英雄譚に隠された現実
そして予定通り。
旅の支度を終えた一行は、ヴァルクレアの街を後にした。
王都へと続く街道は、よく踏み固められている。
行商人の荷車が通り、巡回兵が往来し、村々を繋ぐ、人の営みの道。
その両脇では低い草が風に揺れていた。
遠くには森の影が見え、さらにその向こうには、なだらかな丘陵が続いている。
ユウナ、ルシエラ、エリス、そしてメイベル。
四人は、緩やかな歩調で街道を進んでいた。
しばらく歩いたところで、メイベルがふと足を止める。
何かに気づいたように、周囲を見渡した。
「ユウナ様が、グレータードラゴンを迎え撃ったのは、確かここから見える……あの辺りですよね?」
その瞳は、きらきらと輝いている。
ユウナは視線を泳がせた。
「あ〜……まあ、そうだったかな」
どこか歯切れが悪い。
だが、高揚したメイベルはその微妙な反応に気づかなかった。
胸の前でぎゅっと手を組み、街道の先を見つめる。
「スタンピードの濁流を、無傷で捌き……」
彼女はそっと目を閉じた。
その口調は、吟遊詩人の節回しをなぞるように滑らかだった。
抑揚があり、聞く者の脳裏に、自然と情景を浮かび上がらせる響きがある。
「絶望の空を裂き、グレータードラゴンと対峙するハイペリオンの英雄たち」
朝の街道に、メイベルの声が朗々と流れる。
「見事これを討ち倒すも、巨竜は怨念により、禍々しきドラゴンゾンビへと変じる」
声に、緊張感が宿る。
「そのブレスは不可避の死への誘い。大地は震え、魔物の奔流は迫り、残された刻はわずか――」
ルシエラは少し困ったように、けれど感心したように聞いている。
ユウナは半眼になった。
メイベルには、歌い手としての素養がある。それをそのまま伸ばしていけば、王宮の歌姫として、争いごとなど無縁の生活を送れただろう。
だが、彼女はそれを選ばなかった。
彼女にとって、それが幸か不幸か……今の段階では分からない。
「かくて英雄たちは、命を賭した戦いの果てに勝利を掴み取る――」
最終節を、メイベルはうっとりとした顔で締めくくった。
その隣で、ルシエラが小さく息を吐く。
「何回聞いても、すごい詩ですよねぇ……」
「……ギリギリ嘘にならない範囲で、最大限に脚色する技術というか何というか」
ユウナは呆れたように、しかしほんの少し感心したように言った。
「プロの仕事って怖いわね」
「……脚色?」
メイベルが、きょとんとした顔で振り向く。
その顔には、純粋な疑問が浮かんでいた。
ユウナは肩をすくめる。
「スタンピードの波を捌いたって言ったって、実際は【フライト】でスッ飛ばして回り込んだだけだしね……」
少し考えてから、ああ、と頷く。
「なるほど。絶望の空を裂くって、そういう意味か」
「まあ、最短距離で対処したという意味では、捌いたと言えなくもないですよ?」
ルシエラが真面目な顔で補足する。
「間違いなく無傷でしたし」
「んん……?」
メイベルの眉間に、小さな皺が寄った。
どうやら憧れの英雄譚に異物が混ざり始めたらしい。
ユウナはさらに続ける。
「格好いい戦いじゃなかったわよ。そもそも、ドラゴンゾンビのブレスなんて避けようがないし」
「そうですね」
ルシエラは頷く。
「基本的には、食らって治す、の繰り返しでしたから」
「あれ……?」
メイベルの表情が、少しずつ不安気なものへ変わっていく。
ユウナは止まらない。
「極めつけは“命を賭した戦い”ってところね」
少しだけ口元を歪める。
「賭けたっていうか……私、思いっきり死んだし」
「ええ」
ルシエラも頷いて同意した。
「賭けたのは間違いないですが、結果としてはきっちり支払っていましたね」
「え……?」
メイベルが固まった。
その顔から、すうっと血の気が引いていく。
「し、死んだ……? え、どういう……?」
「そりゃあもう、酷い有様だったらしいわよ」
ユウナはどこか他人事のように言う。
「私は死んでたから見てないけど」
「ええ」
ルシエラの声は、妙に淡々としていた。
しかし、その横顔にはわずかな影が差している。
「ドラゴンゾンビに腕を千切られて、そのままモンスターの波に踏み潰されましたからね……」
「死ぬ気で庇った頭以外は、ぐっちゃぐちゃだったらしいじゃない」
「“死ぬ気で庇った”ではなく、“死んでも庇っていた”ですね」
ルシエラが、静かに訂正する。
「二度としないでくださいよ……」
その声は少しだけ震えていた。
ユウナはそれを聞いて、誤魔化すように笑った。
「あっはっはっは!」
明るい笑い声だった。
だが、その場で明かされた現実は、あまりにも衝撃的だった。
「う……うぅん……」
メイベルの頭が揺れた。
英雄譚の裏側にあった、生々しい戦いの様子。
歌では一節で暈して語られる犠牲。
けれど実際には、血と痛みと喪失で形作られた現実。
その重みに耐えきれず、メイベルの体がわずかに傾く。
『おっと』
倒れかけた彼女を、背後からエリスが支えた。
『お二人とも。その辺りにしておいてください』
「ああ、ちょっとやりすぎちゃった?」
ユウナは軽く言った。
だが、次の瞬間にはふっと表情を引き締める。
「でもね。脚色された虚像に憧れるのは良くないのよ」
今度は真面目な声だった。
街道を渡る風が、四人の間を抜けていく。
「吟遊詩人の歌は、娯楽だけじゃない、勇気や感動を与えて人を奮い立たせるためにもある。誰かの勇気になるなら、それは悪いものじゃないわ」
ユウナは静かに言葉を続けた。
「でも、それを真に受けて戦場へ行ったら死ぬわ」
メイベルは、エリスに支えられたまま顔を上げる。
「勝利の裏には準備がある。消耗がある。失敗がある。負傷がある。運もある。誰かが泣く夜もある」
ユウナの視線が、一瞬だけルシエラへ向いた。
「あなたはこれから、嫌というほど現実に向き合わなきゃならなくなる。だから、綺麗な歌だけを見て憧れているなら、ここで直しておきなさい」
メイベルは息を呑む。
その言葉は厳しい。
しかし否定ではなかった。
むしろ、ユウナは彼女を戦場へ連れて行く者として、必要な現実を見せようとしているのだ。
『それは分かりますが……』
エリスはメイベルを支えたまま、じとっとした視線をユウナへ向けた。
『絶対に楽しんでいましたよね?』
「夢見る少女を理解らせた……そんなところかしらね」
髪をばさりとかき上げてポーズを決めた。
沈黙。
エリスは一拍置いて、冷たく告げる。
『……今日のおやつはお預けです』
「え゛っ?」




