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もう一人のナイトメア①

「なるほど、荒んでるわね……」


 一面に広がる荒野を見渡し、ユウナは小さく呟いた。


 乾いた風が砂塵を巻き上げ、視界の端を白く濁らせる。

 草木はまばらで、岩と赤茶けた土ばかりがどこまでも続いていた。

 生命の気配は薄い。にもかかわらず、この地には妙に“何かが潜んでいる”という気配だけが濃く満ちている。


 その気配が形を取るように、また一体、雑多な魔物が岩陰から躍り出た。


 ユウナは溜息混じりに剣を抜く。

 踏み込みは最小。斬撃は鋭く、そして正確だった。

 魔物は悲鳴を上げる暇もなく胴を断たれ、砂の上へ崩れ落ちる。


 剣を軽く振って血を払いながら、彼女は肩をすくめた。


「小細工はない。けれど、隠れる場所もない。休めるところもない……こういうのが一番厄介だったりするのよね」


 腰の水筒を外し、口元へ運ぶ。

 ぬるくなった水が喉を潤そうとした、その瞬間。


 地面の裂け目のような影から、今度は別の魔物が這い出してきた。


「ああもう、水くらいゆっくり飲ませなさいよ!」


 半ば八つ当たりのように吐き捨てると、ユウナは水筒を戻し、再び剣を構えた。


 荒野の空は高い。

 逃げ場はなく、休息もない。

 ただ乾きと敵意だけが延々と続いている。


ーーー


 彼女がそんな場所へ足を踏み入れることになったのは、ヴァルクレア冒険者ギルド本部にて、ギルド長から直々に依頼を提示されたことが始まりだった。


 内容は明快だ。

 北方山岳地帯に出現した奈落の魔域(シャロウアビス)の排除。


 それだけなら、決して珍しい依頼ではない。

 魔域は突然現れ、放置すれば周辺一帯を侵食する。

 早期発見、早期攻略――それは冒険者ギルドの重要任務のひとつだった。


 だが、その依頼書には看過できない点があった。


 危険度欄に記された文字。

 『S級』


 本来であれば、複数の上級冒険者を擁する精鋭パーティが投入される規模の案件だ。

 それを単独指定。


 ユウナは依頼書から顔を上げ、椅子の背にもたれながら口元を歪めた。


「ふぅん……これはアレかしら?」


 皮肉を含んだ声が、静かな執務室に落ちる。


「ギルドのトップ冒険者が“穢れ持ち”なのは外聞が悪いから、ちょうどいい機会だし死んでこい……ってこと?」


 白髪混じりのギルド長は、その言葉に眉ひとつ動かさなかった。

 年季の入った木机の向こうで、ただ静かにユウナを見返す。


 だが、室内の空気はわずかに張り詰めていた。

 冗談で済ませるには、依頼の内容が重すぎる。


 ギルド長は低く落ち着いた声で答えた。


「ハイペリオン級冒険者ユウナ。お前がどのような出自であろうと、我々は実績で評価する」


 一拍。


「だが今回の件は……“お前だから”だ」


 そう言って、彼は机上の追加資料をユウナの前へ滑らせた。

 視線を落としたユウナは、その一文を読んで、わずかに目を細める。

 魔域内部で確認された存在――“黒角の女剣士”

 その特徴欄に記されていたのは見過ごせない情報だった。


 ナイトメア。


 資料にはさらに、先行した斥候の報告が記されていた。

 その魔域は通常の魔域に見られる瘴気循環とは異なり、穢れそのものを媒介として拡張している兆候があるという。


 ギルド長は淡々と続けた。


「もし報告が事実なら、通常の冒険者では内部侵入そのものが困難になる可能性がある。穢れへの耐性が必要になるかもしれん」


 ユウナは資料を机に戻し、ふっと短く息を吐いた。


「なるほど。確かに、“私だから”ね」

 その声からは、先ほどまでの刺々しさが少しだけ薄れていた。


「まあ、そうね……あなたはずっと、私を私怨で差別したことはなかった。ただ普通の冒険者として、適正な扱いをしてきた」


 そこでわざとらしく口の端を吊り上げる。


「安い報酬で下水の掃除やネズミ退治とかを延々やらされたりもしたけど……」


 それを聞いたギルド長の口元にも、わずかに笑みが浮かぶ。


「だが、生き延びただろう?」


 その一言に、ユウナは何も返さなかった。

 冒険者になった当初のことを思い出していたからだ。


 八歳。

 まだ剣を振るう訓練すら満足に受けたことのない少女が、いきなり命のやり取りをする依頼に出ればどうなるか。

 答えは考えるまでもない。


 ギルド長はユウナに討伐の依頼は回さなかった。

 だからユウナは、死なないために“最低の仕事”を受け続けた。


 下水の掃除。

 ネズミ退治。

 ゴミ捨て場の処理。

 安い報酬で食いつなぎ、合間にギルドの講習へ通い、戦い方を覚え、身体を鍛えた。


 そうするしかなかったのだ。

 生き延びるため。

 ただ、それだけのために。


 そして気づけば、その“生き延びるための積み重ね”が、彼女をここまで押し上げていた。


「……あなたがそう判断したのなら」


 小さく呟いて、ユウナは椅子から立ち上がる。


「いいわ。受ける」


 だが、そのまま頷くだけでは終わらない。

 ユウナはすっと右手を上げ、指を二本立てた。


「ただし、条件がある」


 ギルド長は無言で続きを促す。


「成功報酬は二割増し。加えて――魔域内部で得たすべての魔法的遺物の優先取得権を私に」


 室内に短い沈黙が落ちた。

 窓の外から聞こえる喧騒が、かえってその静けさを際立たせる。

 ギルド長は伸ばされた二本の指を見つめ、やがてゆっくりと口を開いた。


「……二割増しは承認しよう」

 そこで一度区切り、視線を鋭くする。

「だが、魔域内部の遺物の優先取得権は限定承認だ。“危険指定遺物”に該当する場合は認められない」


「それでいいわ」

 微かに口の端を上げて答える。

 完全な譲歩を引き出せるとは最初から思っていなかった。

 むしろこの条件をここまで通した時点で、十分に上出来だ。


 ギルド長は依頼書の報酬額に訂正した金額を書き込んみ、それをユウナの前に滑らせた。


「署名を」


 ユウナは羽根ペンを取り、ためらいなく自らの名を記した。


 その瞬間、依頼は正式に成立した。

 こうして、ユウナによる奈落の魔域(シャロウアビス)攻略が決まったのである。

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