者ユウナ。
その離脱がギルドにとって、この街にとってどれほど大きな損失になるか、分からない者はいない。
ギルド長は何も言わない。
重く、長い沈黙が落ちる。
すべてを押し潰すような沈黙の末に、やがてギルド長は口を開いた。
「……条件付きで認める」
その一言で、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「ルシエラは仮登録扱い。監視対象だ。任務への参加は原則として、ハイペリオン級冒険者ユウナとの同行時に限定する」
そこでギルド長の視線が鋭くなる。
「暴走の兆候が見られた場合、処分命令が下る可能性がある。それでもいいか」
その言葉に、ルシエラの身体がわずかに強張った。握られていた手にも力がこもる。
だがユウナは、まったく揺るがなかった。
「当然ね」
即答だった。
「ただし、命令は受けない。私が、私の意思でやるわ。誰の手も借りないし、邪魔もさせない」
真っ向からギルド長を見据えるその目には、一片の迷いもない。
処分命令が下るとしても、それを他人任せにはしない。
自分が背負うと、そう言っているのだ。
しばしの静寂の後、ユウナは話を終わらせるように身を翻した。
「話はこれで終わりね。報酬はいつもの口座に振り込んでおいて」
踵を返し、ユウナは颯爽と部屋を出ていく。
「行くわよ。ルシエラ」
ルシエラは一瞬だけ戸惑ったように目を瞬かせたが、すぐにその後を追った。
そのときにはもう手は握っていない。
だが、距離は近かった。
守られるように引かれているのではない。
庇われて隠されているのでもない。
ルシエラは、自分の足で歩き、自分の意思でユウナの横へ並んでいた。
その背中を見送りながら、ギルド長は低く口を開く。
「……好きにしろ」
短い言葉。
だがそこには、突き放しきれない信頼が混じっていた。
さらに彼は、控えていたギルド職員へ視線を向ける。
「記録には“鎮圧済み”とだけ残せ」
職員が一瞬だけ戸惑いを見せる。
だが、すぐに黙って頷いた。
それはギルド内で不要な波風を立てないための配慮だった。
今の段階でルシエラの名を公にすれば、余計な詮索も反発も招くだけだ。
ルシエラの名は、まだ表には出ない。
だが、ギルド長は半ば確信していた。
――どうせ遠からず、いずれ大きく名を出すことになる。
あの女は、隠れたまま終わる器ではない。
そう考えながら、彼は静かに椅子の背へともたれた。
―――
ヴァルクレア、ギルド前通り。
外へ出ると、夕陽が街を橙色に染めていた。
石畳はやわらかな光を反射し、通りを行き交う人々の影を長く引き伸ばしている。
店じまいを始める商人の声。
荷車の軋む音。
夕食の支度を思わせる香り。
つい先ほどまで魔域の中にいたことが、嘘のような穏やかさだった。
その中で、ルシエラが小さく呟く。
「……本当にいいんですか?」
その視線はユウナへ向けられていた。
そこにあるのは、不安。
期待。
そして、ほんの少しの恐れ。
「私が隣にいると、あなたの評価も……」
言い淀む。
だが、その先は言葉にしなくても分かった。
ハイペリオン級の孤高。
それはユウナが、たった一人で積み上げてきたものだ。
そこへ“誰か”を置くということは、場合によっては弱点を抱えることにもなる。
ユウナは立ち止まらなかった。
振り向きもせず、ただ隣を歩くルシエラへ静かに告げる。
「あなたが隣にいることで、私の評価も上がるわ」
ルシエラが目を瞬かせる。
ユウナの声は淡々としていた。
慰めるような響きはない。だからこそ嘘ではないと分かる。
「そうなれるだけの力が、あなたにはある」
その言葉に、ルシエラの歩幅が揃った。
ユウナはさらに続ける。
「打算的なのよ、私は」
夕陽を受けた横顔に、かすかな笑みが差す。
「あなたが強さにだけ執着して、ただ魔域に飲み込まれるだけの存在なら、出会った瞬間に斬り捨てて終わらせていたわ」
あまりにも率直な言い方に、ルシエラは一瞬言葉を失う。
だが、不思議と嫌な響きはなかった。
それは突き放しではなく、
選んだという宣言だったからだ。
「私を信じなさい」
一呼吸おいて力強い笑みを浮かべる。
「そして、私が信じるあなたを信じなさい」
沈黙が落ちる。
けれどそれは重苦しいものではなく、言葉がゆっくりと染み込んでいくための静けさだった。
しばらくして、ルシエラが小さく息を吐く。
「……ずるい」
そう言ってほんの少しだけ笑う。
「そんな言い方されたら、何も言えないです」
その声は、もう壊れかけた響きではなかった。
まだ不安は残っている。
まだ傷も消えていない。
けれど、少なくとも今この瞬間、彼女は自分の足でここにいた。
―――
三階建ての宿――その最上階。
ギルドにほど近い場所にある、どこにでもある冒険者向けの宿。
だが、その三階に足を踏み入れて、一つしかない扉を開けた瞬間、ルシエラは思わず立ち尽くした。
本来ならいくつもの客室が並んでいるはずの階層。
しかしその壁はすべて取り払われ、そこにはひとつの巨大な空間が広がっていた。
