おかゆ脱出作戦①
村外れにある、小さな空き家。
もともとは農具を置くための倉庫だったらしいが、村人たちが総出で中を掃き清め、簡素な家具や寝具を運び込んでくれたおかげで、今ではどうにか二人が身を休められるだけの仮住まいになっていた。
壁は古く、風が吹くたびに木材がかすかに軋み、小さな窓の隙間からは空気が細く入り込んでくる。
しかしベッドは柔らかく、毛布は清潔で、炉には小さな火が灯されていた。
何より、そこは静かだった。
つい数日前まで、村全体がゴブリンの脅威に怯え、夜の物音ひとつに身を強張らせていたとは思えないほど、今の空き家には穏やかな時間が流れていた。
そのベッドの上に、ユウナは座っていた。
胸に包帯。
腕にも包帯。
腹にも包帯。
見えるところのほとんどが白い布で覆われていて、本人の不本意そうな表情も相まって、まるで治療院から脱走を企てる寸前の重傷患者のようだった。
実際、無事とはとても言えない状態である。
折れた骨はまだ完全には戻らず、深く傷ついた身体が元通りになるには、かなりの時間が必要だった。
村にいた老プリーストの初級回復魔法と、残っていたポーションを惜しみなく使ったことで、どうにか命は繋ぎ止められたものの、あれほどの傷を負ったのだ。
本来ならば、数日どころか、まともに身を起こすことすら控えるべきだった。
それでもユウナは、寝ているだけの状態を拒んだ。
背中にいくつもクッションを当てられ、上半身だけを少し起こした姿勢で、ベッドの上に座っている。
ベッド脇の小さなテーブルには、湯気を立てる鍋が置かれていた。
中身はおかゆである。
その傍らでは、ルシエラが木の椅子に腰掛けて、椀と、スプーンを手にしていた。
「口を開けてください」
淡々とした声とともに、スプーンがユウナの口元へ差し出される。
ユウナは、少しだけ顔をしかめた。
「ルシエラ……」
声はまだ弱い。
それでも、文句を言う元気が戻ってきているあたり、確かに回復はしているのだろう。
「もう、おかゆは飽きたんだけど……」
ルシエラの手が、ぴたりと止まった。
そして、何も言わずにユウナを見る。
数秒の沈黙が落ちた。
「……」
さらに数秒。
その静かな圧に耐えきれなくなったのか、ユウナが少し気まずそうに目を逸らす。
ルシエラは、静かに言った。
「まだ身体の中が、全然回復していません」
スプーンを差し出したまま、その声はどこまでも淡々としている。
「油物は禁止です」
淡々。
「固い物も禁止です」
淡々。
「刺激物も禁止です」
淡々。
そして、ほんの少しだけ間を置いてから。
「つまり」
ルシエラは、揺るぎない結論を告げた。
「おかゆです」
ユウナは、深々とため息をついた。
「うう……もう三日目よ……」
「三日しか経っていません」
「三日も、よ」
ユウナは遠い目をした。
「朝、おかゆ」
「昼、おかゆ」
「夜、おかゆ」
そこで一度、重々しく息を吸う。
「おかゆフルコース……」
ルシエラは、少し考えた。
「卵粥もあります」
「誤差!」
抗議するユウナを前に、ルシエラは一度口を閉じ、それから改めて、静かな声で言った。
「ユウナは、あれだけ大きな傷を負っていたんです」
ユウナが僅かに視線を逸らす。
「呼吸だって、まともにできない状態でした」
「……」
「骨も、何本も折れていました」
「……」
「本来なら、こうして起き上がっていること自体、止めたいくらいです」
スプーンが、ほんの少しだけ近づく。
「だから」
優しく。
けれど、一切譲らない声で。
「おかゆです」
ユウナは観念したように肩を落とした。
「……はい」
素直に口を開ける。
ルシエラはようやく満足したようにスプーンを差し出し、ユウナの口へとおかゆを運んだ。
ユウナはゆっくりと咀嚼し、慎重に飲み込む。
「どうですか?」
「……思ったんだけどさ」
ユウナが、ふとルシエラを見る。
その目には、回復しかけの重傷人とは思えない、悪い笑みが浮かんでいた。
「ポーション飲ませてくれた時、口移しだったよね?」
ルシエラの手がピタリと止まった。
そして、その耳がゆっくりと赤くなっていく。
ユウナは、そこへ容赦なく追撃した。
「だから、おかゆも優しく口移しなら、美味しくなるかも――」
「口を開けてください」
先ほどまでとは違う、明らかに強い口調だった。
慌てるユウナ。
「え、いや、冗談――」
「開けてください」
有無を言わせない声だった。
逆らうだけの体力も、そもそも勝ち目もないと悟ったユウナは、おとなしく口を開ける。
次の瞬間。
どん、と。
かなり多めのおかゆが、容赦なく投入された。
「もごっ!?」
ルシエラは何事もなかったような顔で、もう一度スプーンを椀へ入れる。
「怪我人は静かに食事をするべきです」
「むぐぐ……」
ユウナは涙目になりながら、必死に口の中のおかゆを飲み込んだ。
その様子を確認してから、ルシエラは次の一口をすくい、平然と差し出す。
「ほら、しっかり食べてください」
声はいつも通り落ち着いている。
手つきも丁寧で、看病する者としての所作には少しの乱れもない。
ただ。
その顔だけは、耳まで真っ赤だった。




