託す者と託される者
薄明の帳がようやく上がり始めた早朝。
ユウナの屋敷の庭に立ち並ぶ四人の影が、朝靄の中に伸びている。
「まず、明確な目標を決めましょう」
ユウナの声が、冷たく澄んだ空気の中に響く。
彼女は木剣を肩に預け、メイベルを正面から見据えた。
「軍部でのし上がって確固たる発言権を得る……。
そのためには、騎士団で圧倒的な一番手と目される武力が必要よ。
舐められたらそこでおしまい。暴力的なまでの説得力を持つこと。それが第一条件」
メイベルは緊張に喉を鳴らし、一言も漏らすまいと耳を傾ける。
「だけど、ただ強いだけの馬鹿では重要な地位には就けない。
兵法、軍事、地理、歴史、そして政治の力学、教養に礼法。軍部という巨大な組織を動かすには、頭の中に詰め込まなきゃいけない知識が山ほどある。
私は剣や戦場における個人の立ち回りなら教えられる……けれど、それ以外の専門的な学問については、あなたが自分で切り拓くしかないわ」
「だけどユウナ、そんな膨大な専門知識が独学で身につくでしょうか……
メイベルが背負おうとしているのは、あまりにも重い学問の束です」
ルシエラの懸念は正しい。
専門知識というものは、独学では身につけにくい。
確かに本を読むだけでも得られるものはある。
それでもそれをどう解釈し、どう実地に結びつけるかは、導く者がいるかどうかで大きく変わる。
家庭教師を雇うという手もある。
だが、ユウナの屋敷に高名な政治学者や軍学者が通うようになれば、勘繰る者は必ず出るだろう。
ありもしない野心を疑われるのは御免被りたいし、それは不利益しかもたらさない。
ユウナの動向や、屋敷に関する情報の流出も無視できない。
『僭越ながら、そこは私が解決できるかと』
無機質に聞こえるが、確かな信頼を感じさせる声。
三人から視線を向けられたエリスが一礼した。
『魔動機文明崩壊以前の記録にある軍事理論や統治論であれば、私の内部メモリにあるデータで指導が可能です。
さらに、現代の図書館にある最新のデータベースにアクセスさせていただければ、情報をアップデートし、より今の情勢に適した補完指導を行うことが可能です』
「……でーたべーす?」
「あくせす……?」
「あっぷ……でーと?」
三人の頭の上に、同時に巨大な疑問符が浮かんだ。
エリスはその様子から、自らの用語選択が適切ではなかったと言葉を修正した。
『……失礼いたしました。図書館にある書物を閲覧する時間をいただければ、私が全てを記憶し、整理し、メイベル様への最も効率的な教育カリキュラムを作成できる、ということです』
一度すべての頁を映像として取り込み、文字情報として再構築する。
魔動機文明の最高峰の技術の粋を集めた遺産である彼女にとって、それはそう難しいことではない。
それに現代の常識や、自分が施設にいた期間の歴史の空白を埋めることは、主であるユウナたちの今後の活動にとっても計り知れない利益になると、彼女は判断したのだ。
「……わかったわ。その辺りはエリス、あなたに一任する。
おそらく近いうちに、嫌でも王都へは行かなければならなくなるから。
その時はエリスも同行して、王立図書館の書物を全部吸い出してきなさい」
「それに関連して、今日は昼からギルドに行くわよ。……メイベルのことを、いつまでも黙っているわけにはいかないから」
メイベルはその言葉を聞き、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。
自分は、どれほどこの人たちの時間を奪っているのだろうか。
確かに剣を教えて欲しいと望んだ。
だがユウナたちに、自分を助ける義務などない。
義理もなければ、莫大な報酬があるわけでもない。
むしろ、王家との摩擦という巨大な火種を抱え込むだけで、得など何一つないはずなのだ。
「……何故」
言葉が口を突いて出た。
「何故、わたくしなどのために、そこまでしてくださるのですか?
考えても……わからないのです。ユウナ様がわたくしに手を貸す理由は、一つも存在しないはずなのに」
未熟ですらない子供が抱いた、あまりに青臭い理想。
人によっては、それをただの世迷言、傲慢な妄想だと切り捨て、嘲笑うだろう。
そんなもののために、この英雄たちは自分たちの平和を懸けている。
「……あなたが」
ユウナが、メイベルの瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「あなたが、私にはできなかったことをしようとしているからよ」
朝の風がユウナの髪を揺らす。
彼女の瞳には、過去の自分への複雑な感情と、目の前の少女への不思議な敬意が混ざり合っていた。
「私は王都の在り方に不満を抱いていたし、誰よりも憎んでいた。
けれど、それを根底から変えようなんて思わなかったわ。
虐げられる苦しみを知っていたのに、自分だけが強くなって逃げることしか考えなかった」
「でも、あなたは違う。あなたは一歩を踏み出した。私が“不可能だ”と目を背けていた理不尽に、真っ向から立ち向かおうとしている」
ユウナは悪戯っぽく、少女のように笑った。
「気付いていないかもしれないけど、志という一点において、あなたは私を疾うに超えているのよ。
……だから、私はあなたの夢に便乗することにしたの。ここで力を身につけたあなたが、いつか本当にこの国を変えたなら、それは私の成果、私の勝利だとも言えるからね」
その瞬間、太陽からの黄金色の光が庭に溢れ、世界を力強く照らし始める。
その光を全身に受け、メイベルは直立不動の姿勢をとった。
それは貴族令嬢としての優雅な礼ではなく、一人の戦士として、同志としての深い敬意を込めた一礼だった。
「……ありがとうございます、ユウナ様」
顔を上げたメイベルの瞳には、もう迷いも、自分を卑下するような翳りもなかった。
「決して、失望はさせません。……わたくしの全てを懸けて、この御恩に応えてみせます!」
差し出された無償の信頼。
それを糧に、一人の少女が本当の意味で覚醒しようとしていた。




