マナハウス
その夜、街道の傍らに突如として現れた光景に、ユウナは絶句した。
「……ちょっと、何なのこれ」
そこに建っていたのは、野営の天幕などではない。重厚な造りをした、立派な「家」だった。
『マナハウスです』
エリスが事も無げに、いつもの無機質なトーンで答える。
「マナハウスって……14レベルの魔動機術じゃない! そんな高位の魔法、さらっと使えるものなの!?」
『はい。私は15レベルまでの魔動機術であればすべて行使可能です』
「強いとは思っていましたが……まさかそこまでとは」
ルシエラが呆然と呟く。
ケルディオン全土を探しても、14レベルの魔動機術を使いこなす者の数は片手で余る。
15レベルともなれば、公に知られているのは一人しか存在しない。
「で、なんで今日の今日までこれを出さなかったのよ。初日からこれがあれば、野宿なんてしなくて済んだじゃない」
ユウナが改めて家を見上げ、それからエリスへと視線を戻す。
問い詰めるような口調ではなかった。
純粋な疑問だった。
エリスは淡々と答える。
『昨日までは、ユウナ様が夜襲を望んでいるようでしたので』
「……あー」
ユウナが微妙な顔をする。
確かに、否定はできなかった。
『そして今日は、目的だったメイベル様の実戦も行えました。
その結果、メイベル様の身を清める必要があること、しっかりと睡眠を取ることが大事だと判断いたしました』
その説明には、一切の無駄がなかった。
『更にこの“マナハウス”は……』
そこで、エリスは少しだけ言葉を切った。
ほんのわずかに、言い淀む。
その理由を、ユウナはすぐに察した。
「知ってるわ」
先回りするように言う。
「“守りの剣”と同じ、穢れを弾く効果があるんでしょう?」
“守りの剣”は穢れに対する防衛機構のような物で、蛮族などの、穢れを持った者が近づくと、激しい苦痛を感じたりする。
ナイトメア程度の穢れなら、ほぼ影響はないが、それでも多少の気分の悪さは感じてしまう。
特に一度【リザレクション】によって蘇生し、より多くの穢れをその魂に宿すユウナには、はっきりとした重圧になるはずだ。
エリスは何も言わない。
ただ、その沈黙が肯定だった。
ユウナはふっと笑う。
「大丈夫よ。慣れてるから」
そして、そっと手を伸ばした。
エリスの頭に触れる。
銀の髪を、優しく撫でる。
「ありがとね」
『………………以前も申し上げましたが、稼働年数で言えば私の方が遥かに年上ですので、子供を扱うようなその動作は不適切です』
「はいはい、照れるなって」
ユウナは笑いながら、今度は「わしゃわしゃ」と遠慮なくその銀髪を掻き回した。
『……ユウナ様』
「ん?」
『髪が乱れます』
「いいじゃない、どうせ家の中に入れば直せるでしょ」
『そういう問題ではありません』
少し離れたところに立っていたメイベルはそのやり取りを見て目を瞬かせた。
ルシエラはそんな彼女の反応に気づき、小さく微笑む。
「エリスはあれで結構嬉しいんですよ」
「……そうなのですか?」
「表には出ませんけどね」
メイベルがもう一度エリスを見る。
撫でられている本人は、相変わらず無表情に近い。
しかし、完全には振り払わないあたりに、確かに拒絶とは違うものがあるようにも見えた。
しばらくエリスの頭を乱暴に撫でていたユウナだがようやく手を離すと、満足げにその家を見上げた。
「……まあ、今日は素直に甘えましょうか」
その言葉に、ルシエラが頷き、メイベルの表情もほっと緩む。
エリスは一礼した。
『それでは、入室の準備をいたします』
魔法によって顕現した「家」の内部は、街道の夜の冷気を完全に遮断していた。
一歩足を踏み入れたユウナは、そのあまりの完成度に開いた口が塞がらない。
