第1話 もう一人のナイトメア③
ヴァルクレア冒険者ギルド。
扉が開いた瞬間、ざわめきが広がった。
視線の先にいたのはユウナ。
そして、その隣を歩くもう一人のナイトメア――ルシエラ。
「仲間か?」
「でも、ユウナはずっとソロだったはずじゃ……」
「ナイトメア……ってことは、まさか例の魔域の……?」
興味と警戒と、抑えきれない好奇心。
無数の視線が二人へと注がれる。
だが、ユウナは立ち止まらなかった。
何を言われようと、何を見られようと構わないとでも言うように、ルシエラの手を握って、まっすぐ前だけを見て歩く。
そのまま二人は職員に導かれ、ギルド長室へと通された。
重厚な扉が閉まる。
机を挟んで座るギルド長が、静かに二人を見た。
視線はまずユウナへ。
そして、その隣に立つルシエラへ移る。
「報告を」
短く告げる。
ユウナは余計な前置きもなく、淡々と口を開いた。
「魔域は鎮圧済み。核は消滅したわ」
その声はいつも通り冷静だった。
「発生原因は、暴走寸前だったナイトメアとの共鳴事故。彼女は現在、制御下にある。再発の兆候もなし」
そして、ギルド長が何かを言うより早く、ユウナは続けた。
「彼女は私の管理下に置くわ」
室内の空気がわずかに張る。
ギルド長が目を細めた。
「管理……とは?」
「冒険者としてよ。
私の責任で育成する。実力はある。私が保証する」
強引な言い方だった。
だが、勢いだけではない。
ユウナの中では、すでに答えは決まっている。
ギルド長が言葉を発するより早く、さらにユウナは言葉を重ねた。
「拒否するなら、私は彼女とギルド外で活動するわ」
部屋の空気が一段重くなる。
それは提案というより、ほとんど最後通告に近かった。
ハイペリオン級冒険者ユウナ。
その離脱がギルドにとって、この街にとってどれほど大きな損失になるか、分からない者はいない。
ギルド長は何も言わない。
重く、長い沈黙が落ちる。
すべてを押し潰すような沈黙の末に、やがてギルド長は口を開いた。
「……条件付きで認める」
その一言で、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「ルシエラは仮登録扱い。監視対象だ。任務への参加は原則として、ハイペリオン級冒険者ユウナとの同行時に限定する」
そこでギルド長の視線が鋭くなる。
「暴走の兆候が見られた場合、処分命令が下る可能性がある。それでもいいか」
その言葉に、ルシエラの身体がわずかに強張った。握られていた手にも力がこもる。
だがユウナは、まったく揺るがなかった。
「当然ね」
即答だった。
「ただし、命令は受けない。私が、私の意思でやるわ。誰の手も借りないし、邪魔もさせない」
真っ向からギルド長を見据えるその目には、一片の迷いもない。
処分命令が下るとしても、それを他人任せにはしない。
自分が背負うと、そう言っているのだ。
しばしの静寂の後、ユウナは話を終わらせるように身を翻した。
「話はこれで終わりね。報酬はいつもの口座に振り込んでおいて」
踵を返し、ユウナは颯爽と部屋を出ていく。
「行くわよ。ルシエラ」
ルシエラは一瞬だけ戸惑ったように目を瞬かせたが、すぐにその後を追った。
そのときにはもう手は握っていない。
けれど、距離は近かった。
守られるように引かれているのではない。
庇われて隠されているのでもない。
ルシエラは、自分の足で歩き、自分の意思でユウナの横へ並んでいた。
その背中を見送りながら、ギルド長は低く口を開く。
「……好きにしろ」
短い言葉。
だがそこには、突き放しきれない信頼が混じっていた。
さらに彼は、控えていたギルド職員へ視線を向ける。
「記録には“鎮圧済み”とだけ残せ」
職員が一瞬だけ戸惑いを見せる。
だが、すぐに黙って頷いた。
それはギルド内で不要な波風を立てないための配慮だった。
今の段階でルシエラの名を公にすれば、余計な詮索も反発も招くだけだ。
