見抜いていた者
謁見の間を支配したのは、耳が痛くなるほどの完全な静寂だった。
国一番の使い手であり、幾多の戦場を潜り抜けてきた騎士団長が、何一つできずに敗北した。
その事実を脳が受け入れられず、文官たちは凍りつき、武官たちは己の武器を握る手が震えるのを止められなかった。
一同の視線は、ただ一人の“怪物”――ユウナへと注がれる。
そこにあるのは、もはや侮蔑ではなく、本能的な恐怖だった。
「さて……」
静寂を切り裂き、ユウナの涼やかな声が響く。
彼女は一歩も動いていない。
ただそこに立っているだけなのに、広間全体の空気が彼女の支配下にあるかのようだった。
「まだやるの?」
ユウナが王子を見据え、不敵に嗤う。
その笑みは、子供をあやす母のようでもあり、獲物の喉元を見定める飢えた獣のようでもあった。
「ひ……っ! こ、近衛兵! 何をしている、この化け物を殺せ! 殺してしまえ!」
王子の悲鳴に近い叫びに応じ、玉座の影、そして重厚な扉の脇に控えていた完全武装の兵たちが一斉に動き出した。
彼らは王家直属の精鋭、近衛兵。
洗練された連携で、ユウナとメイベルを瞬時に包囲する。
その数は20人。
「いいの? 騎士団長に続いて、虎の子の近衛兵まで全滅させられちゃったら、もう言い訳も立たないわよ?」
包囲の網を嘲笑うかのように、ユウナは臆することなく言い放つ。
「あんなのは、まぐれだ……! いや、何か卑怯な術を使ったに違いない! 惑わされるな!」
王子は口角から唾を飛ばし、狂乱の体で剣を指し示す。
「者共! 構わん、この穢れを切り捨て――」
「そこまでです」
鋭く、氷の刃のような制止の声が広間に轟いた。
一同の視線が、声の主へと吸い寄せられる。
これまで一貫して沈黙を貫いていた王妃が立ち上がった。
その凛とした佇まいに、近衛兵たちの動きがぴたりと止まる。
「ユウナ殿の仰る通りです。これ以上の醜態を晒すことは、王妃として看過できません」
「は……母上。醜態とは心外な。この穢れを無傷で帰すことこそ、王家の威信を汚すことになり――」
「お黙りなさい。そなたの目には、何も映っていないのですか」
王妃は声を荒らげることはなかった。
むしろ静かに、諭すように語っている。
しかし、その声には絶対的な王族としての、そして一人の人間としての、有無を言わせぬ重みがあった。
「……へえ?」
ユウナが目を細め、小さく感嘆の吐息を漏らす。
この修羅場において、ただ一人「正解」を見抜いた者の存在に、彼女は密かな興味を覚えた。
最初に感じた、自分に向けられた興味の視線も彼女のものだろう。
王妃は続けた。
「そのお方が本気になっていれば、今頃、妾達は物言わぬ骸と成り果てているでしょう」
「……なにを馬鹿なことを!」
王子が叫ぶ。
ざわめきが広がる。
誰もが「あり得ない」と言いたげな顔をしていた。
「猛獣を懐に呼び込み」
淡々と語る。
「噛み殺されるまで、その危険に気付かないとは……そなたたちは、そこまで平和に暈けていましたか」
その言葉に、空気が張り詰める。
「妃よ、何を言っておる」
王が口を開く。
「その者の無礼な振る舞いを放っておけば、王家の権威は失墜するぞ」
王の言葉に、王妃は哀しげに首を振った。
「そのお方の仰る通り、王家が冒険者ギルドに……一人の冒険者に命令を下す権利など存在しません。
王家が上から物を言えているように見えるのは、偏にギルド側が秩序のために、王家を立ててくださっているからに他ならないのです」
王妃は毅然とした態度で、玉座の隣に座す王を正面から見据えた。
「それを勘違いし、安易に呼びつけて度重なる無礼を働く……。
今、妾達の首がつながっているのは、ただただユウナ殿の寛容さゆえ。その慈悲にこそ感謝すべきです」
「っ! 母上……所詮、あなたは王妃になる前は辺境の男爵家の娘だ。
統治の要諦など何も分かっていない! ただの手品に必要以上に怯え、あろうことか穢れに媚びるような発言を繰り返すとは!」
王子はもはや理性を失いつつあった。
王妃の言葉を弱腰の妄言と断じ、近衛兵たちを煽り立てる。
「もう語ることはない! 近衛兵たちよ、突撃せよ!!」
近衛兵たちの間に、一瞬の迷いと戸惑いの気配が走った。
だが、彼らは王家の忠実な盾であり剣である。
王妃より権限のある第一王子の言葉に従うほかはない。
すぐさまその表情を引き締め直し、死を覚悟しつつも鋭い眼光で、獲物であるユウナへと武器を構え直した。
一触即発の緊張が、謁見の間を爆発寸前の圧力で満たしていった。