「……ちょっと、これはさすがにやりすぎじゃない?」
そこには広々としたリビング、木の温もりを感じさせるダイニング、最新の魔導調理器を備えたキッチン。
そして独立した三つのベッドルームまで完備されていた。
完璧な“3LDK”のフル装備である。全室に柔らかな照明が灯り、窓の外の闇を忘れさせるほどに明るい。
「信じられませんわ……蛇口を捻ればお湯が出る浴室に、あの、例の“素晴らしいトイレ”までありますわ!」
メイベルが瞳を輝かせて各部屋を覗き込んでいる。
『一応貯水量に限りはございますが、1日2日で枯渇することはございません』
「……いいわね、これ。王都に入っても、適当な空き地を見つけて毎日これを建てて住んでいたいわ」
ユウナが本気で不動産価値を計算し始めたところで、エリスが一礼した。
『私はこれより夕食の準備に取り掛かります。皆様は入浴を済ませ、どうか寛いでお待ちください』
「そうね」
ユウナはあっさり頷いたあと、くるりとメイベルの方を向いた。
「ほらメイベル、洗ってあげるからいらっしゃい」
「あ、わ……わたくしは一人で大丈夫です!」
真っ赤になって即座に拒否する。
だが――
「遠慮するんじゃないの!泥やら返り血やらで汚いんだから、しっかり洗ってあげるわよ!」
ユウナは止まらない。メイベルの手を取って引っ張る。
「い、嫌です! ダメです! ルシエラ様、助けてくださいまし……っ!」
必死に救いを求めるメイベルだったが
「こうなったユウナは止められません」
ルシエラは、どこか達観したような遠い目で言った。
「そんな遠い目をして悟ったような顔をしないでくださいまし……!あ……ああっ!」
ずるずると。
抵抗も虚しく、メイベルは浴室へと引きずられていった。
服を剥ぎ取られて浴室に放り込まれたメイベルは、直後に脱衣所で服を脱ぎ捨て、堂々と入ってきたユウナの姿を見て、思わず言葉を失った。
(……なんというか、迫力です……)
戦士としてのしなやかな筋肉と、女性としての柔らかな曲線が完璧な調和を保っている。
メイベルは、思わず自分の身体に視線を落とした。
ぺたっ。すとーん。
「………………」
そこには、凹凸などという言葉とは無縁の、滑らかな平野が広がっていた。
あまりの格差に絶望し、何も言えずに沈黙するメイベル。
しかし、そんな乙女の繊細な心境など露知らず、ユウナは快活に笑った。
「ほら、ぼーっとしてないで洗うわよ!」
ユウナが蛇口を勢いよく捻ると、シャワーから適切な温度のお湯が噴き出した。
「わぷっ!?」
顔面からお湯を被り、メイベルは盛大に咽せ返る。
そしてそこからは、まさに“洗浄”という名の格闘だった。
ユウナの手は容赦がない。まずは豊かな泡を立てて頭を揉み、肩、背中、腕。
そして――
「あ!そこはいけませんわ!」
「ほら、暴れないの!」
「ダメです!自分で洗えますから!」
「子供が遠慮するもんじゃないの!」
「遠慮ではなくて!あ……あ……あーーーーーっ!」
メイベルの絶叫が、マナハウス中に響き渡った。
リビングでは他人事と決め込んだルシエラがゆったりとカップを傾けていた。
「……平和ですね」
『何よりでございます』
エリスは手際よくナイフを動かし、極上の香りを漂わせるシチューの準備を進めていた。
一時間後。
お湯の熱気で芯まで温まり、髪の一本一本から足の先まで磨き上げられた“ぴっかぴか”のメイベルが、リビングのソファで力なく伸びていた。
「気持ちよかったでしょう?」
タオルを頭に巻いたユウナが、満足げな顔で湯上りのエールを煽りながら声をかける。
「……もう、お嫁に行けません……」
メイベルはソファに顔を埋めたまま、うつ伏せでしくしくと泣いていた。
「平和ですね」
『何よりでございます』