ルシエラの名は、まだ表には出ない。
だが、ギルド長は半ば確信していた。
――どうせ遠からず、いずれ大きく名を出すことになる。
あの女は、隠れたまま終わる器ではない。
そう考えながら、彼は静かに椅子の背へともたれた。
ーーー
ヴァルクレア、ギルド前通り。
外へ出ると、夕陽が街を橙色に染めていた。
石畳はやわらかな光を反射し、通りを行き交う人々の影を長く引き伸ばしている。
店じまいを始める商人の声。
荷車の軋む音。
夕食の支度を思わせる香り。
つい先ほどまで魔域の中にいたことが、嘘のような穏やかさだった。
その中で、ルシエラが小さく呟く。
「……本当にいいんですか?」
その視線はユウナへ向けられていた。
そこにあるのは、不安。
期待。
そして、ほんの少しの恐れ。
「私が隣にいると、あなたの評価も……」
言い淀む。
だが、その先は言葉にしなくても分かった。
ハイペリオン級の孤高。
それはユウナが、たった一人で積み上げてきたものだ。
そこへ“誰か”を置くということは、場合によっては弱点を抱えることにもなる。
ユウナは立ち止まらなかった。
振り向きもせず、ただ隣を歩くルシエラへ静かに告げる。
「あなたが隣にいることで、私の評価も上がるわ」
ルシエラが目を瞬かせる。
ユウナの声は淡々としていた。
慰めるような響きはない。
けれど、だからこそ嘘ではないと分かる。
「そうなれるだけの力が、あなたにはある」
その言葉に、ルシエラの歩幅がわずかに揃った。
ユウナはさらに続ける。
「打算的なのよ、私は」
夕陽を受けた横顔に、かすかな笑みが差す。
「あなたが強さにだけ執着して、ただ魔域に飲み込まれるだけの存在なら、出会った瞬間に斬り捨てて終わらせていたわ」
あまりにも率直な言い方に、ルシエラは一瞬言葉を失う。
だが、不思議と嫌な響きはなかった。
それは突き放しではなく、
選んだという宣言だったからだ。
ユウナは少しだけ視線を向ける。
「私を信じなさい」
一呼吸おいて力強い笑みを浮かべる。
「そして、私が信じるあなたを信じなさい」
沈黙が落ちる。
けれどそれは重苦しいものではなく、言葉がゆっくりと染み込んでいくための静けさだった。
しばらくして、ルシエラが小さく息を吐く。
「……ずるい」
そう言ってほんの少しだけ笑う。
「そんな言い方されたら、何も言えないです」
その声は、もう壊れかけた響きではなかった。
まだ不安は残っている。
まだ傷も消えていない。
けれど、少なくとも今この瞬間、彼女は自分の足でここにいた。
ーーー
三階建ての宿――その最上階。
ギルドにほど近い場所にある、どこにでもある冒険者向けの宿。
だが、その三階に足を踏み入れて、一つしかない扉を開けた瞬間、ルシエラは思わず立ち尽くした。
本来ならいくつもの客室が並んでいるはずの階層。
しかしその壁はすべて取り払われ、そこにはひとつの巨大な空間が広がっていた。
天井は高く、太い梁がむき出しになっている。
中央には大きな円卓。
壁際には整然と並ぶ武具ラック、書架、アイテム棚。
四方に設けられた窓からはヴァルクレアの街並みが一望でき、夕闇に灯り始めた家々の光が、静かに瞬いていた。
奥にはキッチン。
さらには寝室区画と、広めに取られたバスルームまである。
一階層、丸ごとユウナ専有の居室。
ルシエラは思わず口をぽかんと開けた。
「……何これ」
「私の拠点よ」
ユウナはさらりと答える。
そのあまりにも当然のような口調に、ルシエラはますます呆気に取られた。
「帰る場所を豪華にするのは、次の冒険への英気を養うために必要な投資なのよ」
その言い分は、いかにもユウナらしかった。
武具ラックには、丹念に手入れされた武器が並んでいる。
アイテム棚には魔晶石をはじめ、消費用の道具類が用途別に整然と収められていた。
円卓の上には依頼書がきっちりと整理され、書架には戦術書や資料らしき本が収まっている。
