レジェンダリーゴブリン⑤
ルシエラの足が地を蹴った。
考えるよりも早く、身体が動いていた。
視線の先には、血に沈むユウナの姿がある。
10mにも満たない距離。
一足飛びで駆け寄れる距離だ。
「ユウナ!!」
叫びながら駆け出す。
その声は、戦場の喧騒を裂いた。
だが、答えはない。
代わりに、横合いから影が飛び込んできた。
「ギィッ!!」
ゴブリンロード。
王を守るためか。
あるいは、ただ命令に従っているだけなのか。
その理由など、ルシエラにはどうでもよかった。
「邪魔――するなぁッ!!」
大剣が唸る。
一閃。
踏み込んできたゴブリンロードの身体が、風に払われる木片のように弾き飛ばされた。
ルシエラは止まらない。
だが、次の瞬間にはもう、別のゴブリンどもが纏わりついて来ていた。
まるで森そのものが敵意を吐き出しているかのように、ゴブリンたちが次々と湧いてくる。
「どけッ!!」
振り抜く。
重い刃が風を裂き、道を塞ぐものをまとめて薙ぎ払う。
悲鳴が上がり、いくつもの身体が地面へ転がった。
道が開く。
一瞬だけ。
本当に……一瞬だけ。
その隙間の向こうに、ユウナが見えた。
倒れたまま動かない。
その傍へ、レジェンダリーゴブリンがゆっくりと歩いていく。
急がなければ。
今すぐ。
……今すぐに!
ルシエラは前へ踏み出した。
その足に、何かが絡みつく。
「っ……!」
見下ろせば、それはただのゴブリンだった。
弱い。
取るに足りない。
普段なら視界に入れる必要すらない相手。
それが、必死に足にしがみついている。
「離せッ!」
蹴り払う。
軽い身体が足から剥がれて地面を転がる。
そして、その一瞬で前方はまた埋まっていた。
ゴブリンロードたちが、死体を踏み越えて押し寄せてくる。
まるで、波だった。
一つを砕いても、次が来る。
次を斬っても、その奥からまた別の影が現れる。
ルシエラは強い。
彼女の一撃は並の魔物なら受け止めることすらできない。
振るえば倒れ、踏み込めば裂け、叫べば敵は怯む。
それでも――進めない。
「……っ!」
歯を食いしばる。
焦りが胸を焼いた。
ユウナが見える。
遠くない。
ほんの少し先にいる。
なのに届かない。
「どいて……!」
声が震える。
「どいてよ……ッ!」
大剣を振るう。
何度も、何度も。
その度にゴブリンは倒れる。
しかし、倒れて空いた場所に、また別の敵が入り込む。
切り開いたはずの道は、瞬きをする間に塞がっていく。
まるで、世界そのものがルシエラとユウナの間に壁を作っているようだった。
「なんで……っ」
一歩進む――止められる。
さらに一歩―――また塞がれる。
「なんで、届かない……!」
視界の端で、レジェンダリーゴブリンが嗤っている。
ゆっくりと、余裕を見せつけるように、倒れたユウナへ近づいていく。
やめろ。
そう思った。
けれど声にならない。
喉が焼ける。
息が乱れる。
手の中の大剣がいつもより重い。
それでも振るう。
「邪魔するなぁあああああ!!」
叫びとともに大剣が弧を描いた。
数体のゴブリンロードがまとめて吹き飛び、ようやく道が開く。
今度こそ!
そう思った。
だが、その奥からまた新たな影が現れる。
また塞がる。
また……届かない。
「ユウナ……!」
その名が、祈りのように漏れた。
その時、レジェンダリーゴブリンがこちらを見た。
ルシエラと目が合うと、愉悦の表情を浮かべ、顎を振って物言わぬユウナを指し示した。
ルシエラの目が大きく見開かれた。
「やめろ……」
小さな声。
届かない。
「やめろ……!」
足元へ敵が群がる。
前方を刃が塞ぐ。
横から槍が突き込まれる。
それらすべてを叩き伏せながら、それでもルシエラは進めない。
たった数歩。
その数歩が、果てしなく遠かった。
「やめろぉぉぉぉぉッ!!」
絶叫が森を震わせた。
しかし距離は縮まらない。
戦場の音が遠のいていく。
ゴブリンの叫びも、武器の音も、風の音も。
すべてが薄れていく。
残ったのは、ただ一つ。
ユウナがそこにいる。
自分はここにいる。
届かない……その事実だけが、刃よりも深く、ルシエラの胸を抉っていた。
その瞬間…一瞬だけ…ほんの僅かにルシエラの身体から力が抜けた。
その隙を見逃さず、ゴブリンロード達が群がり、押し倒す。
最早引き剥がして蹴散らしている時間はない。
レジェンダリーゴブリンが、ユウナのすぐ前に立っていた――
足元に広がる血。
動かない身体。
浅く、途切れ途切れの呼吸。
その様子を見下ろし、レジェンダリーゴブリンは嗤った。
口が耳まで裂けるような、満面の笑みだった。
棍棒を振り上げる。
処刑のために。
「オワリダ!」
その声が、巣全体へ響く。
その瞬間――
「最後まで油断とか……」
かすれた声が、地面の近くから聞こえた。
レジェンダリーゴブリンの動きが、わずかに止まる。
「所詮はゴブリンね」
ユウナだった。
血に濡れたまま。
身体はほとんど動かない。
息は浅く、声も弱い。
それでも、その目だけは死んでいなかった。
鋭く。
冷たく。
相手の致命的な隙だけを見抜いている。
「終わるのは……アンタよ……」
その瞬間、指先に魔力が集まる。
声は弱々しい、しかし、そこから解き放たれる魔法の奔流は凶暴だった。
「真、第八階位の攻――」
荒い息の合間を縫って、呪文を紡ぐ。
「閃光、瞬閃、熱線――」
光が収束する。
高密度の魔力が、槍のかたちを取る。
「……【エネルギージャベリン】」
次の瞬間。
光の槍が、レジェンダリーゴブリンを真正面から貫いた。




