文明チート
王城で火花散る舌戦と、“かっこいい木の棒”による無双劇が繰り広げられている頃――
王都の喧騒から切り離された大図書館の一角では、静謐でありながら、凄まじい密度の“作業”が進行していた。
静まり返った閲覧室。
高い天井の下、小さく響くのは紙の擦れる音と……
ペラ……カシャッ。
ペラ……カシャッ。
その規則的な音は、読書にしてはあまりにも速すぎた。
ルシエラは、机の向かいに座るエリスの手元を見つめる。
ページをめくる指の動きは早く、正確で、ある種の美しさすら感じられる。
目が回るような速度で紙面が流れ、そのたびにエリスの瞳が淡い光を宿す。
机の上には、本が山のように積まれていた。
軍事。
地理。
歴史。
政治。
さらに各地方の細かな風習、王都の慣習、地方統治の事例、過去の戦記に至るまで――
それは、この国という存在を構成する知識の集積そのものだった。
「エリス、先ほどから凄い速さでページをめくっていますが……ちゃんと読んでいるのですか?」
ルシエラが半ば呆れたように問いかける。
『いいえ、読んではおりません』
ペラ……カシャッ。
ペラ……カシャッ。
エリスは視線を本から逸らさないまま答えた。
『現在は、これら書籍の全内容を高解像度の画像データとして内部ストレージに取り込んでおります』
また一冊、ページが高速で流れていく。
『後ほど、この画像データから文字情報を走査・抽出し、正規化されたテキストデータとして構造化します。それにより、瞬時の検索と相関分析が可能になります』
話しながらも作業は淀みなく進行している。
「……よく分かりませんが」
ルシエラは一拍置いて、素直に結論だけを口にした。
「エリスに任せれば間違いはない、ということですね」
『肯定します。お任せください』
その返答は、相変わらず淡々としていた。
だが、その淡々さこそが頼もしさでもあった。
エリスの処理速度は、もはや“読書”という概念を超越している。
ルシエラは、本の山を見つめて小さく息をつく。
これだけの分量を、メイベルに教えられる形まで理解し、噛み砕き、体系化するには、通常であれば年単位の時間が必要になる。
それを――
エリスは“ページをめくる時間”だけで済ませようとしている。
『……しかし』
不意に、エリスの手がわずかに止まった。
『この図書館だけでは、記録されている情報量が極めて限定的ですね。ミッシングリンクが多すぎます』
聞きなれない単語にルシエラは思わず苦笑する。
だが、何を言っているのかは分かった。
「それでも、ないよりは遥かに良いでしょう」
『はい』
エリスは静かに頷く。
『現時点のサンプルでも、この国の意思決定構造、権力分布、軍事運用思想の大枠は再現可能です。
加えて、歴史的な政策失敗事例との相関分析により、将来的な分岐予測も行えます』
ルシエラは一瞬だけ目を細めた。
「……それはもう、“勉強”ではありませんね」
『はい』
エリスは淡々と告げる。
『これは“解析”です』
――やがて、エリスは最後の一冊へ手を伸ばす。
ページが流れる。
紙の音が続く。
そして――
パタン、と最後の本が閉じられた。
エリスはその背表紙を一瞬だけ見つめる。
カシャッ。
『――全二十七カテゴリー、四百三十二冊。スキャニング、完了しました』
「お疲れ様です、エリス」
ルシエラはそう言って、窓の外へ目を向けた。
夕闇が、王都を少しずつ染め始めている。
視線の先には王城。
そしてそこでは今まさに騒ぎが起きており、その中心であろうユウナとメイベルがいる。
「ユウナのことですから」
ルシエラは半ば冗談、半ば本気で呟いた。
「今頃、国王に喧嘩を売って、早々に国を追い出される事態になっているかもしれません」
今回、ルシエラが真っ先に図書館を訪れたのは、その“最悪”を想定していたからだった。
王都からの強制退去。
一度そうなれば、この図書館の資料に再び触れることは難しい。
だからこそ、今のうちに。
メイベルがこの先必要とするであろう、国を導くための知識を――
すべて、エリスの内部へと写し取っておく必要があった。
それは単なる収集ではない。
再構築し、最適化し、未来の選択肢として提示するための準備。
言うなればそれは――
“改革の設計図”を描くに等しい行為。
「さて」
ルシエラは立ち上がる。
「そろそろ宿へ戻りましょうか。案外、あの二人はもうお城から締め出されているかもしれませんし」
エリスも手際よく本を整え、席を立った。
こうして、メイベルの知らぬところで。
彼女をただの理想家ではなく――
本当に国を動かす者へと押し上げるための準備は、着々と、そして容赦なく整えられていた。