そこには生活感があり、同時に戦場へ向かうための合理性もあった。
孤独を前提に作られた、完璧な基地。
誰にも邪魔されず、誰にも乱されず、ただ一人で生き延びるための空間。
けれど今、その場所にはもう一人立っていた。
ルシエラはゆっくりと歩き、窓辺へ向かう。
そして窓の外に広がる街の灯りを見下ろした。
人々の暮らしの明かり。
食卓の灯り。
誰かが帰る場所の灯り。
その光を見つめたまま、ルシエラは小さく問う。
「……ここに、いていいの?」
その声は静かだったが、そこに込められた意味は重い。
一晩泊めてほしい、という話ではない。
今だけ隣にいてもいいか、という問いでもない。
自分に、ここへいていい資格があるのか。
そう尋ねていた。
「当然よ。だけど、タダじゃない」
窓辺に立つルシエラへ向けて、ユウナはあっさりと言った。
その声に冗談めいた響きはない。
ルシエラはすぐにそれを察し、背筋を正す。
軽い確認ではない。
これは、この場所にいるための条件。
そしてこれからユウナの隣に立つための、最初の約束なのだと理解した。
ユウナは静かに、淡々と告げる。
「まず一つ。ここでは被害者ぶらないこと」
ルシエラの表情がわずかに引き締まる。
「迫害された? 知ってるわ。私もされた。だから何?」
その言葉は鋭い。
だが、冷酷ではなかった。
「それは免罪符にならない」
ルシエラの体がかすかに強張る。
けれどユウナの目にあったのは否定ではない。
切り捨てる冷たさでもない。
そこにあるのは、もっと厳しく、もっと逃げ場のないもの――現実だった。
「傷は消えない。でも、それを理由に他人を傷つけるなら、私は許さない」
静かな断言。
ルシエラはその言葉を受け止めるように、ゆっくりと息を吐いた。
「……はい」
短い返事だった。
しかしそこに逃げはない。
言い訳も、反発もない。
ただ真正面から受け取った者の声だった。
ユウナは続ける。
「二つ。力は私と一緒に磨く。勝手に無茶はしない。暴走もしない」
その口調は変わらない。
落ち着いていて、容赦がない。
「あなたの剣の腕は確かよ。だからこそ、制御が前提。暴走は論外」
ルシエラは真剣な顔で頷いた。
そして、ぽつりと、自分で言葉を継ぐ。
「……一人で証明しようとしない」
その一言に、ユウナはわずかに目を細めた。
理解が早い。
いや、きっと本当はもう分かっていたのだろう。
認めることができなかっただけで。
「三つ。強くなること」
空気がぴんと張る。
「私の隣に立つ以上、半端は許さない」
それは条件であると同時に、宣言でもあった。
ユウナはルシエラを拾い上げるつもりはない。
隠して守るつもりもない。
自分の隣に立つ者として、引き上げるつもりでいる。
「私はあなたを庇護する。でも、甘やかさない」
その言葉に、ルシエラの瞳へ熱が灯った。
不安ではない。
怯えでもない。
それは、久しく忘れていた闘志だった。
「……望むところです」
かすかな笑みが浮かぶ。
もうそこにあるのは、壊れかけた女の顔ではなかった。
これから強くなる者の顔だった。
ユウナは一呼吸置いたあと、最後に言った。
「あと、掃除は交代制よ」
沈黙。
「……は?」
ルシエラの口から、間の抜けた声が漏れる。
ついさっきまでの張り詰めた空気とのギャップ、その一言は場の雰囲気を一変させた。
そして次の瞬間、ルシエラは耐えきれずに吹き出した。
「何ですかそれ……あっはははは!」
ユウナの拠点に、初めて軽い笑い声が響く。
張り詰めていた空気が、ようやくほどけた。
戦いの名残も、魔域の残滓も、この瞬間だけは少し遠のく。
ルシエラは笑いの余韻を残したまま、背筋を伸ばしてまっすぐに立った。
「条件は全部飲みます」
そう言って、右手を差し出す。
「今日からよろしく。ユウナ」
ユウナはその手を見て、ほんの少しだけ笑った。
「よろしく、ルシエラ」
その手をしっかりと握り返す。
この瞬間、ルシエラはユウナの仲間になった。




