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レジェンダリーゴブリン⑦

 ユウナの身体は、ほとんど動いていなかった。


 浅く、途切れ途切れに続く呼吸だけが、かろうじて彼女がまだこちら側に留まっていることを示していたが、そのたびに喉の奥から漏れる湿った音は、あまりにも頼りない。

 肺が潰れている……

 聞いているだけでルシエラの胸の内側を冷たく締めつける。


 肋骨は何本も砕け、胸郭は歪んでいた。

 折れた骨の破片が内臓を傷つけているのか、口の端からゆっくりと血が溢れ出す。


 砕けた鎧の隙間から見える身体の下には、血溜まりが広がっていた。


「ユウナ……」


 ルシエラの声は震えていた。


「ユウナ……」


 抱き上げたその身体は、信じられないほど軽かった。

 まるで生きるために必要な熱も力も、どこかへ抜け落ちてしまったかのようだった。


「っ……そうだ、ポーション……!」


 はっと我に返ったルシエラは、震える指で腰のポーチを探り、そこから小さな瓶を取り出した。


 高級回復薬――〈トリートポーション〉。


 今のユウナを救えるとすれば、手元にあるこれしかない。


 ルシエラは栓を歯で引き抜き、こぼさぬよう慎重に瓶を支えながら、ユウナの唇へそっと当てた。


「ユウナ、ポーションですよ……」


 祈るように囁き、ゆっくりと瓶を傾ける。


 濃い青を帯びた液体が、わずかに開いた唇の隙間から流れ込んでいく。


 しかし、ユウナの喉は動かなかった。


 飲み込む力がないのか、あるいはその反応すら失われてしまっているのか、流し込まれたはずのポーションはそのまま口の端から溢れ、頬を伝い、地面へと落ちていく。


 ぽた、ぽた、と。


 青い液体が、血の色の中へ虚しく混ざっていく。


 ルシエラの瞳が、大きく揺れた。


「……ユウナ、お願い……飲んで……」


 もう一度、瓶を傾ける。


 だが、結果は同じだった。


 飲めない。


 意識がない。


 嚥下(えんか)するためのわずかな力すら、今のユウナには残されていない。


「……」


 数秒。


 ほんの数秒のはずなのに、ルシエラにはその時間が、ひどく長く、冷たく引き延ばされていくように感じられた。


 辺りでは、まだゴブリンたちの混乱が続いているはずだが、その叫びも、足音も、武器の鳴る音も、今のルシエラの耳には何ひとつ届かなかった。


 視界に映るのは、ただユウナだけ。


 腕の中で、今まさに命を手放しかけている、大切な人だけだった。


 このままでは、ポーションがあっても助からない。


「…………っ!」

 ルシエラは、強く歯を噛みしめた。


 迷っている時間などなかった。

 考えるよりも先に、彼女はポーションの瓶を自分の口元へ運び、一口分の薬液を含んだ。


 舌の上に、魔法薬の不自然な甘さと薬草の苦味が広がる。


 それを飲み込まないよう堪えながら、ルシエラはユウナの顎を震える手で支え、壊れ物に触れるような慎重さで、その顔へと身を寄せた。


 そして、ゆっくりと唇を重ねた。


 冷たい……血の味がする……


 その感触に胸が裂けそうになりながらも、ルシエラはためらわず、口移しでポーションを流し込んでいく。


 息を吹き込むように。


 命を送り込むように。


 どうか喉の奥まで届いてくれと願いながら、彼女はわずかずつ薬液を押し流し、空いた手の指先でユウナの喉元をそっと撫でた。


 数秒。


 長い、長い数秒が過ぎた。


 やがて。


 ユウナの喉が、わずかに動いた。


 こくり、と。


 ほんの小さな動きだった。


 けれど確かに、飲み込んだ。


「……!」


 ルシエラは目を見開き、急いで顔を離した。


 荒くなった呼吸を整える暇も惜しみながら、彼女はもう一度ポーションを口に含み、再びユウナへと顔を近づける。


 今度は、より慎重に。


 焦りに震える心を必死に押さえ込み、少しずつ、確実に、ユウナの身体へ薬液を送り込んでいく。


 こくり。


 こくり。


 弱々しくはあったが、ユウナの喉は確かに動き、そのたびに回復薬は少しずつ、彼女の内側へと届いていった。


 やがて、ユウナの身体にかすかな魔力の光が灯る。


 それは傷を完全に癒やすにはあまりにも弱く、失われかけた力を取り戻すにはまだ遠い、ほんの頼りない光だった。


 それでも。

 命を、今この瞬間だけ繋ぎ止めるには、十分だった。


 ルシエラは震える手で、ユウナの頬に触れた。


「ユウナ……」


 落ちた涙が、血と土に汚れた頬を濡らした。


「お願い……」


 声が、かすれた。


「戻ってきて……」


 遠くでは、ゴブリンたちがもはや統率を完全に失って、散り散りに逃げ去っていった。

 森は急速に静けさを取り戻していく。


 だが、ルシエラにとって、そんなものはどうでもよかった。

 勝敗も、戦果も、逃げ去る敵の数も、今は何ひとつ意味を持たなかった。


 ただ腕の中にあるこの命を失いたくない。

 ルシエラはユウナの身体を抱きしめ、必死にその命を繋ぎ止めていた。

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