天井は高く、太い梁がむき出しになっている。
中央には大きな円卓。
壁際には整然と並ぶ武具ラック、書架、アイテム棚。
四方に設けられた窓からはヴァルクレアの街並みが一望でき、夕闇に灯り始めた家々の光が、静かに瞬いていた。
奥にはキッチン。
さらには寝室区画と、広めに取られたバスルームまである。
一階層、丸ごとユウナ専有の居室。
ルシエラは思わず口をぽかんと開けた。
「……何これ」
「私の拠点よ」
ユウナはさらりと答える。
そのあまりにも当然のような口調に、ルシエラはますます呆気に取られた。
「帰る場所を豪華にするのは、次の冒険への英気を養うために必要な投資なのよ」
その言い分は、いかにもユウナらしかった。
武具ラックには、丹念に手入れされた武器が並んでいる。
アイテム棚には魔晶石をはじめ、消費用の道具類が用途別に整然と収められていた。
円卓の上には依頼書がきっちりと整理され、書架には戦術書や資料らしき本が収まっている。
そこには生活感があり、同時に戦場へ向かうための合理性もあった。
孤独を前提に作られた、完璧な基地。
誰にも邪魔されず、誰にも乱されず、ただ一人で生き延びるための空間。
けれども今、その場所にはもう一人立っていた。
ルシエラはゆっくりと歩き、窓辺へ向かう。
そして窓の外に広がる街の灯りを見下ろした。
人々の暮らしの明かり。
食卓の灯り。
誰かが帰る場所の灯り。
その光を見つめたまま、ルシエラは小さく問う。
「……ここに、いていいの?」
その声は静かだったが、そこに込められた意味は重い。
一晩泊めてほしい、という話ではない。
今だけ隣にいてもいいか、という問いでもない。
自分に、ここへいていい資格があるのか。
そう尋ねていた。
「当然よ。だけど、タダじゃない」
窓辺に立つルシエラへ向けて、ユウナはあっさりと言った。
その声に冗談めいた響きはない。
ルシエラはすぐにそれを察し、背筋を正す。
軽い確認ではない。
これは、この場所にいるための条件。
そしてこれからユウナの隣に立つための、最初の約束なのだと理解した。
ユウナは静かに、淡々と告げる。
「まず一つ。ここでは被害者ぶらないこと」
ルシエラの表情がわずかに引き締まる。
「迫害された? 知ってるわ。私もされた。だから何?」
その言葉は鋭い。
だが、冷酷ではなかった。
「それは免罪符にならない」
ルシエラの体がかすかに強張る。
しかしユウナの目にあったのは否定ではない。
切り捨てる冷たさでもない。
そこにあるのは、もっと厳しく、もっと逃げ場のないもの――現実だった。
「傷は消えない。でも、それを理由に他人を傷つけるなら、私は許さない」
静かな断言。
ルシエラはその言葉を受け止めるように、ゆっくりと息を吐いた。
「……はい」
短い返事だった。
しかしそこに逃げはない。
言い訳も、反発もない。
ただ真正面から受け取った者の声だった。
ユウナは続ける。
「二つ。力は私と一緒に磨く。勝手に無茶はしない。暴走もしない」
その口調は変わらない。
落ち着いていて、容赦がない。
「あなたの剣の腕は確かよ。だからこそ、制御が前提。暴走は論外」
ルシエラは真剣な顔で頷いた。
そして、ぽつりと、自分で言葉を継ぐ。
「……一人で証明しようとしない」
その一言に、ユウナはわずかに目を細めた。
理解が早い。
いや、きっと本当はもう分かっていたのだろう。
認めることができなかっただけで。
「三つ。強くなること」
空気がぴんと張る。
「私の隣に立つ以上、半端は許さない」
それは条件であると同時に、宣言でもあった。
ユウナはルシエラを拾い上げるつもりはない。
隠して守るつもりもない。
自分の隣に立つ者として、引き上げるつもりでいる。
「私はあなたを庇護する。でも、甘やかさない」
その言葉に、ルシエラの瞳に熱が灯った。
不安ではない。
怯えでもない。
それは、久しく忘れていた闘志だった。
「……望むところです」
かすかな笑みが浮かぶ。
もうそこにあるのは、壊れかけた女の顔ではなかった。
これから強くなる者の顔だった。
ユウナは一呼吸置いたあと、最後に言った。
「あと、掃除は交代制よ」
沈黙。
「……は?」
ルシエラの口から、間の抜けた声が漏れる。
ついさっきまでの張り詰めた空気とのギャップ、その一言は場の雰囲気を一変させた。
そして次の瞬間、ルシエラは耐えきれずに吹き出した。
「何ですかそれ……あっはははは!」
ユウナの拠点に、初めて軽い笑い声が響く。
張り詰めていた空気が、ようやくほどけた。
戦いの名残も、魔域の残滓も、この瞬間だけは少し遠のく。
ルシエラは笑いの余韻を残したまま、背筋を伸ばしてまっすぐに立った。
「条件は全部飲みます」
そう言って、右手を差し出す。
「今日からよろしく。ユウナ」
ユウナはその手を見て、ほんの少しだけ笑った。
「よろしく、ルシエラ」
その手をしっかりと握り返す。
この瞬間、ルシエラはユウナの仲間になった。




